第22話「百年分の名前を、呼び戻す」
翌日の昼すぎ、咲から連絡が来た。
「準備ができました」
それだけだった。縁は宿の窓から空を見た。晴れていた。
神社の境内には警察の黄色いテープがまだ一部に残っていたが、物置の焦げた入り口は塞がれておらず、石造りの蓋も開いたままだった。地下への梯子も、火災後に蒼が据え付けたものがそのまま残っている。
咲は白い袴を着ていた。祭りの装束ではない。神主の正装でもない。ただの白い、清潔なもの。
蒼も来ていた。縁が頼んだわけではなかった。ただ立っていた。
「一緒に降りてもいいですか」
と縁が聞くと、咲は
「来てください」
と答えた。
地下は、前に確認した時と変わっていなかった。
子供の骨はそのままにしてある。警察の判断を待つことにした縁と蒼の提案を、咲は受け入れていた。だが弔いは今日行う。それが咲の決断だった。
低い天井の下、三人はしゃがんだ。咲が膝の前に折りたたんだ紙を広げた。
「お祖父さんの字が一部残っていた。ここから先は——私が補完した」
守のフィールドノートから、咲が引き継いだ祝詞の断片。守は百年祭の本来の形を調べ直していた。それが、ここに繋がっていた。
咲は読み始めた。
声は小さかった。しかし揺れなかった。地下の空間に、古い言葉の響きが満ちた。縁は聞きながら、守のことを考えた。孫娘に何も伝えないまま崖で死んだ男が、それでもここへ向かう道を探していた。咲はその続きを歩いている。
祝詞が止んだ。
咲が縁を見た。
「名前を」
縁は一度息を吸った。
桐谷の資料に書いてあった名前。行方不明者リストに記されていた名前。百年間「ひな」と呼ばれ、怨霊と呼ばれ、封印されていた存在の、本当の名前。
「森田雛」
声に出した。
地下の空間は何も変わらなかった。炎も光もなかった。骨はそこにあった。供物はそこにあった。
変わったのは、空気の質だったかもしれない。
あるいは縁の側が変わったのかもしれない——よそから来て、あるものを見ようとして、止められた子供の名前を、百年後によそから来た人間が呼んだことで、何かが一つ成立したという感覚。
咲がもう一度、短い言葉を読んだ。締めくくりの言葉だった。
それで終わりだった。
三人で地上に出た。
境内の石畳に、秋の光があった。
しばらく誰も話さなかった。蒼が空を見ていた。咲は折りたたんだ紙を胸の前で持っていた。
「縁さん」
と咲が言った。
「次は、どこへ行くんですか」
縁は少し考えた。
答えが出なかった。行き先はまだ決まっていない。この村に来る前のように、次の「直感」を待つことになる。
「わかりません」
と縁は言った。
「でも行きます」
咲はうなずいた。何かに満足したような、小さなうなずきだった。




