第18話「神社が燃える夜に、彼女は叫んだ」
その夜、縁は眠れなかった。
焦げ臭いが頭から離れなかった。何かが燃やされた。それは昨日の話だ。今夜は何が起きるか——という考えを止められなかった。
23時を過ぎて、縁は宿を出た。
神社への石段を上がりきる前に、橙色が見えた。
炎だった。社殿の裏手——倉庫と拝殿の間の、渡り廊下に接した物置が燃えていた。まだ大きくはない。しかし煙が横に流れている。風がある。
縁は走った。
走りながら、咲のことを思った。咲は夜遅くまで社殿で祝詞を練習することがある。初日の夜、深夜の社殿でひとり練習していた咲を、縁は覚えていた。
境内に入った。炎が大きくなっている。物置の壁が黒く変わった。煙が増えた。
縁は物置の引き戸に手をかけた。熱い。
煙が縁の喉に入った。
その瞬間——
* * *
廊下だった。
冬の夜。床が冷たい。廊下の端から煙が流れてきた。縁は立っていた。ドアの前に。「桐谷研究室」というプレートが貼ってあった。
中から物が倒れる音がした。
(先生が中にいる)
縁の体は動かなかった。足が地面に縫い付けられたように動かなかった。ドアノブに手が届かなかった。叫べばよかった。叩けばよかった。でも声が出なかった。煙が濃くなった。廊下の向こうから「火事だ」という声がして、誰かが走ってきた。
縁は初めてその場から動いた。
翌朝、桐谷の姿はなかった。
* * *
咲の声がした。
物置の中から、かすかに。
縁はドアを引いた。熱風が顔に当たった。中で何かが崩れていた。縁は入った。煙の中で目が痛い。「咲さん」と叫んだ。声が出た。
今度は出た。
「こっち——」
かすれた声が奥から聞こえた。
棚が一つ倒れていた。咲がその陰に縮こまっていた。出口が塞がれていた。縁は棚を引いた。重かった。もう一度引いた。動いた。咲の腕をつかんで引いた。
外に出た。
境内の石畳の上で、二人は咳をした。咲が縁の腕を握っていた。
村人が集まり始めた。蒼が走ってきた。
炎は村人たちの手で消し止められた。大きくはならなかった。物置の一部が焦げただけで止まった。
蒼が縁に近づいた。
「物置の裏手を確認しました。新しい踏み跡と——これが」
ライターだった。使い捨ての、ありふれたもの。だが側面に油性ペンで「T.M.」と書いてあった。
縁はそれを受け取った。見た。
(わざとらしすぎる)
三倉孝之のイニシャルだ——そう読める。しかし、放火現場にイニシャル入りのライターが落ちているというのは、あまりに分かりやすかった。誰かが孝之に罪を着せようとしているのか。あるいは孝之自身が、誰かに向けて「俺がやった」と誇示するためにわざと残したのか。
どちらにせよ、この一つで孝之だとは言えない。
縁はライターを蒼に返した。
「記録してください」
三倉巌が石段を上がってきた。息を切らしていた。境内を見回し、煙の上がる物置を見た。縁を見た。咲を見た。
「孝之——」
その一言だけで、巌の顔から笑顔が消えた。
息子の名前を呼んだ声は、懇願でも怒りでもなかった。ただ呆然と、何かが終わったことを確認するような声だった。
巌はしばらく動かなかった。それから縁を見た。
「あなたは、何を知っているか」
笑顔のない巌の顔は、縁がこの村に来てから一度も見たことがなかった。




