私はどこかおかしいですか?
──え?
ヒガンは、自分の置かれた状況を理解できなかった。
今まさに、リコリーに剣を振り下ろそうとしていたはずだが、手が全く動かないのだ。
それどころか、先ほどまで目の前にいたリコリーの姿すら消えている。
「よりにもよって、こんな時に……いや、こんな時だからそっスかね。いやぁ、言葉くらいは返せるようにしておけば良かったっス」
動かないのは手だけじゃない。口も顔も、腕も、足も、何もかもだ。
まるで、全身の筋肉が縫い付けられたように、微動だにしない。
「でも、話すことなんて何もないっスね。あれだけ和解を求めていたフェネルを騙し、剰え殺すほどの威力で攻撃するなんて。同じ人間のやることとも思いたくないっス」
さっきから聞こえるのは、リコリーの声だろうか? 心なしか、声のトーンが低い気がする。
「応急処置はしたっスけど、生存は五分……。もし、こんなところでフェネルが死んだら、私はシルビアにどんな顔で会えばいいんスかね?」
かろうじて、目だけは動くと気付いたとき、視界にリコリーの姿が映り込んだ。
「ねぇ、ヒガン。どうしたらいいと思うっスか?」
目に映る少女はまさしくリコリーだ。でも、それは、ヒガンが知っている彼女ではない。
目の光が消え、乾いた笑みを貼り付けている。狂気じみたその笑顔を見た時、ヒガンは自分がリコリーの術中に落ちていることを理解した。
「目だけは動くようにしておいたんスけど、実際に見ると気持ち悪いっスね。目も見えなくした方が、良かったっスかね。そっちの方が、恐怖も与えられたかもしれないし」
放せ! ここから出せ! 今すぐ止めろ!
口も喉も動かないため、声を出すことすら叶わない。
身体の自由だけを奪われ、意識や五感だけは残る不気味な感覚……。ヒガンはこれまでの人生で最大の不安と恐怖に内心震えていた。
「何か言いたいんスか? 奇遇っスね。私もヒガンには色々言いたかったんスよ!」
リコリーの顔から、造り物の笑顔が消える。
「私を追放した罪。ダンデリオンで会った時に私たちを不快にさせた罪。今ここで進路を阻んだ罪……そして」
リコリーが、指折りしながらヒガンに近づいてくる。
次の瞬間、リコリーは杖を持ち換えた。
「──フェネルを傷つけた罪っス」
ヒガンの目玉に杖の穂先が肉薄する。抵抗も出来ない彼は、涙を流すことしかできない。
「……この杖を血で汚すのは嫌っスね。そうだ、私は賢者なので魔法を唱えることにしましょう。話すこともないので、何を口にすればいいか悩んでたんスよ」
ごめんなさい。許してください。
懺悔の気持ちに合掌しようとしても、ヒガンの手は動かぬままだ。
魔法……? 勘弁してくれ。こんな抵抗できない状態で魔法なんて打たれれば……。
ヒガンの顔が曇っていく。
リコリーはそんな彼に見向きもせず、詠唱を始めた。
「灯火よ、来たれ。我が心の昂りを現し、敵を撃ち払え──『火球』!」
「──⁉」
──イヤァァァァア!
