三、ノア②
それから暫くして、乙姫とノアの間にそのような事があったという記憶が薄れてきた頃に、王国で舞踏会が開かれた。舞踏会には社交界デビューをした若い王族が各国から集まってきた。これから自らの国を背負っていく若者たちである。彼らにとっての舞踏会はとても重要なものであった。一つは政治的人脈作りの為。もう一つは結婚の為である。
ホストはグランデレで各国からやってくる王族の接待に追われていた。しかし来客が舞踏会にやってくる真の目的は乙姫であった。美しいと噂の乙姫を一目見ようと、ずいぶん遠くからも賓客がやってきた。そしてその中にあのノア王子もいた。ノア自身既に乙姫との結婚をすっかり諦めていたが、いずれは王となる身である。人脈は作っておかなければならない。王妃のマルガリータに命じられて渋々参加した次第であった。
(こういう場は苦手だな…)
僕は壁際に立って飲み物を手にして舞踏会の開始を待っていた。きらびやかで、そしてなんだか落ち着かない。先日の乙姫様とのお見合いも、思い返したくもない思い出だ。
舞踏会が始まり、王宮の大広間で壮大な音楽が流れる。若者たちが一斉に踊りだす。その中に乙姫様もいた。王族の舞踏会は延々と続く音楽に合わせて、パートナーを変えながら踊り続ける。女性がクルリと回り、男性が会釈をするタイミングで一人ずつずれていく。そうして全員と踊るルールだ。我々はそれぞれ軽く挨拶を交わし、名前を覚える。踊りながら話し込むことはせず、後のパーティーで話しかけて友好を交わす。その時に名前を憶えていないと失礼に当たるので、一切気を抜けない。舞踏会というのは傍から見れば優雅で楽しそうだが、踊っているこちらは必死なのだ。
そんな中、とうとう僕と乙姫様が躍る順番が巡ってきた。我々は笑顔を交わし、手を取って踊り始める。
「お久しぶりです、ノア王子」
そう言って笑顔で踊り始める乙姫には、かつての気まずい出来事はなかった事としているように思われた。私達は音楽に合わせて踊る。乙姫様がくるりと回り、二人の立ち位置が入れ替わり、再び彼女の手を取る。
その時、僕は左手に違和感を覚えた。乙姫様と繋いでいる左手の中に何かある。
乙姫様が耳元で囁く。
「折り入ってお話ししたいことがございます。後ほどお電話を頂けますか?」
驚いて、
「え?」
と聞き返した瞬間彼女と体が離れる。そしてダンスのパートナーが入れ替わった。既に次のパートナーと踊り始めた乙姫様が僕の方を見ることはなかった。僕の左手の中には小さく折りたたまれたメモ用紙が入っていたが、そこには小さな文字で電話番号が書いてあり、僕はその場で棒立ちとなった。しばらく意味が分からずダンスどころではなかったが、僕の目の前には初めて会うどこかの姫様が困惑顔で次のダンスのパートナーとして立っていた。
一通り踊るとダンスは一旦お開きとなり、飲み物が振舞われた。ここからはそれぞれ心に決めたパートナーと話をする時間だ。僕は乙姫様と先程の件について話したかったが、彼女の周りには黒山の人だかりができており、さっきのメモについて声をかけられるような状態ではなかった。
(話したい事とは何だろうか…?)
そう思いながらぼんやりとホールの片隅でちびちびとワインを飲みながら過ごすノアの傍らで、一人の女性が話をしたそうに佇んでいた。先程のダンスで、ノアを気に入った女性が勇気をふるってそばに来たのだった。しかし、考え事に集中するノアは彼女に全く気が付かない。仕方なくその女性もノアの横でワインをちびちびと飲み始め、その一角だけ随分しみったれた雰囲気が漂っていた。そうこうするうちにその日の舞踏会は幕を閉じた。
その日の夜、城に引き上げてきたノアはすぐにでも乙姫様に電話をしたかったが、既に時間は夜中を過ぎていた。こんな時間に電話をかけては失礼だろうとその日は電話を諦めた。ベッドの中で一体何が起ころうとしているのかを考える。かつてお見合いをした時の光景がよみがえる。あの時の乙姫様が自分を夫として迎え入れたいと思っているとは考えられない。 恐らく用件は別の内容だ。
では一体私に何の用があるというのだろうかと、思考はどうどう巡りを重ね、そうこうするうちにいつしか眠りに落ちてしまった。
次の日の午前中、朝食も終わり少し乙姫様も時間に余裕ができただろうという頃合いを見計らって電話をしてみた。数回のコールの後、乙姫様が電話に出た。
「おはようございます。ノアです。昨日はありがとうございました…」
とりあえずは挨拶からと思っていたノアの言葉に彼女のいたずらっぽい声がかぶさる。
「おはようございます、ノア王子。昨夜のうちに電話をくださると思っていたのにずいぶん遅かったのね。おかげでこちらは待ちぼうけで寝不足だわ」
「すみません。昨夜は乙姫様もお疲れでしたでしょうから電話をするのを控えさせていただきました」
「そう、優しいのね。ありがとう」
そう言ったが、ありがとうという感じではなかった。
