第8話 大量発生、殴り放題
馬に乗ったギルドマスターの隣を、少女が軽やかに走っていた。
「あなたも走れば良かったのに」
「そんなことしたら嬢ちゃんに置いていかれるだろ。まさか本当に駆ける馬に並走するとはな……」
ギルドマスターは苦笑しながら、並走する小さな影を横目に見た。身体強化の魔術を使っているとはいえ、五歳の子供がこの速度で未舗装の街道を駆けるなど、常識の枠組みに収まらない。しかも、呼吸一つ乱れていない。
「ひとまず、そこの村に馬を預けてから森に入る」
「わかったわ」
近くの村で馬を預け、村人からオークの被害状況を聞き取った。畑が荒らされ、家畜が攫われているという。二人はすぐに、鬱蒼と生い茂るアラス大森林へと足を踏み入れた。
「日に日に被害が増えているらしいな……」
「マイヤー領は冒険者不足だから、大変ね」
「ああ。だから本当は、俺が一人で間引きに来ようかと考えていた案件だ」
ギルドマスターは元Aランク冒険者だと聞いていた。名前はまだ知らないが、無駄のない足運びと、周囲の微細な音に反応する耳の動きを見るに、伊達に修羅場をくぐってはいない。頼りになる背中だった。
「良かったじゃない。私がいるから、これからはそういう苦労はしなくて済むわよ」
「それは嬢ちゃんが、口だけじゃねえってところをちゃんと示してくれたらの話だ」
「あなたも、もう気づいているのでしょう?私の力がただのハッタリではないことに」
背後から網膜を焼くように伝わってくる、濃密で強大な魔力の圧。そして、ここに来るまでに見せた異常な身体強化の練度。それらを見せられては、老練な冒険者の眼を欺くことなどできない。
「それでも、この目で直接確かめないとギルドの長としては登録できん。書類仕事ってのは堅苦しいもんでな」
「わかっているわ。職人の実技試験と同じね」
「念のため言っておくが、オークは単体でもCランク相当の魔物だ。それが五百体以上。おそらく群れを統率する上位個体も混じっている。トータルで見れば最低でもAランク……最悪、Sランクの一歩手前だ。もし嬢ちゃんが手を余すようなら、即座に俺が前に出る。いいな」
「ふふ、安心して。私の技術が遅れをとるような相手じゃないわ」
「まぁいい、嬢ちゃんがそこまで言うなら信じるがな」
(今日は好きなだけ暴れられる……。この小さな肉体で、どこまで前世の『理合』を再現できるか、試させてもらうわ)
アステリアの胸に、静かで冷徹な高揚が広がった。
森を歩くこと一時間ほどで、前方の茂みに三体のオークを発見した。腐肉と獣臭が混ざった特有の悪臭が鼻を突く。二人は物陰に隠れながら様子をうかがう。
「それじゃあ、お手並み拝見といこうか」
「サクッと片付けてくるわ。息を止めて見ていなさい」
アステリアは音もなく地面を蹴り、軽やかに駆け出した。
オークたちは、突如として視界に現れた白いワンピースの少女に気づき、戸惑いながらも黒ずんだ棍棒を振り上げる。しかしその瞬間、アステリアはすでに一番近い個体の内懐――反射神経が追いつかないデッドスペースに滑り込んでいた。
前世の拳法で培った、軸をブレさせない踏み込み。五歳の小さな拳を、オークの分厚い脂肪に包まれた腹部へそっと添える。
