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SCHEMER〈スキーマー〉  作者: 霧雨ウルフ
第一部 ファンブリーナ奪還任務
34/76

第6章〈答え〉

「……我々が負けた? 君は何を根拠にそんなことを言っているのかね」

 ガルアの挑発的な宣言に、ヴァルカモニカは至って冷静に反応した。それもそうだろう、今現在ファンブリーナを支配しているのは紛れもなく皇国のヴァルカモニカなのだから。

 しかし続くガルアの言葉に、ヴァルカモニカは顔をしかめた。

「まあ、正しく言うと“追い詰められた”でしょうね。今の貴方は、大変危うい状態に置かれています」

「でたらめを言わないでください。追い詰められているのは、貴方たちの方でしょう」

 穏やかな口調でメリダが割り込む。表情は柔らかいが、その目は鋭くガルアを睨みつけている。ライグはメリダが容貌に反し苛烈な内面を持ち合わせていることを知っていたので、もしもの攻撃に備え一歩前に出て迎え撃つ体勢を整えた。

 メリダが、抜き身の剣を小さく揺らす。

 来るか──。

 しかし、柄を握る手に力を込めたライグの肩をガルアが軽く叩いた。ライグは目だけで隣に立つガルアを確認し、彼が無言で武器をしまえと促していることに気づく。ついでライグがメリダを見やると、彼女もヴァルカモニカと目配せし、剣を鞘に収めるところだった。

 大人しく剣を収めたライグの横で、ガルアが満足げに言う。

「話が早くて助かります、猊下。我々は争いに来たわけではありませんので、武具類の使用は控えていただけると幸いです」

 ガルアに目を向けられたメリダはつまらなそうに肩を竦めたが、それとは対照的にヴァルカモニカは愛想良く答えた。

「せっかくここまで来てくれたのだから、私も誠意を持って話を聞こう。しかし立ち話もなんだ、君たちが嫌でなければここに座ってもらえないだろうか」

「それでは、お言葉に甘えて」

 ガルアはヴァルカモニカが手で指し示した応接用と思われるソファーに、躊躇う素振りを見せることなくあっさり腰を下ろした。それに合わせヴァルカモニカも議長椅子を立ち、我が物顔でくつろぐガルアの向かいに座る。ライグは上官のふてぶてしさに頼もしさと少しの不快感を抱きながら、ガルアの左後ろに控えた。と、メリダとトロギルもそれに倣うかのように、ヴァルカモニカの両脇に立ち並んだ。

「さて、まずは何からお話しましょうか。私に何かお聞きになりたいことはありますか?」

 目を細めたガルアをしばらく眺めたのち、ヴァルカモニカが声を潜めて尋ねた。

「では、単刀直入に聞こう。君は我々が追い詰められていると言ったが、それはどういうことかね?」

「そのままの意味ですよ」

 ガルアは作ったような笑みを浮かべ、落ち着き払って続ける。

「ですが、その理由をお話する前に確認したいことがあります。アルトネアとの同盟の計画は、いつ頃から進められていたんですか?」

 何気なく放たれたガルアの一言に、ヴァルカモニカの背後に控える二人の顔が強張ったのをライグは見逃さなかった。

 しかし、ヴァルカモニカは特に動揺を見せることもなく感嘆の声をもらす。

「なんだ、気づいていたのか。これは驚いた」

「よくよく考ればわかることです」

 ガルアはそう言うと唐突に立ち上がり、議長席の前に移動した。突飛な行動に一同が驚く中、彼は手頃な羊皮紙と羽ペンなどの筆記具を手に先程の位置に戻り、何事もなかったかのように机の上に紙を広げる。ライグは上官のあまりに気ままな行動に肝を冷やしながらも、その図太さに苦笑が零れそうになった。

 ガルアは手早く東西に長いリンド大陸の大まかな形をとると、大陸の中心部に染みのように広がる空間──クロム砂漠を描き、その右下の海岸付近にファンブリーナとおぼしき点を記す。そして、クロム砂漠の下部から南の海岸に向かって線を引き帝国と皇国の境をはっきりさせると、事務的な口調で話し始めた。

