第6章〈忍び寄る終局〉
珍しいことだが、今のメリダは明らかに不機嫌そうだった。パラディオに続きナスカまで戦闘不能状態に陥ったのだから無理はないかもしれないが、それにしてもいつもの柔和な表情はどこへいったのやら。
トロギルは、扉の前で難しい顔をするメリダに、躊躇いながらも話しかけた。
「おいおい、パラディオもナスカも一命は取り留めたんだから、そんなに苛立つ必要はないだろう。そんな顔で入り口に立たれちゃ、びびって誰も入って来れないぞ」
「……怒ってるわけじゃないわ。不安なのよ」
メリダの言葉に、議長席に悠然と座るヴァルカモニカが反応した。ちなみに異変に気づいた兵士たちがナスカを救助したあと部屋をきれいに片付けたので、執務室は妙にこざっぱりとしている。
「不安、とはどういうことかな?」
メリダは逡巡するかのように少し黙り込んだが、厳しい口調で答えた。
「地下道に隠れている帝国軍が、何かとんでもないことを仕掛けてくるのではないかと。白昼堂々議事堂に入り込んでくるような輩ですから、少数とはいえ決して侮るべき相手ではないと思うのです」
「それは私も同感だよ。パラディオ、ナスカ、君の三人に痛手を負わせるのは、よっぽどの命知らずか曲者でないと無理だ」
メリダは意識せずに、ライグに拳を叩き込まれた鳩尾に手を当てた。幸い骨は折れておらず痛みもあらかた引いたものの、時々鈍く痛む。だが、ナスカやパラディオに比べれば私はまだましな方だ、とメリダは苦々しく思った。
「ヴァルカモニカ様、恐らくここは危険です。敵に一度侵入されてしまった場所ですし、今後警備を増やしても気休めにしかならないかもしれません。そろそろ、別の場所に移動する頃合では……」
メリダにヴァルカモニカは鷹揚に頷き、苦笑した。
「だが、他にどこがある? 立地や建物の条件から考えると、ここ以外に我々が拠点とできそうな場所は思いあたらない。もし下手に場所を移せば、今以上の危険を冒すことになるぞ」
ヴァルカモニカの尤もな意見にメリダとトロギルは黙り込み、渋い表情を浮かべた。今ファンブリーナを実質的に支配しているのはヴァルカモニカ率いる皇国軍ではあるが、あくまで他国の人間である彼らはファンブリーナの詳しい内情や地理を知らない。地図は手元にあるにしても、紙の上の街と実物は大違いなのだ。
それに、ヴァルカモニカに反抗する住民たちが移動中や移動先で襲いかかってくる可能性もある。そんなリスクを負ってまで、今のところ安全な議事堂を出る必要があるのだろうか?
息が詰まるような静寂を嫌ってか、トロギルがやけに大きな声で沈黙を破った。
「とにかく、地図を見てみましょう。何か妙案が浮かぶかもしれません」
トロギルは着古したローブの中に手を突っ込みしばらくごそごそしたあと、丸めたファンブリーナの地図を取り出した。範囲がそこまで広くない地図なので、色彩魔導を施すのにはあまり手間取らなかったらしく、地図上には既に色とりどりの光が散らばっている。
それにしても、一体どこに隠しているのだろうか。こちらが不思議に思うくらいに、トロギルは大抵のものをこのローブの中から出現させる。もしかしたら何か魔術でも使っているのだろうか、と下らないことを思いながら、メリダは色彩魔導師が地図を広げるのを見守った。
すると、地図を眺めるトロギルの顔に怪訝な表情が広がった。
「どうしたの?」
直感的に不穏を感じ取ったメリダは、すぐさま問いかけた。しかしトロギルは首を振り、微かに困惑した眼差しを彼女に向ける。
「いや、それが……」
メリダはトロギルに近づき、男の手元を覗き込んだ。トロギルが広げているのは、彼が魔力を込めたファンブリーナ近辺の地図だ。そのため、表面には皇国軍を示す青い点が大量に浮いている。
しかし、メリダは地図上にここ最近見ていなかった赤い点が散っているのに気づいた。数個の赤い光がファンブリーナを取り囲むように展開し、中央付近にも塊が一つ。そして、最後は──。
「これ……議事堂の中じゃない?」
トロギルは唸り、議事堂内の小さな赤い点の上に指を置いて目を閉じた。そして、荒々しく吐き捨てる。
「二人組で、片方は時魔導師だ。くそっ! なんで今まで気づかなかったんだ!」
メリダはもう一度地図全体に目を走らせ、トロギルを見上げた。
「地下道での奇襲のとき、貴方たちにはパラディオを斬った軍人が見えていなかったんでしょう? 姿だけではなく、存在そのものを隠蔽する術があるのなら──」
だが、彼女の言葉は最後まで続かなかった。
執務室の扉が、盛大に音を立て開け放たれたからだ。
振り返ったメリダとトロギルの視線の先に立っていたのは、大柄で険しい顔をした短髪の男と、痩せた顔色の悪い男だった。剣の柄に手をかけたメリダは大柄な男を見ながら眉をひそめ、次の瞬間驚愕と怒りに顔を歪めた。
「貴方、昼間の……っ!」
軍曹と呼ばれていた男だ。
固まっているトロギルとは違って、メリダは素早く行動を起こした。彼女は剣を鞘から抜き放ちながら侵入者たちに向かう。軍服の男は即座に痩せた男の前に立ちふさがると、メリダの剣を鮮やかに弾き返した。
室内に剣戟の音が響き、トロギルが我に返ってヴァルカモニカの方を振り向いた。
「猊下! ここから離れてください!」
すると、敵方から呑気な声が上がった。
「それは困る。私は猊下に話があって、ここまで来たんだから」
ヴァルカモニカたちは目を丸くすると、軍曹を押し退けるようにして前に出てきた男を見つめた。
薄ら笑いを浮かべる男の金色の三白眼は、異様なほど冷え切っておりそれでいて愉快そうに光っている。その様子を見ながら、メリダはこの男が怜悧狡猾を絵に描いた人間であることを瞬時に理解した。
男はヴァルカモニカに向けて慇懃無礼なほど恭しく一礼し、ゆっくりと言った。
「申し遅れました、猊下。私は帝国軍参謀副長、リマ・ガルアという者です。此度は猊下の御尊顔を拝することができ、光栄の至りでございます」
ヴァルカモニカは少し驚いたようだが、すぐにいつもの微笑をたたえて問いかけた。
「これはこれは……帝国の参謀副長殿が、私に何の用でいらしたのかな?」
ガルアはヴァルカモニカを見据え、柔らかい口調で答える。
「先ほど述べた通りです。私は決して貴方を傷つける気はありませんし、貴方の部下と剣を交えたいとも思っていない。ただ、どうしてもお話したいことがあって」
「それは何だね?」
間を置かず聞き返したヴァルカモニカに、ガルアは不敵な笑みを浮かべた。メリダはそんなガルアの顔を見て、言い難い不安に襲われる。
彼女の嫌な予感を裏付けるかのように、ガルアは信じられないことを宣告した。
「貴方の負けです、猊下。ファンブリーナは既に我々の手に落ちました。あとは貴方がたがそれを認めるだけ──それが、この戦いの幕切れです」
ガルアは涼しい顔で言い放つ。その目は、うんざりするほど楽しげだった。