「――『破拳』」
打撃のインパクトと同時に、拳の一点に極限まで圧縮されていた魔力が、爆縮を経て一気に後方へと解き放たれる。
ズゥン、と鼓膜を震わせる重低音が響いた。オークの巨体が中から爆発したように、上半身が原型を留めず後方へと吹き飛ぶ。飛び散る肉片と骨の砕ける音が、静かな森に響き渡った。
残る二体が一瞬、目の前の光景を理解できず呆然とした隙を、戦場の武人が見逃すはずもない。アステリアは流れるように次の標的の顎下へ潜り込み、掌底を突き上げた。三十秒と経たぬうちに、三体のオークは物言わぬ肉塊へと変わった。
「もろいわね。ただ肉が厚いだけ」
血だまりの中に立つ少女の姿は、あまりにも異様だった。これだけの至近距離で肉体を破壊したにもかかわらず、彼女の白いワンピースには一滴の汚れも付着していない。
「おいおい……まさかステゴロかよ。てっきり魔法メインの遠距離型かと思っていたが、とんだ格闘家だな」
「魔法による遠距離攻撃もそこそこできるわよ。でも、私は自分の手足で間合いを支配する近接格闘が一番好きなの」
「……そうかい。で、あれだけ返り血が舞ったのに、どうしてその服は白いままなんだ?」
「魔力障壁を皮膚の一枚上に、極薄の膜として展開しているからよ。汚いじゃない。それにこの服、お気に入りだから汚れが目立っちゃうのよね」
防御用の魔力障壁を、雨合羽かエプロンのように汚れ防止に使う精密な魔力コントロール。ギルドマスターはただ、額を押さえて呆れるしかなかった。
会話の最中、再び前方に多数のオークの気配を感じた。距離は百メートルほど。木々の間から、ゾロゾロと醜悪な顔が覗く。
「ねえ、その腰に下げている剣を一本貸してくれる?短い方でいいわ」
「別に構わんが、扱えるのか?嬢ちゃんの腕より重いぞ」
「当然よ。刃物、打撃武器、あるいは紐一本に到るまで、武器と呼ばれるものは一通り扱えるわ」
ギルドマスターは苦笑しつつ、短剣を抜いて鞘ごと渡した。アステリアは重さを確かめるように引き抜き、鞘を返す。
「いい剣ね。手入れが行き届いている」
「何度も死線をくぐってきた相棒だからな。刃こぼれさせるなよ」
「善処するわ」
アステリアは再びオークの方を向いた。百メートル先に二体、さらにその奥に三体。
地面を蹴り、一瞬で距離を詰める。小さな肉体をコマのように回転させ、遠心力を刃に載せる。流れるような円運動の剣捌き。すれ違いざま、五体のオークの首が抵抗なく同時に宙を舞った。
「とんでもない剣裁きだ……。筋力じゃねえ、刃の角度と速度だけで骨の隙間を通り抜けやがった。動きがほとんど見えなかったぞ」
「ありがとう。剣もなかなか楽しかったわ。でも、やっぱり今の私の体には、少し重心が長すぎたみたい」
アステリアは剣の腹に付いた脂を指先で弾き、ギルドマスターに柄を向けて返すと、満足げに微笑んだ。
「そろそろ集落が近いはずだ」
「そうね。ここからは一気に駆け抜けるわ」
「じゃあ俺は後ろから観察に徹するよ。手出ししたら野暮って偏屈な職人を見ている気分だ」
アステリアは探知魔法で集落の位置を正確に把握し、迷うことなく前進した。
