二十四、ライアンと箱舟②
箱舟を降りたノアは全力で装甲列車まで走っていった。その姿は装甲列車の中からも確認出来ていた。ジャックがドアを開けるとノアは無様に中に飛び込む。既に大量の汗だ。
「父からです!」
そう言って一枚のメモをハリー大佐に渡すと、ノアはすぐに飛び降りてまっすぐ王城に向かって走っていった。皆が声をかける暇もなかった。ノアの後ろ姿を見送ってからメモを見てハリー大尉は低く唸った。
「何が書いてあるんですか?」
そう問いかけるジャックに、ハリーがメモを見せながら呟く。
「箱舟の弱点が書いてあるようなんだが、科学院のヒューゴ長官が撃てと指示した場所と違う場所だ…」
「両方撃てばいいんじゃないですか?」
「弾が残りギリギリだ。撃つならどちらかだ」
「そんな…。とりあえずヒューゴ長官に連絡しましょう」
そう言ってジャックが無線を繋いだが雑音がひどく、どう調整しても繋がらない。
「ハリー大尉!妨害電波です!」
「箱舟め…」
歯ぎしりをしながら箱舟を睨みつけていると、箱舟の中から何か放り出された。
「なんだありゃ?」
箱舟がゆっくりとスピードを落とすのがライアンにも分かった。前を行く装甲列車はまだこちらを攻撃をしてこない。恐らくは自分たちが乗っているせいで攻撃できないでいるのだとライアンは考えていた。
「ハリーさん、ちゃんと撃ってくれるでしょうか?」
「わからん。信じるしかない。我々は自分達が出来る事をするだけだ」
「そうですね…」
ライアンは箱舟のセンターパネルの下に潜り込んでカバーを外すと、それを外に向かって豪快に放り投げる。その後もネジやらコードやらを抜き取ってライリーに渡す。
「外に放り出してくれるかい?」
「もういらないんですか?」
「いらん」
「分かりました」
そう言うとライリーが受け取ったものを次々と外に放り投げる。ひとしきり放り出すとライアンがドアを指さす。ライリーは素早くドアを閉めた。最後に特別長いコードを引き抜くと、一方をパネルの横の柱に結び付け、もう一方をライリーに渡した。
「この後盛大に揺れるから、これを体に結び付けておきなさい。この後は危険な動きになる」
「分かりました。でも、ライアン様は?」
「私も後からやるよ。君が先に身の安全を確保しなさい」
「とんでもない!ライアン様が先です!」
「ありがとう。だがあなたが先だ。ライリー、君は私の国の大切な民の一人だ。君の身の安全が確認出来てからでないと、私はコードを付けられないよ」
「いや、でも…、王様なんですし…」
「王だからだ」
ライリーは黙り込む。
「急ぎなさい」
そう言われてライリーも大人しく従った。そもそも時間がない。こんなやり取りをしている間にどんどん箱舟が進んでいく。
「私が合図をするまで絶対に振り落とされないようにね。とんでもないタイミングで合図をすると思うけど、打ち合わせ通りに動くようにね」
「分かりました」
ライアンはにっこり笑うとお腹周りにコードをぐるぐると巻き付け、再びコントロールパネルの下に潜り込んだ。
王城に飛び込んだノアは真っ直ぐに乙姫の部屋を目指した。箱舟の爆発事故以来乙姫の見舞いに何度も訪問しているので、見知った顔も多い。道々兵達に声をかけて乙姫の部屋が防備のしやすい部屋に移されたと知った。階段を駆け上がって目指すフロアーに着くと、廊下にごった返す兵達と目が合った。
「おお、ノア様、乙姫様はこの奥です」
兵達をかき分けてノックもそこそこに部屋に飛び込むと、乙姫が椅子に座っているがその目の前に先程箱舟で会ったネズミのロッテが横たわっていた。
「こんなところにいたのか。ロッテは動かないけどどうかしたのかい?」
「今はロッテじゃないわ。お母様なの。ロッテの体を借りてここまで来たみたい」
にわかに信じがたいが、信じるしかない。
「ソフィア様が?じゃあ今の箱舟は?」
ロッテがやっと目を覚ます。声はソフィアだ。
「元の人工知能が操っているわ。少しは私の意思も介在するけど、少し前から大したことは出来なくなったの。箱舟は私と生きていくことを拒否したの。そして箱舟が新たに目を付けたのはここにいる乙姫なの」
「目を付けたってどういうことです?」
「取り込むのよ。この子を」
「ええ?なんでまた…」
「この子が“人類を憎んでいる”と判断したからよ」
「じゃあ箱舟は…」
「この子の脳を取り込んで新たな人工知能とするつもりなのよ。しょせん機械ね。実行は出来ても善悪の判断は出来ないの」
ノアはもはや言葉も出ない。じっとりと汗がにじむ。
「そんなとんでもない…。なんてひどい事を…。乙姫様、箱舟は私と父で必ず破壊します。ですからどうぞ安心して…」
そこまで言ったノアの言葉を乙姫が遮る。
「駄目なのよ」
「駄目って?何がですか?」
「箱舟を破壊しては駄目なの。あれを壊さないで」
「でもあれを壊さないと、乙姫様が…」
その会話にソフィアが割って入る。
