十九、乙姫②
ハリーは部下と一緒に、マックスの部下のライリーも連れて装甲列車に戻ってきた。
装甲列車内部は軍の機密事項だ。他の国の人間を中に入れるなどあってはならないが、今はそんな事を言っている場合ではない。両国の王族が生きるか死ぬかの場面である。協力できるものならするに越したことはない。ハリーが中に待機していた兵に声をかけながらモニターを見る。
「箱舟が移動を開始したのか?」
「はい」
「中はどうなっているんだ?」
「分かりませんが、グランデレ王、乙姫様、ノア王子、マックス、それにイーサンが乗り込んでいます」
「そんなに乗ってんのか…」
装甲列車のモニターに、その場にいる全員が釘付けになっている。
海に落ちた箱舟はその後態勢を立て直し、周囲に砲撃を開始したが、それも徐々にやんだ。後から中にグランデレが乗り込んだのは確認しているが、ノアは撃たれたかもしれない。箱舟が海に落ちた時はそのまま沈むのかと思った。だが、あれは箱舟である。元々水は得意なのだ。ゆらゆらと水上を移動すると、やがて浜から地上に乗り上げてきた。周囲では多くの兵達が銃口を向けてその動きを見守っている。箱舟は何かの目的をもって移動しているのだが、その目的が分からないでハリー達は対応に困っていた。
「あなた、サムでしょ?」
ライリーの声にサムが振り返る。
「あなたにお願いがあるの」
「なんでしょう?」
「箱舟に乗り込んでくれないかしら?あなたが訪問者ならマックスは箱舟のドアを開けるわ」
ジャック達が驚いて振り返る。
「はあ?無茶言うなよ。こいつはまだ子供だぞ!あっちの兵士が周りから銃で狙っているんだぞ。あっという間にハチの巣にされるぞ」
ライリーはジャック達の言葉に耳を貸さず、サムに近付く。
「彼がああなったのは私のせいでもあるわ。本来なら、私が行くべきなんでしょうけど、もう私の言う事なんて聞かないわ。彼に投降するように説得して欲しいの」
「兄さんは僕の言う事なんて聞いてくれるんでしょうか?」
「愛する弟だもの。でも…」
ライリーは少し言い淀んだ。
「それでも彼が、頑なに箱舟を使った作戦を強行するようなら…」
ライリーが拳銃をサムの手に握らせる。
「これで彼を撃って」
サムが目を見開いてライリーを見る。
「何言ってやがる!」
ハリーが怒鳴る。
「お前、弟に兄貴を殺せっていうのか?」
「馬鹿ね、実弾なんか使うわけないじゃない!」
そう言って改めてサムを見る。
「装填されているのはゴム弾よ。とりあえずこれで彼を動けなくさせて。今箱舟の中には、あなたにとって大切な人が沢山いるの。彼らを助けてあげて欲しいの。お願いできるかしら?」
サムはじっとライリーを見る。
「ライリーさんは兄さんの恋人なんですか?」
ライリーは一瞬言い淀んだが、やがて小さく頷いた。
「ええ、そうよ。だからこれ以上彼に罪を重ねて欲しくないの。もう誰も傷つけて欲しくないの」
そう言うとライリーは力なく微笑んだ。
サムはハリーの方を向いて言った。
「ハリーさん、僕が行きます」
そう言うとハリーの返事も聞かずに飛び出していった。
「おい待て!」
ハリーがそう叫んだ時には、既にサムは随分先まで走っていた。
茂みの中を身軽に進み、箱舟に近付いていく後ろ姿をハリー達はただ黙って見送るしかなかった。
茂みの中を箱舟に向かって走りながら、サムはなぜか昔の事を思い出していた。サムの家はサムが幼い頃に貴族の身分をはく奪された。まだ幼かったサムに詳しい理由は知らされなかったが、皆が泣いていたのを今でも覚えている。お金が無くそれぞれが生きていくのに精いっぱいだった一族からサムを救ってくれたのが今の王国の人だった。自分は王国の人間ではなかったが、お城の人たちはとても優しくしてくれた。それがとても嬉しかった。この人たちの為なら何でもしよう。そう決意したものだった。それを今果たす時が来た。
マックスは兄だ。だが同時に乙姫様は、今ではかけがえのない姉のような存在なのだ。一族の不幸は兄のせいではない。それは分かる。しかし、あの時兄は『それでも一緒にいよう』とは言ってくれなかった。でも、乙姫様は『ここにいなさい』と言ってくれたのだ。涙が出るほどうれしかった。私はここで幸せをつかんだのだ。兄さん、あなたに、今の僕の気持ちが分かりますか?この僕の怒りが!
