第4話 精霊神
「眩しい……」
精霊界は、真昼の太陽を剥き出しのまま頭上に固定したようなまばゆさだった。
さっきまで深い夜闇に視界を浸していたせいか、網膜に突き刺さる光の粒子が痛いくらいだ。アステリアは思わず片手で顔を覆い、細められた睫毛の隙間で何度も瞬きを繰り返した。
「想像よりも……何もないのね」
白一色の視界に目が慣れてくると、辺りをゆっくり見回す。
宙をゆらゆら漂うのは、豆電球のように自ら淡い光を放つ下級精霊たち。足元に広がる芝生は果てしなく平坦で、地平線の彼方まで続いている。四方八方、完璧に均一な風景。点在する木々は葉の脈まで本物そっくりなのに、風に揺れる音すらどこか無機質で、生き物の気配が一切しない。その広大な空白の中で、唯一ひときわ冷たい存在感を放つ大理石の神殿を目指し、アステリアは小さな歩幅で進んだ。内装は、極限まで削ぎ落とされていた。
無駄な装飾も、神話を描いた壁画もない。ただ凍りついたような静謐だけが空間を満たしている。奥の白磁の玉座に腰掛ける女性の姿が視界に入った瞬間、アステリアは無意識に背筋を硬直させた。神秘的、という言葉では生ぬるい。
圧倒的な質量を持った美。精霊の神というより、すべての生殺与奪の権を握る冷酷な女王だった。
「来たな、転生者。私は精霊神オーロリアだ」
響いたのは、感情の起伏というフィルターをすべて削ぎ落とした、絶対零度の声。
「私はアステリア。よろしくね、神様」
あえて猫を被り、幼い声で愛想よく返す。オーロリアは眉一つ動かさず、小さく顎を引いただけだった。
「聞きたいことがあれば尋ねるがいい。答えられる範囲で、世界の理を開示しよう」
アステリアは一呼吸置いた。
「単刀直入に聞くわ。私をずっと観察していた理由。……『世界を壊す可能性があるから』って聞いたけれど、どういうこと?私はただの、ヒグマと刺し違えて死んだ老いぼれよ」
オーロリアは感情のない瞳を固定したまま、淡々と事実を並べた。
「私たちは、異界からの魂がこの地に引き込まれるたび、その存在が世界にもたらすリスクを測定している。特に召喚者は生きたまま肉体ごと連れてこられる。彼らには強力な固有能力が目覚めることが多く、悪意と結びつくと瞬時に大陸規模の死者を出す」
「転生者は違うの?」
「違う。転生者は肉体を新造され、特別な能力は授からない。ただ、稀に前世の記憶を完全に保持したまま生まれる個体がいる。君のようにね」
アステリアは首を小さく傾げた。
「記憶だけなら、無害でしょう?ただの『戦い方が上手いだけの子供』よ」
「最も危惧しているのは、戦技ではない。前世の『知識』だ」
オーロリアの声のトーンが、わずかに下がる。
「アステリア。君の故郷の言葉で言おう。――君は『核兵器』という概念を知っているか?」
「……!」
アステリアの身体が、一瞬だけ硬直した。
「知っているわ。前世の歴史と、記録映像で嫌というほど見た。人が創り出した、最も醜悪で凄まじい破壊の光よ」
「その通りだ。あの『質量をエネルギーへと変換し、空間ごと消滅させる知識』が、この世界の魔法技術と最悪の形で結びつけば、魔力の循環が狂い、星そのものが維持できなくなる。世界を滅ぼすのは強力な力ではない。異界の歪んだ知識だ」
アステリアは、肺の底に溜まった熱い息をゆっくり吐き出した。
前世――秋風廉次郎として義勇軍に身を置いていた頃、直接その光を見たわけではない。だが、焼け野原になった都市、黒い雨、皮膚を焼かれた人々の記録は、「超えてはならない一線」として脳裏に焼き付いていた。
「そんな不発弾みたいな知識を持ったやつが紛れ込んだら、確かに神様としては夜も眠れないわね」