「実は私と乙姫は同じ病気を患っているの。私はこの子を治したくて箱舟と一体になってずっと病気の研究をしてきたの。そして、治療までもうあと一歩のところまでこぎつけたみたいなの。後は治療だけなの。今のままでは恐らくこの子は長生き出来ない。それではこの子の脳を移植してもすぐにダメになってしまう。だからまずこの子を治そうとしているの」
ノアは驚いて二人を交互に見比べる。
「箱舟はこんな事をしながら病気の研究をしているんですか?」
乙姫が頷く。
「じゃあ、私達が箱舟を破壊したらどうなりますか?その治療データだけ取り出すことは出来ないんですか?」
「構造的に無理よ。この子の治療法をもう少しで完成できるのに、箱舟を破壊したら今まで集めた研究データを全て失ってしまうわ」
その時、城が轟音と共に大きく揺れた。廊下の兵達が大騒ぎとなり、天井から細かい欠片や埃が降ってくる。ノアは乙姫達を部屋の隅に寄せると窓に駆け寄って身を乗り出して外を見た。ノアが窓から外を見るのと同時に兵が入ってきて報告の声を上げた。
「箱舟が、城壁をよじ登ってこちらの部屋に向かってきます!」
箱舟は軌道から外れ、城の前まで来るとボディーの脇からアームを展開させ、昆虫が木にしがみつくような格好で城壁の下の部分に取り付いていた。こんなことまで出来るのかと兵士たちは驚いたが、これではいよいよ乙姫達が危ない。
「撃てーっ!」
号令が響き渡ると同時に、箱舟への一斉射撃が始まった。
箱舟が城壁に取り付いたことで箱舟の向きが変わり、今まで目の前にあったコントロールパネルが天井となり、中にいるライアン達は壁に立つような格好になった。箱舟が大きく揺れるたびにライアン達も振り回されて、思うように体を安定させることが出来ずにいた。箱舟には窓が無いので外の様子を見ることは出来ないが今箱舟が何をしているのか、考えただけでぞっとした。外からカンカンという音がかすかに聞こえ、周囲から一斉に撃たれているのだと分かった。もちろんライアン王が箱舟の中に乗り込んでいるのは王国の兵も分かっていたが、それでも撃たなければならないほど事態は切迫していた。
「姫様の部屋は何階なんでしょうか?」
「分からんが比較的防御の固い5階あたりかな。あの辺りはグランデレ殿のお部屋や科学院の箱舟操作室もある。機密性の高い作業をする部屋だから、防御もそれなりにしてあるだろう。姫様も恐らくそこだ」
「じゃあ私達もそこまで登るのですね。計画通りいくでしょうか?」
「分からんが、それに賭けるしかない」
壁をよじ登り始めた箱舟の中でライアン達の体は盛大に揺れた。コードで体を括り付けているが、何かにつかまっていないとそのコードも簡単にちぎれてしまいそうなほどだ。ライアンはパネルの奥のパイプにしがみつきながら箱舟に声をかける。
「なあ、箱舟よ。そんなに人間を滅ぼしたいか?」
箱舟は答えない。ガシャンガシャンと壁を登る音、箱舟のボディーに当たる銃弾の音、室内も様々なところで金属のきしむ音がする。こんな事をしてはいくら無敵の箱舟でも長くはもたないだろう。突然、箱舟の合成音声が聞こえる。
「全ての他の生き物の為に私は人間を罰します。人間は間違っています。あなたは…正しい人ですか?」
「逆に聞くが、正しいとは何だね?私が、『自分は正しい』と信じて行った多くの行為の中で、どれか一つの行いをあげつらって周囲の人が『あの人は正しくない事をした』と判断すれば、私の評価はどうなる?」
箱舟は答えない。
「私は正しくない人だという事になるんだよ。例え私自身が『自分は正しい』と思っていてもね。つまりね、人の善悪というのは、その行為の善悪の比率ではなく、周囲が持つ“印象”なんだよ。私が正しいかどうかを決めるのは私ではない。他者が持つその時々の印象だ。逆に聞くがお前は私の事を正しい人だと思うか?」
「決められません。正しい行動と間違った行動が混ざっていてどちらと判断できないからです」
「そうだ。君には人を“印象”で捉えることが出来ない。そんな君が乙姫様に一体何の用だね?」
「私はこの世界にある弱い者の生命を守ります。その為に乙姫が必要です」
「彼女が死ぬがそれでもいいのかね?命を守るんじゃなかったのかね?」
「私の中で生き続けます」
「彼女がそれを望めばだがね。でも、彼女がそれを望まなかったら?肉体も失ってしまうのだから、それは死と同じではないのかね?」
箱舟は答えない。
「話を変えるか。虫は草を食い、鳥は虫を食い、キツネは鳥を食べる。生きる為にね。悪い事かね?ならば、生きる事そのものが罪と直結する行為だ」
「ですが、人間は楽しみで、あるいは利益のために生き物の命を粗末にすることがあります」
「一ついい事を教えてあげよう。人はいずれこれまでの行いの報いを受けるであろう。だが、その報いを与えるのは、お前ではない。むしろ、お前も報いを受ける側だ」
「私がですか?なぜですか?」
「お前は何も分かっていないね。誰かが誰かを罰するなど、それ自体が誰にでも許されている事ではないのだよ。他者への優しさもなく、ただ自分が正しいとしか言わないやつに…」
ライアンがパネルの奥のコアに手を伸ばす。
「罰するなどと言う資格はない!」