「さて、ごらんの通り我々はこのような地理的条件の中で戦っていますが、貴方も知っているようにクロム砂漠下のこの部分……つまりファンブリーナの西側の国境付近では、長年に渡り激しい攻防戦が続いている。それに伴い、その下の南の海域では大規模な海戦が開かれることもしばしばありますね」

 ヴァルカモニカは頷き、それがどうしたと言わんばかりにガルアを見返した。ガルアはヴァルカモニカの視線を受け流すと、クロム砂漠下の国境の上に大きくばつ印をつけた。

「よって、ここからの侵略は不可能だと判断しました。それに、よしんばここを突破して帝国内に入ってこれたとしても、ファンブリーナを帝国軍に気づかれることなく制圧するのは困難を極めます」

 ガルアが言っているのは、帝国軍がひしめく国境付近を皇国軍が無傷で、そして誰にも気づかれることなく突破するのは無理だということだ。長い戦争の中では二度ほど帝国軍がファンブリーナ周辺まで押しやられたことはあるが、物資が豊かで守りやすいファンブリーナのおかけでこの湾岸都市より東には攻めいられたことはない。それに、今現在の国境はそこまで帝国が追い詰められた戦況ではないし、海からの攻撃にしてもそうだ。もともと軍事力の高い帝国は海戦には強く、今まで海からファンブリーナへの侵入を許したことは一度もない。

「私は次に、ここに目をつけました」

 ガルアは大陸の中心に広がる染み──クロム砂漠を数回ペン先でつついた。

「ファンブリーナの警備兵からの報告により、音信不通になる三時間前にクロム砂漠で二万人規模の皇国軍師団が確認されていることがわかっている。ならば、ファンブリーナはその師団によって制圧されたのでしょうか? 彼らによって、僅か三時間足らずでこの貿易都市は落とされたのでしょうか?」

 ガルアは顔を上げ、感情を消した目でヴァルカモニカを見据える。

「結論から言うと、私の出した答えは“ノー”です」

 ガルアは、躊躇うことなくクロム砂漠の上に斜線を書き印した。彼の言動はまるで、冷静に耳を傾けているヴァルカモニカを煽るかのように嫌味だ。

 ライグはなんとなく不躾なガルアに厳しい目を向けたが、ガルアはライグを一瞥もすることなく話を進めていく。ライグはメリダの堪忍袋の緒が切れないことを願いつつ、その様子を見守るしかなかった。

「考えてみてください、猊下。警備兵がどんなに間抜けだったとしても、荒野を蟻の大群のように行進してくる皇国軍に気づかないはずがない。そちらに軍団の接近を気取らせない術を持つ優秀な時魔導師が何人もいるなら話は別ですが、生憎そうではないでしょう。よって、この師団は本当の意味ではファンブリーナを制圧はしていない。彼らは、“囮”であり“仕上げ”なんです」

「何が言いたいの?」

 メリダが澄ました顔で問いかけた。おまけに可愛らしく小首を傾げてみせたが、ライグには彼女の動作が「それ以上言えばただでは済まさない」という合図に思われた。

 ライグは柄に手をかけ、がちゃりと音を立てて威嚇する。

「メリダ、お客人の話はちゃんと最後まで聞こうではないか。我々はそれすらもできないほどに、窮地に立たされているのかね?」

 ライグの意図を汲み取ったのか、ヴァルカモニカが相変わらず優しげな表情を浮かべたままメリダをたしなめた。メリダは黙礼しまた大人しくなったが、ライグは自分に注がれる憎悪の眼差しを嫌というほど感じ、急に疲れてきた。

 なるほど、メリダが狙っているのは俺か。案の定、蛇のように執念深い女だ。

 だが、今は彼女の私怨につき合っている暇はない。ライグは気を引き締め、上官とヴァルカモニカの挙動を見守る。

 ガルアは薄く笑うと、悪びれもせずに平然と言い放った。

「そちらの親衛隊員が反応したということは、私の読みは当たっていたと考えていいんですね。ご親切に教えてくださるとは、有り難いことだ」

「それより、君の出した結論を早く聞かせてくれないか」

 ヴァルカモニカが温和だが有無を言わさぬ調子でそう言ったので、ガルアは面白くなさそうにメリダを眺めた。メリダはもはや無関心を決め込んだのか、ガルアの皮肉には全く動じない。ついでに言うなら、彼女の隣に立つ色彩魔導師もライグと同じように不安そうにメリダを見つめていた。どうやら彼は、メリダの隠された本性に気づいているらしい。

