十三、ネメック②
ロバートは貴族院を後にするとそのまま自らの病院に戻った。自室に入ると明かりはつけていないが、部屋に先客が一人いた。ノア王子だ。
「お帰りなさい。意外と早かったですね。貴族院で食事もしてくるのかと思っていましたよ」
「早ければいいというものではないがね…」
この二人は他に誰もいない時には、ざっくばらんに話す。
「で、どうでしたか?予想通り、箱舟でしたか?」
「ああ、とりあえず話に乗る風を示しておいたよ。知らない振りをするのに骨が折れた。私はこう見えて嘘が苦手でね。ハラハラしたよ」
ノアがふっと笑う。
「向こうは要求を受け入れたことに何の疑いも抱かなかったのですか?なんというか…所詮貴族などその程度と見られているという事なのでしょうけれど…。じゃあ、予定通りに乙姫と計画を進めて大丈夫そうですね」
「そうだな。…肝心の乙姫様の方はどうなっている?」
「こちらの計画にはとりあえずの協力は得られそうですが…」
ノアの引っかかる言い方にロバートが眉を寄せる。
「ですが、なんだ?」
「王国はこちらが予想している以上に、箱舟の事を知りません。よくあのレベルの知識でこんな計画を立てたものだと思います」
「あの姫様は強いからね」
ロバートがネメックから渡された箱舟のマニュアルを机にポンと置く。
「渡されたよ」
「二冊のうちの一冊ですか。でも、聞いていた表紙と感じが違いますね。たぶん偽物かコピーでしょうね。どこから見付けてきたのかな」
「それは言っていなかった。だが、もし乙姫様が王国の科学院から本物のマニュアルを持ってくれば少しは動かし方が分かる。乙姫様は何と言っている?」
「科学院には、学者たちが作ったマニュアルくらいしかないようだと」
「まだ見つからんか…。どこにあるんだか…」
「そもそもこちらが持っている解説書も本物か分かりませんし…。中は見ましたか?」
「見たよ。ただ、確認のしようがない。我々は箱舟に近付けないからね」
「結局は乙姫様がカギですね…」
ロバートがろうそくに火を灯す。お互いの表情だけ見ていればいいなら、それで十分だ。
ロバートがふーっとため息をつく。ろうそくが向こうの壁にノア王子の影を映し出し、それがゆらゆらと頼りなく揺れている。
気が付けばすっかり夜になっている。少し冷えるが暖炉に火を入れるのも億劫だ。今日はとにかく疲れたとロバートは一人ごちた。ワインでも飲もうかと指先でボトルを指したが、ノアは首を横に振る。
「ネメックが動き出した以上、もうあまり時間がないな」
「そうですね」
「仕方がない、王国にあるはずのマニュアルもこちらで探すか」
「どうやって探すんです?」
「私に考えがある…」
ノアは黙って頷いた。
この少し前、ネメックは一人帰っていくロバートの後ろ姿を窓から見ていた。
上手くいくだろうか…そんな心配をしていたが、そんな不安を自ら打ち消す。こんな危険な事に、不安が付きまとわないわけがない。税金を王に納めないと知らせを出した時から、すでにゲームは始まっているのだ。
もうほとんど視界から消えているロバートに向かって問いかける。さあ、どうする、ロバート。お前は結局、誰の為に生きるのだと。
しかし…と、私は考える。自分は元々が慎重で人を信用しないたちである。このままロバートがこちらの思惑通りに動くと100%信じるというのも自分らしくない。
(そう簡単に信じるわけがないだろ、甘いんだよ)
と、私は一人毒づく。
(私にはわかる。ロバート、お前は偽善者だ)
その時、ドアをノックする音がした。秘書が顔を出す。
「お見えになりました」
「ああ、通してくれ」
まだ若い兵が入ってくる。軽く敬礼をし、私からの言葉を待っている。
「私は軍人ではない。敬礼はいらんよ」
若者は黙ってこちらを見つめて少し笑う。
「軍服は着てこなかったんだな。ここに軍の人間が出入りしているのを見られてあれこれ勘繰られるのは、確かにちょっと厄介だが、君のそういう察しのいいところは、軍人にしておくのはもったいないとかねがね思っていたのだよ。まあ、かけたまえ」
「なりたくて軍人をしているわけではありません」
愛想のない返事に苦笑いをするが、特にたしなめるでもない。
「まあそうカリカリするな」
我々は静かに向かい合ってソファーに座る。上級貴族の為にしつらえた家具で、彼のような若い軍人がこんな椅子に座ることはまずない。
「その後、ノア王子の動きに何か新しい情報は入ったのか?」
「ロバート公がこちらを出た後そのまま病院に帰る時間にあわせて、ノア王子がロバート公に会いに行ったようです。中での様子はまだ分かりませんが…」
「ロバート公に会いに…。そうか、案外早いな」
「早いというと?」
「いくらノア王子でもふらりとロバートの所に立ち寄ることは出来ない。という事はロバートがここを出た後に、ノアがすぐロバートの所に向かうことが既に予定されていたという事だよ」
「どういう事でしょうか?」
「こちらから石を放り込む前から、あの二人は繋がっていたという事だ。何をしようとしているのかは分からん。分らんがあの二人はとにかく箱舟に何かするつもりだ。そうだな…、こちらにとって不利になるような何かだ」
「そんな危険なことをしたら、ロバート公の立場も良くない方向に傾くでしょう。そういうことが分からない彼ではありませんよ」
「いや、もっと違う種類の何かだ。ノアが考えている箱舟奪還に協力してしくじればロバートにとっては不利だろうな。だが、ロバートはロバートで一人で何か企んでるような気がする。勘だがね…。貴族院を解体でもするつもりか…」
若い兵が小馬鹿にしたように笑う。
「貴族がなくなるなんてありえませんよ。それにロバート公だっていわば貴族じゃないですか。彼はその身分を拒否して、ああして暮らしていますけどね…」
「だからこそだ。あの男は貴族などなくていいと思っているよ。私から見れば、貴族より今の王の方がよっぽど役には立たんがね」
兵士はちらりと私を見るが、すぐに目をそらしてしまう。
「ノア王子を見張るよりもロバート公を監視した方がいいのではないですか?」
「両方見張れるか?」
「それはまあ…」
少し間を置いて考える。
「出来ますよ…」
歯切れの悪い兵を睨みつける。
「何が言いたい?」
「最初のお話と条件は変わらないのですか?こちらはやることが増えるのですよ?こちらとしては先々の報酬がもう少し手厚い方がありがたいですね」
「そうだな…」
私は考える…。この青年は最大限利用しなければならない。今のところ利害は一致しているはずだ。頭も切れる。この先そばに置いて損になる男ではない。
「わかった。ではこうしよう。この作戦が上手くいって、無事に箱舟が手に入ったら、君の一族の貴族復帰に加えて、外国との大きな取引市場を一つ任せよう。それでどうだ?」
兵士に笑顔が漏れる。
「約束ですよ」
「ああ、約束する。だが忘れるなよ。こちらも危険な賭けに出るのだ。必ずうまくやれ」
「もちろんです」
そう言って右手を差し出す。私がそれに応える。
「頼んだぞ。第六師団、マックス少佐」




