第14話 情報収集①
ガルドリザードの巨躯を精霊界へ格納し、冒険者ギルドでの事務的な報告を済ませた後。
アステリアは、夜闇が支配するマイヤーの街を歩いていた。
大衆酒場で悪徒を「釣り」上げて以来、ほぼ毎夜、裏路地を徘徊しては人間の害獣を間引いてきた。その甲斐あって、街の治安は目に見えて改善しつつある――ギルドマスターのローナンも、驚きを隠せずにそう口にしていた。
肌を刺す夜の空気が、明らかに変わっている。
狩られる側が異常な気配を察知し、夜間に外へ出る輩が激減していた。
標的が網にかからぬなら、戦術を次の段階へ移すまでだ。
「少々、猟場で暴れすぎて警戒させてしまったみたいね。小魚を釣るフェーズは終わり。そろそろ、彼らの巣窟そのものを直接叩き潰すのが合理的だわ」
ファルスティア王国。表向きは法と秩序が機能している比較的穏やかな国家だが、光が強ければ影も深い。この最果てのマイヤーに根を張る巨大な犯罪組織――『永夜の黒蛇』。暗殺請負と、王国が厳禁する不法な奴隷売買を主業としている。これまで路地裏で骨を折ってきた悪い大人たちの九割が、この組織の構成員だった。
人間を「商品」として扱う。前世の泥沼の紛争地帯でも、最も忌むべき行為の一つだ。他国に比べて奴隷の取引値が高騰しやすいこの国の歪んだ市場を、奴らは冷徹に貪っている。
「まずは、正確な情報収集からね」
『永夜の黒蛇』は全土にネットワークを持つが、ここマイヤーの拠点はその中核の一つだという。だが、具体的な座標までは、下っ端の頭をいくら物理的に小突いても出てこなかった。
そこでアステリアは、構成員の生き残りから絞り出した僅かな糸口を頼りに、とある店へ狙いを定めた。
街の死角にひっそりと佇む、組織が隠れ蓑にしている闇酒場。歓楽街の最果てにあるその店は、一般の市民が近づかぬよう人通りが完全に途絶えている。出入りするのは、衣服の下に凶器を隠した強面の男たちと、夜の蝶を気取る妖艶な女たちばかりだ。
アステリアは何の躊躇いもなく、重厚な木扉を押し開けて店内へ足を踏み入れた。
広々としたフロアには、タバコと安酒の匂いがどんよりと停滞している。いくつかのボックス席では、品性の欠片もない男たちが、露出度の高い女性たちに高価な酒を注がせて鼻の下を伸ばしていた。前世の地球でいうところの「キャバクラ」そのものの、退屈な光景だ。
「いらっしゃいませ……って、あら?子供じゃない。誰かの連れ子かしら」
出迎えた女性スタッフは、あまりに不釣り合いな侵入者に目を丸くした。だが都合の良いことに、この悪徳の巣窟に怯えもせず入ってきたことから、裏社会の誰かの身内だと誤認したらしい。
ならば、その戦術的誤認をそのまま利用させてもらうまでだ。
「えっと……カイゼルおじちゃん、いるかしら?」
アステリアは小首を傾げ、実年齢と同じ五歳の幼児が見せる無垢な仕草を完璧にトレースして尋ねた。
「カイゼルさんね。ちょっとここで待ってて」
不審に思いつつも、少女が纏う最高級のシルクドレスの格式に気圧されたのか、女性スタッフは慌てて店の奥へと消えていった。
店の最深部にある、防音施策の施された個室。
豪奢な革椅子に深く腰掛け、紫煙を燻らせる男がいた。『永夜の黒蛇』の幹部であり、このマイヤーの闇を統括する支配人――カイゼルである。
「カイゼル様。今、よろしいでしょうか?」
「ああ、何だ」
「それが……五歳くらいの女の子が、カイゼル様を訪ねて受付に立ち尽くしているのですが、どういたしますか?」
「……ガキだと?」
カイゼルは眉を潜め、葉巻を灰皿へと押し付けた。
彼には親兄弟もおらず、血縁の子供など存在するはずがなかった。過去に始末した、あるいは取引した同業者の身内を脳内で検索するが、どれも年齢が合致しない。
(まあいい。知らぬガキならそのまま地下の牢へ放り込み、上等な商品として仕立て直して売ればいいだけだ)
冷酷な商人としての不気味な笑みを浮かべ、カイゼルは椅子から立ち上がった。
フロアの隅でポツンと佇むアステリアの周囲では、裏社会の連中が奇異なものを見る視線を投げかけていた。だが、少女の戦鬼の魂は、彼らの殺気ともつかぬ視線など路傍の石ほどにも気に留めず、静かに目的の首魁を待っていた。
やがて、奥の通路から一際仕立ての良い衣服を纏った、ボスの風格を漂わせる男が真っ直ぐに歩み寄ってくる。
『永夜の黒蛇』の幹部、カイゼル。その魔力の波長を捉え、アステリアは密かに狙いを定めていた。
「お前か、俺に用があるというガキは。……ふん、やはり見覚えのない顔だな。おい、お前どこで俺の名を拾った?」
高圧的な態度でアステリアを見下ろすカイゼル。その瞬間、少女の瞳から「幼児の仮面」が完全に剥ぎ取られた。冷徹な老兵の眼差しが、男の視線を真っ直ぐに射抜く。
「永夜の黒蛇の幹部、カイゼルね。単刀直入に尋ねるわ。このマイヤーにある、あなたたちの『本拠点』の座標を教えてもらえるかしら?」
鈴を転がすような愛らしい声でありながら、一切の抑揚がない、冷たい刃のようなトーン。