(王様、乙姫様、待っていてください。必ず僕が助け出します)
そう小さく口にすると、さっき渡された拳銃のマガジンを外してゴム弾を捨てた。そして、ポケットからさっき装甲列車の中で拾った実弾を取り出すとそれを装填した。
(お母さん、ごめんなさい…。もし兄さんが乙姫様を傷つけようとするなら、僕は兄さんを…殺します)
サムは奥歯をぎゅっと噛みしめると、拳銃をズボンの後ろに押し込んで走っていった。
浜に上がった箱舟は暫く辺りをうろうろすると、崖の上の方には登っていけない事を理解して、また海へと帰っていった。
箱舟は軌道を探していたのだ。
波の上を揺れる箱舟の中で、ノアがソフィアに語りかけていた。
「あの…ソフィア様が亡くなられてからのお城の様子はご存じでしたか?」
「あまり詳しくは知らないわ。誰も教えてくれないもの」
「乙姫様はお城を出ていかれたのです」
「それはグランデレから聞いたわ。でも、どうしてそんな事になったの?」
ソフィアが乙姫に視線を送ると、乙姫は無言のまま頷いた。ノアは乙姫の前に出てソフィアを見上げた。
「乙姫様は戦争のない社会を望んでいました。もちろんこの世から国家間の意見の相違から来るいざこざが無くなることはないでしょう。それでも乙姫様は、武力ではない形でそれぞれの国が知恵を出し合って共に平和な世界を作っていくことを望んでいらっしゃいました。
また、生き物を保護する政治姿勢がなかなか示されない事にも憂いていらっしゃいました。
その事でお父様と意見が対立していたのです。その対立の中心にあったのが、箱舟です」
「箱舟が?」
ノアが優しく語りかける。
「ええ、そうですよ。でも、今ここにいる私と乙姫様は想像していた事と随分違う現実を見せられています」
そう言うとノアはグランデレを、そしてソフィアを見た。
「箱舟を止めるという事は、ソフィア様をこの世から消してしまうという事です。グランデレ様は王である前に、夫であった。それは美しい姿かもしれませんが、同時に箱舟の存在は王様をひどく苦しめた」
グランデレは黙って聞いている。ノアはソフィアを見上げる。
「私は結婚していませんが、夫婦というのは難しいものですね。私には誰かの夫など到底つとまりそうにありません。いや、怖いと言った方がいいかもしれません。良き夫と、良き父親と、良き王を兼ねる事など、私には無理かもしれない」
そう言って寂しく笑った。
「私は以前、乙姫様とお見合いをしました。その事はご存じですよね?」
そうノアが言うとソフィアは黙って頷いた。
「あの時私は乙姫様からこういわれたのですよ。
『ノア王子、王子はわたくしの望む“兵器の無い世界”を王となって作って頂けますか?』と。
私は乙姫様に、『私には無理です』とお答えしました。なぜだと思いますか?」
ソフィアは黙って首を横に振る。
「その世界を作るためには“強い兵器のある世界”が最初に存在することがどうしても必要だからです」
乙姫はじっとノアを見る。
「兵器のない世界は誰もが望む理想の状態です。でも、それは時間をかけて作らなければ無理なのです。世界の急激な変化は必ずそこに利益と損失を生み出し、波に乗り遅れた多くの人々の不満を生む。乙姫様がこの国の周辺で兵器のない理想郷を推し進める間に、武力で利益を得ようとする人はどこか遠くで仲間の国を探し、いずれここに攻撃をしにやってきます。その時この国はどうするのか?武力を持たずに国や国民を守ることは出来ません。だから再び武器を取る。その繰り返しです」
グランデレは黙ってノアの話を聞いていた。
「乙姫様。あなたはご自分の能力にきっと自信があるのでしょう。だから“自分の代で戦いを終わらせる”とお考えなのです。政治家は皆そうです。自分をきっかけにして、200年かけて地上から兵器をなくそうという政治家はいないんですよ」
「ではなぜ今回の作戦を助けたの?」
ノアは乙姫の方を向いてきっぱりと言った。