 ガルアはしばし沈黙したあと、もったいぶるかのように咳払いした。そして、妙に砕けた口調で答える。

「あえて説明する必要があるのかどうかわかりませんが、いいでしょう。まず先程述べた通り、私はこの二方面からの侵略は不可能だと考えた。クロム砂漠からの制圧の可能性については確かになきにしもあらずだったのですが、しかしそれはリスクがあまりに大きすぎる」

 ガルアは再びペン先をクロム砂漠に落とした。しかし、今回は砂漠の上部を指している。丁度北国のアルトネアと接する辺りだ。

「リスクとは、背後を取られるリスクです。帝国、皇国、アルトネアを跨ぐクロム砂漠は、一見何の(しがらみ)もないようでいて実は大変動きにくい場所です。例えば、クロム砂漠からほど遠くない場所で帝国と皇国が戦っているとしましょう。そうすれば、立ち回り次第ではアルトネアが皇国の背後をとり、補給経路を断つことや奇襲することも可能なのです。もちろん、帝国とアルトネアで皇国を挟み撃ちをすることも──ね」

 ガルアは片眉を吊り上げ、ヴァルカモニカの顔に同意の表情が浮かぶのを確認した。

「それが答えですよ、猊下。貴方は我々とアルトネアが手を結ぶことを恐れ、その前に北国と同盟を締結するという形で手を打った。そうすればクロム砂漠付近から帝国に攻撃している間も挟み撃ちや背後を心配しなくていいし、アルトネア側から帝国に攻撃することができるなら、わざわざ厄介な砂漠地帯に駐在する必要もないですから」

 ガルアは淡々と続ける。「そして、今回のファンブリーナ制圧のことを考えると、たぶん同盟はかなり前……少なくとも半年以上前から計画されていたのでしょう。でなければ、この街をこんなにも鮮やかに落とせるはずがない」

 そこまで言うと、ガルアは黙り込む。今まで抜け目なくガルアを注視していたヴァルカモニカは、やがて諦めたように深い溜め息をついた。その態度はそのまま、ガルアの推察が正しいことを証明していた。

「やれやれ、そんなことまでわかっているとは。君相手に隠し事はできないとよくわかったよ」

 ヴァルカモニカは呆れが混じった苦笑いをガルアとライグに見せると、ふいに真剣な表情になった。

「だが、国境からの強行突破でもない、クロム砂漠の師団の仕業でもない、となると、ファンブリーナは何故制圧されたのかな? もちろん私はそれをやってみせたわけだが、君の考えを是非とも聞かせていただきたい」

「内部からの破壊工作でしょう」 

 ガルアは自分が試されていると知ってか知らずか、迷いなく答えた。そして、少しだけ訝しそうに相槌を打つヴァルカモニカを尻目に、天気の話でもするかのように言葉を繋ぐ。

「まだアルトネアが帝国に攻撃を仕掛けてくる前、つまり今から半年以上前は、アルトネアと帝国での交易は普通に行われていました。そしてその時既に貴方がたが同盟を結んでいたのだとすれば、アルトネアからの商人や運送業者の中に皇国の息がかかったものが紛れこんでいても全然おかしくない。おまけにファンブリーナは帝国では唯一と言える多民族都市なので、多少姿形がちがっていても、別段怪しまれることはないですから。ここだけの話、ファンブリーナでは皇国からの流れ者やアルトネアの脱走兵なども珍しくないらしいし、潜入は意外と簡単だったのではないでしょうか」

