二十、オスカーとマルガリータ①
誰かに呼び掛けられる声でオスカーは目を覚ました。土煙がひどい中で兵士たちが自分の体にのしかかった瓦礫をどけてくれていた。どのくらい気絶していたのか分からないが、先ほどの土埃が引いていないところを見るとさほど時間は経っていないのだろう。
「ああ、気が付かれましたか。良かったです」
そう声をかけられてオスカーは起き上がった。ガラガラと音を立てて体に降りかかったレンガの破片が落ちる。背中や肩など体中に激痛が走り、顔をしかめる。
足に刺さっているシャンデリアの金属部品を若い兵士が慎重に引き抜く。あまりの激痛に大声を上げる。
「ぐおーー!」
「大丈夫ですか?」
大丈夫ではないが、今はそれどころではない。
「すまんが手を引っ張って起こしてくれ。自分では立てん」
「あ、分かりました」
そう言うとこれまたゆっくりとオスカーを引っ張り上げるが、気絶するほどの激痛が来た。オスカーは痛みのあまり顔をしかめる。
「ちょっと肩を借りるぞ。下はどうなってる?皆無事か?」
「はい。ほとんどの者は下の広間にいたので、すぐに逃げる事が出来ました。怪我人はいますが奇跡的に死者はいません。オスカー閣下のお姿が見えないと下では大騒ぎです」
「分かった。すぐに降りる。すまんがこのまま下まで肩を貸してくれ」
オスカーはそう言うと目の前の兵士の肩に寄りかかりながら階段を下りていった。すぐ横の壁には大きな穴が開いていて新鮮な空気が吹き込んでくる。穴からは外の様子が見えた。幸い火災は起こっていないが崩れた塔が瓦礫となって遥か下のほうに積み上がっているのが見える。無残な姿だ。ソフィア様が南の塔を狙ったのだろうかと一瞬思ったが、その考えはすぐに打ち消した。あの方はそういう方ではない。そう自分に言い聞かせた。
「下では兵が集まっていつでも出撃出来るよう準備しております」
とにかく急がなければならないが、こうも痛くては歩くだけでやっとだ。オスカーが横の兵に現状を聞く。
「装甲列車からの報告はどうなっている?」
「現在箱舟は西との国境近辺に居るらしいのですが、中に王様と姫様が乗り込んでいるそうです。箱舟は西の兵との戦闘で一度崖から海に落ち、その後陸に上がっているらしいのですが…王様と姫様の安否は確認できていません」
オスカーは大きく目を見開いて黙って聞いている。
「王様たちがお乗りの箱舟に西の兵が攻撃しているというのか?」
「はい、しかも箱舟にはノア王子も乗っていらっしゃいます」
「どういうことだ…。西は何を考えている…。そもそも箱舟は海に落ちても動いているのか?」
「そのようです。それから…、箱舟にサムが撃たれました」
「サムが?」
「はい、以上が装甲列車からの報告です。そして、現在サムの所在は掴めていません」
箱舟がサムを攻撃したという事実はにわかには信じがたい事だったが、もしそれが事実ならもはや箱舟の人工知能はまともではない。一刻も早く王たちを救出せねばならないが…。
「箱舟の中に王様達がいらっしゃるのならうかつに手出しも出来ないか」
「はい。それからもう一つ」
と、兵士が続ける。
「まだ何かあるのか?」
オスカーが顔をしかめる。もうこれ以上心臓に悪い話は聞きたくない。
「はい、箱舟は現在西の領地から王国を砲撃しているという情報が流れています」
「箱舟が西にいるのか?どうして?」
「軌道があるそうなんです。海に落ちたのもそれが原因のようです」
「箱舟の軌道が西の国にある?そんなわけがないだろ」
「それが、あるそうなんです。秘密裏に作ったのでしょう。軌道がどれほどの規模かは確認出来ていません」
箱舟が西にいて、西から撃ってきたということは…。
「攻撃は西の意思なのか?」
「そこが分からないのですが、サムが撃たれたという情報がサムが殺されたという情報に変わってしまい、あんな子供を殺すなんてひどいと泣いている者もいます。下にいる兵達はかなり殺気立っています。これから行って西をぶっ潰す鼻息で、興奮しています」
