第2話 幼女に転生
「悔いはなかったんだがなぁ……」
そんなことを言いながら、窓から外を眺める金髪の幼女。
窓から見えるのは、中世の尖塔が並ぶ、日本とはまるでかけ離れた景色だった。ここは異世界だ。
(どうやら、俺は――私は生まれ変わったらしい)
アステリア・セラフィード。五歳。セラフィード侯爵家の長女。
前世の記憶は最初から完全にあったというわけではなく、体が成長すると同時に、霧が晴れるように少しずつ蘇ってきた。そして今では、すべての記憶が完全に蘇っている。
「転生かぁ……しかも女に生まれ変わるなんて……」
(まさかヒグマとの死闘の末に、こんなことになるなんて……)
そう物思いにふけっていると、重厚な扉の向こうから、丁寧なノックの音が聞こえた。
「お嬢様。レオハルト殿下がお見えになりました」
「わかったわ」
鈴を転がすような可憐な声で返事をすると、廉次郎ことアステリアは、内心でため息をつきながら、面倒くさそうに部屋を出た。
薔薇の咲き誇る庭園に用意された、優雅なお茶会の席。
アステリアはレオハルト殿下と向かい合い、穏やかな談笑を続けていた。
「今の時期はアステール高原にミモリア花が満開らしい。今度一緒に行ってみないか?」
「アステール高原のミモリアの花畑のことはよくお聞きしますが、まだ行ったことがありませんの。ぜひ行ってみたいわ」
(早く終わらないかしら……)
内心ではそんなことを思いながらも、完璧に令嬢を演じきる。ハリウッドの主演女優賞でもあげたいくらいの演技力だ。
将来確実にイケメンになるであろう、整った顔立ちの少年――レオハルト・ファルスティア、七歳。ファルスティア王国の第二王子である。
半年前に開かれた妹であるカーナ王女の五歳の誕生会で初めて顔を合わせて以来、どうやら一目惚れされたらしく、またたく間に婚約の打診があった。アステリアがそのことを知った時には、すでに大人たちの間で婚約は完了していた。
風に揺れる長い金髪に、お人形のような可憐な顔立ち。
(自分で言うのもなんだが、確かに容姿は整っている。一目惚れされるのも無理はない。だが、男と結婚するつもりなど毛頭ないわ)
いくら今の体が女でも、魂の根底にある前世の記憶は男のまま。その影響で、男に対して恋愛感情を抱くことはない。だからといって女性に恋愛感情を持つのかと問われれば、それも違う。前世では普通に女性を好いていたが、今世では小さな女性の体に引っ張られるように、女性に対してもいわゆる恋愛感情がなくなっていた。
おそらくアステリアは、今世では誰に対しても恋愛感情を抱くことはないだろう。
ふと、庭園の生垣の隙間に視線をずらすと、腹違いの妹ミリアナが、こちらを羨ましそうに覗いている姿が見えた。
あの様子からすると、レオハルト殿下に惚れているのは確実だ。
(正直、変われるものなら代わってやりたいわ……)
ミリアナもアステリアと同じ五歳だが、アステリアの方が数ヶ月早く生まれたため、姉ということになっている。
姉妹仲は時々廊下で言葉を交わす程度で、仲が良いというほどではない。向こうの反応も無関心に近いため、嫌われているというわけでもなさそうだ。
そもそもアステリアは、この広い屋敷に住む家族の誰とも、まともな関係を築けていない。
父親であるロイド・セラフィード侯爵とも、顔を合わせてもあまり言葉を交わさない。向こうの目にあるのは娘への情ではなく、冷淡な無関心という印象が強い。
義母であるディアナ・セラフィードも、当然ながら言葉を交わすことはほとんどないが、こちらはすれ違いざまに、かなり敵意的な目で見てくることが多い。ただし、今のところ直接何か嫌がらせをしてくることはない。
まあ、それはアステリアがなるべく彼らの視界に入らないよう、徹底して立ち回っているからだ。
食事すらすべて自室に運ばせて摂っているおかげで、一週間まったく家族と顔を合わせないことなど、この屋敷ではざらにある。
ちなみにアステリアの実母は、物心がつく頃にはすでに屋敷にいなかった。亡くなったのか、それとも家を出て行ったのか、真相は全くわからない。だからといって、父親にわざわざ聞くつもりもない。
アステリアへの普段の対応を見る限り、そんな面倒な質問をすれば、不機嫌になるのは目に見えているからだ。
王子との望まぬ婚約。そして、この屋敷の家族とのぎくしゃくした冷え切った関係。
すべてを総合して考えれば、導き出される答えは一つだった。どうにかして、遠からずこの家を出るべきだろう。
だが、無計画な出奔はただの自殺志願だ。泥を啜ってでも生き抜くためには、外の世界の情報と、何者にも脅かされない確固たる力が必要だ。
(まずはこの世界の常識を把握して、魔力と戦闘技術を磨く……。その上で、自由を手に入れる)
完璧な令嬢の微笑みの裏で、アステリアは静かに、かつての戦鬼の眼差しで未来を見据えていた。




