第6章〈忠義のために〉
ガルアとライグは、仲間たちの元へ向かってファンブリーナの地下道を歩いていた。
彼らはある重大な知らせを携えていた。先ほど枢機卿の元で、ガルアが予想外の行動を起こした結果だ。ライグたちを含む、ファンブリーナ奪還部隊はこれから――。
皇国の枢機卿の部下になるのだ。
「さぁて、ようやく帰れるな。一仕事終えたんだから、久しぶりに熟睡したいもんだ」
ガルアはだらしなく伸びをすると、無表情に隣を歩くライグを一瞥した。
「枢機卿と手を組むつもりだと黙っていたのは悪かったよ。帝国の行く末を憂いている君ならわかってくれるだろうと思って。知ってるだろ、今の帝国の現状を。この国には、もう……先はないんだよ」
ライグは麻痺した頭を働かせ、帝国に蔓延る汚職と理不尽の数々を思い起こす。
貧しい平民に重くのしかかる税金、その税金で悠々と贅沢を満喫する貴族と官僚。冤罪で裁かれる罪なき人々、高位な者たちに最適化された不平等な法。
他にも、たくさんの腐敗がある。政府は無能で、社会は淀んでいる。金と地位が物を言い、生まれたときから人生を決められているといっても過言ではないほどの格差社会――それこそが、我がベルギナ帝国。
だが、だからと言って――。
「敵国の枢機卿に鞍替えするんですか? 貴方ははじめから、祖国を売るつもりで動いていたのですか?」
そんな馬鹿な話があるものか。
「説明してください。私が納得できるように」
ライグは立ち止まり、ガルアを鋭く見据えた。
薄暗い地下道の中では、ガルアの金色の目は不自然に目立ち気味が悪い。ライグは混迷する胸中を落ち着けるように、深く息をついた。
“皇国のために尽力致します”。
その言葉を聞いた瞬間の絶望が蘇り、ライグは腹の底から暗い激情が沸き立つのを感じた。
「何故ですか。アルトネアと手を組んで皇国を挟み撃ちすれば、彼らに甚大な被害を与えられたはず。なのに何故その戦略を捨て、憎き宿敵と手を結ぼうなどと仰るのですか……!」
後半部分は、怒りのあまり声が震えていた。もはや我慢ならなかった。ライグは上官への敬意などかなぐり捨て、真正面からガルアに挑みかかる。
「第一に、無断で皇国と個人的な同盟を締結するというのは帝国に対する反逆行為です。帝国の敵と見なされても仕方ないでしょう。貴方はそれをわかった上で、あのようなふざけたことを抜かしたんですか!?」
「もちろんだよ、ライグ。重々承知の上で、僕は枢機卿につくことにしたんだ」
「だから、どうして!」
噛みつかんばかりに吠えたライグを手で制し、ガルアはたしなめるように話し始めた。
「『どうして』という言葉はあまり好きじゃない。それは、考えることを放棄したものが発する言葉だからだ。しかし、今回の件については説明不足だった僕にも非があるし、弁明の意味も込めて言わせてもらおう」
ライグは嫌に落ち着き払ったガルアを渋面で見ながら、続きを待った。ガルアは怒りを抑えるライグを眺めたあと、低い声で語りかけた。
「君は、今の帝国に未来があると思うのか。過去の栄光にすがりつき、古びた矜持で我が身を滅ぼそうとする帝国に希望を抱けるのか。そんな政府はいずれ内から崩れ、簡単に滅ぼされてしまうだろう。だからこそ、前途ある皇国の手を借りできるだけ早くこの無意味な戦争に終止符を打つべきだと、それがこの大陸のためだと、僕はそう思い決心したんだよ」
ライグは言葉を失い、呆然とガルアを見返した。まさかこの参謀副長は帝国を見限っただけでなく、さらには皇国を誘導して祖国の中枢を討とうとでも考えているのか?
「だから僕は、枢機卿と手を組むのが望ましいと考えた。彼は、帝国の女帝や皇国の老帝とは違い、思慮深く見る目のある男だからね。僕らが皇国にとって有益だとわかれば、ちゃんと取り立ててくださるのさ」
わざと皮肉めいて言ったガルアに、ライグは目の前が真っ暗になった。
この男は、こんな時でも人を馬鹿にしないと気がすまないとは。
「……なるほど、だからあんなにしつこく虫飼いを殺すなと言ったんですね。敵ならば厄介極まりない能力でも、味方ならこれ以上ないというほどに頼もしい逸材でしょう。もしや、貴方は楽しんでいるんではないですか? 謀略を巡らせる駆け引きや、命のやり取りを……」
「否定はしないよ。こんなご時世だからね、真面目にやってちゃ気が滅入るだけだ。僕なりに上手く立ち回ろうとしているつもりさ」
ガルアは平然と頷き、ライグを真顔で見た。そして、先ほどとは打って変わって真剣な声音で言う。
「義理堅い君のことだから、今回の結果は帝国を裏切るようで気が引けるんだろう。だが、冷静になってくれ。君も薄々勘づいているだろうが、古い軍国主義に凝り固まり進歩を望まない帝国に、最早前途はない。次の時代は、恐らく枢機卿が治めるアクロポリス皇国が担うことになるだろう。それを考えると、帝国の人間として我を張り皇国を拒絶するのは賢くない。つまり、皇国と共生することこそが、僕らフレーザー一族にとって最善の道だ」
ライグはガルアの目に射抜かれ、次第に息苦しくなってきた。それは、帝国への忠義を貫こうとする思いとガルアの言い分が正しいのかもしれないという相反する感情が、激しく自分の中で渦巻いているせいだ。
ライグは目を閉じ、荒れる大海にも似た心を落ち着かせようとした。
