心から心へ 声をつなぐ”エール”
「せーの、かんぱーいっ!」
事件終息から3日が経った日の夜。
酒屋では既に酒気の帯びたフェネルとリコリーが酒を酌み交わしていた。
通常時よりも、気持ちばかり客が多い。
「にしても、エールで良かったのか?」
大陸最大規模のギルドには、勿論酒屋は併設されており、その品揃えも大陸最高峰となっている。
果実酒、蒸留酒、サクラ酒、自家製のクラフトエールまで何でもござれだ。
「いいんスよ。珍しい酒は飲み飽きたっス。今は馴染のある味が恋しかったんスよ」
「なんかわかるな。”さっきの場所”じゃあ、こういう酒は無さそうだったし」
いつにも増してニコやかなリコリーを見て、フェネルも完全に口を緩ませていた。
「今日は一段と楽しそうだな」
「あれだけタダ酒を戴けれたし~、いっぱい褒められて、報酬もたっくさんもらえて、楽しいことずくしっスよ~」
「それでも、抜け出して来ちゃうんだよな」
「どれだけ酔って、取り繕わないようにしたって、身分の高い人たちが多い酒の席じゃ気を遣っちゃうっスからねぇ。
それに……フェネルが抜け出したそうにしてたからってのもあるんスよ?」
「俺が?」
フェネルは首を傾げた。
「まぁ、確かにあの場はやりづらかったけども……。まさかそれを察して、あんな『抜け出そう』なんて提案を?」
「男の気持ちを汲んであげた、できる女に何かないんスか」
リコリーの得意げな顔に、「してやられたり」と苦笑するフェネル。
その綻んだ顔には、感情が隠しきれていない。
「労いと褒めの言葉なら、今日喉が枯れそうになるくらいには言い続けてたろ?」
「欲しいのは言葉じゃあないんスよねぇ」
「ほーら」と頭を差し出してくるリコリーの頭を撫でる。
いつもながらに、彼女の髪の質感に驚くフェネル。
冒険と戦闘続きで傷むはずの髪が、どうしてこれほど美しく保たれているのか……。
滑らかかつしなやかで、適度な湿度を保った艶々の髪の毛。
よく思い返してみれば、シルビアの金色の長髪も、出会った当初から美しさが変わっていない。
何か、女子冒険者の中で髪の質感を守る秘密道具でも流行っているのだろうか。
「ひゃん!」
リコリーの肩が撥ねる。
艶めかしく、高い声が上がり、近くの卓の客の目が少しだけ向く。
フェネルは、自分の手を見るといつの間にかリコリーの横顔と首筋辺りにまで手が伸びてしまっていた。彼女の髪に興味津々になっている内に手が滑ってしまったのだ。
「ご、ごめん! そんなつもりは……」
「い、いいんスよ。それにフェネルにならこの先だって……」
「え?」
「あぁ! 今のは冗談……じゃないっスね。心に決めた人には、包み隠さず直球勝負。生まれた時から決めていたことっスから」
更に、リコリーの顔が赤らんでいく。絶対に酒のせいじゃない。
「……シルビアの救出も終わって、後始末も終わろうとしてる。そろそろ、私の気持ちに答えてくれてもいいんじゃないっスかね」
真剣な眼差しが、まっすぐ、そして逃すまいとフェネルの眼を釘付けにする。
熱の籠った紫紺の瞳がほんの少しだけ揺らいだ。
荒めの吐息が聞こえる。互いの息がかかるくらいに距離を詰め、少女は返事を待った。
もう、ここまで来たらフェネルだって引き下がれない。
ゆっくりと差し出した両手を肩に乗せ、息を深く吸い込んだ。
前世の後悔にして、今世に望んだたった一つの夢物語。
この人生を掛けて切望していたものが、手の届く場所にある。
心拍数が上がり、身体が火照る。一世一代の決断を前にフェネルはこの瞬間を忘れまいと噛みしめていた。
「リコリー。俺は君のことが——」
「——二人で、何をしておりますの?」
「うわッ⁉」
横から差し込まれた、冷えた声に、フェネルは後ずさる。座っていた椅子の脚は、彼を支えきれずにそのまま後方へと倒れ込んだ。
「痛ってェ! ……って、シルビア⁉ どうしてここに」
頭をさするフェネルを見下ろすのは、冷たく笑うシルビアだった。
なんと彼女の眼にハイライトが、ない。
「どうしてって、それはこっちの台詞ですわ。貴族王族とのやりとりを全て私に押し付け、叙勲式を抜け出した貴方がたは楽しかったのでしょうね。陛下も呆れていましたわ。報奨は頑なに受け取ろうとしないし、途中で主役は抜け出すし……。これでは王家の面目が立たないと」
