名前を呼ぶよ
ダンデリオンを発って数週間。
フェネル達は、首都の街キャピタリスを遠目に見ながら談笑していた。今の話題はそれぞれの名前についてのことだった。
「──そういや、リコリーって冒険者だよな? どうして家名があるんだ?」
彼女の名前はリコリー・ラジアータだ。平民出身が多い冒険者界隈で、家名のある者は珍しい。
このパーティでは多数派なわけだが。
「あぁ……そういえば言ってなかったっスね。一応、私も貴族の家出身なんスよ」
「はッ⁉」
あまりの衝撃に、フェネルは躓きそうになる。なんとか体勢は立て直したが、上がった眉毛は戻らない。
「お前、そんな素振り一度も……。口調だってすげぇフランクだし」
「でも、食事をするときや部屋に入る際の所作は綺麗ですわよね」
リコリーはシルビアの言葉だけを耳に取り込み、「照れるっスよ」と鼻を赤らめる。
彼女の都合の良い耳はいつもの事なので、誰もそれに触れることは無い。
「貴族と言っても、北の辺境貴族っス。没落して爵位も剥奪されたのでもう平民とそう変わらないっスけど。きっと、また繁栄したいって願いを込めて、私にも家名を付けたんスね」
「……両親は?」
シルビアは怖々と問いかける。
貴族が平民に身を落とす様をいくつも見てきた彼女なりの気遣いが無意識に表れていた。
「普通にダンデリオン近くの田舎町で元気に暮らしてると思うっスよ。ラジアータ家の没落理由は偏に財政難なので」
「財政難か。疫病とか魔物の被害か?」
「魔物被害の方が近いっスね。領の財政を支えていた農地が魔物に襲われたんスよ。しかも、襲ってきたのが毒性の魔物……立て直すことも叶わなかったんスね」
「えらく他人事だな」
自分の家の不幸を悲しむでもなく話すリコリーは、フェネルの目には少しだけ異質に映った。
「実際、他人事っスからね。私が生まれたときにはもう、屋敷も売られて、従者も解雇された後でしたし。元貴族だって話を聞いたのも、後からっス」
「生まれた時にはもう平民だったということなら、口調の荒っぽさには納得がいくな」
リコリーは、「荒っぽい」という評価に少々不満を覚えたが、受け流すことにした。
「でも、よくそんな状態で健康に生まれてこれたものですわね」
目を丸くするリコリーを見て、シルビアは付け足す。
「財政難で没落した貴族に、赤子を一人育てるだけの余裕があったのか、気になりまして」
「確かに、そんな状況なら金銭的にも時間的にも余裕は無かったはずだよな」
リコリーは真剣な面持ちで、その銀髪を撫でた。陽光が反射する艶やかな髪は、平原に吹く風に揺れている。
「だから、他の親戚の家を転々とすることになったっス」
口調も声色も、何も変わらない。顔や体の動きさえ。
彼女が意図的にそうしたのかは不明だが、フェネルは彼女の周りだけ時間が止まったかのように錯覚した。
スーっと息を吸って吐く。それからリコリーはわざとらしくはにかんだ。
「貴族、平民を問わず色々な家にお世話になったっス。血の繋がりだけを頼りに他の大陸まで移動したこともあったっスね」
そのままリコリーは自分の過去をつらつらと話していった。
受け入れてくれる人の中で特に嫌な顔をするような人はいなかったが、長居することなく次の家へと移るのが初めは寂しかったこと。
やがて慣れて来ると、今度は家にいることに対して申し訳なさを覚えるようになったこと。
家の手伝いを申し出ても客人として扱われ、居た堪れない気持ちになったこと等だ。
大きな事件や、トラブルに巻き込まれたわけではないし、それほど感情を詳しく説明する語りでもない。
だが、その都度感じてきた率直な感想によって紡がれた回顧録には、生活環境が定まらないまま思春期を過ごした少女の心の疲れが滲んでいた。
フェネルとシルビアがかける言葉を探していると、リコリーは「でもこれは、辛かったって話じゃないっスよ」と手を振った。
「受け入れてくれる人たちは優しかったので、人の生まれ持った優しさを感じることが出来たっス。もしかしたら、鈍感な私が気付いてなかっただけかもっスけど」
「いいや、そんなことはない。きっと皆本当に優しかったんだと思うぞ。そうでもないと、一銭にもならないのに知らない親戚を預かったりしないだろうし」
自らの経験で「性善説」に辿り着いたリコリーの紆余曲折の日々。それを横で聞いていたフェネルは感傷に浸っていた。
「感謝しないとっスね。おかげさまで、冒険者になるまで成長させてもらったわけですし」
「……そういや、どうしてそこから冒険者になることに繋がるんだ?」
「そりゃあ、『身の置き場のない嫌な現状から抜け出したい』って気持ちが強かったっスね」
「さっきの感謝どこ行った?」と喉まで出かかったツッコミをフェネルは抑える。
きっと、彼女が言いたいのはそういう事じゃないと思いなおしたのだ。
「過去には感謝。そして、今は今っス。巣から旅立たない鳥はいつまでも空を自由には飛べないままっスから」
リコリーの視線を追うと、三羽の鳥が平原を飛んで行く。
目に入ったものをそのまま例えに使った言葉を聞き、シルビアは苦笑した。
「他の親戚たちも、私が自立してくれて内心は喜んでるはずっスよ。一応、勇者パーティにも入れたわけっスから」
「追放はされたけどって?」
「うぅ……そういう言い方は意地悪っスよ」
「冗談だって。勇者パーティって肩書きも、もうすぐ過去じゃなくなるしな」
