第7話 新たな地にて
翌朝。
朝食を済ませたアステリアは、冒険者登録のため玄関へ向かった。
薄手の旅人用ローブを羽織り、フードを深く被る。遠目にはただの旅の子供にしか見えない。
「アステリアお嬢様。……そのお召し物で向かわれるのですか?」
背後から駆け寄ってきたリサが、アステリアの足元に広がる可憐なワンピースを見て言葉を詰めた。明らかに冒険者ギルド向きではない。
「大丈夫よ。目立たないようにこれを着て行くんだから」
「そういう問題では――」
「じゃあ行ってくるわね」
リサの言葉を最後まで聞かず、アステリアは別荘を後にした。背後で侍女が何か叫ぶ気配がしたが、意に介さない。森の中へと足を踏み入れる。
(今回は私一人の単独行動だもの。五歳児の登録なんて前代未聞の直接交渉に、同行者は少ない方がいい。リサには別荘の周囲に警戒網を張ってもらい、拠点の安全を確保しておいてもらうのが一番合理的だわ)
昨日のうちに実力で黙らせておいたおかげで、無理に引き止められることもない。アステリアは内心でほくそ笑みながら、森の境界線を越えた。
体内の魔力を下半身の経絡へと滑らかに収束させる。
――身体強化。
地面を蹴った瞬間、小さな身体が弾丸のように木々の間を駆け抜けた。
舗装された街道など使わない。目的地に向かって直線的に疾走する。倒木があれば軽やかに飛び越し、太い枝を蹴って立体的に移動する。風を切り裂く速度で、森の緑が真横へと流れていく。
(久しぶりの全力疾走……いい感じね。不自由な幼児の骨格にも、ようやく武の理が馴染んできたわ)
数多の修羅場で培った重心移動の技術と、幼い肉体に宿る尽きぬ魔力が掛け合わさり、驚異的な身体能力を生み出していた。
西方マイヤー領まで、このペースを維持すればおよそ二時間で到着できる計算だった。
やがて視界が急激に開け、マイヤー領の街並みが姿を現す。
アステリアはゲートの手前でトップスピードから一瞬で制動をかけた。靴裏が土を抉る感触が伝わり、体がわずかに沈む。何事もなかったかのように平然と歩き出す。
街中を歩きながら冒険者ギルドを目指す。道行く人の数は思ったより少なく、活気も控えめだ。強力な魔物が生息する区域が多く、昔から被害が絶えない土地として知られている。安全を求める一般市民の流出は止まっていないようだった。
(私にとっては都合の良い街だわ。絶好の猟場になりそうね)
街の雰囲気を眺めながら、静かに微笑む。やがて目的の建物が見えてきた。
――冒険者ギルド。
重厚な扉を開けて中に入ると、広々とした内部は予想通り閑散としていた。魔物の脅威度が高いため需要は無数にあるはずなのに、街の人口が少ないため設備も十分ではなく、王都から遠いこともあって高ランク冒険者たちの拠点としては不人気なのだ。
管理システム自体は近代的なビジネスライクな一元管理で整えられているものの、稼働している窓口は少ない。
アステリアは無駄のない足捌きで、一番手前のカウンターへ歩み寄った。
「こんにちは、お姉さん。今、ギルドマスターはいらっしゃるかしら?」
フードの奥から響いた、鈴を転がすような愛らしい幼女の声に、受付の女性は弾かれたように目を丸くした。
「あら……女の子?こんなところに来るなんて珍しいわね。ねえ、ギルドマスターに何のご用かしら?」
「ごめんなさい、訳ありなの。内容も名前も言えないわ」
周囲に他の冒険者の視線がないことを確認し、ローブを少しだけ開く。
受付嬢の視線が、衣服へと吸い寄せられた。一目で最高級のシルクと魔糸で織られていると分かる豪華な貴族令嬢用のワンピース、そしてお人形のように完璧に整った顔立ち。
明らかに高位の貴族子女だとわかる佇まいがそこにあった。
受付嬢はひゅっと息を呑み、「ただの迷子」という認識を即座に消し飛ばした。この近代的なギルドシステムにおいて、貴族の隠密案件や特権階級の事情に対応する訓練は受けている。彼女は瞬時にプロの表情を引き締めた。
「わ、わかりました。少々お待ちください」
慌てた様子で奥へ消えていった受付嬢は、数分後に戻ってきた。
「お待たせしました。ご案内します」
連れられて施設の奥へと進む。突き当たりの扉の前でノックをすると、中から低く太い声が返ってきた。扉を開けると、煙草の煙が微かに燻る執務室だった。
五十代半ばと思われる、いかつい体格の男が椅子に座っている。若い頃は前線で無数の魔物を屠ってきた高ランク冒険者だったのだろう。衣服の上からでも分かる鋼のような筋肉と鋭い眼光が今も残っている。
アステリアはローブを脱いで丁寧に畳み、対面のソファーに腰を下ろした。受付嬢が二人にお茶を用意し、静かに退室する。
いかついギルドマスターと、五歳の少女。奇妙な二人きりの空間ができた。
