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十三、ネメック①

私にライアン王の弟、ロバート公が会いに来るという。王の実の弟、そして、王妃マルガリータの義理の弟である。彼が王政から完全に身を引いてから既に長い年月がたつ。会うのは実に数年ぶりである。

私に会いに来る目的は彼の管理する福祉事業への予算についてだという。


ここまではほぼ予定通りの展開だと私は考えていた。


そもそもこの話し合いにライアン王は必要とされていなかった。彼では役には立たないからだ。ここにはライアン以外の王室の人間、この国の民から信頼されている人物でなければならなかった。

非常に低い確率ではあるが、マルガリータがここにやってくる事も想定していたが、彼女はやはり来なかった。ある種の淡い期待さえ持っていたが、ここに来ると告げてきたのは予想通りロバート公だった。


ロバート公は午後に来るというからそれまでにまだ少し時間があった。貴族院議長室の窓から外を眺めながら、私は遥か昔の事をつらつらと考えていた。


私がまるでコートについた埃をはらうかのようにマルガリータから引き離されてから暫くの間、彼は暗闇の中に取り残されたような孤独を味わった。私の頭の中では同じ疑問が繰り返し湧き出ては消えていった。


(私は間違っていたのか…?)


国を思い、国民を思い、家族を思い、そして王家を思い、必死で動いてきた。今自分のしていることが実を結べば、この国は必ず変わると信じていた。しかし、そうではなかった。


(自分はどうなってもいい、この国さえ変わってくれれば…)


そういう強い信念のもとで自分は動いているのだと思い込んでいた。若かった。愚かだった。ぼろ布のようになった自分を見て、それまで自分がしてきたことは、結局誰の事も幸せには出来なかったのだとわかった。そして同時に、自分はまさに自分の為に動いていたのだと悟った。自分がどうなってもという感情は、偽りだった。夢や希望というのは、あくまでも自らの幸せを前提としてのみ成立するのだ。バラ色の美しい世界を夢見るとき、その中心にいるのは自分であるはずだと思っていたのだ。

そして本当に突然、何もかも失った。周りの立場を気遣い、王や貴族を立てながら働いてきた自分が馬鹿に見えた。


あの時、私は決意した。ならば自分が頂点に立つと。王でさえ、この足で踏みにじると。


そうは言っても、この時の経験で私自身がいわゆる善人ではなくなったかというと、そういう訳でもなかった。市民の事をいたわる気持ちは変わらなかったし、貧しい子供たちに対する親のような愛情も変わらぬものだった。


ただ、手段が変わったのだった。それまでは自らが勉強して知識を得ることで、自分が国を動かす一つの歯車になることをイメージしていたネメックだったが、自分がリーダーそのものになることで国を変えていこうと考えるようになった。その方がよからぬ貴族の雑味が入らないからだ。自分を捨てて純粋に国の事だけを考えるなど所詮人間には無理だとわかった。ならば、そういうところまで考えが及ばないようにスキのないシステムを作ってしまえばいいのだった。


商人や技術者と手を組んで、多くの人が進んだ技術で商売をできるよう手助けした。労働者が増えるように積極的に賃上げを進め、そのために儲かるシステムを作り上げた。社会福祉に商人が手を貸せば社会的な評価が上がる仕組みを作った。そしてその先で貧しい子供たちや病人を救った。国民は国民が救うべきだとネメックは考えていた。市民の豊かさというものを根底から上げていこうと考えれば、このやり方は至極全うであったが、一つ問題があった。不安定なのである。どんな商人でも、いつも儲かっているわけでは無い。金が無ければ余裕がないのだから他人を助けることは出来ない。それを解決する為にはやはり国費に頼ることは避けられない。


ここにおいてロバート公と私の間には、福祉に対する決定的な溝があった。ロバート公が“家族のような愛情”を目指したのに対して、ネメックは“先進国と並ぶ質の高さ”を目指し、不幸にも二人はこの二つの概念は相容れないものだと決めてかかっていた。


お互いに相手を異質のものだと考えている二人が、国の福祉について話し合おうとしている。この話し合いがうまくいくはずがない事は、分かっていた。私の目論見は二人の価値観の相互理解といった甘ったれたところにはなかった。


そうこうするうちに秘書がロバート公の到着を知らせに来た。一線を退いたとはいえ、相手は国王の弟君である。ロバートが兄の国王即位の後も貴族や国政に(こだわ)っていれば、今頃この椅子に座っていたのは私ではなくロバートであることは間違いがなかった。私は部屋を出ると出迎えの為にドアを押して外に出て行った。


