かたい絆に 思いを寄せて
アマリス・アストル。
平民の出で、魔法適性に秀でていたため、特待生として貴族学院に入学。
身分の違いによる差別を受けながらも、努力に努力を重ね、魔法を高めていく。
プライベートでは、授業の内外を問わず、王太子カレンデュラス・オフィナ・キャピリタス殿下との交流を深めていった。
元来、階級制度に対し軽薄な態度であったカレンデュラスは、アマリスに怪訝な目を向けることなく交流を続行。
出会いのきっかけでもある『花を愛でる』という共通の趣味が、二人の仲急速にその中を縮めていったという。
シルビア・ミルタス・コミュニスの暴走と退学によりショックを受けた王太子殿下を支えたアマリスの奉仕の精神が殿下だけでなく多くの生徒の胸を打った。
これを境に、アマリスとカレンデュラスの仲は急接近。婚約者だったシルビアの穴を埋める形でアマリスがその座に就くこととなる。
——というのが、彼女が演じてきたアマリスという人間の簡単な経歴である。
魔人リリス。それが彼女の本来の名前だった。
特殊な環境下でのみ発生する、人間と同等の知能と言語能力、人型という効率的な身体構造を持つ珍しい魔族。
彼らは自分たちを魔物とは別種の存在と考え、矜持を込めて『魔人』と呼ぶ。
同じ魔人であるクロユリと共に『土地や人材を損なうことなく、国を簒奪する』という目的で、フローリア大陸に上陸。
クロユリは、冒険者として潜り込み、作戦の邪魔となりそうな人間のリストアップと暗殺。
リリスは、国を牛耳る貴族社会を狙い、魅了による洗脳を広げること。
役割を分担し、遂行してきた計画は概ね成功に向かっていた。
クロノからフェネルたちの存在を聞かされた時、リリスは高をくくりつつも一抹の不安を覚えていた。
クロノが所属していたヘルズガーデンの元一員と、どうやら生き永らえ、冒険者家業に転身したシルビア。二人との数奇な縁についても気になるところではあったが、それ以上にリリスが警戒したのは、フェネルという正体不明の冒険者だった。唯一単独でパーティを成立させていた勇者であり、魔法と剣術を同時に使う厄介な敵。
その情報が入った瞬間から、アマリスはフェネルに対して策を講じ、三本の矢を用意した。
一本目は、パーティの絆を瓦解させる作戦だ。
シルビアの投獄と、ヘルズガーデンによる王城防衛がこれだ。
仲間の危機や、過去の因縁である相手をぶつけることでフェネル自身の心を蝕もうとしたのだ。
ヒガンに聖剣を託し、あわよくばそこで始末してくれればとも思っていたのだが……無駄だった。
彼らは再度集まり、より強い絆を結んでしまった。
二本目は、クロノやカレンデュラスを用いた実力行使だ。
これも失敗に終わる。
合流して勇者フェネル一行を迎え撃つという作戦だったが、クロノは一向に姿を見せない。
カレンデュラスに至っては頼りにしていた特権魔法も何故か相手に歯が立たず、一方的にやられているだけだった。
謀略も、実力もダメだった時、最終手段として残したとっておきの三本目。
それは——魔人にのみ使うことの出来る特殊能力の行使だった。
「活着行使——『恋する少女の誇りの血』」
腹部から赤茶色の血液が噴き上がる。
あまりに勢いよく放たれたそれは、赤い絨毯を一段と濃い紅に染め上げた。
咄嗟の判断で、シルビアの前に身体を滑り込ませたフェネルは、目が眩み、地面に伏した。そうさせたのは、強烈な刺激臭と、心臓から送り出された血液が逆流するような錯覚。
ほとばしる興奮が、炉に火をつけるが如く、フェネルの身体を蝕んだ。
「うぅ……」
「フェネル⁉ アマリス、お前は何をしましたのっ!」
シルビアは、すかさずパンチを繰り出すも、それはアマリスに受け止められる。
普通の人体であればとっくに死に至るほどの血液を噴出してもなお、アマリスの身体は力強く活動を続けていた。
自刃する前を遙かに凌ぐパワーを携えて。
「お前達の唯一の過ちは、私の魅了能力を絞り切れていなかったこと。恐らく推理はしていたんでしょうけど、血液の匂いを媒介にしていたってことは知らなかったでしょ?」