以降は基本的に殴り、蹴り、投げを中心とした近接格闘でオークを屠っていく。時折、オークが落とした粗末な鉄斧を奪って別の個体へ投擲し、脳天を叩き割る。魔法での遠距離攻撃を織り交ぜ、一体も逃がさず着実に数を減らしていった。
使用する魔法は、森で火災が起こらないように火や雷を避け、風魔法をメインにしている。周囲の状況を冷静に判断するのも、兵法の基本だ。
小さい手から放たれた風の渦は、不可視の刃となってオークたちを巻き込み、関節や首を無慈悲にねじ曲げて絶命させていく。
集落に近づくにつれオークの数が増え、ハイオークやオークジェネラルといった上位種も姿を見せ始めた。そして、集落の広場に到着した時点で、視界に入るだけで百体を超えていた。
さらに、中央にある洞窟内からも多数の魔力反応。ざっと二百体。その中で特に巨大な反応が二つ――内一つは、もう片方の倍以上の濃密な魔力量だった。
洞窟からぞろぞろとオークたちが溢れ出てくる。ここまでで既に二百体以上を倒している。残りを片付ければ、確かに五百体は優に超える規模だ。
集落に足を踏み入れた瞬間、数百のオークが一人の少女を取り囲んだ。絵面だけ見れば、肉の壁に圧殺される絶体絶命の状況だった。
「さあ――蹂躙の時間よ」
そこから戦いは、戦場ではなく屠殺場と化した。
アステリアは子供特有の小さな投影面積と、異常な身体強化による機動力を活かし、オークたちの泥臭い攻撃をミリ単位ですべて躱しながら、一撃一撃で確実に急所を破壊していく。束になって捕まえようとするオークたちですら、彼女の影を捉えることすらできなかった。
「グオオオオオ!」
オークジェネラルが雄叫びを上げて大剣を振りかぶり迫って来る。上位種になればなるほど、人間の冒険者から奪った上質な武器や防具を装備している。体格も一回り大きく、分厚い鉄の胸当てを身に纏っていた。
アステリアは、オークジェネラルが全力で振り下ろした大剣を、紙一枚の差でひらりと躱す。そして、すれ違い様にその強靭な手首の骨を掌打で砕き、大剣のコントロールを奪った。
絶命の恐怖がジェネラルの顔に浮かぶより早く、アステリアは奪った大剣をコマのように回転させて投擲する。
ドスドスドス、と一直線上に並んでいた複数のオークを串刺しにし、最後は集落の岩壁に深々と突き刺さった。
それから止まることなく、オークを始末していくことわずか五分。周囲を埋め尽くしていた肉の海は消え失せ、視界に残るオークはわずか十体となっていた。
その時、洞窟の奥から一際巨大な、地響きを伴う影が姿を現した。オークジェネラルよりもさらに一回り大きく、二本の大剣と、鈍い光を放つ重厚な防具を身に着けている。
「ジェネラルよりも圧倒的なオーラ……オークキングね」
オークキングは、単体でAランクの案件になるほどの強敵だ。人間の騎士団とも渡り合える戦闘能力を誇る。
「なるほど、良い面構えね。少しは骨があるかしら」
オークキングが地鳴りのような雄叫びと共に、二本の大剣を十文字に振り下ろす。
アステリアは魔力で強化された動体視力と思考速度で、迫り来る刃の軌道を見切った。大剣の「腹」の部分を素手で軽く叩いて僅かに軌道を逸らし、最小限の動きでブレードの隙間をすり抜ける。そして、重厚な防具に守られた腹部に、深く拳を叩き込んだ。
「――『破拳』」
ドォン!!