「さすがだな、参謀副長。まさしくその通りだ」

 大きく頷いたヴァルカモニカに対し、ガルアは不気味な笑みを浮かべた。

「アルトネアから届いた郵送物には、武器や火薬の他に大量の“虫”も詰められていたんでしょうね。それを長い時間をかけて街の至る所に設置していき、機会を窺っていたというわけだ。そしてその機会とは、アルトネアに帝国への攻撃を促し、クロム砂漠に師団を配置し、それを受けた帝国がクロム砂漠に気をとられ、ファンブリーナの警備が手薄になった時だったのでしょう」

 ガルアは静かにペンを置くと、地図上のファンブリーナを指差したのち、クロム砂漠へと指を滑らせた。

「私が師団が囮だと言ったのは、このような考察故です。そう、警備兵から報告があったように、師団は実際にここを動いていなかったんです。あくまで警備兵たちが生きていたうちは、ということですが」

 ライグはガルアが言わんとすることを知り、意識せずに唇を噛みしめていた。長い期間ファンブリーナに潜伏していた皇国兵たちは、その間に警備体制や軍部の連絡手段などを調査していたのだろう。もしかしたら、軍部や議員などに密通者がいたのかもしれない。ともかく、そのおかげで速やかにファンブリーナに駐在する帝国軍の兵士たちを葬ることができたのだろうし、帝国軍に増援を呼ばれることもなかった。何より彼らには虫飼い──人食い蜘蛛がついていたのだ。人ならざるものを前に恐慌状態に陥った軍団を崩すのは、容易かったに違いない。

 意図したのか、ガルアはその部分の詳細には敢えて触れずに話を進めた。

「そして、混乱するファンブリーナにクロム砂漠にいた師団が到着した。さらに徹底的な武力と威圧により、街は完璧に皇国軍の手に落ちた……と。私の考えは、大体こんなところです」

「…………すばらしい、完璧だ。私が補うことなどなにもない」

 ヴァルカモニカは演技ではない表情でガルアに賞賛の言葉を送ると、唐突に声を上げて笑い出した。

「だが、残念だ。それがわかったところで、君たちがファンブリーナを奪還したことにはならないのだよ。残酷なことを言うかもしれないが、この豊潤な湾岸都市を落とされた以上、西の国境での君たちの戦いはさらに過酷なものになるだろう。なにせ荒野の真っ只中で、全く物資の供給が行えなくなるのだからな」

 そう言うと彼は立ち上がり、議長の特権ともいうべきファンブリーナを一望できる窓際まで行き、ぽつりと零した。

「正直なところ、私はそこまでファンブリーナに興味はなかったのだがね。皇国の拠点として維持するには本土との距離的に難しい部分があるし、いっそのこと壊滅させるほうが得策だとも思っていた」

「だが、アルトネアが反対したんでしょう? 北国で土地の貧しいアルトネアは、常に物資に飢えていますから」

 投げかけられたガルアの言葉に、ヴァルカモニカは観念したように肩を竦める。

「ファンブリーナ制圧は、アルトネアの意向によるところが大きい。先ほど言ったように、アルトネアは貧しい上に港を持たないからな。湾岸商業都市であるファンブリーナがどうしても欲しかったようだ」

「でしょうね」

 ガルアが立ち上がり、ヴァルカモニカの隣に向かって歩き始めた。ライグは上官について行こうとしたが、ガルアは目でそれを制し、小さく一言だけ部下に告げる。

「さあ、いよいよ詰めだよ。君も心していてくれ」

 そう囁いたガルアがあまりに楽しそうな顔をしていたので、ライグは何も答えることができなかった。

「では、私も一つだけ正直に言うとしましょう」

 ガルアはヴァルカモニカの横でファンブリーナの夜景を眺めながら、妙に丁寧な口調で語る。

「実は、今回のファンブリーナ制圧には貴方が直接関わっているとは思っていませんでした。虫飼いの存在には気づいていたんですが、皇国の全てを握る貴方ほどの人が、まさか混乱の渦にあるファンブリーナまでは来ないだろうと。──ですが」