頭の中で絶叫。ヒガンの右腕が、じゅっと音を立てながら燃えた。
皮膚がゆっくりと焼かれて、灰色の煙が立ち上る。耐え難い痛みがヒガンを襲った。
「どうっスか。初級魔法でも、ちゃんと当たれば痛いでしょ? まぁ、私の魔力量だからってのもあるっスけど」
ヒガンは、ボコボコと皮膚が泡立つのに見かねて目を逸らす。しかし、痛みは彼を逃さない。
「ここには、ロータスもいるっスから。多少やり過ぎてもやり直せるっスもんね」
そうだ。他の皆はどうしたんだ? ヒガンの耳には、他のパーティメンバーの声が届いてこない。
「でも、あの状態じゃあロータスもどこまで正常に魔法を使えるかわからないっスね……」
まただ。また、乾いた笑い。
彼女を追放したときに、自分が彼女に向けていたであろう……いや、それよりももっと蔑んでいるような、目。
「ランサスもタンクと言い張ってる割には、すぐに気絶するし……。ヘルズガーデンには、真の勇者はいないんスね。奴らに比べれば、ヒガンはまだ忍耐強い方っスね」
リコリーの口角が上がる。
それを見たヒガンは、後悔の念に囚われていた。
もしかすると、自分はとんでもない化け物を生み出してしまったのではないかという不安の鎖に縛られながら。
「──まだまだ、楽しめそうっス」
──
炎・雷・氷・衝撃波……。
あらゆる初級魔法で、身体を嬲られ続ける。
途中から、痛覚も正常に働かなくなってきた。
右手、左手、右足、左足、胴体・頭。それぞれに対し違う属性の魔法の痕が残る。
自分の持ちうる力全てを使い、苦痛を与えようという陰湿な覚悟の表れかもしれない。
七色の拷問を受けてなお、ヒガンは気を失うことは無かった。
何故なら、この機に際しても未だ反撃の一手を残して──
「──ところで、いい剣を持ってるっスね」
──おい、やめろ!
そう言いたげに、ヒガンの目が見開いた。
「その反応……。本当に私が気付いてないと思ったんスか? こんな、異質な気配を放つ剣なのに?」
聖剣シドラカリオン。
任務を遂行するにあたり、ヒガンが王より貸与された国宝である。
聖剣とは、魔剣の一種でその中でも特に対魔物用に作られたものを言う。
魔剣というのは、魔力に干渉し、とある条件下であれば特定の魔法を使用したりすることが出来るものだ。
シドラカリオンに秘められた能力は、『魔法の裂断』。条件は、断ち切りたい魔法に応ずる魔力を剣に込めること。
ヒガンはこの剣で自分に掛かったリコリーの魔法を断とうと絶えず魔力を送り続けていた。拷問で意識が乱されようともずっと。
「変わった魔剣っスね。見た目も全然ヒガンの好みじゃないっスし、あらかた王城の宝物庫から借り出した……ってところっスかね」
手に握られていた聖剣はいとも簡単に抜き取られる。
聖剣に込められた魔力が、光と共に霧散していく。
完全に、ヒガンの望みは絶たれてしまった。
「さて。使い方はよくわからないっスけど、剣は剣。人の身体を貫くくらいは出来るはずっスよね」
ニタァと嗤う、リコリー。手に握っているのは、聖剣シドラカリオン。その切っ先は、真っすぐにヒガンの腹部へ向けられていた。
「お前らは、フェネルの腹に穴を開けた。だから、お前らの腹にも穴が空くべきだろ?」
「……」
や、やめてくれ……。
シドラカリオンには、隠されたもう一つの能力がある。それは、刃部に触れた物体から自動的に魔力を吸い上げるのだ。吸い取った魔力で補助することにより、魔力量の少ない人間にも扱える。
まさしく、国宝級の魔剣である。
が。
それが、自分に向けられることになるとは、ヒガンも考えていなかった。
今は体の魔力と血液を循環し続けることによって意識を保っているが、その循環が途切れればすぐにでも意識を失うだろう。
聖剣で腹を突かれ、血液と魔力を同時に失えば、助かる保証はない。
これまでのクエストでも感じたことのない死の恐怖が這い寄って来る。
怖い。痛い。辛い。苦しい。しんどい。やっぱり怖い。
死にたくない!
ヒガンの生への執着を切り捨てるよう、リコリーは剣を握った両手を前に突き出した。
「──待て!」
自分が言いたかった言葉が、違う人間の声で聞こえる。
視界の外、憎んだ敵の声。
あぁ……あのフェネルとかいうクソガキか。
ほっとしたのか、観念したのか。パンパンに膨れ上がった袋から空気が抜けるように、ヒガンの意識は消失していった。
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