「戦場で自分を傷つけるなんて……愚かですわ!」
「魔人は魔力を血液に変えられるのよ! こんなのは掠り傷に等しいわ!」
なら、それを間近で受けたフェネルは……。
心配しながらも、シルビアは猛攻を止めない。
「今の一撃でお前のタネも割れた。拳闘士って、付与魔法で戦ってたのね。魔法の詠唱を阻害する殿下の特権魔法も効かないわけだわ」
シルビアとフェネルが事前に立てた戦略……適材適所の魂胆はここにあった。
元恋人のシルビアなら、カレンデュラスの特権魔法を知っている。十中八九、アマリスは彼を戦力として投下してくると踏んだフェネル達は、役割分担を考えたのだ。
殿下の特権魔法は、魔法の詠唱阻害。詠唱を阻害されるなら、詠唱を行わずに戦闘する拳闘士を当てるのが合理的……。
現に、シルビアは貴族学院の模擬戦でカレンデュラスを常に完封していた。魔法の行使が不得手だということだけでなく、素の相性というのも敗因の一つだったのだ。
爪を交差させ、シルビアの拳を防ぐ防ぐ。
聖剣に斬り飛ばされたはずの爪は既に再生していた。
「けれど、魔人である私の防護を貫通できるほどの力は無いようですねぇ」
「再生能力……確かにチマチマ削るのは意味がなさそうね」
一歩引いて相手を観察する。
爪を突き刺した腹部の傷口は既に閉じようとしていた。
「狙うなら……ここですわ!」
シルビアの狙いは、アマリスの膝下だった。
着目すべきは、彼女の足元だ。膝下辺りから左右方向に延びた固定ピンのような部位が地面に突き刺さっている。
シルビアはアマリスに近づく際に、彼女の身体を隈なくチェックしていたが、こんな部位は先ほどまで存在しなかった。
魔法発動の掛け声にも似た先ほどの言葉と、奇行。あの辺りを境に現れたと考えるのが自然だ。
なら、何らかの魔法、能力の行使に必要な部位だと考えた方がいい……シルビアの拳は一本の糸に引き寄せられるよう、真っすぐに繰り出された。
「ハァッ!」
「——そう来ますよねぇ」
木の根を思わせる褐色の触手が拳を弾く。節くれ立った表面に細やかなひびを刻んでいるそれは、床の石材を押しのけて生えてきた。
その根はぐるりとアマリスの下半身を回り込み、身体を固定しながら、次々と触手は殖え続ける。
足元が完全に木の根に隠れたとき、アマリスの腹部に赤く巨大な花が咲いた。丁度、自分で突き刺した傷口からだ。
上半身を覆い、かろうじて顔だけは見えるものの、それは既に人型と呼べるものでは無くなっていた。
「無駄ですよ。ここは既に私のテリトリー。数日間ここを離れなくなる点はネックですが、黙ってやられるよりはマシ……ここで全て終わらせてやるわよ!
お前らさえ殺せば、私に疑問を抱く者もこの国から消える。そうすれば、あとは私の魅了と魅力でもってこの国を乗っ取る。それと同じやり方で世界も支配下におく……可愛さだけの世界征服がここから始まるのよ!」
謁見の間の入り口の門扉が触手によって閉ざされ、床から大量に生えたつるが扉を抑え込む。
「……ここから帰す気はないと」
「この姿を見られた以上、返すわけにはいかない! 私の矜持がそれを赦さない!」
「矜持……そんなものがあなたにあったとは」
「矜持と自尊心こそ、魔人を形作る本質……誇りもない人間と野蛮な獣とも違う、我らしか持ちえぬものなのです!」
「いささか、偏見もあると思いますけど……本当に勝てるとお思いで?」
「今までは正直劣勢だと思っていましたけど、この状況を作り出せたので逆転勝利ですねぇ」
アマリスは右下に眼球を動かす。
その先にいたのは——横たわったフェネルが立ち上がろうとしていた。
その瞬間、シルビアに悪寒が走る。フェネルの目に光が灯っていない。
「フェネルッ!」
「そんな言葉届きませんよ。あれだけ近くで私の血を浴びたのです。それも、活着後で地脈から吸い上げた純度の高い魔力を込めた血液を。何かしら対策はしていたかもしれませんが、この術から免れられるものなど魔人の中にもいはしない!」
アマリスの言うように、フェネルはたどたどしい動きでシルビアに対峙した。
「フェネルが私を……。本気ですの?」