「あなたという女性を諦めたからです。あなたは、人を信用しきれない人です。ご自分の方がお出来になるからです。そういう人との結婚は私には無理です。『私が幸せではない』からです。
その代わりに、私があなたの夢を引き受けようと思ったのです」
乙姫が目を見開く。
「なんでそんな事が言えるのよ?あなたには私の心の中が見えるとでもいうの?いい加減なこと言わないでよ。私だって人を信じることはあるわ」
「ではなぜ…」
そう言って乙姫をじっと見つめる。
「城を出たのですか?なぜお父様の事を信じてあげないのですか?それとも、乙姫様にはお父様の心の中が見えるのですか?そして、あなたのやっていることはいい加減な事ではないという証拠でもあるのでしょうか?」
乙姫が無言で睨みつける。ノアがグランデレの方を向く。
「箱舟に来て、王様がこれまでなさってきた事に全て納得がいきました。それで、王様はこれからどうなさるおつもりですか?」
その時、横で気絶していたはずのマックスの手が、ゆっくりと腰の拳銃に動いた。
サムは岩陰から箱舟の様子をうかがっていた。あの中に兄がいる。そしてグランデレ王と乙姫様もいる。何としても助けなければならない。
海を移動していた箱舟は軌道に近い浜から上陸し、大きく揺れながら海岸線を回り込みながらゆっくりと丘へと上がっていく。
砂浜を抜け、少し見晴らしのいいところまで上がってきた箱舟は少しスピードを上げてその先の森へと向かうようだった。岩陰から岩陰へと素早く移動しながら後をつけていたサムはそこで思わず声を上げた。箱舟の進行方向の先に小さな子供、4歳くらいの女の子が怯えた顔でしゃがみこんでいる。恐ろしくて、逃げようにも足が動かないのだ。サムは咄嗟に岩陰から飛び出し、大声で叫んだ。
「逃げろ!ひき殺されるぞ!」
だが、子供は動かない。両手で顔を覆い、その場にしゃがみこむ。
「くそっ!」
サムは岩陰から飛び出して、子供めがけて走った。その動きに箱舟が素早く反応し、八つの目が一斉に赤に変わる。あまりに近いので主砲ではなくサイドの自動小銃が展開して、サムへの銃撃を開始した。
ダダダダッ…。
箱舟がサムへの攻撃を開始した様子は、装甲列車内のモニターにもはっきり映っていた。
「ハリー大尉!サムが攻撃されています!」
ハリーが素早く振り返る。
「ジャック!頼む!」
「了解!」
動いている装甲列車のドアが開いて、ジャックが勢いよく飛び出す。
大人の体ほどもある機関銃を脇に抱えて、箱舟めがけて攻撃しながら走っていく。
しかし、箱舟の気をそらせることが出来ず、依然として箱舟のサムへの攻撃がやまない。その姿が装甲列車のモニターに映る。
「私も出ます!」
そう叫んでライリーが装甲列車から飛び出した。
ジャックが箱舟への銃撃を続ける脇をすり抜けて、ライリーがサムに向かって全速力で駆け寄る。
サムが女の子を抱き上げて走り出した瞬間、ライリーが後ろから叫んだ。
「サム!」
その声に一瞬サムの動きが止まって、ライリーの方を振り返った。
その瞬間、箱舟の自動小銃の一発がサムを撃ち抜いた。
「サム!」
しまったと思ったがもう遅い。ライリーが必死に駆け寄るがサムは女の子を抱きかかえたまま茂みの向こう側になだれ落ちて見えなくなってしまった。
今になってサムを行かせたことを後悔したがもう遅い。忘れていた。これは戦争なのだ。どちらかが撃たれるまで撃ち合う。そして撃たれたら、死ぬのだ。
ライリーが茂みの向こうに飛び込むと、血まみれのサムの体が岩のくぼみで不自然な形に折れ曲がっている。その横で一緒に転がり落ちた女の子が肩の辺りを押さえたまま苦悶の表情を浮かべている。
「サム!」
抱き上げると、僅かに息がある。死んでいない。良かった。この二人を連れてとにかくここを離脱して安全な場所に移動しなければ。そう思ったが、ほぼ動けない人間二人を抱えてここから走って逃げるなど私には無理だ。 遠くから箱舟の接近する音が聞こえる。
