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夢ならばどれほど良かったでしょう

 王都に佇む宮殿の大広間は、絢爛豪華な雰囲気に包まれていた。

 柱には色とりどりの花輪が巻かれ、壁には王家の紋章旗が並び、そのどれもが王太子殿下の20歳の生誕祭をお祝いしているようだ。

無数の蝋燭が石造りの床壁を照らす中、着飾った貴族たちは宝石で作られた装飾品を煌びやかに輝かせ、その一同がある一点を見つめていた。


「シルビア・ミルタス・コミュニス。今日この時をもって、貴方との婚約は破棄させていただく!」


 たった一人、檀上に上がった王太子──カレンデュラス・オフィナ・キャピタリス殿下より告げられたそれは、ことシルビアには全くもって予想だにしない言葉だった。


 ──否。


 本当は心の何処かでは薄々気付いていたのかもしれない。


 知を深め交流を広げるために通うことになった全寮制の貴族学園。そこに通い続けた二年と少しの間、シルビアの殿下に対する不信感が降り積もっていく感覚は確かにあった。

 公爵家主催の懇親会から始まり、婚約の周年記念の祝賀会や、シルビアの生誕祭。これまでのカレンデュラスなら欠かさずに出席していたこれらの式典に、彼は少しずつ顔を出さなくなっていた。

 それらを断った殿下の口からは幾度となく『彼女』の名前が上がっていた。


 アマリス・アストル。平民の身で恐れ多くもカレンデュラスの隣に並び立つ彼女は、シルビアたちと同時期に貴族学園へと入学した特待生だ。

 

 王都の貴族学園では、国力を高めるという意向から、身分を問わず魔法適正に非常に優れた人材を受け入れる『特待制度』というものが存在する。

 大陸最高レベルの魔法技術を学べる貴族学園への入学希望者は非常に多い。その反面で受け入れられる人数は例年多くとも三人までということから、特待生として入学できるものは非常に高い倍率と難度の高い試験や面談を潜り抜けた粒ぞろいとなっている。アマリスもその一人なのだ。


「殿下……。こんな大事にまでしなくとも……」

「口を挟まないでくれ、アマリス。これはシルビアと私の問題なのだ」


 ざわつく会場の中ですら、カレンデュラスの右腕を放そうともしないアマリスの姿を見て、シルビアは自分が置かれている状況を理解した。


「殿下……この場を以てのその発言、もはや戯言では済まされませんわよ?」

「戯言では済まされない、だと? それはこちらの台詞だ、シルビア。貴様が行ったアマリスへの陳腐な嫌がらせも、戯言で済ませる気は無い!」

「嫌がらせ……? この私が? 何のために?」


 本当に思い当たる節のない言いがかりに、シルビアの脳が一時機能を停止する。

 確かに、アマリスは入学当初、嫌がらせのようなものを受けていたことはシルビアも知っていた事実だ。周囲に展開される貴族社会に馴染めず、爪弾き者にされる。歴代の特待生の例に漏れず、彼女もその対象になっただけ。特に取り沙汰されることもない自然の摂理だ。

 だが、シルビアはそんなものに加担をした記憶はない。それどころか、コミュニス家の家名に気を遣い、絶対に虐めへの加担を疑われないために、それとなく友人や従者を遣って間接的に虐めを治めていたのだ。

 だから、そんな彼女にとってカレンデュラスの言葉は的外れ以外の何物でもない意味不明なものだったのだ。


「理由など一つしかなかろう。この私の気を引くためだ。貴様は幼き頃より婚約の儀を結んだ婚約者だ。それを、少し私がアマリスと接するや否や、彼女を邪険に扱うなど……言語道断だッ!」