 ガルアはメリダとトロギルを見回し、微かに憐れむかのような目を向けた。尤も、その口元にはあざ笑うかのような冷笑が浮かんでいていたが。

「彼らの襲撃のおかげで、貴方の存在を知ることができました。どうやら気づいているのは私だけだったようなのですが、こちらを襲撃して来た者の中にある少年がいましてね。彼の腕が、皇国内、いや大陸内でも他に同様のものがないほど精巧な義手だということに私は気づき、その少年が貴方の懐刀であるナスカだと確信したのです」

 それを聞いたトロギルがはっとした表情を浮かべた。

「つまり、ナスカがいるなら猊下もいると踏んだってわけか。それにしても、まさかあの義手を見抜くとは……お前、色彩魔導もかじってるのか?」

 ライグはナスカの長い袖に隠れた左腕を思い浮かべようとし、断念した。ガルアと違ってライグには絶対的な記憶力はなかったし、何より見抜いたと言っているくらいなのだから、素人のライグが見たところでわからなかっただろうと思ったのだ。

 ガルアはトロギルに「色彩魔導は管轄外だけど、多少の知識は持ち合わせてるからね」とわざとらしく謙遜気味に答えると、ヴァルカモニカを振り返り笑った。

「彼らには感謝しています、猊下。なにせあの奇襲がなければ、こうして貴方と話す機会も、ここにいる皇国兵が生きて祖国へ帰ることもなかったでしょうから」

 ガルアの態度に違和感を感じたのか、ヴァルカモニカは少し訝しげな顔つきになった。ガルアはそんなヴァルカモニカを意に介す様子もなく、平然と言い放つ。

「もしここにいるのが貴方でなければ、もしくは貴方だと知らなければ、話す価値などないと見なして速やかに皇国軍を殲滅しファンブリーナを奪い返していました。貴方だからこそ、私は命を奪わなかったのです」

 ガルアの言葉に、執務室内の空気が凍りついた。

 ライグはすぐにメリダに目をくれた。しかし、彼女とトロギルは憤っているような戸惑っているような表情を浮かべたまま動こうとはしない。ライグはひとまず安堵し、続いてヴァルカモニカを見やった。

 ヴァルカモニカは極めて冷静だった。戯れ言を、と憤慨もしなかったし、得体の知れない恐怖に狼狽してもいなかった。ただ静かに、問いかけただけだ。

「今の君たちに、それができるのか」

「できます」

 ガルアは即答する。

 そして悠揚と手を打ち、部屋中に響き渡る快音を弾かせた。

 その直後、執務室の扉が乱暴に開く。

「次の会議は何時からだ?」

 そう言いながら入ってきたのは、貫禄のある顔立ちをした白髪の老人だった。急いでいるのか、やけに険しい表情をしている。しかし不思議なことに、老人は部屋にいるライグたちをまるで気にする様子もなく、数人の部下を引き連れ騒々しく事務机の前まで歩いていく。

 ライグはその人物に見覚えがあったが、名前ははっきりと思い出せなかった。

「ファンブリーナの市議会議長か……」

 議長席に座り部下に命令を飛ばす老人を見ながら小さく呟いたライグを、驚愕を孕んだ顔でメリダが見た。

「馬鹿な! 死んだはずよ!」

「──時魔導か」

 ヴァルカモニカが低く唸った。メリダはすぐに状況を理解したようで、議長の側まで行き彼の体に剣を突き通す。しかし、議長の体から血が溢れることはなく、メリダの剣は実体のない幻をふわりと揺らしただけだった。

「《時空間偽装》という時魔導です。ある一定の空間に過去の映像を投影させる、ある種の錯覚を用いた魔術ですよ。私が今貴方がたにお見せしているのは、平和なファンブリーナの映像です」

 呑気な口調でそう言ったガルアの隣で、ヴァルカモニカが険相な顔でファンブリーナの夜景を見渡した。恐らくその目には、活気溢れる賑やかなファンブリーナの街並みが映し出されているのだろう。もちろん、皇国軍の姿など一切見当たらない。

 おまけに、ガルアが再現するのに選んだ日時は丁度帝国軍による市街演習が行われていた時だ。街中には帝国軍の深緑の軍服を纏う集団が溢れ、至る所に国旗が悠然とはためいている。とても皇国軍に占拠されている都市とは思えない。