「まずいな…」
10分ほどかけて、オスカー達がやっとの思いで外に出ると城の従者や兵たちがほっとした表情で周りに集まってきた。
「ご無事でしたか!」
皆の表情は硬い。堅牢なはずの王城の一部が崩れ去った驚き、外部からの攻撃に対する脅え、これからどうなるのだろうかという不安、そして攻撃してきたものへの怒りだ。
オスカーがその場で指揮をとっていた兵を捕まえて尋ねる。
「西と連絡はついたのか?」
「はい。向こうにいる大使と連絡がついています。西の国は現在ライアン王とノア王子が行方不明。そして、マルガリータ王妃が全軍を従えて…」
報告する兵士が、緊張した表情で続ける。
「…こちらに向かって進軍を開始したとのことです」
「なに!」
「しかも、箱舟は現在西のコントロールに入っているのではないかと国境に待機する偵察部隊からの報告が上がっています。城は狙って撃ったのかもしれません」
「憶測で物を言うな!箱舟は依然西の領土内か?」
「不明です。その後装甲列車からの報告はありません」
オスカーは考えていた。今ここで慎重に事を運ぶようなことを言えば、かえって若い兵の暴走を招く。兵は皆そうだが、やられっ放しは嫌なものなのだ。ここはあえて受けて立つ体で一旦軍を動かし、作戦の中で徐々に兵達を落ち着かせるしかないだろう。
オスカーが全兵に向けて号令を出す。
「よく聞け!現在箱舟は西が支配している!そして箱舟の中には王と姫が捕らわれている!そして西の軍がこちらに向かって侵攻している!」
攻められている。一帯にどよめきが起こる。どよめきの中、オスカーが叫ぶ。
「誇り高き王国の兵達よ!王様と姫様を無事救出し、西を叩き潰すのだ!」
おおーっ、という兵たちの声が地響きのように広がる。既に日は暮れようとしている。オスカーは焦っていた。早く二人を助け出さなければならないが、箱舟という化け物を前に、オスカーには決定打となる案が、軍を出す今になっても思いつかなかった。
その少し前、西の国では突如音信不通となった王と王子を、必死になって探していた。二人は王室の人間だ。一人いなくなっても大ごとなのに、二人同時という事実は異常だ。王妃マルガリータは何か嫌な陰謀の予感がした。しかし、この事を広く知られるわけにはいかないので、捜索はマルガリータ王妃を中心に秘密裏に行われた。捜索開始後すぐに、ノアの部屋で発見されたメモからロバートの関与が明らかとなった。警察と軍はすぐさまロバートの自宅を捜索し、多くのメモや手紙を押収。その後ネメックとの関与も掴んだ。
ロバートは現在部隊を引き連れて、国境沿いで作戦を展開中というが…、そもそも何をしに行っているのだ?マルガリータは信じていたはずの義弟の不穏な行動に衝撃を受けた。国の緊急事態である。のんびり捜査をして証拠固めなどしている場合ではない。
警察が貴族院議長室に乗り込んで逮捕の意を伝えると、ネメックはあっさりとそれに従った。ネメックを秘書らと共に拘束し、取り調べを進める過程で関係者からの証言を少々手荒な方法で集めた。ネメックは少し痛めつけるとすぐにマックスの事を自白し始めた。ネメックの自白内容はこうであった。
マックスは王国の箱舟を西の国に誘導する軌道を密かに作っていた。彼は箱舟を手に入れた後プログラムを差し替え、自らが自由に動かせる兵器へと改造し、それをもとに周辺国と有利に渡り合える商関係を構築しようとしていた。そしてその過程で自らの発言力を増大させて、いずれはマックス一族の貴族への返り咲きを画策していたというのである。そして、その件にネメックは関わっているが、それを更に利用としていたのがロバートで、その手先としていいように利用されていたのがノア王子だというのである。
ネメックの証言の全てが真実というわけではないだろうが、真実も含まれているのだろうというのがマルガリータの出した結論だった。では、何が真実なのか?ロバートが国政に復帰したのはほんの少し前だ。それがここまでの陰謀論に名前が挙がるものだろうか?