フェネルの危険信号が鮮明に赤色を示していた。
あっかーん。
フェネルは額から滝のように、酒気の溶け込んだ汗を流していた。
「最終的に報酬は受け取ったろ? 土地じゃなくて、お金の方を。俺とリコリーとシルビア、それぞれの故郷の町の活性化・再興・復旧資金に充てるって」
酔いから急速に冷めた彼の眼に映る光景は、それが現実のものなのだと強く語り掛けて来る。
恐らく、彼女が求めているのは言い訳ではないことも簡単に読み取れた。
「……悪かったよ。苦手でさ、あぁいうの」
「まぁ、あれだけ大袈裟にされれば嫌というのも分かりますが……。せめて私がコミュニス家に返り咲く瞬間、勘当撤回の上申くらいは見ておいてほしかったですわ。あれは、フェネルが言い出したことですのに」
「あぁ。あの上申までなら私たちは見てたっスよ。抜け出したのは、乾杯の直後だったので」
「あら、そうですの? いつの間にか消えていたので、いつ居なくなったのかはわかりませんでしたわ」
「でも、本当によくこの場所がわかったな」
「それは……ねぇ、ウェヌーシャ」
「はい。人に気取られずに尾行することも、メイドの必須技術ですから」
「うわッ⁉」
隣席の外套に身を包んでいた女性が、頭を覆っていた布を捲り上げ、顔を出す。そこにいたのは、ウェヌーシャだった。
どうにもフェネル達を王城から尾行していたようだ。
「あなたはもう戻りなさい。ここ数日の聞き取りで疲れているでしょうし」
「はい、ではお言葉に甘えまして」
「お父様とお母さま、お兄様たちにも改めてよろしくね」
「はい」
それだけのやり取りを機に、ウェヌーシャはさっと退店した。
テーブルにお金を残していく律義さが、いかにも彼女らしい。見たところ、一杯も酒を呑んでいなそうなのに。
「……まるっきり信頼されてなかったな、これは」
「確実に抜け出すと信頼してたのですわ。
『酒は自由に飲みたい』。二人ならそう考えると思ったのですわよ」
「そりゃあ、大した信頼だな」
「えぇ。信頼してますわ、『お酒と本当に大切なことにだけ正直になる』あなた達のことを」
「それに関してはシルビアもだろ?」
「私はいつでも……いえ、そうですわね。これからは、酒の入ったときくらいは、自分にも正直いられるように生きますわ」
「おう! 是非ともそうしてくれ」
三人の他愛もない会話は夜の酒場の喧騒に飲みこまれていく。
シルビアは店主にエールを頼みに行ったタイミングで、リコリーとフェネルはアイコンタクトを取り、二人して首を振った。
関係性を一歩前に進めるのは、また今度にしたようだ。
自席に戻ったシルビアは、椅子に座らず、その場に立ち尽くしていた。
そしてすぐに、頭を下げた。
「フェネル、リコリー。本当にありがとうございました。私が大事にしてきたこの街を守り、二つの意味で私の還る場所を作ってくれて。それと一応、カレンデュラスの命も助けてくれて……というのも付け加えておきますわ」
カレンデュラスは、アマリスからの精神干渉が強く、長い間眠りについていたが、今朝目を覚ましたらしい。まだ、一部に記憶と身体神経に障害が残っているのだとか。
シルビアとの婚約破棄や国王の食事に毒を盛ったことに始まり、権力を使った多くの暴走の罪は重い。アマリスの傀儡になっていたが故のことなので、その全てに責任を問われることは無いが、彼の今後の扱いに関してはアルヴェニス陛下が慎重に決定するということに話は収まった。
これで、彼が改心するかどうかは、彼の心根に委ねられることだろう。
目を点にしてそんなことを思い返していたフェネルは、数度瞼をしばたたかせて答えた。
「このまま家に帰るって選択もあるわけだが、ここに来たってことは折り合いは付けられたってことか?」
アマリスの魅了は、彼女が灰となって半日と経たずに解除された。
彼女に両親を誑かされ、絶縁に至った家との繋がりも少しずつ修復していくことだろう。
「えぇ。『何処の馬の骨ともわからん奴に娘は預けておけんが、救国の勇者になら任せられるだろう』とおっしゃってましたわ」
「何か勘違いしてないか、それ」
「勘違い……でもありませんわよ? ほら、フェネル。あそこに置かれた酒瓶をご覧くださいな」
「え——」