「嫉妬……?」


 シルビアは漏れ出そうになる呆れの溜息を何とか堪える。続いて、カレンデュラスと真正面から相対した。


「カレンデュラス殿下。先ほどからお強い言葉を使われるようですが、私が彼女を貶めた証拠はあるのでしょうか?」

「謝罪するに事欠いて、証拠を求めるだと? まぁ良い。証拠ならある。アマリス、アレを渡せ」

「は、はい!」


 アマリスは慌てて、壁際に置かれた革袋を拾い上げ、そのままカレンデュラスに手渡した。彼女の身体は僅かながらに震えていた。

 革袋の中から取り出されたのは、衣服……だったであろう、布切れだった。

 その布地は泥に塗れ、生地はズタズタに引き裂かれている。

 全く見覚えのないものを出されたシルビアは眉根をひそめた。


「……何でしょうか、それは」

「これを持ち出されてもなお、白を切り通すか。その生まれ持った豪胆さだけは賞賛に値するな。これは、魔法学の実技の講義で使われる訓練服だ」

「あぁ……確かにそう言われてみれば面影はありますわね。ですが、どうしてそれほどまでに汚れ、傷んでいるのでしょうか?」

「どうしても何も、全て貴様がやったことだろうが!」


 カレンデュラスの怒号が響き渡り、大広間にいる全員の顔がシルビアの方に向く。

 それでも、彼女の目はそんなことを気にせずにカレンデュラスの目を射貫いていた。


「それを私がやったと? その証拠はあるのですか? 目撃者などの証言は?」

「目撃者など、必要ない。ここにアマリスという被害者がいて、彼女が犯人は貴様だと言っている。これ以上に何の証拠が要るのだ?」

「客観的な証拠です。殿下はこの大陸を治める王家の人間。それは、貴方が黒だと言えば、白も黒くなるということ……殿下の言葉一つで人の人生や命が簡単に終わるのです。その言葉には重い責任がのしかかります。どうか、ご再考ください」

「だから、責任を持っての言葉だと何故わからん。ならば、ここに集まった者に問おう。このアマリスの涙は偽りの物だと思うか⁉」


 アマリスは、嗚咽の声を上げながら泣いていた。右手で顔を隠し、左手では先ほどカレンデュラスより賜った手拭いで涙を拭き取っている。


「何と不憫な……」

「コミュニス家の娘よ! 一刻も早く謝罪せよ!」

「いいや、謝罪などでは物足りぬ。その首を落とすべきだッ!」

「あぁ……おいたわしや、アマリス様」


 アマリスの泣き姿を見て、男性貴族を中心に次々と貴族が声を上げていく。顔を見るに、コミュニス家と敵対する家の者の他、シルビアが顔も見たことのない者までも同情の声を上げている。そもそも、王家主催の催事のような大舞台に、貴族社会を先導するシルビアが知らぬ者が居る時点で違和感が残る。

 平民であるアマリスを庇い立て、公爵家の人間が一方的に野次を投げられるこの異様な光景を客観視したとき、ようやっとシルビアは思い至った。これは全て仕組まれていたことだったのだと。


「……なるほど。やってくれましたわね、アマリス。裏での根回しと……少しは貴方の魔法も絡んでいるのかしら?」

「ひ、ひぃ……」


 シルビアが睨みを利かせると、アマリスは更に後退し、カレンデュラスの後ろへと隠れた。


「シルビア! 貴様ッ!」

「……カレンデュラス殿下。私の言葉をお聞きください。再度申し上げますが、婚約破棄の件は今一度お考え直しください。そうすれば、すぐにでもその娘が行ったことを──」



 ──ビシャリ。


 決死の反論は、顔面に掛けられた紫色の液体によって遮られた。この日の為に用意したシルビアの純白のドレスは紫色に染まる。

 呆然としたシルビアの目が次に捉えたのは、空のワイングラスを持ったアマリスの姿だった。


「わ、私だって、貴族学園の生徒です。校訓第十四条に則り、貴方に立ち向かいます! たとえ相手が公爵家であったとしても!」

「【校訓第十四条:世の理不尽に立ち向かうこと】か。アマリス、お前はやはり俺が見込んだ強い女だ!」


 どうして肝心なことは覚えないのに校訓のような優先度の低い物は記憶できるのか、という呆れ交じりのツッコミはさておき、シルビアはさっと顔に掛かったジュースを拭き取った。

 もういい。シルビアの中で、何かが吹っ切れる音がした。


「……アマリス。私、貴方に何か恨まれるようなことをしましたか?」

「私は、平民を見下す貴方を許しません!」

「……そう。一応聞いておくけど、貴方が首謀者ってことで間違いないわよね?」

「首謀者は貴方です! 身分を駆使して人を遣い、私に行った非道の数々……私は忘れません!」

 

