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土地神殺し ―比奈木村の百年祭―  作者: 霧原 澪


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第3話「棟札の神様は、いつ替わったのか」

「比奈木大神」——その名前を縁はまず検索した。


ヒットしない。

愛媛の神社データベースにも、民俗学の文献索引にも、その名は出てこなかった。

大山積命は伊予の守護神として広く信仰される著名な神だが、比奈木大神という名は記録に存在しないも同然だった。


存在しない神の名前を、誰かが百年前に塗りつぶした。


縁は宿の机に棟札の写真を拡大表示し、ノートに書き写した三文字を見た。

「比奈木大……」。続く一文字か二文字が読めない。「命」か。「神」か。あるいは全く別の字か。

村の公民館に古い資料があると聞いていた。縁は上着を手に立ち上がった。


公民館は村の中心——といっても何軒かの家が固まっているだけの場所——に古びた平屋として建っていた。管理人の老女が鍵を開けてくれ、「好きに見ていいよ」とだけ言って奥に消えた。


棚には段ボール箱が並んでいる。手書きの日付が側面に書かれ、最も古いものは「昭和初期〜」とある。


縁は箱を一つずつ確認した。


祭礼の記録、農業組合の議事録、人口台帳の写し。全て地味だが、こういう場所にこそ本当のことが残る。大学で助教をしていた頃、何度もそれを確かめた。

三冊目の束を開いたとき、巌が入ってきた。


「お手伝いしましょうか」


縁が振り返る前から、その声のトーンだけで彼が穏やかな笑顔を浮かべているのがわかった。


「大丈夫です。ゆっくり見させてください」

「何をお探しで」

「神社の由来を」

「ああ」巌は頷いた。

「それでしたら由緒書きが本殿にありますよ。私がご案内します」

「棟札に少し気になるものがあったので、こちらで裏を取ろうと思って」


一瞬だった。

巌の笑顔が変わらなかったからこそ、その一瞬が見えた。まぶたが、ほんのわずかに動いた。瞬きにしては少し遅い。


「棟札は古いものが多くて、読み違いもありますから」また笑顔が戻る。

「何かわからないことがあれば、何でも聞いてください。私の知っている範囲でお答えします」

「ありがとうございます」


縁は礼を言い、段ボール箱に向き直った。背後で巌がしばらく立っていた。それから、足音もなく出ていった。


正午過ぎまでかけて三箱を調べた。

目当てのものは見つからなかった——正確には、あるべきものがなかった。神社の創建記録も、由緒の詳細も、百年前の年代に関する記述は驚くほど薄い。昭和以降の祭礼記録は細かく残っているのに、明治末から大正期にかけての約十年分がすっぽりと抜けている。


(百年祭を行うほどの神社で、その年代だけ記録がない)


縁はもう一度、棚を見直した。

「昭和初期〜」と書かれた箱の横に、ラベルのない薄い箱が一つある。

最初は雑多な書類入れかと思って飛ばしていた。引き出してみると、農地台帳の束が入っていた。内容は農業組合の記録——神社とは無関係に見える。


だが台帳を一冊ずつ確認していくと、一冊だけ、表紙の内側に何かが挟まっているものがあった。

折りたたまれた和紙だった。台帳の紙とは明らかに質が違う。誰かが意図して隠したのか、それとも無関係な場所に紛れ込んだのか、判断できない。

広げると、縦書きの手書きで人の名前が並んでいた。

名前の横に「行方不明」と書かれている。

日付は百年前。縁は紙を持ったまま、動けなかった。

二十三人。男女入り混じった名前の中に、「森田ひな、女、年齢不詳」という一行があった。


ひな——棟札の神の名は「比奈木大神」だった。


縁は手の中の紙を見た。

薄い、古い、誰かが大切にしまっていたのか、あるいは忘れていたのか、どちらかわからない紙。


窓の外で、秋の風が木を揺らした。

お読みいただきありがとうございます。

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