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SCHEMER〈スキーマー〉  作者: 霧雨ウルフ
第二部 アルトネア制圧戦
40/76

不穏

「どうだ。行けそうか?」

 ティリンスは太い枝で体を支えながら、足を前方の雪の中に突っ込んだ。そして、うっと呻くような声を漏らす。

「駄目だ、雪も柔らかいしかなり深い。ここを歩いていくのは相当きついと思うよ」

 ティリンスの答えにライグはうなだれ、来た道を振り返った。ライグが手にしたランタンを向けると、枯れ木が立ち並ぶ雪世界の中に二つの足跡が浮かび上がる。静寂と闇が支配する空間に、ライグの苛ついた声が響いた。

「今日はここまでだな。これ以上進むと戻れなくなるかもしれない。近いうちになんとか暇をもらって、日があるうちにもう一度挑戦しよう」

 ライグたちは居候という身である以上、家主であるムルトとナンシーの命令には逆らえない。昼は彼らに頼まれた仕事をこなし、他の従業員が入る夜まで自由な行動はとれないのだ。だからこそこうして危険な夜の山に踏み入り、無謀とも思える行動をとっているわけだが。

 ティリンスがライグの横まで戻り、深く溜め息をついた。ライグは辛気臭いティリンスの様子に思わず苦笑する。

「若者が先に諦めたらつまらんぞ。さっきも言っただろ、多少の無茶は必要だと」

 ティリンスは即座に答えた。

「わかってる、わかってるよ。けど、僕が心配してるのはそのことだけじゃないんだ」

「と、いうのは?」

 ライグの問いにティリンスは眉をひそめ、辺りを確認するかのように見回した。そして、声を落として囁く。

「ムルトさんがずっと探してる青い髪の人、大丈夫なのかなって。見つけ次第軍部に突き出すと言ってるムルトさんには僕は正直反対で、発見したら保護するべきだと思うよ。それに、街の周りを捜索して見つからないってことはこの雪山に隠れてるってことだよね。だから心配なんだ」

「もしくは既に死んでいるか、だな」

 さらりと放たれたライグの言葉にティリンスは不安そうな顔をした。ライグは多少呆れつつも来た道を辿って歩き出し、ティリンスに疲れたような声で釘を刺す。

「おいおい、それはお節介ってもんじゃないのか? 俺たちが見ず知らずの密入国者を探してやる義理もなければ、そいつを匿ってやる筋合いもない。そのうち誰かが発見するだろうし、余計なことに構っていたらますます皇女は遠ざかるぞ」

「でも、僕らだって似たような立場だろ。ナンシーの親切のおかげで、寝食不自由ない生活を送れ寒さに凍えることもない。だから、そのアルトネア人だって誰かが助けてあげるべきだと思うんだよ」

 ティリンスの妙に熱っぽい口調にライグは僅かに気圧された。何故そんなに謎のアルトネア人を気にかけるのかと不審にも思ったが、よくよく考えてみればわからないこともない。恐らくティリンスは、民族的差別の対象となりえる己と似た扱いを受ける青い髪のアルトネア人に、同類意識を持っているのだろう。だからこそ、ムルトなどの一部の人間に敵意を向けられるアルトネア人を庇おうとしているのだ。

 ライグはティリンスをじっと見つめ、言い聞かせるように話し出した。

「君の気持ちもわからないではないさ。確かに、そのアルトネア人には何の罪もないかもしれない。しかし、捜索ばかりに気をとられていたら本当に大事なもの……皇女という目標を見失ってしまうぞ。君はそれでいいのか?」

 ティリンスははっとしたように目を見開き、しばし沈黙した。やがて、気落ちした様子で呟く。

「そういえば、前にも似たようなことを言われた。ってことは、やっぱり僕は欲張りすぎるのかな……」

 ……今度はなんだ。やはり扱いにくいな、この若者は。

 ライグは予想以上に落胆したティリンスに戸惑い、慌てて付け足した。

「別に、アルトネア人のことを全て忘れろというわけじゃない。こうして山にいる間に辺りを確認する程度なら全然問題はないだろう。君が目標を見失わないなら、それと並列して捜索をしても構わないのであって」

 ティリンスは伏せていた顔を上げ、穴が開くほどライグを見つめた。

「……ありがとう。ライグは見かけによらず、優しいんだね」

「『見かけによらず』は要らんだろ」

 少し不機嫌な顔になったライグを見て、ティリンスはますますおかしそうに笑った。一方、ライグは更に不愉快になり、生意気な青年に軽く説教をかまそうと口を開く。

「――おっと、振り返るなよ」

 聞き慣れない声が二人の背後から響いた。

 いつの間にか首筋に当てられていた冷淡な金属の煌めきが、ライグの目を刺す。

 ライグは音も気配もなかった襲撃者の力量を肌で感じ、苦々しく顔をしかめた。ハルグに来てからは剣を持ち歩いていなかったことを後悔した。

 今更悔いても仕方がないので、隣で硬直しているティリンスを目で一瞥し、ライグと同じく彼の喉元に当てられたナイフを確認する。

「……何者だ」

 緊迫した状態にも関わらず、ライグは落ち着いた声で背後の人物に問いかけた。もちろんナイフはまだ首にぴったりと張りついているが、開き直ったように冷静なライグに、謎の人物はむしろ興味を抱いたらしく小さく笑う。

