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星崩しのアステリア  作者: 狐坂蒼
第一章 準備と決意

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第11話 釣り

 今日の依頼も滞りなく済ませ、境界の空はすっかり夕暮れの茜に染まっていた。

 相変わらず陽の当たる表舞台には人の少ないマイヤーの冒険者ギルド。その隅に、深くローブを被って気配を消した一人の少女が音もなく現れ、受付の木机に鉄灰色の金属板――秘匿ギルドカードを提示する。


「アステリア様。……奥へどうぞ」


 受付嬢は周囲の冒険者たちに鋭い視線を走らせながら、声を潜めて促した。案内に従い、私はいつものようにギルドマスターの執務室へと向かう。






「固有の力を宿した個体――『ナガトゥール』の討伐を完了したわ」


 ナガトゥール。原生林に潜む巨大な大蛇。骨を溶かす毒牙、大剣のごとき尻尾。巨体とは思えぬ速度で泥土を這い、巨木を足場に立体機動を取る。初歩の魔法まで使う厄介な害獣だ。通常ならA級。今回の個体は固有能力を宿していたため、実質S級の脅威だった。魔物で固有を持つのは稀で、外皮や骨には解体所で莫大な値がつく。


 部屋に入るや否や、革張りのソファーに深く腰を下ろす。複数回の依頼報告と成果を重ねて以来、ローナンとは言葉少ない戦術的な信頼が構築されつつある。五歳という歪な外見が表で波紋を広げぬよう、直接報告する防諜措置だ。他の冒険者からは、職員が囲う迷い子程度にしか見えていないはずだ。


「肝心のナガトゥールは解体所か?」


「ええ。素材はすべて裏の搬入口へ直接『格納』しておいたわ。確認しなさい」


「……相変わらず出鱈目な容量だな。古代遺跡の国宝級か?まあいい、確認でき次第渡す」


 精霊界の境界を繋ぎ、時の精霊に空間を固定させて保管していることなど、この男は知る由もない。外部には規格外の収納魔道具と見せかけている。手の内は晒さない。


 マイヤー領は高ランク依頼が溢れるのに、処理できる熟練が致命的に足りない。ローナンが単身で穴埋めしていた不条理は、アステリアが介入してから確実に薄れつつある。今日は一件のみだが、進路を選べば一日五件も不可能ではない。






 国庫補填分も含めた分厚い金貨の袋を受け取り、裏口から出る。夜の帳が街を包み込んでいた。胃の腑が心地よい空腹を訴える。巡察ルートで目をつけた酒場へ足を向ける。酒だけでなく滋養に優れた食事が豊富で、戦士たちの足が集まる大衆酒場だ。


 ローブを脱ぎ、セラフィードの別荘から持ち出した上質な令嬢服をあえて晒す。無頼漢が泥水を啜る盛り場で、可憐な絹は狂ったように浮き上がる。血と汗の臭い、明らかに足元の燻んだ裏社会の徒党。付き添いなしの五歳は、飢えた獣の前の極上の獲物に見えたに違いない。ぎらついた視線が背中に突き刺さる。


「ねえ、大将。そこ、腰を下ろしてもいいかしら」


 不自然に空いたカウンターを指さし、巨大な鉄鍋を振るう店主に声をかける。


「ああん?……おいおい嬢ちゃん。ここはガキが一人で紛れ込んでいい場所じゃねえ。親のところに帰りな」


「代金の不払いを懸念しているなら、先払いで結構よ」


 警告を聞き流し、丸椅子に座ると懐から銀貨を叩きつけた。


「そういう話じゃねえ。まともな親なら、こんな危ねえところに子供を一人で放置しねえだろ」


「炒飯と、唐揚げをお願いするわ。あ、飲み物は冷水で」


 品書きを一瞥し、澱みなく注文する。五歳の肉体に堂々たる風格で支配してくる少女に、店主は数秒硬直した。


「……チッ、わかったよ。食ったらすぐ帰りなよ」


 観念した主人が焔へ向き直る。この世界の食文化は、前世の地球とほぼ同等の歩留まりを見せる。召喚者たちがもたらした残滓だろう。再現性は高い。


 十五分ほどで品が運ばれる。


「炒飯と唐揚げだ。それとお釣り。……本当に水だけでいいんだな?」


「ええ、十分よ。ありがとう」


 木製の匙で黄金色の米を口に運ぶ。文句なしに美味しい。米一粒一粒に均等に熱が通り、完璧な香ばしさだ。硝煙の紛争地で戦友と貪った糧食と、日曜日に孫たちと囲んだ食卓の味が、同時に舌に蘇る。侯爵家の格式張った料理より、こちらの方が今の私には肌に馴染む。