「ああん……?なぜガキがそんなことを知りたがる。そもそも、誰からその名前を――」
あまりの不遜さに不機嫌さを前面に押し出し、カイゼルがアステリアの胸ぐらを掴もうとした。だが、アステリアは微動だにせず、ただ氷のような瞳で男を見つめ返す。
「あなたは私の問いに対して、ただ正確な事実だけを出せばいいのよ。もう一度言うわ。拠点はどこ?」
「はあ……。このクソガキ、自分が置かれている状況が分かっていないようだな。おい、お前ら。この生意気な玩具を地下へ連れて行け」
カイゼルの冷淡な命令に応じ、近くにいた部下の男が二人、にやけ面を浮かべて歩み寄ってきた。相手がただの気の強い子供だと侮りきっているため、大勢で取り囲むような警戒は微塵もない。
「よーし、お嬢ちゃん。騒ぐんじゃねえぞ」
一人の男がアステリアの細い肩に触れようとした、その刹那。
世界の時間軸が緩慢に引き伸ばされた。
アステリアの肉体から『脱力』の理合が爆発的に解放される。隠密の踏み込みから、男の顎下へと音もなく滑り込み、手のひらを添える。無駄な破壊音すら立てず、首の頸動脈と迷走神経へピンポイントに寸頸の衝撃を透過させた。
ぷつりと電源が切れたかのように、大男が白目を剥いて泥のように地面へ崩れ落ちる。
「おいおい、何やってんだお前? 急に体調でも悪くしたのか?」
もう一人の男は、仲間がなぜ一瞬で意識を失ったのか、至近距離にいながら物理的に理解できていなかった。不可解な現象に戸惑いながら仲間に近づこうとした瞬間、アステリアの短い脚がその膝裏の神経叢を的確に刈り取る。同時に、首元への軽微な打突。先ほどの男と全く同じ軌道で、二人目の巨躯が重々しい音を立てて床へと沈んだ。
一歩も動かぬまま、二人の大人の意識を完璧に刈り取った少女。アステリアは何事もなかったかのように平然と歩みを進め、驚愕に凍りつくカイゼルとの間合いを詰める。
「おい……お前、一体何者だ……!?」
何が起きたのかは分からない。だが、目の前の幼児が放つ圧倒的な「不気味さ」が、百戦錬磨の悪党であるカイゼルの生存本能を激しく刺激していた。
(何をどうやったのかは知らねえが、二人を一瞬で沈めたのはこのガキだ。俺の直感がそう叫んでやがる!)
「もう一度だけ尋ねるわね。拠点の場所を、教えてくれる?」
「おい!お前ら全員だ!この化け物を捕らえろ!多少手荒くいっても構わん、生きてさえいれば商品になる!」
カイゼルの悲鳴に近い怒号が店内に響き渡る。
フロアにいた四十人近い『永夜の黒蛇』の構成員たちが一斉に武器を抜き、五歳の少女を取り囲んだ。荒事が始まるのを察した売春婦たちは、悲鳴を押し殺しながら店の隅へと逃げ惑う。
肉の壁に包囲された瞬間、アステリアの身体がブレて消えた。
身体強化の魔術をミリ単位で絞り込み、大男たちの下段の死角を滑るように駆け抜ける。肉眼の捕捉速度を遥かに超えたアジリティで、アステリアは一瞬にしてカイゼルの懐へと潜り込んでいた。
「なっ――」
カイゼルが腰の剣に手をかけるより早く、アステリアの小さな拳がその腹部へと正確に突き刺さる。魔力圧縮は使わず、純粋な身体強化による勁力のみを浸透させた一撃。
ドッ、という重苦しい肉撃音とともに、カイゼルの巨体はくの字に折れ曲がり、後方の酒棚へと凄まじい音を立てて突っ込んだ。割れた高級酒のボトルとガラスの破片を浴びながら、幹部は一瞬で意識を刈り取られて沈黙する。
「しばらく寝ていなさい。大切な情報源なのだから、後でじっくりとお話相手になってもらわなければ困るわ」
逃走の可能性を先んじて摘むための、兵法に則った冷徹な無力化。
そして――残された有象無象どもに、生かす価値など分子一個分もありはしない。
「さあ……狩りの時間よ」
アステリアの可憐な唇の端が、狂おしい達人の笑みへと歪む。
蹂躙が始まった。
アステリアは魔力の出力を最低限に制御したまま、フロアを縦横無尽に駆けた。敵の手首を極め、奪った短剣で喉元を正確に裂き、あるいは投げナイフを脳天へと直撃させる。
「やっぱり、言葉の通じない魔物よりも、意思を持った人間との殺し合いの方が、遥かに心地よいわね」
四十人もの裏社会の戦闘員たちは、悲鳴を上げる暇すら与えられず、ものの数分で物言わぬ肉塊へと変えられていった。
店内は見事に破壊し尽くされ、手加減のおかげで原型を保ったままの凄惨な死体が、あちこちに不規則に散らばっている。
「裏社会の幹部の直属と言っても、この程度なのね。前世の戦場に比べれば、死の緊迫感が致命的に足りないわ」
血の海と化したフロアの中心で、アステリアは静かに衣服の埃を払う。
凄惨極まる鉄錆の嵐が止んだフロアの中心。そこに佇む十歳の少女は、驚くべきことに、その白いワンピースの裾に一条の煤すら吸っていなかった。飛び散る返り血のすべてが、彼女の肌を覆う見えない防護膜に阻まれて床へ滑り落ちていく。
その穢れなき可憐さと、周囲の肉塊との圧倒的なコントラストが、生き残った女性たちの原初的な恐怖をさらに煽っていた。