「フェネル……」
聞こえないようなリコリーの声が強い風に流される。
太陽が映える広く高い青空に、三羽の鳥の高い鳴き声が響いていく。
足のくるぶし上までに整えられた草を踏みしめ、歩くこと数分。
キャピタリスは目前へと迫っていた。
王都の入口は二人の衛兵によって守られている。
大きな門扉を凌ぐほどに巨大な跳ね橋を渡り、門の前で足を止めた。
すると、衛兵が堂々と近づいてきた。
「見たところ冒険者の方とお見受けするが、登録証をご提示願いたい」
おじさん一歩手前の衛兵が掌を差し出す。ダンデリオンでも行った簡単な身分確認だと察して、全員が登録証を手渡した。
フェネルだけは冒険者登録証でなく勇者の認定証を手渡した。そちらの方が手続きが円滑に進むと知っていたのだ。
衛兵は一枚ずつ登録証を確かめる。一枚、二枚、といき、最後の一枚を見るなり声を上げた。
「おい!」
低い呼び声に少々フェネルが驚くが、呼ばれた相手は彼じゃない。
反対側に居たもう一人の若い衛兵が急いで駆け寄る。その後、二人でヒソヒソと話し始めた。
三人が訝しんでいると、中年の衛兵が三人の顔を眺め回す。
そして、シルビアの顔と登録証を見比べ、確信したかのように頷いた。
「勇者フェネルとリコリー・ラジアータ。王都に入ることを許可する」
「え……」
シルビアの喉から乾いた空気が漏れだした。
「だが、シルビア・ミルタス・コミュニス。貴方はこちらで手配した案内役に従っていただく。尚、これは勅命であり、拒否権が認められないこともご理解いただきたい」
衛兵の言葉を聞いたフェネルはギョッとした。だが、その反応はシルビアだけが止められたことに対してではない。
シルビアの名がフルネームで呼ばれたことだ。
過去を隠したい彼女は、冒険者登録を名前だけで行っていた。そんな彼女の家名を呼ぶということは、冒険者のシルビアでなく、元公爵令嬢のシルビア・ミルタス・コミュニスに用があるということに他ならない。
シルビアは肩を縮めて顔を落としている。
フェネルが見たことの無いほど弱り切った姿だ。
彼の中で、漠然としていた嫌な予感は、明確に輪郭を帯び始めていた。
「勅命か何だか知らないが、シルビアだけを渡せというなら頷けないな」
衛兵がシルビアを連れ出そうとした手を、フェネルは払い退けた。
「貴様……この行いは何を意味しているか分かっているのか? 王族からの勅命を妨害する、ということは国家反逆罪に当たるんだぞ」
「な……ッ⁉」
フェネルは、知識の中で最も重い罪状の名を聞いて、一歩足を引いた。
「俺は勇者だぞ。国から認められた存在だ。そんな俺の仲間を無理矢理連れて行こうってのか?」
「関係ない。勅命は絶対だ」
「なら、キャピタリスには入らない。それならシルビアを渡す必要はないはずだ」
「悪いがそれも認められない。『シルビア・ミルタス・コミュニスを見つけ次第、連行せよ』。これが命の内容だ」
「クッ……」
途中から、フェネルも自分の理屈が無理筋であることを内心認めてしまっていた。
王族の命に逆らうことは許されない。それはこの国に生きる民としての絶対的な規則だ。
硬い鎖は、国民を縛り付ける。勇者も貴族も平民も浮浪者も、例外なく全て。
ならば、どうするか。
『並列思考』を使っても答えは出ない。
──煩わしい。いっそ目の前の衛兵を力尽くでねじ伏せようか。
フェネルが魔法を詠唱しようとしたその時だった。
「──フェネル!」
名前を呼ばれてハッとする。
シルビアの諦観の眼差しが、顔を上げたフェネルを射貫いていた。
小さく震えた腕は、柔らかい掌に挟まれる。
シルビアはゆっくりと首を振った。
「いいんですのよ、これで」
「ダメだ、シルビア! ここでお前を引き渡せばもう二度と会えない気がする。だから──」
「──当事者の極刑、もしくは、一族郎党皆殺し」
物騒な言葉の羅列が、フェネルの口を遮った。
臨戦態勢にあったリコリーも杖を下ろした。
「国家反逆罪の刑罰ですわ。これは、貴方一人の問題ではありませんの」
「だからって──ッ!」
フェネルの口を、今度は人差し指が防ぐ。長く、爪先の整った綺麗な指はフェネルの反論の意思を奪い取った。
「それに、これは好機でもありますわ。丁度良い機会です、あのバカ王子に一発、焼きを入れてやりますの。そうしたら、また今まで通りの旅を再開できますわ」
嘘だった。
出会ってからの密度の高い数カ月で、フェネルはシルビアのウソを見抜けるようになっていた。
もともと、人間観察に長けた彼に『並列思考』が組み合わされば、人間のクセなど簡単に見抜けてしまう。
肩と声色の震え、一瞬だけ逸らされる眼球、ドレスの裾を掴む左手。そのどれもが彼女の言葉を嘘だと告げていた。
けれども、彼は言い出せなかった。
逡巡させたのは、父と母の顔。フェネルは頭の中で、シルビアの言った刑罰を何度も反芻していた。
「ここまで、本当にありがとうございました。また、お会いしましょう」
ドレスを摘み、一礼。所作の美しさが逆に痛々しかった。
「……シルビア」
情けない声は、門の開く音にかき消される。
シルビアが連れられり姿を見守ることしかできない二人は、しばらくキャピタリスの入り口に立ち尽くしていた。
作者Xアカウント
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