「君の知識の引き出し方、そして何よりその人間性に問題はない。私たちはそう判断し、監視のレベルを下げた」
その言葉に、アステリアは内心の大部分で胸をなでおろした。だが、武人としての抜け目なさは忘れない。すかさず、自身の「利」になる質問を滑り込ませる。
「ねえ、私は銃の知識もあるの。火薬の配合から、内部の細かい機関の構造まで全部頭に入っているわ。……これを作って使うのは、神様の逆鱗に触れる?」
「その程度なら構わない。局所的な物理破壊兵器は、世界の理を揺るがさない」
「よかった……」
前世で使い慣れた得物をこちらの技術で再現できるなら、これほど心強いことはない。会話が一段落したところで、アステリアの胸に、ずっと燻っていた未練がましい疑問が頭をもたげた。
「……あっちの世界で死んだ人間って、みんな、こっちに転生してくる可能性はあるの?」
声が、わずかに震えた。
もしそうなら。もし、数年前に先立たれた妻の魂も、この世界のどこかで新しい生を受けているのだとしたら――。しかし、オーロリアの返答は無慈悲なほど冷たかった。
「召喚の歪みに巻き込まれて魂がこちらに流れてくることはあるが、すべてではない。転生者の数はかなり少ない」
「……そう、よね」
アステリアは小さく肩を落とした。だが、引きずらない。八十四年という歳月は、理不尽な別れを受け入れる諦念を十分に育てていた。すぐにいつもの不敵な表情を作り直し、話題を切り替えた。
「他にも聞きたいことは山ほどあるけど、今日はここまでにしておくわ。またここに来てもいい?」
「許可しよう」
アステリアは踵を返そうとして、ふと思いつき、悪戯っぽく微笑んだ。
「ねえ精霊神様、ついでに一つ、わがままな頼みを聞いて。この誰もいない精霊界に、私の『隠れ家』を建てさせてくれないかしら?現世で動きづらくなったときの避難所が欲しいの」
「そんなことか。構わない」
オーロリアは静かに立ち上がると、アステリアを神殿外の広大な平原へと促した。神が虚空を見つめ、細い指先を微かに動かした瞬間――大気が爆発的に鳴動した。光の粒子が急速に結晶化し、現世の屋敷を精密に半分サイズにした建物が瞬時に具現化していく。建材の質感から窓ガラスの厚みまで、完璧だ。
「手品どころか、手品師が失業するレベルね……!」
「この境界は現実の物質を複製・固定できる。不満はあるか?」
「大満足よ、ありがとう」
「それと、これを」
オーロリアから手渡されたのは、虹色に輝く美しい石が埋め込まれた、簡素な銀の指輪だった。
「それに君の魔力を通せば、いつでもここへの扉を開くことができる。ただし、私が許可した者しか通れない。他人を招く際は、事前に私に連絡を」
「了解。色々とわがままを聞いてくれて感謝するわ」
その時、オーロリアの無表情だった唇の端が、ほんのわずかに、氷が割れるように歪んだ。
「気にするな。アステリア。私は君に前払いで『恩』を売っておいただけだ。いずれ……君のその澱んだ戦技と知識を、どうしても使わねばならない案件が来る」
「……案件?」
アステリアの背筋に、針で刺されたような微かな悪寒が走る。
「数百年前、私たちが途中で破棄した計画の残骸がある。神の手出しを拒む呪いを帯びた、強大な何かだ。……その時は、働いてもらうぞ。アステリア」
その言葉を聞いた瞬間、アステリアの幼い身体の内で、恐怖ではなく――ドロリとした、抑えきれない高揚感が沸き立つのが分かった。
(なるほどね。神様たちのやらかしの後始末、か。しかも、神様でも手に負えない代物が眠ってる)
アステリアは指輪をはめた小さな手を強く握り締め、不敵に笑った。
「いいわよ、神様。その時が来たら、たっぷり私の戦技を叩き込んであげるわ」