「嫌に落ち着いてんじゃねぇか。元軍人か傭兵か?」

 面白そうに質問する声はハスキーで掠れている。もしこの人物が例のアルトネア人だとすれば、恐らく若い男なのだろう。ともすると、女子供の声に聞こえないこともない。

 ライグは低く答えた。

「隠したところで意味はないので白状するが、そのとおりだ。つい最近まで帝国軍軍曹として従軍していた」

「へぇ、どおりで」

「さて、こちらの正体は明かしたのだから君のことも教えてくれないか。尤も、背を向けていては挨拶の一つもできないので、できれば面と向かって話したいんだが」

 ライグの皮肉めいた物言いに襲撃者は押し殺した笑い声を上げた。しかしあっさり「駄目だ」とライグの要求を拒否すると、ティリンスに向かって冷めた声で話しかけた。

「んで、さっきから黙り込んでるあんたは何? 軍曹の部下?」

 ティリンスは恐怖に凍りついたまま、絞り出すような声で返答する。

「僕は、ただの、一般人だ。元々は、ファンブリーナに住んでいた」

「ファンブリーナ!」

 背後から大きな声が上がった。ライグはその声音に含まれる歓喜を見逃さず、即座に問いかけた。

「ファンブリーナに何か思い入れでも?」

「それとはちょっと違うけど、ファンブリーナっていやぁクロム砂漠の近くだろ? いいね、そんな場所に住んでたなんて! いつか行きてぇと思ってる場所なんだ!」

 まさかこいつ、クロム砂漠に行きたいとでもいうのか? ファンブリーナならまだしも、あんな不毛の大地に憧れるなどよっぽどの奇人だ。

 ライグは内心動揺しつつも、クロム砂漠の話で盛り上がり語り続ける襲撃者の隙を窺った。なぜクロム砂漠の話題で盛り上がるのか理解できないが、こちらには好都合である。会話中というのは、どうしても油断してしまうものだからだ。

 案の定、敵はライグに後ろから突きつけていたナイフを少し下げていた。ライグはティリンスとの距離を目で確かめたのち、襲撃者の言葉を何気なく遮る。

「クロム砂漠と言えば、肉食蜘蛛が有名だな。実は俺も、数ヶ月前にお目にかかったよ──」

 ライグはそう言いながらティリンスの腕を掴んで地面に投げ飛ばし、それと同時に、ランタンを持つ手を後方に払った。声の聞こえた位置から考えればライグの左手──ランタンは、丁度襲撃者の顔面にぶつかるはず。

 しかし、払った手には何の衝撃もなかった。ライグは行動を読まれたかと一瞬戦慄したが、向こうからも攻撃はない。その代わり、少し離れた闇の先から何かが雪の上に着地するような音が聞こえた。

「……っぶねー」

 例の掠れた声が呟いた。どうやら相手は飛び退いてライグの左手をかわしたらしい。

「ったく、楽しく話してたのによ……。興醒めだぜ、軍曹殿」

 小馬鹿にした口調ではあるが、その声は明らかに失望を孕んでいた。楽しく話していたというのは本当のようだ。

「先に手を出してきたのはそちらだろう。悪いが、お前の話し相手をしている時間はない」

「つまんねー奴だな。まあ、いいさ。お前等が夜な夜な山に来てるのは知ってんだ。話の続きは、明日にでもしようぜ」

 闇の中に朧気に見えていたシルエットが、溶けるように周囲に紛れて見えなくなった。ライグは逃すまいと闇の中を数歩進んだが、急に雪が深くなり腰まで沈み込む。ライグが毒づきながら雪から這い上がった時には、既に襲撃者の気配は跡形もなく消えていた。

 ライグに地面に引き倒されたティリンスが、全身の至る所についた雪を払いながら歩いてきた。

「助かったよ。けど、もう少しお手柔らかにお願いしたいな。これじゃあ風邪ひいちゃうよ」

「並みの人間より相当丈夫な君に限ってそれはないだろう。首を切り裂かれなかっただけましと思え」

 ライグの返事にティリンスは顔を曇らせ、弱々しい声で尋ねた。

「さっきのが噂のアルトネア人なのかな?」

「だろうな。この山をこんな時間帯にうろつく人間が他にいるとは思えない」

 二人は複雑な心境になり、長い間黙り込んだ。アルトネア人は全て追い出せというムルトの考えには賛同できないものの、先ほどの人物は保護するべき対象だとは思えない。というよりは、保護する必要がないように思える。しかしながら、ライグたちがこれから先も山の下見に行くとして、また例の人物が襲いかかってきたらたまったものではない。少なくともライグとティリンスは、アルトネア人と交戦したいとは微塵も思っていないのだ。

「参ったな」

 ライグがぽつりと零した。ティリンスも同意を込め深く頷く。

 やがて、

「──追うか」

 と、ライグが淡白に言い放った。ティリンスは困惑しライグの顔を食い入るように見つめたものの、元軍曹の顔は感情を削ぎ落としたかのように無表情だ。ティリンスはライグの軍人らしい顔を久しぶりに見て、それだけ彼が本気であることを感じ取った。

「邪魔をされるのは好かん。それに、奴が街に下りて狼藉を働かんとも限らんしな。今のうちに捕らえておこう」

 ティリンスは物分かり良く頷き、当たり前のことを質問した。

「でも、武器もないのにどうやって対抗するの? 相手は結構な手練れみたいだけど」

「一度町に戻って、準備を整えてから来よう」

 ライグはティリンスに片眉を吊り上げてみせた。

「そして、夜の間にけりをつける。寝込みを襲うのは卑怯だが、捕獲するにはそれが最善だからな」


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