ロバート公は温和な人柄で知られており、今回のような会見の場においてもにこやかな笑顔で現れた。ネメックは笑顔で右手を差し出し握手を求め、彼もそれに誠実に応える。ロバート公、誠実で頭の回転が速い。もしも彼が国王であったなら、この国はもっと別な国になっていただろう。しかし、今はそんな仮定の話は意味をなさない。2人は肩を並べて貴族院の建物へと入っていく。


「お久しぶりです殿下。3年ぶりになりますか」


「殿下はやめくれ。私はもう国政には関わっていないよ」


「そういう訳にはまいりません。さ、こちらへどうぞ」


室内に入ると暫くはお互いにちょっとした雑談をして場を和ませたが、やがて人払いをして本題に入った。


「さて、ネメック。改めて今回の予算についての詳しい説明を聞かせてもらえないか?」


「そうですね。まず、現在の西の国の福祉は良く言えば家庭的ですが、悪く言えば小規模で全ての国民にくまなく行き渡っているとは言えない状態です。孤児や病人、貧しい人々に目を向けたこの制度が始まったのはロバート公の孤児施設がきっかけでした。当時は非常に珍しいものでしたが、今ではどこの国でも行われている事業で、その先駆けが我が国であったというのは誇りに思う所です」


ロバート公は少し頷いて話の先を促す。


「しかし、福祉というのはよくよく見ていくと実に様々な要望を含んでいます。例えば貧困家庭に対するケアにしても、どこからが貧困なのかといった線の引き方も時代とともに変わっていくものだと思うのです。これまで世の中は多少物がない状態でも、皆がそうなら特に気には留めなかった。しかし、経済が成長し人々が豊かになってくると持てるものとそうでない者の距離感は広がります。今までは食べ物や住む所を援助すればよかった。しかし、貧しくてもより高い教育を望む者も出てくる。福祉というのは経済社会と一緒に成長していくものなのです。ところが、この国はどうでしょうか?本当に食うにも困る最低限度の生活がままならない人々を支えるのみです。なぜか?財源が無いからです」


ロバート公が僅かに頷く。


「ロバート公に分配されている予算だけでこれらを賄うのはもはや限界なのです。病院をさらに増やし、そこに医師を雇い、貧しい家庭の子供を学校に行かせるお金が必要です。国が大きくなり、人口が増えれば必然的に老人の数も増えます。老人ですから食べ物だけではありません。医療費もかかります。それらの経費を税金だけで賄うのは無理ですよ」


ネメックはテーブルに手をついて身を乗り出す。


「ロバート公はこれまで国民のために尽くしてくださった。しかし、あなたは国王の弟君です。我々貴族と一緒に働くことは国民がいい顔をしないかもしれません。それに、莫大な金を動かす商人たちと渡り合うには素人すぎる。ここは一線を退き、すべての福祉を我々貴族院に任せていただきたいのです」


ふーっとため息をついてロバートはしばらく黙っていたが、数分の沈黙の後、静かに話し始めた。


「それはできない相談だ」


ネメックがわざと驚いた顔をしてみせる。


「なぜでしょうか?国民のためを思えばこそのお話だと思いますが」


「福祉とは寄り添う気持ちがあってこそのシステムだ。その視点において、悪いが貴族院がそこまでの気持ちをもって取り組むとは思えない」


「信用できないと?」


「そうは言っていない。しかし、経済は生き物だ。いい時もあれば悪い時もある。予算があるときはいいが、予算がない時はどうする?無い袖は振れませんと言ってバッサリ切るのが目に見えている」


「そうならないように最善は尽くします」


「当たり前だよ。私が言っているのは、そうなった時の話だ」


「ではお伺いしますが、これまでも税収が思ったほど伸びず、ロバート公の施設もそのあおりを受けたことがありました。その時に公はどうなさいましたか?」


「王に予算をいただくよう働きかけたよ」


「お金のない国家にですか?税収がままならず、例年より貧しい人が増えたときに、お金が無い国家に予算の増加を申し出たのですか?果たしてそれは上手くいくものなのですか?」


「…大した成果は上がらなかったな」


「そうですよね。ですが、外の世界にはお金のある人が沢山います。この国が不景気にあえいでいる時に、唸るほど金が集まる国もあるのです。貴族院はそうした人々と強いパイプを持っています。ロバート公、国の中の問題を国の中だけで解決する時代は終わったのです。これからは国際協力の時代です。失礼ながら、ここから先の福祉事業の国際的な運用は、ロバート公には少々荷が重いと感じるのです」


「しかし…」


ロバートは膝の上で両手を組み、じっと考え込む。

(理論的にはネメックの言う事は当たっている。彼らに任せることも子供たちの事を考えれば悪い事ではないようにも見える。しかし、本当にそうなのだろうか?私は何か、大切なことを見落としてはいないだろうか…)


