乾杯! 今君は人生の
夕暮れ。大通り近くのレストランにて。
シルビアは、買った赤色の戦闘用ドレスに身を包みながら、満足気にワイングラスを前に差し出した。
「今日は本当に助かりましたわッ! 本当に感謝申し上げますわ、フェネル!」
「お、おう……。役に立ったなら本望だ……ぜ」
満ち足りた表情で足を組みなおすシルビアに対し、ぜぇぜぇと息を切らしながらなんとかグラスを差し出すフェネル。
グラス同士はなんとかカツン、と小さな音を立てて乾杯は成立した。
「流石に疲れていますわね」
「あぁ。中々、女の子の買い物に付き合うなんてことも無かったからな。色々と勉強になったよ」
今日、シルビアが購入したドレスは今着ているワインレッドのドレスの他、冒険者としての普段着用のサーコートが蒼と白の計二着。併せて三着だが、それぞれ別店舗で購入したものだ。それも、一着を買うのに平均で五軒の服屋を回った。まるで、ダンデリオンの服屋を全て見切るかのような勢いの怒涛のショッピングだった。
「普段なら服は従者に買わせていたのですが、今はそうもいきませんしね。殿方の意見を聞けるのは新鮮でしたわ」
「シルビアは王太子……カレンデュラスだったか? の元婚約者だろ? 婚約者の服装に口出しはしなかったのか?」
「相変わらず、恐怖を知らない言葉遣いですわね。もう慣れましたけれど」
「どうも、こういう敬語社会には疎くてな。注意されてから直すとするよ」
「その首が血に染まってからじゃ遅いですわよ?」
シルビアは、「もぅ……」と呆れ交じりの溜息を吐いて続ける。
「そうですわ。殿下は私の服装などに興味を示す人ではありませんでしたから」
「まぁ、王族らしいと言えばそうなのかもな。『礼節を弁えれば、それでいい』ってのも質実剛健って感じがするし」
「私以外にもそうなら、そう納得することもできたのですがね」
「違ったのか?」
シルビアは暗い面持ちでこくりと頷いた。
「……今思えば殿下も私の気持ちを知っていたのかもしれません。恋愛感情を持たないただの政略結婚相手よりも、お気に入りの女の子を選びたくなるのも、当然かもしれませんわね」
「あ? 当たり前なわけあるか。たとえ、それが政略結婚であろうと、将来結婚する相手だと決めた以上、その人を愛し続けるべきだ。そこに恋愛感情が存在しなくとも、ただ一人を愛する。それが出来ない人間はただの浮気性だよ」
フェネルは額に青筋を浮かべ、低い声で憤慨している。会ったことも無い人間に対して、こうして本気の怒りを感じるのは、彼にとって初めての経験だった。
「……フェネルはたまに良いことをいいますわよね」
「『偶に』は余計だ。それに、腹が立つんだよな、そういう奴。俺みたいなたった一人さえ選べない非モテからすればそんなのは贅沢極まりないんだよ」
「いずれ、貴方の前にも現れますわ。貴方に釣り合う良い女性が」
「そうだといいけどな」
果実酒を一口。程よい酸味とサッパリとくどくない甘味が口いっぱいに広がる。そのさわやかな風味は彼の今日一日の疲れを綺麗に落としてくれるようだった。
「……本当はこれについて話し合うために場と機会を設けたのですが、不要でしたわね」
シルビアは手提げの鞄から一枚の折りたたまれた便箋を取り出し、フェネルの前に差し出した。
「これは……見ていいのか?」
「えぇ。貴方に見せるため、慎重に持ってきたんですのよ。まぁ、その必要も無かったわけですが」
フェネルは、三つ折りされた手触りの良い羊皮紙の手紙を丁寧に開いていく。すると、その中央にはたった一文だけ。
『お前を追い出したのは間違いだった。勘当は取り消すので家に戻れ』
──と書かれていた。
フェネルはその一文を見て顎に手を当てて熟考した。彼女と過ごした短いようで長い二カ月という時間。彼女の境遇。クエスト中、たまに心ここにあらずといった様子で呆けている時間があったこと。色々なことが頭を巡る。
ほどなくして、シルビアの口から出た『不要』という言葉が思い浮かび、思考を止めた。
「シルビアは戻るつもりはない……ということか」
「えぇ。一度私を追い出したんですもの。いつか会うにしても、もっと娘が居なくなったことを後悔させてから……今じゃありませんわ。それに、私、今のその日暮らしな生活も存外気に入っていますのよ?」
「でも、ここでお前が戻ると言えば、お前が失った『公爵令嬢』という肩書も、優雅な暮らしも戻って来るんだぞ? そうすれば、カレンデュラスとの婚約のことだって──」
「──そこに私の幸せはありませんわ」
顔を上げたフェネルを迎えたのはシルビアの屈託なき笑顔だった。放った言葉と一致しないそのチグハグな表情に彼は少しだけ困惑した。
「どうしてだ? 日常的に命を危険にすることも無ければ、お金の心配もなくなる。そういうのを幸せって言うんじゃないのか?」
「幸せには、楽しさが不可欠ですわ。昼には魔物と戦って汗をかいて、日が暮れれば夜遅くまで飲んで食ってのドンチャン騒ぎ。たまの休みにはこうして仲間とアップルパイを食べて。今はこうして二人で果実酒なんかを飲んだりして。その楽しさに気付かせてくれたのは貴方ですのよ?」
「……そうだな」
今朝の発言の意趣返しに、フェネルはただ頷いた。
本当は、もう少しシルビアを説得する気はあった。王都公爵家の家名を捨てるという意味は、きっと彼が考えているよりも遙かに重い。その立場に立っていればそれ相応の不利益を被ることもあるだろうが、きっとそれを覆い尽くせるほどの利益だってあるはずだ。正道から外れた人生を元に戻せる機会が目の前にあるのなら──と更に続けようとしたその口は、シルビアの満足気な笑顔の前に閉ざされてしまったのだ。
「だから、フェネル。私を後悔させないよう、もっと面白い時間を過ごさせてくださいまし!」
シルビアはそう言いながら、便箋を破り捨てた。威風辺りを払う彼女の佇まいに、フェネルは目を奪われた。
真面目な話はこれで終わり。シルビアとフェネルは、自分たちの明るい未来に乾杯し、杯を重ねた。果実酒に蒸留酒に加え、他の都で取れたブドウを使ったワイン、他にも多種の酒を備えるこの店は、この呑んべぇ二人を閉店近くまで離すことはなかった。
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