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星崩しのアステリア  作者: 狐坂蒼
第一章 準備と決意

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第9話 初仕事後の一息

 正直に言って、今回のオークの間引きはアステリアにとって心地よい「暖気運転」だった。


 普段のように土地の生態系や食物連鎖のバランスを気にして、わざわざ寸止めで手加減する必要もない。向かってくる獣たちの直球な殺意は、前世の泥沼の戦場で幾度となく味わった「生きている実感」を、微かに思い出させてくれた。硝煙の代わりに腐肉の臭いが鼻腔を満たし、望むままに拳を叩き込む――。例えるなら、飢えた老兵が上質な配給肉を皿の底まで貪り尽くした後のような、満ち足りた満足感だった。


 強いて贅沢を言わせてもらえば、こちらの『理合』を少しでも狂わせるような、骨のある個体がいれば尚良かったのだが。


「おい、嬢ちゃん……。今回の素材、本当に全部ここで換金に回していいんだな?」

「ええ、構わないわ、ギルドマスター。今の私が何より欲しているのは、これからのための軍資金なの」


 二人は、夕暮れに染まるマイヤーの冒険者ギルドへと帰還していた。


「……分かった。剥ぎ取った外皮やキング、クイーンの魔石は、本部の解体査定に回して後日精算する。とりあえず、これが今回の確定達成報酬だ。確かに入っている」


 ドン、とカウンターに置かれたのは、油の染みた分厚い革袋だった。中には、この世界で流通している独特の魔糸が織り込まれた紙幣と、鈍い光を放つ硬貨――通貨単位『ルミナ』が詰まっている。数えて百万ルミナ。五歳の幼児が手にするには、あまりにも歪な大金だった。


 通常、依頼の報酬は原因となった当事者や村が全額を拠出するのが大原則だ。

 しかし、今回被害を受けた困窮する辺境の村に、百万ルミナなどという巨額の余力があるはずもない。だからといって「金がないから」と防衛線を放置すれば、魔物の群れは際限なく膨れ上がり、いずれこのマイヤーの街そのものが包囲され、物流が途絶する。

 そうした兵站上の破綻を防ぐため、この世界のギルドシステムには、脅威度に応じて報酬の最大八割を『国庫』が補填する国防共済の決まりが組み込まれているようだった。


「それから、これが嬢ちゃんの『秘匿ギルドカード』だ。無くすなよ」


 手渡されたのは、鉄灰色の冷たい金属板だった。本名も年齢も秘匿されているため、表面にはファーストネームしか刻印されていないが、裏面には登録時にアステリアの魔力波長が直接焼き付けられており、他者が偽造・盗用しても一瞬でセキュリティが弾かれる仕様になっている。


 カードの中央に刻まれた階級は――『A』。


 この等級を刻印する際、ギルドマスターは執務室で相当に頭を抱えていたらしい。上位個体であるキングを含めた五百を超える軍勢を単騎で殲滅した以上、戦闘員評価としては『A』で微塵の不満もない。だが、申請者がわずか五歳の子供であるという事実が、彼の「ギルド長としての常識」を激しく揺さぶったのだ。


(まあ、国家の公的インフラに牙城を築ければ、肩書のアルファベットなんて飾りよ)


「ちょっと、いいかしら。この辺りの『裏の治安』はどうなっている?」

「あん?」

「今日、マイヤーの街を歩いた限り、市民の絶対数が少なすぎて目立った暴動や辻斬りの気配は感じられなかったわ。だけど――」


 ギルドマスターは咥え煙草を一度外し、深く刻まれた眉間の皺をさらに狭めた。アステリアを凝視するその眼差しには、隠しきれない戦慄が混ざり合っている。


「……末恐ろしいな。どこかで噂を拾った風でもねえ。街の空気だけで、そこまで嗅ぎつけやがったか。確かに、この街の表層は静かだ。だがな、人口が極端に少なく、かつ王都の目が届かない最果てだからこそ――大陸全土を揺るがす巨大な犯罪組織が、ここに根深い拠点を隠しているという黒い噂がある。ま、本当に実在するかは、俺たち冒険者の仕事の範疇を超えてるがな」

「そうなのね。よく分かったわ、ありがとう」


(……なるほど。治安の空白地帯に巣食う密輸組織、あるいは不法武装勢力、か。『狩り場』としては、これ以上ない極上の盤面じゃないの)