室内に長い沈黙が漂う。

経済で動く人間は金のある時はいいが、そうでない時は得意の理屈でばっさりと切り捨てる。そういうものだと分かってはいるが、愛情だけで腹が膨れないことはロバートもよく分かっている。


「私をその貴族院の福祉事業に参加させることは考えないのか?」


「王族の方を貴族の事業にお招きすることは前例がありません。しかし、考えないわけではありません。国民の信頼篤いロバート公ですから。ですが…」


「もしもロバート公が貴族院の事業に参加なさるとなれば、私は他の貴族達と話し合いを持たなければなりません。私が公と何かの癒着でもありはしないかと勘繰るものもいますから」


「何を馬鹿な…癒着などあるわけがない」


「それが王族と貴族の関係というものですよ。確かに、ロバート公の仰るように貴族は利害で動くものかもしれません。ならば…」


ネメックが声を低くする。


「貴族院にとってとても重要な手土産がロバート公から差し出されれば、また違った流れになるのかもしれません」


ロバートが怪訝な顔をする。


「手土産?わいろでも持って来いというのか?」


「まさか、そんなわけはありません。ロバート公、我々貴族はどんなに金を使っても出来ないことがあります」


「なんだ、それは?」


「国を動かすことです」


ネメックは絡みつくような強い視線をロバートに向ける。


「あなたの力で軍を動かしていただきたいのです」


「は?軍だって?」


「そうです」


それまで前のめりに座っていたロバートは、力が抜けて背もたれに寄りかかる。


「馬鹿馬鹿しい。私に戦争でもしろというのか?」


「とんでもない」


そう言ってネメックは黒いファイルを取り出し、ロバートの前に置く。


「箱舟の極秘のマニュアルです。公には軍を使って王国から箱舟を奪って頂きたいのです」


温和なロバートの顔に一気に嫌悪感が浮かぶ。


「あの箱舟を奪う?バカも休み休み言え。あれは隣の王国の兵器だ。しかも最強だぞ。あんなものに挑んで無事なわけがないだろ。第一、あれを奪って君は何をするつもりなんだ?」


これまで少し殺気立っていた私はテーブルに置いた自分の手をじっと見つめる。暫く黙って空気を落ち着かせてから、今までの語調が嘘のようにぽつぽつと話し始めた。


「私はね、ロバート公のように恵まれた環境で生きてきたわけでは無いのですよ。貴族とは名ばかりの、プライドだけが立派な貧乏な家に生まれた。底辺貴族から見たこの国は、そりゃお世辞にも豊かとは言えなかった。なけなしの金を奪い合う。そんな国でしたよ。貧しい人間は至る所に居ました。でもね、あの時も王族は何もしてくれなかった。…思いましたね。王って何だろうかって。支配者って何だろうかって。でもね、ロバート公、国家の()(よう)というのは豊かな人間が語る事なのですよ。少なくとも貧乏人はね、豊かさや正しさを語っちゃいけないのです。なんでかって?そんな事をしたら国から虐め(いじ)られてもっと貧乏になるからですよ。それを思い知ったんです」


ロバートはじっと私の顔を見つめる。


私はゆっくりとロバートに視線を向ける。


「私が何をするつもりかって?」


自分でもわかるほど不敵な笑みを浮かべる。


「私がこの世の王になります」


驚いてロバートの目が大きく見開かれる。


「勘違いしないでください。あなたたちのような王族になるという意味ではありません。この世の全てがひざまずく金という魔物を束ねる王になるのです」


それを聞いたロバートの顔が大きくゆがむ。

更に畳みかける。


「あなたのプライドで子供たちの皿の上のパンが減るのはあなただって望んでいないはずだ。よくお考え下さい」


私はテーブルを回りこんで箱舟のマニュアルを手に取るとそれをロバートの膝の上に乗せた。


「あなたは聡明な方だ。あなたの愛する人々を守るために何をすればいいのか、すでにお分かりのはずです。私はね、ロバート公、あなたが私の事をただの金の亡者と思っているとすれば、とても残念に思いますよ。本当の金の亡者というのはね、自分が持っているカードは人には見せないものなのです。私は見せましたよ。今度はあなたが見せる番です」


そう言ってロバートの椅子の背もたれに手を添えて、そっと囁く。


「これが私が王族に信を示す、最後の機会になりませんよう。では、今日はこれで」


そう言うとそのままロバートから離れてドアのほうに歩いていく。ゆっくりとドアを開け、外にいた秘書に声をかける。


「ロバート公がお帰りだ」


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