 シルビアの肩の力が抜けていく。陥れられたことには、多少の怒りも覚えそうなものだが、それ以上に、こうも容易く婚約者を奪われたという事実が彼女の身体を無力感で覆っていった。


「あぁ、そう。そういう設定ね。もうどうだって良いけれど。貴方も『騙されてる側』なら少しは気の毒かとも思ったけれど、関係ないわね。私を敵に回したことには変わりはない」

「フンッ! 何をワケのわからないことを……」

「わからない。そうでしょうね、貴方はずっと何もわからないまま生きていくのでしょう」


 社交界では、王族に敵対する人物をできるだけ懐柔し、それが叶わなかった者たちには叛逆の意思を見せる前に芽を摘んだ。

 異国交流が苦手なカレンデュラスに代行した外交だって楽な仕事じゃない。

 更に、魔法学を得意としない彼に、それがバレない形で教えて一定以上の成果を出せるまで付き合うことも、公務やそれ以外の習い事であまり時間を取れないシルビアにとっては重荷となっていた。


 こんな激務を続けられたのはひとえに彼の将来……延いてはこの国の未来の為だと想ったからだ。国の為に身を捧げた結果、その国から別離を言い渡される。シルビアが迎えたのはあまりに皮肉めいた結末だ。


「フッ!」

「何がおかしい⁉」

「この先、貴方が一人で生きて育って、いずれこの国の王となって。そんな貴方が治める国は、貴方の理想が詰め込まれた理想の国となるのでしょうね」

「生憎、私にはアマリスが居る。加えて、信頼できる民も居る。これから独りになるのは貴様の方だッ!」


 カレンデュラスの言葉は、シルビアから反論する気力と同時に愛国心をも奪い取っていく。最後に彼女に遺されたのは、共に学園生活を歩んだ学友たちの姿だった。


「そう……そうね。私は少し無理をし過ぎていたのかもね。いいでしょう。婚約破棄は受け入れますわ。ついでにそっちの訓練服の件についても私が責任を負いましょう。その代わり、私の学友や従者には手を出さないでくださいまし」

「ここまで追い詰められようと、周りの者を守る……か。殊勝な心掛けだな」

「こればかりは、貴方から学びましたもの」


 シルビアのカレンデュラスに対する気持ちの中に、男女間の恋愛感情のようなものは入っていない。政略結婚など、その殆どがそういうものだろう。だが、その関係の中に『愛』が含まれていなかったのかと言われれば、それも断じて否である。

 共に歩いた十一年の年月は、言い表せないほどに複雑で歪み、それでいて『恋愛』なんて表現では言い尽くせないほどに真っすぐな献身の心を産んでくれた。

 シルビアが大広間の出口に向かう間にその感情は摩耗し、段々と小さくなっていく。


「さようなら、カレンデュラス。問題を起こした私は学園を去ります。婚約を破棄された私は、貴方の言う通り独りで生きて行きますわ」

「……こんな形で別れるとは思わなかったぞ、シルビア」

「そうですわね。流石の私にも、予想できませんでしたわ」


 出口の前に立つと、衛兵が金色の彫刻が施された大扉を開く。カレンデュラスへの思いが消え去ったその時──シルビアは振り返って大きく口を開いた。




「バカ王子とアバズレ女! あとそこに与した十数名! このシルビア・ミルタス・コミュニスを敵に回したこと、いずれ骨の髄まで後悔させてやりますわ!」




 静寂に包まれた大広間が再び喧噪を取り戻す頃には、既にシルビアはその場を去っていた。



 その後、王族を侮辱した罪でシルビアは勘当。帰る家も目的も生きる意味も失った彼女は、元より好んで飲んでいたエールの名所であるシーダストンに向かうこととなる。


──


「──で、今に至るわけですわ。まさか、実の家族にまで見放されるとは思いもしませんでしたが」


 シルビアは溜息交じりの声で、そう話を締めくくる。

 深刻そうに、自分の指を見つめるシルビアに対し、フェネルとリコリーの表情は軽い。

 