「だが、何故こんなことを──」

 ヴァルカモニカは、息を詰まらせたかのように言葉を飲み込んだ。聡い彼のことだ、ガルアの思惑を即座に察したに違いない。

 ヴァルカモニカは憮然とした面差でガルアを睨みつけた。やがてゆっくりと目を閉じ、自嘲するかのように微笑する。

「アルトネアに、この光景を見せたのか。なるほど……欺瞞を得意とする参謀部の人間ならではの策だ」

「褒め言葉として拝受いたしましょう」

 ガルアが薄笑いをたたえ答えた矢先、虚構の議長たちが慌ただしく部屋を出て行った。再び辺りに静寂が満ちる中、メリダとトロギルが気落ちした様子のヴァルカモニカに困惑の眼差しを向ける。そんな彼らの動揺を悟ってか、ガルアが丁寧に説明した。

「同盟を結んだアルトネアの兵士が、ファンブリーナを制圧したと言う君たちのもとに確認と情報交換のため訪れると僕は踏んだんだ。制圧を宣告してからそれがアルトネアに伝わるまでの時間、アルトネアの主な移動手段であるサバーカの機動力、それらを考えると、この光景を見た兵士はもうじきクロム砂漠の自軍のもとへ帰り着くだろう。そして、慌てふためいて上官に伝えるだろうね──『ファンブリーナは陥落していない。皇国軍の姿は影も形もない』ってね」

 テイデとピトンがアルトネア兵の姿を確認した時間差を考えると『アルトネア兵がもうじき帰り着く』というガルアの言葉は偽りだが、そう言っておいたほうがヴァルカモニカたちの焦燥を煽るにはいいだろう。どの道アルトネア兵は帰り着き上官にこのことを報告するだろうし、ヴァルカモニカたちを牽制するのは早いほうが賢明だ。

「そして、僕らはアルトネアの動揺につけ込みこう囁けばいいんだ。『ファンブリーナを制圧すると約束しアルトネアを戦争に巻き込んだくせに、皇国軍は彼の都市を落とす事などできていない。そんな無力で薄情な皇国に従うのは馬鹿げていないか? アルトネアが命じられて帝国を攻撃していた事実を大目に見る代わり、ここは一つ、帝国と手を組んで彼らを返り討ちにしよう。それが嫌だというなら、アルトネアは皇国につくと見なして、こちらの大軍を以って攻め入ります』……と」

「そんないい加減な話に誰が乗るもんか」

 トロギルが憎々しげに吐き捨てる。しかし、ガルアは冷笑でトロギルに応じた。

「それが、乗るんだよ。考えてもみな、アルトネアはただでさえ皇国と帝国には戦力で劣っている部分がある。だから皇国が約束を守ってくれない、アルトネアは売られたかもしれない、となったとき、帝国に真っ向から対抗する事なんてできないのさ。だからこそ彼らは帝国の言葉を信じるし、信じて皇国を裏切るしか無い。そもそも同盟の話にしたって、アルトネアは強要されて仕方なく皇国に従っただけじゃないのかい?」

「しかし、だからと言って君たちがファンブリーナを奪還できたわけじゃない。アルトネアに騙し討ちされたなら、クロム砂漠周辺の国境での戦いは皇国にとって厳しいものになるかもしれないが、ファンブリーナは今我々の手にある。その事実は変わらないだろう」

「言っておきますが、私をここで殺すことはできても、帝国がアルトネアを引き入れることは止められませんよ。私が一言命じれば、もしくは私が斬られたと部下が知れば、彼らは即座に《時界通》という魔術でこのことを帝国の軍団に伝え、アルトネアに虚偽の情報を吹き込み皇国を裏切らせます。そうなると、当然ファンブリーナを取り返すべく帝国の増援部隊がアルトネアと共に押し寄せてくるでしょう。尤も、増援が来たところで苛烈な戦いになることは否めませんが、アルトネアと帝国に挟まれた皇国軍が長くファンブリーナを守り続けられるとは思えない」

