第6話「百年祭の前夜は、誰かが泣いている」
百年祭の前夜、村全体が低く緊張していた。
参道に提灯が並び、夕刻から村人たちが少しずつ境内へ集まり始めた。四十人に満たない集落なのに、全員が何かを準備している。縁はその外側にいて、それを見ていた。
(何かが起きる前夜に見える)
直感ではなく、場の空気がそう言っていた。
奥村正子の家は集落の一番奥にあった。
縁が用があったわけではない。ただ帰り道に灯りが見えて、足が止まった。人の気配がするのに、出入りがない。内側から、声が聞こえた。
泣き声だった。
年老いた泣き声は、若い人のものと質が違う。音として出るのではなく、全身の震えが声になるような——縁はその前に立ったまま、しばらく動けなかった。
やがて声が収まった。引き戸が開き、小柄な老女が現れた。
縁を見た。その顔が、一瞬だけ固まった。
「……また来たね」
縁は面食らった。初対面のはずだった。「え?」
正子は縁の顔を、何かを確認するように見た。目が細くなる。「いや——」それだけ言って、視線を縁の後ろの暗闇に向けた。
「奥村正子さんですか。宮乃木といいます。ライターで」
正子はしばらく黙っていた。縁の顔でも、名前でもなく、何かを聞いているような間だった。
「百年前にしたこと——」
声が途切れた。独り言と縁への言葉の、どちらとも判断できない声量だった。
「罰が、来る」
それだけ言って、引き戸を閉めた。
縁は暗い路地に立ったまま、その言葉を繰り返した。「また来たね」——誰だと思われたのか。誰が来たと思ったのか。
宿に戻ったのは22時すぎだった。
廊下を歩いていると、高原の部屋の前で音がした。扉の向こうから、物を動かすような気配。深夜の廊下で、部屋の中にいる人間がわざわざ物音を立てるような種類の音だった。
縁は立ち止まった。
ドアを叩けばよかった。何かが押していた——今確認すれば、何かが見える。ほんの数秒、数歩のことだった。
(また余計な勘ぐりをする)
自分の判断ではなかった。体が先に動いて、廊下を歩き続けていた。自分の部屋に入り、鍵をかけた。
翌朝、高原の部屋の前を通ると扉が開いていた。中に人はいない。棚に積まれていたフィールドノートの数が、昨日より明らかに減っている。
縁は廊下に立ったまま、昨夜の音を思い返した。
あのとき叩いていれば、見えたものがあった。
取材メモを開き、行の端に書いた。
「また止めてしまった」
数日前に書いた「また直感に従ってしまった」という文字のすぐ下に、今度は逆のことを書いていた。縁はその二行を見た。どちらが間違いなのか、まだわからなかった。
深夜の数え声を聞いたのは、その夜だった。
宿の窓の外、遠くから——低く、単調で、何かを数えるような音。風の音かもしれなかった。ただ、風にしては間が均等すぎた。縁は窓に近づき、外を見た。
暗い。何も見えない。
声は一度止まり、また始まった。
一つ。 二つ。 三つ——。
縁は身を乗り出した。方向を特定しようとした。南か。神社の方か。闇が深すぎてわからない。四つ目を待った。来ない。
静寂。
それからまた、始まった。今度は少し——近かった。
縁は咄嗟に窓を閉めた。鍵をかけてから、自分がそうしたことに気づいた。




