忘れたって消えやしない
冷たく、硬い石の上。
ザラザラとした感触と、少しの湿り気が嫌悪感を増す。
壁一面を覆う土と、腐った藁の匂いで時々むせ返りそうになる。
「まさか、ここまでの仕打ちをされるとは思いませんでしたわ……」
無骨な鉄格子を触りながら、シルビアは呟いた。
「あれだけ入り浸っていた王城に、まだ知らない場所があるとは。世界は広いものですわね」
王城の地下に存在する土牢。鉄格子は三か所あり、入り口の他に通気口が二つ。幅も高さもそう大きくないので、脱出には使えない。
通気口は外気を取り込むので、半分野ざらしの状態を強いられている。
少しずつ入って来る雨粒が、彼女の肩に打ちつけていた。
「あのバカ王子、やはり一度はぶん殴るべきでしたわ」
関門からそのまま運ばれた王太子との謁見の間。
何をされるかと覚悟して入室したシルビアとは裏腹に、カレンデュラスが発した言葉は二つだけだった。
「入れ」と「連れていけ」。たったそれだけ。
ふんぞり返って顎で指図をするその姿に、彼女は拳を抑えた。
不気味なほどにあっさりとした会話。シルビアを会ったこともないように見る冷たい視線。
彼女は、この二つの光景にシルビアには覚えがあった。
「──まるで、お父様やお母様の時のように」
シルビアが家を出た日、悲しくなるほどに事は簡単に進んだ。
平民を陥れ、カレンデュラスから婚約破棄を言い渡される。その状況証拠のみで、彼女の話も碌に聞かずに勘当が決まったのだ。
「あの生誕祭の参列者も同じでしたわね。どうも厄介なのを敵に回したようですわ」
アマリス・アストル。自身を陥れた張本人の顔を思い浮かべて頭を抱えた。
件の女は謁見の間で仰々しい装飾を設えた王太子の御座の隣に立ち、シルビアに虫でも見るような侮蔑の目を向けていた。
「カレンデュラスの新しい婚約者となったと噂に聞いていましたが、どうにも正しそうですわね」
そうでなければ、王太子の謁見の間に平民が立ち入れる理由はない。
抱えた頭が痛む。
精神系に干渉する魔法。この大陸での発現例は聞かないほどに珍しい魔法だ。
頭の片隅に存在していた漠然とした考えが、何かの実体を持とうとしていた。
「まったく、国王陛下は何をしているのでしょうか……。いえ、殿下のこの暴挙を見逃している時点で既に術中に居ると考えた方が良さそうですわね」
「おや~。殿下のみに飽き足らず、陛下にまで誹謗を行うとは。品位の底が知れますわね」
聞き覚えのある、甘ったるい粘り気のある声。
シルビアは聞くだけで、全身が粟立つような拒否反応を起こしていた。
「アマリス!」
ドスの効いた怒声が土の中の空洞を切り裂く。わんわんとした共鳴が牢の中に響いた。
「何ですかぁ、もう。大声出さないでくださいよ~。本当に野蛮な人間と話すのは疲れますねぇ」
アマリスは耳を抑え、心底面倒くさそうにしている。しかし、その声には漏れなく、嘲笑の色が含まれていた。
「もはや、本性を隠す気もないようですわね」
「ここに居るのは、私と貴方だけです。衛兵に頼み、この場を貰い受けましたから~。あ、でも変な気を起こさないでくださいね? 私が声を上げればすぐにでも駆け付ける算段ですのでぇ」
まさに余裕綽々。両端から糸で吊り上げられたように、口が弧を描いていた。
その笑みを白々しく隠そうとする扇子には、王家の紋章が刻まれている。
きっと、カレンデュラスからの贈り物だろう。
と、シルビアは全く興味を示さすように、それをねめつけていた。
「……私の立場を奪うのは簡単でしたか?」
「本当、貴族の方々は危機感というものを知りませんねぇ。身の危険だけを防げば自分は安全だと思うのですからぁ。心と体、二つが揃って初めてヒトとして機能できるのに」
アマリスはヒラヒラと扇子を仰ぐ。生温かい、湿気を孕んだ風が彼女の顔を撫ぜた。
シルビアは、再度「隠す気は無いのだな」と実感する。
本性も、やった手口も、仄めかしてはいるが、おおよそシルビアの予想通りであろうことがわかった。
「アマリス・アストル。殿下の生誕祭に次いで再度お聞きしますわ。私に何の恨みがありましたの?」