 鋭く指摘したヴァルカモニカに、ガルアは心底愉快そうに切り返した。ライグは敵前で無防備に話しているこの状況で笑えるガルアの精神を疑いたくなったが、逆にこのくらい無神経でなければこんな命知らずな作戦は考えられないのだろう。

「私がファンブリーナを占拠していても、皇国軍がクロム砂漠経由で挟み撃ちされたのち帝国とアルトネアから同時に攻め立てられることに変わりはない、か……。無論ファンブリーナに立て籠もり徹底抗戦する手がないわけではないが、それには払う犠牲が大きすぎるな……」

 ヴァルカモニカは沈着に状況をまとめると、ガルアを正面から見据えた。彼の緑の瞳は驚くほど澄み渡り、恬淡とした光をたたえている。皇国で絶大な信望を集めるヴァルカモニカが、本当にその名声に相応しいだけの才覚を備えていることをライグは見て取った。

 詭弁を弄する若き奸雄と、人徳と叡智で一国を治める人格者。そんな二人が相見え、ライグの前で謀略の応酬をしている。まさに、歴史が動こうとしている局面に自分は立ち会っているのだ。

 そう思うと、感慨と同時に、なにか、形容しがたい胸騒ぎを覚えた。

 ──長い沈黙の中、ヴァルカモニカが静穏に微笑む。

「私の負けのようだな、ガルア。君の奸計には感服したよ。最早無駄な抵抗は望むべくもない。──要求は、何だ?」

 潔く言い切ったヴァルカモニカに、メリダとトロギルが沈痛な面持ちを向けた。しかし、諦観したヴァルカモニカは彼らに取り合おうとはしなかった。

 彼らの様子を眺めながら、ライグの中には静かな充足感が広がっていく。

 ──終わった。任務は、無事に果たされた。

 ライグは、ガルアが声高に撤退を勧告するのを感慨深く待ちわびた。ひとたびガルアが現実を突きつければ、ヴァルカモニカたちには大人しく引き下がる選択しか残されていないのだ。ガルアが一言撤退命令を口にするだけで、この波乱の奪還任務は終局を迎えるだろう。

「ファンブリーナは帝国に還してもらいます。私は貴方たちが立て篭り無駄な戦闘に発展し、ファンブリーナが痛手を受けるのを防ぐ為に取引をしにきたのです。ファンブリーナを不用意に傷つけることなく去るという決断をしてくれるのなら、アルトネアを唆す件も考え直しましょう」

「信用するのは難しいな。おとなしく撤退したところで、君達が国境際のアルトネアを唆し我々を挟み撃ちにする可能性は大いにある。もちろんこちらとしてもそれは避けたいし、大人しく返還することで犠牲も少なくて済むというのなら提案には乗りたい、しかし、君の提案に乗っていいものかどうかという不安もある」

 ガルアは冷淡な笑みを浮かべた。だがその目は爛々たる輝きを放ち、酷く愉しげだ。ライグは参謀の目を前に無意識に湧き上がる戦慄を禁じ得ず、当惑した。

「……ご安心ください、猊下。私がわざわざ命の危険を冒してまで貴方に逢いに来たのは、さらに重要な取引をするためなのです。先ほどの提案は、あくまで建前。私の真意は別にある」

 背筋に悪寒が走る。

 ガルアがここに来たのは、速やかにファンブリーナから撤退しろと命じるためだったはず。それ以外の何があるというのか。

 ガルアが、ゆっくりと口を開く。

「私を貴方の配下としてお迎えください。そうすれば国境での戦いは貴方の不利益になるようには致しません。私は不条理な帝国をとうの昔に見限り、皇国が掲げる民の為の国に心惹かれ、ずっと前から貴方にお仕えしたいと願っていたのです」

 彼は、愕然とするライグの前で、さらに信じがたい言葉を連ねた。

「私を登用してくだされば、アルトネアと協定を結び帝国を討つために尽力しましょう。その為にはまず、帝国に攻撃される前にファンブリーナを捨てて自国へ戻り、新たな軍団を編成するのです。それこそが――皇国が帝国に勝利を収めるために必要な条件です」

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