第19話 婚約逃亡の自演劇
永夜の黒蛇の騒動から五年が経った。
アステリアは十歳になり、ロンコリ伯爵との正式な婚約を行う時が来てしまった。
あれ以来一度も実家には帰っておらず、ヴィステール領の別荘と精霊界の拠点を往復する生活を送っていた。
そして今日は、ロンコリ伯爵との正式な婚約を行う日だ。直接伯爵の屋敷に向かい、そのままそこで過ごすことになっている。
婚姻を結んでいないのに婚約だけで同居する事例は少ないが、法律上は問題ない。ロンコリ伯爵が「早く一緒に暮らしたい」と強く望んだ結果だろう。その下心は丸見えだった。
十歳になったアステリアは、五歳の頃より成長していた。当時は体が小さくて扱いづらかった武器も、今ではかなり扱いやすくなっている。
とはいえ、まだ十歳の女の子であることに変わりはない。しかしアステリアは、この小さな体のままの方が今後都合が良いと考え、身体強化魔法の応用で成長を大幅に遅らせていた。
身体強化はプラスに働くが、逆に「身体弱化」はできないか試行錯誤した結果、可能であることが分かった。そしてその弱化作用を成長に用いたところ、体の成長を大幅に遅らせることに成功した。
成長が遅れているという判断は、あくまで自身の体感によるやや曖昧なものだったが、時間が経てば明確になるだろう。赤ちゃんに戻るような極端な効果はなく、「遅らせる」程度が限界だった。
体の成長を自在に操れるのなら、それはそれで役に立ちそうだったが、できないのなら仕方ない。
このままのペースだと、二十歳の体になるまでに二百年近くかかる計算になる。
「お嬢様、馬車が参りました」
「わかったわ」
リサの知らせを受け、アステリアは馬車に乗り込んだ。
ロンコリ伯爵の屋敷までは二百キロメートルほど離れているが、シルバーレイヴという速度特化の馬が引く馬車のため、約一時間で到着する予定だ。護衛の騎士五名と御者一名が付き添う。
リサは同行せず、このままセラフィード家の屋敷に戻り、辞表を出す手筈になっていた。
出発から三十分ほど経過した頃——
快晴で視界の良い道だったが、突然辺り一面が深い霧に包まれた。
「なんだ、この霧は? これでは前が見えん」
「周囲を警戒しろ!自然発生ではない。魔物か人間の仕業の可能性がある」
馬車は緊急停止し、護衛たちは即座に周囲を警戒した。
すると、霧の向こうから盗賊らしき集団が現れ、襲いかかってきた。
「馬車に乗ってる子供を連れていけ!」
護衛たちは応戦するが、彼らの攻撃はことごとく盗賊をすり抜け、当たらない。
「くそっ!攻撃が当たらん!何かの魔法か、固有能力か……!」
「幻影なのか、それとも攻撃を透かす能力なのか判断がつかん!」
護衛たちが混乱している隙に、馬車の扉が開き、アステリアが担がれていることに気づく。
「助けて!」
アステリアは絶望した表情で手足をバタつかせ、助けを求めた。
「アステリア様!——皆、アステリア様の救出を優先だ!周りの盗賊はおそらく幻影だ!攻撃が当たらなければ、向こうも攻撃を当ててこない。無視して、担いでいる奴だけを狙え!」
アステリアを担いでいるということは実体がある証拠だと判断し、護衛たちは標的を絞ろうとした。
その瞬間——
護衛たち全員の意識が途切れた。御者も既に眠らされていた。
アステリアはそのまま連れ去られ、霧が晴れた頃には、もうその場にはいなかった。
「今のところ順調ね」
精霊界の拠点で紅茶を飲みながら、アステリアは小さく息をついた。
今回の誘拐事件の真相は、全てアステリアの自作自演だった。霧も、盗賊の幻影も、アステリアを担いでいた者も、すべて彼女に協力する精霊たちの仕業である。
「あの護衛たちは目が覚めたら、私が連れ去られたことを報告してくれるはずだわ」
報告がセラフィード家に届くまでには少し時間がある。その間にリサが辞表を出して合流できる、絶好のタイミングだった。
「後は、しばらく大人しくしていればいいわね」
ロンコリ伯爵との婚約が目前だったため、当然大規模な捜索が行われるだろう。その間は目立った行動を控える必要がある。
この報告を聞いた時の、セラフィード家の焦った顔が見られないのは少し残念だった。