真実の確認のためにマルガリータ王妃が自らネメックの取調室に赴いた。
「久しぶりね。こうして向かい合って話すのは何年振りかしら」
ネメックは黙ってただじっとマルガリータを見ている。
「ロバートにあなたの対応を頼んだのよ。何も知らずにね。それがつながっていたとは、自分の間抜けさに呆れるわ。私はてっきりロバートはあなたに会いに行っていると思っていたのよ。ところがロバートは今箱舟のそばにいて…」
そう言ってネメックを見る。
「あなたは捕まってここにいる」
マルガリータが浅くため息をつく。
「昔のあなたは、もっと堂々と生きていたわ。理想を持っていて、世の中を良くしようとしていた。人々の幸せの実現にちゃんと向き合っていた。それが今はどうなってるの?ちょっと長めの挫折を味わったくらいであなたはこうなってしまうの?だったら私はやはり…」
マルガリータはネメックをまっすぐ見据える。
「ライアンと結婚してよかったわ」
ネメックは大きく目を見開く。
「ライアンはね、気が弱いわ。決断力もなくてね、とにかくかっこ悪いのよ。城内でも大臣たちになめられているんでしょうね。王様のくせになんだか周りに気を遣って、まるで子猫みたいよね…」
そう言ってフフッと笑う。
「でもね…」
マルガリータの表情に笑みがこぼれる。
「あの人優しいの。何があっても、どんなに辛くても、とにかくまっすぐに優しいの」
マルガリータは足を組んでテーブルに肘をついて、まるで何かを思い出すように壁の辺りに視線を移してゆっくりと話す。
「正直結婚してすぐには分からなかったわ。あの人の良さが。でも、年を重ねるとわかるの。人間の強さってね、そこに踏みとどまる決意を指すの。彼、あなたなんかより遥かに強いわよ。辛くても、一人でも、彼は人に優しくあり続けようと心に決めているの。それは、彼がこの国の柱だからよ。柱はね、まず自分から愛情を示さないといけないの。まず自分が愛情を示すって大変よ。何せ、何も受け取っていないのに自分を差し出すんだもの。並の人間じゃ無理よ。そんな人が、私の夫なの」
マルガリータがまっすぐにネメックを見る。
「あなた、人の心の中って、誰にも分からないと思ってるのでしょ?でもね、分かるの。愛されているか、愛されていないか、それだけは女性は分かるの。そして、それで十分なの。私は愛されてるの。世界一」
マルガリータの目尻に涙が滲む。
「私、それが分かるのが遅かったのよ。ずっとずっと支えられてきていたのに。だから今度は私が彼を助けに行くの。あの人の命は私が守る。教えて、彼はどこなの?」
ネメックは俯き、しばらく考えると静かに答える。
「もしまだ生きているなら、恐らく…箱舟のそばだろう…。連絡がつかないなら恐らくあそこにいる。ノア王子も…」
「なぜそう思うの?」
「友達が、グランデレが大変な事になっているから…だろうな。一人で助けに向かったのだろう。そこに、恐らくノア王子が巻き込まれているのだろうな。姫がいるからね。彼らしいよ…。ノア王子がまだ生きていれば、の話だが…」
それだけ聞くとマルガリータは椅子を蹴って取調室を飛び出した。両目から大粒の涙がこぼれる。
(ライアンの馬鹿!馬鹿ね、なんて馬鹿なのよ。でも、あなたがいつもの優しいあなたで良かった。待っていて、絶対に死なないで)
走りながら廊下の突き当りで待ち構えていた軍関係者に叫ぶ。
「兵を出して!ライアンは箱舟のそばにいるわ!王国の反撃の前に箱舟を止めてライアンを助けるのよ!」
マルガリータの緊迫した声に弾かれたように兵たちが動く。
「馬を出して!わたくしも出ます!急いで!」
涙もぬぐわずマルガリータは外に飛び出した。外に出ると、先だってからの箱舟の砲撃に対し、戦闘に備えている兵たちが大勢集まっていた。マルガリータは繋いであった馬に駆け寄ってまたがる。美しく長いドレスの裾に泥が付く。マルガリータが目の前の群衆に叫ぶ。
「箱舟からライアンを助けたいの!お願い!力を貸して!」
一瞬場が静まった後、返事の代わりに地響きのような雄叫びが広がる。隊列も何もない、魂の爆発のような勢いで兵士や馬が我先にと駆け出していく。スピードの遅い戦車も、猛烈に排煙を上げてエンジン全開で急発進する。この国でライアン王がいかに慕われているか、マルガリータは実感した。そしてその群衆の先頭には、全力で馬を駆るマルガリータがいた。