 アステリアはフードの奥で、戦場で新たな作戦空域を見出した時のように、冷徹な悦楽の笑みを密かにこぼした。


「そういえば、今更だがまともに名乗っていなかったな。俺はローナン。ローナン・ギルフェルドだ。引退して最果てに流された、ただの元Aランクさ」

「アステリアよ。改めて、よろしくね。頼れるギルドマスターさん」


 別れ際に、戦友の間で行われるような遅すぎる自己紹介を済まし、アステリアは重厚なギルドの扉を押し開けて退室した。






「――確か、地球の人間をこの星に召喚し始めたのは、大凡十万年前だとオーロリアは言っていたけれど。この星の文明の『歩留まり』は、あまりにも悪すぎるわね」


 アステリアは別荘へと続く道すがら、街を一望できる高い崖の縁に立ち、眼下に広がるマイヤーの夜景を眺めていた。

 精霊界の境界を繋げて以来、彼女はあの孤独な精霊神オーロリアと幾度となく対話を重ね、この世界の隠された構造を効率的に引き出していた。あの時、神殿の別れ際にオーロリアが最後に口にした「頼みたい案件」――神々の手出しを拒む呪いを帯びた強大な残骸の正体についても、対話を重ねる中でようやく全容が見えてきていた。


 オーロリアの言葉を時系列に整理すると、この星が誕生したのが約二十万年前。そこから数万年をかけて、三神は植物、動物、あるいは魔物といった生態系の構成要素を、地球を含む様々な異界から順次『召喚・定着』させていった。そして、知的生命体である人間や亜人のサンプルをこの地に引き込み始めたのが、今から約十万年前の黎明期にあたる。


 ちなみにその召喚ロジックは時間軸を無視できるようで、基本的にはアステリアが秋風廉次郎として生きていた『現代の地球』のタイムラインから、ピンポイントで若い個体を引っ張ってくるケースが大半だという。


 それなのに、十万年という膨大な歴史を消費しておきながら、未だに社会構造が『中世封建社会』の段階で足踏みしているのは、兵学の観点から見ても致命的に不自然だった。


 だが、完全に原始的かと言われれば、そうではない。

 この世界は、極めてアンバランスな『特異点的な発展』を遂げていた。


「魔道具という術式エネルギーを流用しているとはいえ、街の下水処理や排泄物の分解技術だけは、現代の地球の都市工学並みに洗練されている。それなのに、内燃機関の車は存在せず、移動の主力は相変わらず古典的な馬車や、調教された一部の魔物だなんてね……」


 なぜ、この星の技術はここまで歪に停滞しているのか。アステリアはその原因をいくつか分析していた。

 まず最大の要因は、召喚される人間の大半が『高校生』という、精神的にも知識的にも未成熟な子供たちであるという点だ。

 もし前世の地球から、高度な専門知識を持った老練な技術者、農学博士、あるいは兵器工廠の設計官といった大人のリソースを大量に召喚していれば、歴史は一瞬で近代化へ跳躍していただろう。しかし、国家の根幹を支える科学のバックボーンを持たない学生の知識では、せいぜい「下水の仕組み」や「概念としての娯楽」を口頭で伝えるのが限界だったのだ。


 ではなぜ、世界の管理・発展を目的とする精霊神を含む『三神』は、そうした高度な技術者を意図的に召喚しなかったのか。

 理由はおかしなことに、神々の『倫理観』にあった。彼女たちは結果(完成された高度文明)だけではなく、人類がそこに至るまでの「試行錯誤と挫折のプロセス」そのものを観測データとして重視していたのだ。

 苦悩の末に階段を一段ずつ登る成長の過程こそが神の目的であり、異界のチート技術で歴史をスキップすることは望んでいなかった。


 それにしても、現在の停滞速度は三神の計算を遥かに下回っていた。

 実際のところ、三神自身も「なぜここまで人類の腰が重いのか」と、天上界で頭を抱えて悩んでいるらしい。

 過去には歴史に劇的な刺激を与えるため、地球のファンタジー小説の構造を真似て、人類共通の絶対悪である『魔王』というシステムを神の手で『神造の絶対悪』として誕生させ、東西の生存競争を煽ったことすらあったという。だが結局、人類は団結するどころか内紛を激化させ、文明のインフラが物理的に崩壊するという最悪の逆効果を生んだため、三神は「あれは失敗だった」とその計画を破棄した。

 しかし、神の手によって一度世界へ解き放たれ、そして「放棄」された魔王のシステムは、神々の制御を離れた最悪の呪いの残骸として、今なおこの世界のどこかで蠢き続けている。それこそが、オーロリアがアステリアの圧倒的な武力と前世の知識に託した、真の「案件」の正体だった。


(神様というよりは、実験の加減を知らないポンコツね。……まあいいわ。その尻拭い、私が望む極上の『戦場』として、皿の底まで美味しく平らげてあげるだけよ)


 アステリアは内心で冷ややかな戦鬼の苦笑を漏らすと、冬の冷たい夜風に長い金髪をなびかせながら、静かにヴィステール領の別荘への家路へと足を向けた。

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