「いや、王族に対して『バカ』って、普通に極刑になってもおかしくないくらい侮辱罪だと思うっスけど……」

「勘当だけで済んだのが有難いくらいだな……っというか、最後の数秒で展開しすぎじゃないか?」

「最初は私だって由緒正しき家の名を気にして大人しく退場しようと思ったんですわよ? でも、どうしてもアイツの方からこの婚約を破断させたことに憤りを感じまして」

「王太子相手にアイツ……って、この大陸でシルビアにのみ許された呼び方っスね」

「私だって、面と向かってじゃ言えないわよ。この三人でだけよ」


 虫の音も止まり、少しずつ鳥の声が店に聞こえ始める。夜明けが近いのだ。

 流石に酒を飲むペースも収束し、それぞれの前には一杯ずつの空ジョッキが置かれていた。

 店主に至っては、椅子にもたれ掛かって舟を漕いでいる。とっくに店の営業時間は過ぎ去っていた。


「でも、信頼してた人たちが居た環境から追い出されたという意味で言えば、リコリーと私は同じですわね」

「ただのパーティから追放されることと、王族との関係を断って公爵家からも追い出されるのとでは事の重大さが全く違う気もするっスけど、概ねそうっスね!」

「……なんだ? 俺だけ仲間外れかぁ?」

「そんなことないですわ、もう。でもこうやって、本音も愚痴も言い合える関係性を築けていれば、私たちも今とは違う場所に居れたとは思いませんか?」


 シルビアは優しい目つきで、ジョッキの腹をさする。それを見たフェネルは掌を天井に見せて首を傾げた。


「そもそも、一から関係性を築く方法もわからない俺はどうすればいいんだ?」

「なに暗いこと言ってんスか二人とも。そーいう関係性なら、今こうして出来たじゃないっスか」


 三人は、互いに顔を見合わせた。

 長い睫毛と整った顔立ちを持つ、儚げな美少年。

 妖艶さと無邪気さを同居させた、不思議な魅力の美少女。

 涼やかな眼差しが印象的な絶世の美女。

 

 今までは話を聞くことやお酒が回っていたことで注目していなかったが、こうして冷静に目を留めれば、美形が三人も揃っていたのだ。

 数秒が経ち、居た堪れなくなった三人は、フェネルが離れるのをきっかけとして正面に向き直った。


「こ、こんなに恥ずかしいことやってられっか!」

「そ、そうっスね……確かに恥ずかしかったっス!」

「そ、そうですわよね!」

「でも、冒険者パーティなら俺たちみたいな関係性で組むのが一番良いのかもな!」

「え?」


 話題を逸らす為に放たれたその一言は、女性二人に沈黙と熟考の時間を与えた。


「あ……いや、今のは言葉の綾で……」

「でも、確かに私もシルビアも、特にこの先の当てがあるわけじゃないんスよね?」

「えぇ、そうですけど……」


 三人の酒を飲む手が完全に制止したそのとき──

 まずい。と、フェネルは思った。

 空気を読めないことによって多くの機会と関係を喪失してきた彼の直感は、この独特な空気感に危険信号を発していた。その危険信号は彼に、何とかしないと。という謎の使命感と焦りの感情を生み出した。


「いやいや。無いよな、うん。ナイナイ!」

「そ、そうっスよね! こういう関係は飲み友達として丁度良いんスよ!」

「旅の仲間としては、確かに違う気もしますわね……」


 少し前に仲間だと思っていた人間から裏切られた彼女たちも、そう簡単に踏み込む勇気を持てない。全員が全員、一歩ずつ身を引いてしまった結果、そこには何も産み出されず、少しの苦笑だけが静寂の店内に残った。

 『新生勇者パーティの夜明け』と題するにはあまりにも曖昧でパッとしない、そんな毒にも薬にもならない時間が流れるのみだった。



 

作者Xアカウント

https://x.com/Nagomu_Kietsu


他サイトでの掲載URL

アルファポリス

https://www.alphapolis.co.jp/novel/63248309/109064342

カクヨム

https://kakuyomu.jp/works/2912051602276471114/episodes/2912051602276737425


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