振り向いた瞬間、フェネルの右頬に柔らかい感触があった。
驚いて振り返ったフェネルがかろうじて見えたのは、右掌で口元を隠したシルビアの顔だった。指の間から舌なめずりした悪戯っぽい笑顔が窺える。
「私は数カ月前に婚約者を失い、私はフリーの身。両親の許しも貰えたことですし、そろそろアタック開始ですわ」
「な、な、な、な、な、何を——⁉」
フェネルより先に声を上げたのはリコリーだった。
「シルビアッ! ずるいっス! 抜け駆けは無しだったはずっスよ!」
「あら、二人で抜け出しておいて、何を今更。さっき、私が来なければ先に関係を進めていたのはリコリーの方でしょう? それに、私が投獄されていた間にも色々あったのでしょう? フェネルとの距離感を見ればそのくらいわかりますわ」
「奥手ばかりで、手を動かさないシルビアが悪いんスよ!」
「だから、今その手を動かしたまでですわ!」
キーキーと喚く二人を見て、逆にフェネルの冷静さは研ぎ澄まされていく。
よく見ると二人の顔は赤く染まっているのを見て、叙勲式における彼女たちの飲みっぷりを思い出した。
緊張を解すという意図もあったのかもしれないが、いつもの倍くらいの速度でグラスを交換していたような気がする。
「二人とも、酔い過ぎだ! シルビアもリコリーもちょっと落ち着けって! 二人の言い分はまた酔いが醒めてから——」
「こんな話、素面ではできませんわ!」「できるわけないっス!」
二倍の力で返ってきた反論に、フェネルは面食らった。
三人がそんなやり取りをしていると、シルビアの分のエールが運び込まれてきた。
席に戻った三人の前に、一つずつジョッキが揃う。
「シルビアも来たことっス。もう一回、乾杯をしないと飲み会は始まらないっスよ」
「ふっ、そうだな」
乾杯の準備は整った。言い争いをしていたシルビアたちも口を止め、フェネルの方に体を向けた。
「何はともあれ、だ。リコリーもシルビアも、俺の旅に付いて来てくれるってことを嬉しく思う。これからは、魔人という新たな敵も現れたことだし、更なる危険が俺たちを待ち受けていることだろう」
アマリスとクロノ。本来の名前は、リリスとクロユリ。
彼らの遺体は魔族同様に残らない為、その裏を辿ることは出来なかった。
特にアマリスの『魔人』という物言いには含みがあった。他の仲間がいると考えるのが自然だろう。
彼らの言い分では、この大陸には二人で侵入したと言っていたが、その真偽も掴めていない。
とどのつまり、冒険を続けて一つ一つ聞き込みをして対処するというのが奴らへの最も確実な近道だろう。というのが三人の結論だった。
「それでも、俺たち三人でなら、どんな困難も乗り越えられるだろうと俺は信じている」
フェネルが杯を持ち上げると、二人も同じく杯を上げる。
「それでは、俺たちの出会いと成長を祝して。勇者パーティ——」
酒は、長い時間と手間暇をかけて熟成させることでようやく完成する嗜好品だ。
雨の日も晴れの日も、絶えず研鑽し、自らの味わいを磨き上げていく。
冒険者パーティというのも同じではなかろうか。
クエストや人間関係における小さな事件を酵母として発酵させ、コクと旨味を深めていく。
まだ、彼らの絆は樽に入れられたばかり。それでも、いずれ出来上がるのは千年に一度の銘酒となると決まっている。
「「「——最高ッ‼」」」
これまでは少年一人のはずだったその乾杯に、二人のジョッキが連なった。それは、当然の如く示し合わせたものではない。
これより始まるのは、三人の物語。
不服を抱える三人が酒場で出会い、かけがえのない仲間へと成長し、やがて世界を救うまでの葛藤と経緯を記した冒険譚である。
作者Xアカウント
https://x.com/Nagomu_Kietsu
他サイトでの掲載URL
アルファポリス
https://www.alphapolis.co.jp/novel/63248309/109064342
カクヨム
https://kakuyomu.jp/works/2912051602276471114/episodes/2912051602276737425
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