「ところで、話というのは何でしょうか?」
ふっと電話の向こうで乙姫が笑う。
「電話をかけてすぐに要件の話?本題以外は話せないところは相変わらずね」
嫌味ではないようなので、ノアは黙って話を聞いている。
「この一年ほど、私は箱舟の事をずっと調べていたの。あんな大掛かりなものの資料が何もないなんてあり得ないって思っていたけど、案外ないのよね。でも、最近になって倉庫の奥から防衛関係の書類が出てきて、そこからちょっとしたヒントが見つかったのよ」
「ヒント?」
「ええ、箱舟を操作するヒント。箱舟は王国が造ったくせにうちの学者はその使い方もわかっていなかったの。でも、資料を見ているとどうやら他の国もあの開発にかかわっていたみたいなの。どこの国かはわからないのだけれど…。という事は、その協力国には箱舟の資料が眠っているかもしれない。それを探したいの」
「それが我が『西の国』にあると?」
「分からないわ。でも、その可能性はあるわ。西は科学技術が進んでいるもの」
「見つけてどうするんですか?」
乙姫様の呼吸が静かになる。何かを考えているのが、電話越しに伝わる。意を決したように彼女が答えた。
「箱舟を、壊したいの」
僕はは見合いの席でのやり取りを思い出した。確かに彼女はこの世界から兵器を無くしたいと言っていたが、とうとうそれを自分でやろうというのか。
「それでお願いなんだけど、西の蔵書の中に箱舟に関する資料がないか探してほしいの。今の私は問題の核心からまだ随分遠い所にいるみたいなの。どのくらい離れているのかも分からないレベルなのだけれど…。それを探す手伝いをして欲しいの。頼めるかしら?」
僕はぐっと力を込めて受話器を握った。これまで自分は周りの期待に応える事の出来ない弱い人間だった。自信がなく、波風が立つことを嫌い、いつも人の言いなりだった。素直だと言われてきたが、それが一種の嘲笑を含んだ誉め言葉だった事も分かっていた。
変わりたい、そう思っていた。強くなりたいと願ったが、何をどうすればいいのかわからなかった。しかし、そのヒントが今目の前にあると感じた。
受け止めればいいのだ。もちろん怖い。大変な事が待っているのかもしれない。だが、そんな風に逃げ回っている自分が、実は嫌だったのだ。もうそんな思いはしたくない。
僕は答えた。
「もちろん。私に出来る事は全て致します」
電話の向こうで、乙姫様のホッとする息づかいが聞こえた。
「ありがとう」
その時の僕の心境としては、乙姫様との婚姻話をもう一度復活させたいという大それたものではなく、純粋に自分自身を変えたいという前向きな炎が心に灯っていたのだった。
電話を切るとすぐに僕は城内の機密文書の保管場所を推測し始めた。
あるとすれば科学技術系の書庫、軍関係の機密保管室、そして王の部屋だ。ふらりと顔を出して色々見て回れるのは科学技術系の書庫だ。
古い本が多く、頻繁に人が出入りする場所ではない。今は午前中で書庫に人はいないだろう。そう考えてとりあえずブラブラ散歩している風を装って、科学技術系の書庫に行ってみることにした。ドアを開けて中に入ると、埃臭い空気にむせ返りそうになった。狭い部屋なので、あっという間に二三周したが、あるのはエネルギーや薬の本が中心で、箱舟の本などなかった。
いや、考えてみれば、
(…こんなところにあるわけがないのだ…)
そんなに気楽に立ち入る事が出来る場所にそんな大切なものを置くわけがない。国の存亡を左右しかねないような資料を。そうなると軍の機密保管室か王の部屋だが、そこに入るには何らかの許可を得なければならない。それとも他にどこかいい場所があるのだろうかとじっと考えた。
僕は物を考えるときには映像がイメージとして脳内に入ってくるタイプだ。軍の書庫や王の部屋などをイメージしながら書庫の中をブラブラ探している時に、ふと頭に入り込んできた映像があった。
(…あの教会だ…)
思いついたその教会は不思議な雰囲気を持っていた。あまり教会っぽく無いのである。そんなにたくさん人が住んでいる地域ではないのだが、やけに広い。そして、大量の本が保管されていた。
軍や王の部屋を調べる許可をもらうより、まずはあの教会から調べてみよう。僕は城を出ると歩いて教会への道をたどった。この国には教会は至る所にある。だが、あの教会は隣の王国との国境にポツンと建っている。あんなところに誰が行くのかと以前疑問に思ったことがあった。
僕はこの歳になっても国政の中心にいるわけでは無いので、よく時間を持て余してあちこち散歩をして歩いていた。そんな事がよくあったので、僕が一人で教会に向かって歩いていてもそれを不思議に思う者は誰もいなかった。僕は歩きながら考え続ける。
国境近くにあるあの教会を思い浮かべ、そこにいる牧師の顔を思い浮かべた。優しく柔和な笑顔。
そして僕は思い出した。
あの牧師は、元軍人だという噂を耳にしたことがあったのだ。
(隠してあるとすれば、あそこか…)