「恨み……ですか。確かに、あのパーティで言ったことは嘘になりますわね~。実を言えば、私は貴方を恨むことなんて一つもないですから」
「私怨ではないと?」
「はい~。私怨でなければ、遺恨でもない。嫉妬や復讐心とも違いますね~。もしかしたら、私は貴方に敵意すら持っていないかもしれません」
しばらくの思案顔の後、アマリスは顔を上げる。
そして、自身の気持ちをたった今理解したかのように、掌に拳を載せた。
「──これは蔑み、ですねぇ」
先ほど、品位を指摘した者からの、品位の欠片もない言葉だった。
「それは、立場を追われて冒険者に身を落とした私に対してですの?」
アマリスは「まさか」と首を振る。
「勘当される前からずっと、ですよ~」
アマリスの笑顔がぐにゃりと歪んだように錯覚する。
子供がおもちゃや虫で遊ぶような無邪気な悪意が、桃色の愛らしいドレスを着て立っている。
今のシルビアの目に、平民出の少女はそう映っていた。
「でも誤解しないでください、私が見下しているのは貴方だけでなく貴族……ひいては人間族全てなのですから」
「フフッ……」
「……笑っているのですか?」
アマリスの言う通り、シルビアは笑っていた。乾いた笑いだ。
「私の威厳の前に可笑しくなってしまったのですねぇ。お気の毒に」
アマリスの推察は完全なる的外れだった。
これは、憎悪や恐怖を前におかしくなってしまった故の笑みではない。呆れの感情によるものだ。
こんな低俗な思想の少女一人に好き勝手されている貴族や王太子。それに加えて、今の今まで彼女の本性に気付けなかった自分自身への。
「大きく出ましたわね。人間族全員を見下している? そこまで言えるほど、貴方は出来た人間ですの?」
アマリスは、目を丸くしてシルビアを見つめる。
その後、「ふむ」と漏らしながら、顎に手を当てた。
「挑発して冷静を欠かせ、隠し事を明るみにする。遠回りなやり方ですね。でも、嫌いじゃありません。豪胆に、それでいて慎重に。ついこの間まで、私の立場に居たのですから、当然ですわね。口の上手さと立ち回りだけであの地位を守れたことだけは、尊敬に当たりますね」
語尾を伸ばす口調すら忘れ、アマリスは流暢に言葉を繋ぐ。
知的好奇心だけで動くその撫子色の瞳は、じっくりとシルビアの灼眼を捉えていた。
「なので、一つだけ。貴方に慈悲を与えましょう」
アマリスは扇子を閉じて、出来る限り鉄格子に顔を寄せた。
その後、シルビアを見て、くいくいと手招きした。
シルビアはおずおずとそれに近づくと、「そこまで」と制止させられる。
「今限りですので、お見逃しなきよう──『解除』」
「⁉」
瞬間、アマリスの白い肌が黒い褐色に、淡い黄緑色だった髪が真っ赤に染まる。
額から生えた一双の禍々しい角は、彼女の人性を強く否定する。
シルビアはその姿に見覚えはないが、聞き覚えはあった。
遠い東の小国が、正体不明の魔物の軍勢に蹂躙され、破滅へ追いやられたという噂だ。
生き残りの証言に、特殊な魔法のようなものを使用する人型の魔族が居たという。
凄惨な光景を見続けたショックによって見えた幻覚として記録されていたが……。
まさか、本当に実在していたとは。
将来的に、国の存亡を背負う覚悟で雑多に集めていた他国の情報がここで役立つとは、シルビア自身も思っていなかった。
「おや、大声を上げないんですね。本当にすごい胆力です」
「……そんなことより、隠していたその姿を見せるなんて、上の方に怒られますわよ?」
「私より上の存在などこの国には──」
アマリスは、自分の口を抑え言葉を止めた。
「っと。いけない、やはり貴方は危険ですね。連れ戻す判断をして正解でした。いずれ脅威となる存在は、先に排除するに限ります」
アマリスは「それに」と続ける。
「貴方ほどの人間が、私たちの正体を見ずに死に往くのは、あまりにも残酷ですもの」
「私がここから、解放された後のことは考えませんのね」
アマリスは瞠目してシルビアを見て、再度納得のポーズをする。
やがて、「あらあら」と声のトーンを一段落として話し始めた。