「ごちそうさま。文句なしに美味しかったわ」


「おう。……夜道は野良犬より性質の悪い奴らがうろついてる。気をつけろよ」


 背後に立ち込める粘ついた殺気を感じ取りながら、席を立つ。


 最近の子供は、大自然の怪物よりよほど肝が据わっている――そう呟く職人の声が聞こえた。


「――完璧な足取りね」


 常夜の街灯すら届かない裏街道を滑るように歩く。感覚を研ぎ澄ませば、二十歩後方のデッドスペースに、足音を殺しきれていない三人の肉体反応がロックオンされていた。浅ましい気配に、唇の端が冷徹な武人の笑みを刻む。酒場で敢えて『最高値の雛鳥』を演じた戦術級の餌が、想定通り機能した。


 尾行に気づいていない素振りでのんびり進む。角を曲がる直前、「今になって背後の異常に気づき、恐怖に突き動かされた」大根芝居を打つ。わざとハッと振り返り、顔を強張らせて足運びを乱し、必死に逃げ惑う哀れな子供を演じながら、街灯の死角となる行き止まりの路地裏へ滑り込む。三人は獲物が罠にかかったと誤認し、色めき立って駆け込んでくる。


「お嬢ちゃん。残念だが、もう逃げ道はないようだぜ」


 冷たい大理石の壁を見つめたまま立ち尽くすアステリアに、抜き足で間合いを詰めてきた三人。法も秩序もない最果てで暴利を貪る、悪徳な人身売買組織特有の、粘つく悪意が満ちていた。


「私を捕らえて、どうするつもり?」


「君のように血統の良さそうな極上の素材はね、そういうのを欲しがる物好きな奴らに売るんだよ。だから大人しくついてきな」


 大男が細い肩を力ずくで組み伏せようと手を伸ばした刹那。

 私の身体から『脱力』の理合が爆発的に解放された。

 瞬時に転回。前世の古流で叩き込んだ重心移動の勁力を、五歳の小さな拳に乗せ、男の腹部正中線へ正確に突き刺す。


 大掛かりな魔術など介さぬ、最低限の身体強化だけの純粋な打突。

 しかし地面からの反動を完璧に伝達した一撃は、常人の肉体にとって過分な質量を持っていた。男の巨体は腹部を抉られたようにくの字に折れ、数メートル後方の煉瓦壁へ激しく吹き飛んで激突する。肺の空気をすべて吐き出し、白目を剥いて泥のように崩れ落ちた。

 前世の戦場で幾度となく経験した『無力化』の手加減だ。即死はさせていないが、当分は立ち上がれない。


 この国で人道から外れた誘拐犯の地位は害獣以下。屠り去っても、王都の騎士団が最果ての泥水を捜査しにくる手間などあり得ない。


 残された二人は、物理法則を無視した一撃に脳の演算が停止していた。目を見開き、呼吸を忘れて硬直する。


「あなたたちは、無防備な雛鳥を網にかけたと思っていたのかもしれないけれど。優位に立っていたのは、最初から私の方よ」


「な、なんなんだよ……お前は……!」


 血だまりで泡を吹く仲間を見下ろし、男が悲鳴に近い怒声を張り上げる。


「あなたたち犯罪者は、害獣と同じよ。痛いのが嫌なら、頑張って抵抗しなさい」


 泥臭い突撃など、数多の戦場を潜り抜けた老兵の眼から見れば、軌道の見え透いた素人の足掻きに過ぎない。

 呼吸を一つ消費する間に、二人の肉体は地面へ正確に組み伏せられた。意識を失った三人を見下ろし、二度と悪さができぬよう、武術の理合に沿って手首と膝の関節を冷徹に無力化していく。鈍い音が路地に沈む。


「これで少しは、この街の治安が良くなるわね」


 異臭を放つ泥水が跳ねるよりも早く、足元に展開した不可視の境界線がそれを冷徹に弾き落とす。アステリアは軽く身なりを整えると、夜風に金髪をなびかせながら、静かに闇へと消えていった。


「まさか、最初の一投でこれほど効率よく『害獣』が釣れるとは思わなかったわ。これは今後も楽しみね」


 この不自由な幼女の肉体は、裏世界の悪徒を引き寄せるこれ以上ない極上の『防犯戦術の囮』として機能する。自分を餌にすれば、罪悪感なく治安を乱す輩を排除できる。昼はギルドで正当に稼ぎ、夜は自ら手足で空白を埋める。前世の義勇兵時代、理不尽に踏みにじられる人々を見た秋風廉次郎の魂が、この新世界で冷徹な『番人』の役割を選ばせていた。


 街を守り、かつ新たな肉体での対人経験を実戦で積む。これほど合理的で一石二鳥な防衛計画はない。

 私はフードの奥で冷徹な悦楽の笑みを密かにこぼすと、夜風に金髪をなびかせながら、精霊界の絶対安全な拠点への帰路へと足を向けた。

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