君を抱きしめていい理由
「……フェネル?」
振り返ったリコリーの顔を見て、フェネルはぎょっとした。
「なんだよ、その顔。酷いな」
リコリーはほとんど無表情だったが、その表層には苦しさが滲んでいた。
「せっかくの可愛い顔が台無しじゃないか」
もちっとしてハリのある眩い肌と、紫がかったタレ目。
顔のパーツは紛れもなく彼女の物なのに、その並べられ方が全く違う。鋭く、冷たい印象だ。
フェネルは、人の顔つきというものが、感情一つでここまで変わるのだと知った。
「……生きてたんスか?」
リコリーの瞼が微かに動く。横一文字だった口も緩む。
そうだ、それでいい。
君に、そんな顔は似合わないんだから。
「お前の応急処置のおかげでな。自己回復程度の白魔法を習ってたのが活きたな」
「そうっスか、よかったぁ。今終わらせるので、ちょっと待っていてくださいっス」
リコリーは、剣をそのままヒガンに突き刺そうとする。
「ちょい待て待て待てって!」
「ん? どうして止めるんスか? こいつらは、フェネルを殺そうとしたんス」
「だとしても、だ。そいつ、充分苦しんだんだろ? それ以上のことをする必要はない」
「あるっス。こいつらは、騙し、陥れることが常套手段。勇者なんて名ばかりで、生きていたってこの先、世界にとっては害でしかないっス。なら、ここで元仲間だった私が引導を渡してやるっス」
「何人だ?」
「え?」
「このパーティの何人を殺せば、お前は納得するんだ?」
「それは……」
リコリーが顔を落とす。握っていた剣が、震えはじめる。
「見たところ、他の奴らも酷い有様だ。もう、俺を陥れたことへの報復は済んだろ?」
改めて、フェネルは周囲を見回す。
王城前で停止するヘルズガーデンのメンバーたちは、散々な目に遭っていた。
まず、ランサスは自慢の盾……だったろう鉄板の上で土下座をさせられている。
接地面近くに火傷が見えることから、さっきまで鉄板が熱されていたことがわかる。
……元ネタなしで焼き土下座に辿り着くとは、恐ろしや。
ロータスは、真っ茶色の液体を頭からぶっかけられて気を失っている。大陸教会の紋章が入った白装束は、完全に原型を失って汚物に成り下がっている。
……半固形物も混じっているが、泥だよな? 鼻の曲がりそうな匂いもするけど、それ以上嫌な想像はしたくない。
そして、シオンはと言えば……。
「ニャー! もう許してニャー!」
仰向けで、手足をバタつかせている。確か、犬だと「服従のポーズ」とかいう奴だよな。
猫の場合の意味は知らないけど、ずっとあのポーズというのは辛そうだ。体力的にも、精神的にも。
フェネルは自分だったら思いもつかない罰の数々に、流石に少し引いていた。でも、その裏で自責もしていた。
こんなことになったのは、自分が弱く未熟なせいなのだと。自分が油断さえしなければ、リコリーにここまでのことをさせずには済んだのに、と。
「まだ、制裁は済んでないっス」
「リコリー。君は冒技試の時に、ヘルズガーデンへの復讐は済んだと言っていた。これ以上の攻撃や拷問は、ただの憂さ晴らしだ。そんなこと、君がする必要はない」
フェネルは、「いや、違うな」と首を振って続ける。
「今のはただの格好つけだ。俺が、見たくないんだよ。これ以上、君が人を痛めつけるところを」
「そんな優しい言い方をしてもダメっス。優しさに付け込まれて、フェネルはさっき死にかけたんスよ? もう、私は躊躇わないっス」
「……そう言われると弱いな」
フェネルは自分の傷口を見やる。
体の穴は塞がっているが、腹当ての穴は埋まっていない。それは、紛れもなく自分の歯痒さが招いた結果だった。
「踏ん切りが付かないところも、楽観的なところも、性分なんだ。転生前にこっぴどく振られてもなお、女の尻を追いかける俺だ。これからも治ることはないと思う」
「そこはフェネルの美点っスから治す必要もないっス。だから、私がフェネルに出来ないことをやるっス。ほら、仲間は補い合うものでしょ?」
「そうだけど、そうじゃない。確かに仲間は欠点を補い合うものだけど、一緒に悩んで考えるものでもある。そして、誰かが間違えれば、その間違いを正すのもやっぱり仲間なんだよ」
「……私は、間違っていると?」
「ちげぇよっ!」
フェネルは、リコリーに向かって真っすぐに走り出した。
「……⁉」
後ろからの、力強い抱擁。監視塔以来の急激な肉体的接触に、リコリーの冷え切った顔に熱が戻っていく。
朱色が耳の先まで染めるまで、わずか数秒。
復讐心に駆られた狂乱の賢者はいつしか、一人の乙女に戻っていた。
「ちょ、何してるんスか。こんなところで」
「こんなところだからだよ。いいか、一回しか言わないからよく聞けよ!」
フェネルは、肺いっぱいに空気を溜めこむ。自ずと、リコリーを抱く力も強くなる。
「リコリー、好きだ! これから先、面倒くさい俺に付いて来てくれ! 一緒に悩んで、考えてくれ! そして──」
リコリーは首を使って振り返り、至近距離で目と目が合う。
フェネルは微笑んだ。
これまで旅を共にしてきたリコリーでも、見たことがないほど優しい笑顔だった。
「──どうか、ずっと笑っていてくれ。そうできるよう、俺も頑張るからさ」
リコリーの目から一筋の涙が流れ出た。
彼女は、頭の中で「好き」という言葉を反芻していた。
最もシンプルかつ直接的に好意を伝える言葉で、この世界にありふれている。
けれども、彼女は本心からのその言葉を一度たりとも受け取ったことがなかった。
複雑な子供時代を過ごした彼女は、問題を起こさないことに加え、人に好意を持って接することを意識して生きてきた。
自分の居場所を守るためには、それが一番効率的だった。
ヘルズガーデンに所属してからも、その生き方は大きく変わることがなかった。
言うことはあれど、言われることは無かったその言葉。
貴重で大切な「初めて」は、自分が一番望んだ彼が貰ってくれた。
生涯、自分がずっと振り撒く側だと思っていた愛で射抜かれた彼女は、その感情を処理しきれず半ば放心状態に陥った。
今までの張りつめた緊張が一気に解けたからなのかもしれない。
肩の力が抜け、聖剣が床に落ちた。
「……ふぅ」
自分の気持ちが伝わったと確信し、フェネルはハグを解く。
瞬間、それを見計らっていたかのようにリコリーは振り返った。
「フェネル!」
「──⁉」
リコリーは開いた両手でフェネルの頬を掴む。
瞼を閉じる。それだけで、もう準備は整っていた。
大胆かつ、出し抜けに、少女は唇を差し出した。
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