「お、俺は……」
「フェネル! 目を覚ましてくださいまし!」
ふらふらと動き、虚ろな表情を向けるフェネルは、先ほどまでのカレンデュラスの動きと酷似している。
「何を言おうと全て無駄です。今の彼には私以外の声は聞こえない。完全に私の掌中に落ちたのですよ~」
「そんな……」
フェネルは肩幅に足を開き、両手を構える。ボクシングのファイティングポーズを取って、シルビアに対峙した。
拳を軽く握り、臨戦態勢が整ったと言わんばかりに手首を鋭く跳ね上げる。
「フェネル……あなた……」
シルビアは首を縦に振り、覚悟を決めて拳を取った。
「やるのですわね、フェネル」
フェネルの首がゆっくりと一度だけ下がり、すぐに元の位置へと戻る。
「勇者フェネルよ! 足元の聖剣を使い、眼前の敵を屠りなさい!」
その言葉を皮切りに、フェネルの動きが俊敏になる。
床に突き刺さった聖剣シドラカリオンを拾い上げ、そのまま駆け出した。
シルビアも負けず劣らずの速度で地面を蹴る。
拳と聖剣が交わろうとする刹那、その両者は触れることなく空を切った。
「——⁉」
アマリスが驚くのも無理がない。
拳を握ったシルビアはフェネルの横を素通りして、こちらに向かってきているではないか。
あの小童は何をしているのっ⁉
考える間もなく、顔面に拳が飛んできた。
「何度撃とうと、その程度の力で私の身体は」
触手で顔を覆い、守ろうとする。が、シルビアの口角がクイッと上がった。
「マートル流拳闘術第三奥義——『聖冠撃』!」
「なんですってっ⁉」
バキ、ボキ、バキィッ!
細い枝木が折れるほどに容易く、触手が打ち砕かれ、その奥にあるアマリスの頬に拳が激突した。
凄まじい勢いの衝撃が、アマリスの脳を揺らす。
しかし、制裁はそれだけでは終わらない。
返り血を振り払った後すぐにシルビアは位置を横へとスライドした。
「今ですわ! フェネル!」
「おうよっ!」
勇ましい返事と共に、アマリスの顔を目掛け、鋭い切っ先が飛ぶ。
フェネルの手を離れた聖剣シドラカリオンが、砕け散った木片の中を掻い潜り、アマリスの瞳に突き刺さった。
「——ァァァァァァッ⁉」
悶絶。
肉体的な苦痛の裏に、血の気が引くような虚脱感が一面に広がっている。
シドラカリオンによって魔力が吸い上げられているのだ。魔力によって生成された血液が減少し、脳が血液不足に陥る。
あぁ……あの男に聖剣など渡さなければ。いや、或いはあの男はこの結末を狙って……。
ヒガンに聖剣を渡したことを今更後悔するが、その憎しみさえも輪郭を失っていく。
「隣の芝生は青く見えたのかもしれないが、人間は人間でお前らはお前ら。他者から奪う以外の力の使い方ができたなら、違う未来があったのかもな」
アマリスの意識は泡沫に薄れ、やがて身体は動かなくなった。
ピクともしなくなった身体を訝し気に見回した後、フェネルとシルビアは目を見合わせた。
「よっしゃっ! 終わりだ!」
「ですわね!」
どちらともなく差し出された拳が、コツンと優しくぶつかった。いわゆるグータッチという奴である。
「よく、俺が魅了にかかってないってわかったな」
「拳を構えた時のあの動き……乾杯のポーズだったのでしょう? あれが無ければまったくわかりませんでしたわ」
乾杯。それは、彼らにとってただ酒を飲み始めるときの合図に他ならない。
けれども、関係の出発点が酒屋だった彼らにとって、酒を酌み交わすこと自体に深い意味があったのだ。
全ての始まりであり、あらゆる出来事の節目であり、愚痴を聞いては関係を深めて。
そんな時間の始まりを告げる鐘の音であり、言葉にしなくても交わせる約束……それが乾杯だった。
酒という絆で強く結ばれた三人にとって、その手首のスナップは馴染み深く、目と身体に焼き印として刻まれていた。その焼き印を暗号に戦場で密談を交わすことなど造作もないことだった。
「でも、あの役割分担の時の話を考えれば、同じ原理で無効化できると信じていましたわよ」