(俺は、帝国を守り、帝国のために戦い、帝国のために死ぬことを誓った。その思いは、今も褪せることなく俺を突き動かしている)
だが、ガルアが言うように帝国に未来はないのかもしれない。古き時代が終わりを迎えていくように、武力で全てを支配しようとする帝国は、この大陸を、世界を、新たな時代へ進めるのを虐げている存在なのかもしれない――。
ライグの目蓋の裏にある光景が浮かんだ。それは、ライグが士官学校を出て軍団に配属されたとき、初めて上官に剣を手渡された時の光景だ。
新品で傷一つなく、味気ないほど質素な造りの剣。初めて自分の物として佩くことを許された、帝国を守るための力。安い造りの剣だったので何年も前に破損して使い物にならなくなったが、今でもそれはライグの部屋の隅に大事に保管されている。それほど、ライグにとってその剣は大切なものだ。
――そうだ。俺は帝国に忠義を誓った。帝国のために、剣を振るうことを誓ったんだ。
ならば俺は最後まで戦おう。それが、自分が貫くべき信念だから――。
ライグの心に涼風が吹き抜けるような感覚が広がり、塞がっていた道筋が浮かび上がる。
気づくと、息苦しさはいつの間にか引いていた。ライグは伏せていた顔を上げ、ガルアの目を真っ直ぐに射抜く。
「……帝国が皇国と戦うというのなら、私は帝国に従うまで。たとえその結果帝国が終わることになったとしても、私は最後まで祖国のために戦います。私の剣は、この国を守るためにある。決して貴方の……皇国のための剣ではないのだから」
毅然と言い放ったライグにガルアは怪訝な顔をした。しかしすぐにいつもの人を嘲るような表情を浮かべ、わざとらしくかぶりを振る。
「まさか、帝国への忠義を貫いて死のうだなんて思ってるのか? 僕から見たらそれこそまさに愚の骨頂だよ。行き過ぎた理想なんて、理性を眩ませる妄執でしかない」
ライグは動じることなく無言でガルアを見つめた。やがてそれがライグの本望だと悟ったガルアは、僅かに眉根を寄せる。
「馬鹿な考えは捨てろ。そんなもの美徳でもなんでもない。君を慕う者たちのことを考えろ、彼らは君にそんな無駄死にを望んではいないはずだ」
「ですが、これが私の生き方ですから」
「抜かせよ。君がこんな愚かな国のために命を懸ける必要はないと言ってるんだ。枢機卿はこれまでも、帝国が和平に応じれば寛大な処置を施すと再三勧告してきたのに、帝国がそれに応じず皇国を征服させる野望に執着するから、こんな馬鹿げた不毛な戦争が続いている」
ガルアはライグに向かって一歩踏み出す。「だからこそ僕は、枢機卿と共に今の政権を打ち倒し、この国を根底から作り変える。枢機卿と共に新たな政府を立てて、新たな社会を築く。それこそが――この大陸に生きる、全ての人々のためなんだ」
ライグは珍しく声を荒げるガルアに、強い口調で答えた。
「愚かだと嘲笑ってくれて構いません。それでも、私には譲れないものがある。己の全てを懸けてでも守り抜きたいと思うものが――忠義の誓いが!」
ライグの言葉が反響し、深い闇の中に溶けていった。睨み合う二人の間には、重々しい沈黙が横たわる。
ライグは臆することなく、若い、若すぎる参謀副長を見つめた。
ガルアが剣呑な表情で、死刑を宣告するように厳粛に告げる。
「――わかったよ。君がとんでもなく強情で愚直だと、よくわかった。自ら希望を捨て忠義という幻影にすがる君には、同じく過去の栄華にしがみつく帝国がお似合いだ。いいさ、好きにすればいい。君には僕の“使命”など到底理解できないだろうから」
そう言い捨て、ガルアはライグに背を向けた。
「君には……僕のように“知りすぎている”人間の人生が、いかに退屈で窮屈なものかわからないだろう。それを悲観する気もなければ理解してほしいとも思わないが、本当に残念だよ。まさか君が、そこまで救いようのない愚者だったなんて。君なら、僕と共に背負ってくれるかもしれないと思っていたのに……」
ライグは初めてガルアが本心を見せたことに微かに驚いた。
しかし、ライグが何かを答える前にガルアは大股で歩き去って行った。ライグはその背を見送りながら、先ほどのガルアの言葉に秘められた真意を僅かながらも感じとる。
ライグは別にガルアに同情するつもりなど全くない。だが、ガルアはきっと――孤独なのだろう。
彼の思考の全てなど到底理解が及ばないが、それでもあの若さで参謀副長を務めているからには、常人には理解し難い苦悩や重荷を背負っているのかもしれない。
とはいえ、決別した今となってはそれを推し量ることも無意味だ。ライグは遠ざかる足音を聞きながら、おもむろに踵を返して歩き始めた。
どこに行くつもりなのかはっきりしなかったが、ガルアと一緒に行けないことはわかっている。ライグは迷いや未練を振り切るかのように、ただ前へ前へと足を押し出し続けた。そうでなければ、バレンシアやピトン、アルガンなどの顔を思い出して――挫けてしまいそうだったからだ。
「なんでこんなことになったんだろうな」
ライグはガルアが言うように、嫌になるほど融通がきかない自分の性を少しだけ恨めしく思い自嘲した。そして帝国を守ることの難しさを改めて認識し、絶望的な気持ちになる。
だが、それでもライグは歩みを止められないのだ。彼が己の振るう剣に、“忠義”を求め続ける限りは。