「聞いておりませんでしたの? 貴方、二日後には死刑が決まってるんですよ?」
「死刑? 私が? 一体私を何の罪で?」
「国家反逆、国王暗殺未遂、売国……どんな重罪が好みでしょう? あの日、大勢の前で王太子に啖呵を切ったんですから、罪をでっち上げることなど、私の能力を用いずとも容易でしょう」
「嫌……そんなのウソよ」
絶望、悲嘆、諦観。
外に出さないように隠してきた、胸の内が溢れ出る。
もう一方の腕を掴むことによって抑えていた震えが全身に、染みのように拡がっていった。
「残念ながら嘘ではないんですよねぇ。ここに来たのは貴方が死ぬ前に話しておこうと思ったからですし」
打ちひしがれたシルビアは、自然と膝を折っていた。
ドレスを引き剝がされ、無理矢理に着せられていた麻のボロ服が、水溜まりに浸る。
「いくら気高く、強い貴方でも、死の恐怖には勝てないのですね」
何を言い返す気力もシルビアには残されていなかった。
アマリスが何やら喋っているが、もうその声も彼女には届かない。
「この状況を作られた時点で、私たちは負けていたのかもしれませんわね」
魔族は王都へ静かに溶け込み、正体を疑う者が現れるたびに精神干渉で記憶や認識を塗り替えてきた。そうして疑問の芽を一つずつ摘み取りながら、気付けばその影は王宮――国の中枢にまで及んでいた。わかってみれば、とても単純なことだった。
数ヶ月前、シルビアが婚約破棄を言い渡されたその時点から……。いや、アマリスが平民生まれの魔法使いとして貴族学園の入学を決めるよりもずっと前から、この国は破滅への一歩を踏み出していたのだと、シルビアは理解してしまった。
「もう、私との対話もできない状態ですか、残念です。もう少し楽しめると思ったのに」
アマリスの瞳孔が閉じる。
完全に興味を失った彼女は、残念そうに声を漏らし、その場から離れて消えた。
それからしばらく、シルビアは黙り込む。
これから訪れる、自身の終わりとこの国の終わりを想像していた。
土牢には、閑寂が戻る。
閉じられた空間で、雨の音しか聞こえな──いや待て。雨の音はどこへ消えた?
シルビアは つい先ほど聞こえた微かな爆裂音にようやっと意識を向けた。
──パァン。
華やかで、聞き覚えのある軽い破裂音。
さっき聞こえた音とは、軽やかさがまるで違う。
「光……?」
通気口から、一筋の光が差し込む。
影の作り方から、光源が上空であることが窺えた。
シルビアは、ゆっくりと通気口を覗き、空を見上げた。
「花火、ですわね」
目に入った途端、シルビアの頭に、ある男の横顔が思い浮かんだ。
『俺が見られなかった青春だよ』
ワイバーンに奥義を放った後、シルビアを抱きかかえながら走るフェネルの横顔だった。
少年の面影を残す丸みを残した横顔と、それにそぐわない様な頼もしい腕力。
もっと、彼の事を知りたいと感じたあの瞬間の記憶だ。
「……貴方は今、ちゃんと青春を見られておりますの? どんな顔をしておりますの?」
今は、あの男の顔が見たい。その隣で笑う、あどけない少女の顔も見たい。
仲間の顔が、見たい。今すぐにでも。
シルビアはパチン、と両頬を叩いた。
「この想いは……この温もりは、こんな牢獄に入れられたところで消えたりなんかしませんわ!」
豪快に咲き続ける花火が、熱で湿った絶望を乾かしていく。
はらはらと落ちていく火種が、シルビアの眼に火を灯す。
「どれほどの困難が待ち受けようと、必ず帰り着いてみせますわ。貴方たちの元へ!」
雲を払い退けて咲く花火が、シルビアの身体を照らす。
国が生まれたこの日、勇者たちはついに腰を上げた。
国を滅ぼさんとする脅威を打ち払い、もう一度楽しい日々を取り戻すために。
作者Xアカウント
https://x.com/Nagomu_Kietsu
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アルファポリス
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