「『並列思考』を詳しく知らなかったんだろうな。俺が奴の魅了を防いでいた方法が、思考の切り替えと白魔法による回復の繰り返しというゴリ押しだったことに気付いていれば、もう少し警戒できたろうに……」
それが、事前の打ち合わせで、フェネルが考え付いたアマリスの魅了の対処法だった。
ウェヌーシャの証言から、アマリスの魅了は人の脳の余白を自分への好意で埋めるというメカニズムだという一つの仮説を立てた。
シルビアのことで頭が一杯のウェヌーシャや、国政に頭をフル活用している王。そして、自身とカレンデュラスの将来を絶えず憂いていた当時のシルビア。
他のことを考える暇のないほどに、何かに対し熟考・没頭していた人間だけが魅了にかかっていない。この説の信頼度は高いと考えた。
そこで、解決策の糸口となり得る疑問が誕生する。
脳の思考に作用する能力ならば、『並列思考』により、脳を二つ動かせるフェネルが魅了場合はどうなるのか、という疑問だ。
片方をデコイとして使い、明確な魅了の影響下に入る度に思考を切り替え、白魔法で解除する。もしくは、片方を常に何かに没頭させておく。
この二案を思いつき、戦闘中に出来そうな方である前者を採ったのだ。
「ずっと半分で私の事を考えておく……という方法もあったんですわよ?」
「シルビアのことを考えながら、敵と戦闘するとか、無理に決まってるだろ! 絶対に二つ目の脳に影響するし」
「それは、私に気があるということかしら?」
「えっ⁉ いや、そうじゃな……いって言ったらウソにはなるけど」
「冗談ですわよ、フフッ。あなたがいなければ、こんな簡単に勝負はつかなかったですわ」
フェネルが本気で戸惑おうとしたところで、シルビアは何かを察して軽く話題を戻した。
「結果、魅了は魔法ではなかったみたいだが、白魔法による解除が間に合って助かったな」
正直、やってみなければわからなかった。
だけど、この世界での勝負運が異様に強い彼は、その時点で内心勝ちを確信していた。
「アマリスは最後まで、貴方が匂いに対処していたと考えていましたわよ。まぁ、剣と魔法を使える上に精神干渉をも解除できる白魔法を使えるなんて、考えもしないでしょうし」
「俺もギルドに提出する時、何処まで書けばいいか不安でテキトーに出してるしな」
「テキトー……って、あなたそんな調子で国からお金を貰ってますの?」
「公務員に就職した息子に対する親戚のおじさんみたいなこと言うな……」
前世での従弟の就職祝いの場を思い出し、フェネルは一瞬だけ感傷に浸る。
が、直ぐに異世界という現実に引き戻される。
「おじ……って、私は淑女でしてよ!」
「わかってるって、そんなこと。勇者なんて、いわば肩書きだ。選ばれた以上は、伝聞と功績で実力を示せばいい」
「格好いいのか、ズボラなだけなのか……。図りかねますわね」
「どっちも含めて俺だしなぁ……」
チラリと見たアマリスの身体が少しずつ枯れ木のように朽ちていくのを見て、フェネルは聖剣を鞘に戻した。
安心させようとシルビアの顔を見ようとしたら、あちらもこちらを見ていて。二人の顔は熟れたイチゴのように赤く染まった。
王城に囚われた自分を追って、助けに来てくれた人。
自分の未来と幸せを案じて王に進言をしてくれた人。
復讐が達せられるまで、自分に付き合い、寄り添ってくれた人。
それは奇遇にも同じ人物で、目の前に彼は立っていた。
気高く、清廉で凛然とした彼女の紅い目が揺らぐ。
「私はそんなあなたも含めて——」
甘酸っぱい空気を切り裂くよう、一陣の風がフェネルの後ろを通り過ぎていく。
——否。それはただの風でなく、明確に質量を持った何かが通過した後の風圧だった。それもそのはず、この部屋は今の今まで密室だったのだから。
「痛てて……。何とか無事到着ってところっスね」
つるで閉め固められていた扉をぶち抜き、入って来たのは大きな一枚の石材に座したリコリーだった。
作者Xアカウント
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カクヨム
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