凄まじい衝撃波が走り、オークキングの巨体が地面を削りながら後方へ大きく吹き飛ぶ。しかし、さすがはキングの防具と肉体だ。上半身が霧散することなく、原型を保ったまま這いつくばった。
「やっぱり丈夫ね。装甲の上からでも衝撃を逃がさない工夫が必要か……よし、新技の実験体になってもらいましょう」
アステリアは一気に距離を詰め、再び拳を構えた。先ほどの一撃による内臓破壊のダメージのせいか、オークキングは迫りくる少女に対し、片膝をついたまま防御の姿勢を取ることすらできなかった。
「――『破拳・火竜』」
打撃と共に打ち出される圧縮した魔力。アステリアはその圧縮されたエネルギーの組成を一瞬にして火属性へと変換した。
拳から放たれた魔力は、爆発的な熱量を伴う炎の竜となってオークキングを丸ごと飲み込んだ。そのままさらに後方へと吹き飛び、洞窟の入り口近くの岩壁に激突する。激しい轟音と共に紅蓮の炎が立ち上がった。
肉の焦げる悪臭と共に、オークキングは完全に絶命した。
残った十体のオークを、アステリアは呼吸を整える手間で瞬時に始末し、小さく息をついた。
「後は、洞窟の奥にいる主だけね」
探知の網に引っかかる個体は、動く様子がない。動くつもりがないのか、そもそも構造的に動けないのか。
「おいおい、本当に終わりか……?」
後方から、信じられないものを見る目でギルドマスターが近づいてくる。
「まだ一体、奥にいるみたい。でも動く気配がないのよね。……さて、お片付けをしましょう」
アステリアは精霊の指輪を使い、オークの亡骸を次々と精霊界へと送り込んだ。戦場に死体を放置するのは衛生上も良くないし、何より資源の無駄だ。
(帰ったら解体してもらおう。良い小遣い稼ぎになるわ)
「おそらく奥にいるのはクイーンだな。……ところで、その空間に死体を吸い込むような出鱈目な魔道具は何だ? 最新のマジックバッグでも、そんな収納量はねえぞ」
「詳しいことは大人の事情で言えないけれど、魔道具に近いわね。簡単に言うと別の隔離空間に転送しているの。帰ったら解体所に出すから、不法投棄の心配はしないで」
便利なバッグ代わりである。ちなみにこのことは、精霊神オーロリアに事前に許可は取ってある。しかも送った死体は、時の精霊が時間を止めてくれるため腐敗することもない。至れり尽くせりだ。
「ところで、オークにクイーンがいるのね。生態系としては興味深いわ」
「ああ。オーククイーンは一つの大群れに基本一体だ。魔力と図体が異常にでかく、基本的に自力では動けない。つまり、単体での戦闘能力は皆無ってことだ」
「なるほどね。子を産み、群れの個体数を増やすことだけに特化した役割ってことね。――まるで、蜂みたいね」
「蜂……? まあ、そうだな。ただ、生まれる個体数が極端に少ないゆえに、採れる素材の価値はキングより高い。特に奴から採れる巨大な魔石は高額で取引されている」
「なら、急いで回収に行きましょう」
おっさん一人と少女が、光魔法で薄暗い洞窟内を照らしながら奥へと進んでいく。オークたちが拡張した複雑な迷路のような通路を、魔力探知を頼りに最深部まで到達する。
広い空間の奥に、圧倒的な肉の塊が鎮座していた。全身を硬い剛毛に覆われ、豚というよりは巨大な猪に近い姿。オーククイーンだ。
「確かに、あの肥大化した下半身じゃ動けそうにないわね」
オーククイーンは、目の前に二人の侵入者がいるにも関わらず、ただ怯えたように巨体を震わせるだけだった。
「できれば綺麗な状態で殺してくれ。外皮も内臓も素材としての価値が高いからな」
「んー、脳は必要な素材かしら?」
「いや、脳みそは壊しても査定に響かんぞ」
「わかったわ」
次の瞬間、アステリアの姿がブレて消えた。
視覚が追いついた時には、彼女はすでにオーククイーンの巨大な頭上へ跳躍していた。その小さな手の平を、額の分厚い皮膚にそっと押し当て、静かに呟いた。
「――『振撃』」
オーククイーンは一瞬、ビクッと全身を痙攣させ、そのまま泥のように力を失って地面に崩れ落ちた。外傷は一切ない。
「……おい、今度は何をしたんだ?触れただけに見えたが」
「圧縮した魔力を超高周期の波にして、頭骨を透過させて中に打ち込んだの。例えるなら、水が入った水槽を外から思いっきり叩いて、中の水だけを激しく揺らすイメージかしら。水が脳の例えよ」
「つまり、外側を傷つけずに、脳みそだけをシェイクしてぐちゃぐちゃにしたってことか……」
「その通りよ。分かりやすく言うなら『内部破壊』の技ね。素材を傷つけない、とてもエコな狩猟法でしょ?」
アステリアはクイーンの巨体も手際よく精霊界へ送り、満足げに微笑んで洞窟を後にした。