最早ここまでか。マックスを止められず、その弟を殺し、私の行く先は地獄だな…。そんな事を考えながら二人を抱き寄せて岩陰にもたれていると、不意に人が現れた。こんな時に敵か。つくづくついていない。
「おい!おねーさん大丈夫か?」
そこにいたのは兵士ではなく、ごく普通のおじさんと青年であった。二人は全身に葉のついた枝をさした奇妙な格好でこちらを心配そうに眺めている。
「怪我はないかね?」
このおじさんはどこかで見たことがあるな…。こんな変な格好した知り合いがいたかなと思いながらまじまじとおじさんを見ていて、ふいに思い当たった。
「ライアン王じゃないですか!失礼しました!私はライリーと申します!」
咄嗟に立ち上がろうとするライリーをレオが押さえつける。
「死にたいのかバカ!自己紹介してる時か!」
ライアンが落ち着いた声で促す。
「とにかくここを離れましょう」
そう言ってライアンがサムを抱きかかえる。ライアンは穏やかな雰囲気とは裏腹に力持ちであった。
レオが女の子を抱き上げて先を走る。幸い転がり込んだところが窪みになっていて、箱舟からは見えない。走りながらライリーが話しかける。
「あの、本当に申し訳ありません。実はノア王子が…」
そこまで言うとライアンが箱舟の方を目で追う。
「あの中ですよね」
「ご存じだったのですか?」
「海に飛び込むのが見えたからね。少し前に森の入り口でたまたま会って、ここまで一緒に走ってきたんだけど、乙姫様が箱舟の中にいると知って、突っ込んでいった」
「箱舟をあんな風にしたのは私達なのです。何とお詫びをしていいか…」
ライリーはうろたえていたが、ライアンは特に怒っている様子はなかった。
「箱舟の中はどうなっているんだい?」
この緊急事態にあって、この方の話し方はいつもとなんら変わらない。優しく、温かい。酷評する政治家もいるが、国民は皆この王が好きだ。理想の優しいお父さん、という感じなのである。 ふっと緊張がゆるみ、涙が出そうになる。
「はい、現在中にいるのはグランデレ王、乙姫様、西の国のイーサン、マックス少佐、そして、ノア王子です」
「随分乗ったね。怪我人はノア以外にどれくらいいるかわかるかね?」
「え?王子はお怪我をなさっているのですか?」
「ああ、海に飛び込んだ時に撃たれたよ。あんな大声を出せば、そりゃ撃たれるよね…」
「他に怪我人がいるかどうかわかりません。何度かマックスに電話をしたのですが、電話に出ないので中の情報は掴めていません」
「電話に出ないんだね?じゃあマックス君も通常の状態ではないな。怪我をしているのかもしれない」
そう言うとライアンは隠れられそうな窪みを見つけて滑り込んだ。
「今はとにかくこの二人を手当てしないといけないね」
そう言うと腕の中でぐったりしているサムを見た。
その横に女の子を抱きかかえたレオが滑り込んでくる。
「なあ、ライリー、だっけ?」
「なんですか?」
「この人、ほんとに、その…王様なの?」
「そうです。知らずにご一緒していたのですか?」
レオが驚愕の顔をライアンに向ける。ライアンがはにかんだように笑っている。
「私は昔から威厳が無いからね」
「いや…あの…すいません…」
「いいんだよ、レオ君。それより、箱舟は止めないといけないし、この子たちは早く手当てしなければならないし、この戦闘状態を早く止めなければならないし…、どうしたものかな…」
そうライアンが言った時、遠くから大きな音が聞こえてきた。それも一方だけではない。あちこちから聞こえてきたのである。ライアン達は窪みから顔だけ出して周りを見て、仰天した。
その視線の先、現在地から東側に王国の軍隊がいた。戦車も出てきており、ほぼ全軍を出撃させている。それだけではない。その反対側には、西の国のやはり軍隊がこちらも全軍を1キロほど先に展開して真っ直ぐ箱舟に向かっているのである。ライアン達は王国の軍とと西の国の軍のちょうど真ん中に、箱舟とともに挟まれる格好となった。