「それで嬢ちゃんの用件は何だ?」
「単刀直入に言うわ。私、冒険者登録をしに来たの」
「は?」
ギルドマスターは素っ頓狂な声を上げ、目を丸くした。
「おいおい、冗談はよしてくれ。それに嬢ちゃんは十歳じゃないだろ」
「ええ、五歳よ」
「五歳じゃ登録はできん。それに見た感じ、貴族のお嬢様だろ?バレたら面倒なことになるんじゃないか?」
「私は今、侍女と二人で暮らしているの。あなたが何も言わなければ問題ないわ」
「え……二人暮らし……?」
「貴族にもいろいろあるのよ」
ギルドマスターは額を押さえ、深い溜息をついた。
「侍女には反対されなかったのか?」
「ええ、反対されたわ。だから戦って、実力で黙らせたの」
その言葉に、ギルドマスターはさらに疑わしげな目を向けた。五歳の少女が大人を実力で黙らせるなど、到底信じがたい話だった。
「とにかく、私が求めているのは冒険者登録よ。年齢の件も、秘匿冒険者ならどうにかなるんじゃない?」
「……秘匿冒険者制度か」
ギルドマスターは鋭い目を細めた。本名や出身、年齢など個人情報を隠したまま登録できる、訳ありの人間向けの制度だ。
「確かに秘匿冒険者なら年齢の条件はない。だが別の条件がある。最低でもBランク程度の実力があることだ」
アステリアは小さく頷いた。冒険者ランクはFからA、そしてSへと続く。
(アルファベットによる等級分け……すごく地球みを感じるわね。前世の民間軍事会社の戦闘員評価のようで、私にとってはむしろ馴染み深いシステムだわ)
アステリアは静かに口を開いた。
「私たち生き物は、生存能力を高めるために恐怖という感情を持っているわ。その恐怖を、私たちは身近なものから感じることがある」
「魔力のことだな。特に熟練の魔術師や高ランクの魔物から放たれる魔力の圧は、半端じゃない」
アステリアは小さく相槌を打ち、達人の眼で男の呼吸の変化を捉えながら、静かに続けた。
「そう。強い相手の魔力に、私たちは本能的に恐怖を覚えるの。魔物の中には威圧を乗せてくるものもいるから、なおさらたちが悪いわ」
「ああ、魔物の威圧で動けなくなって死亡する新人が多いな。それでさっきの話とどう繋がってくる?」
そう言った瞬間――。
――ズ、ゥン。
部屋の空気が急激に重くなった。ギルドマスターの背筋を、冷たい汗が伝う。心臓を鷲掴みにされるような圧迫感。
「ぐっ……視認できる魔力……!?」
アステリアはゆっくりと魔力を収め、再び穏やかな表情に戻った。
「おいおい、なんて魔力だ……。しかも視認できるほど濃いとは……」
魔力の扱いに長けている人を除き、一般の人には魔力を視認することはできない。
だが、アステリアのように一般の人でも視認できるほどに魔力が濃くなる人が存在する。それは長年魔法を使い、極めてきた熟練の魔術師たちだけが到達する境地だ。
だからこそギルドマスターは困惑する。五年しか生きていない子供が、この域に達しているなど異常としか言いようがない。
ギルドマスターは額に浮かんだ汗を拭い、震える声で呟いた。
「……俺は頭がおかしくなったのか?」
アステリアの魔力圧から感じる、胸を締め付けられるような恐怖も含めて、頭がこの現実を受け入れることを拒んでいる。
「今のは現実よ。それより、何かちょうどいい依頼はないの?私の実力を見極めないといけないでしょう?」
「……言いたいことは山ほどあるが、まあいい。確かに魔力は凄まじかったが、実戦で使えなければ意味がないからな」
ギルドマスターは一度部屋を出て、資料を抱えて戻ってきた。
「ここから少し離れたアラス大森林に、オークの集団が確認されている。本来なら森の奥に留まっていることが多いんだが、最近は近くの村に現れる頻度が増えている。調査の結果、最低でも五百体はいるようだ」
資料をテーブルに広げながら説明を続ける。
オークは豚に似た頭部を持つ人型魔物で、体高は三メートル近く。並外れた膂力を持ち、まともに攻撃を受ければ一撃で戦闘不能に陥る。知能は低いが武器を使い、集落を形成する。
「オークの大量発生ね……。いいわね。行きましょう」
普段は生態系を乱さないよう、魔物の殺生は極力控えていた。しかし今回は大義名分が整っている。
(今日は誰の目も気にせず、好きなだけ殴れそうね。磨き上げてきた武術を叩き込む極上の盤面だわ)
アステリアの口元が、達人の歓喜によって微かに緩んだ。
「今から行くか?」
「ええ、すぐに行きましょう」
「わかった。馬車の準備をしてくる」
移動の準備を進めようとする男に対し、アステリアは淡く笑った。
「それは必要ないわ。走って行きましょう」
「……は?」
アステリアのその言葉に、ギルドマスターはしばらく固まった。




