十二、ライアン②
会議室には大臣たちが息せき切って集まってきた。走ってきたのだが、予定外の招集だったという顔ではない。彼らは皆ロバートが国政に参加してくれると確信していたのだ。そしてそれが現実となり、皆一様に期待を込めた表情をしていた。
「ロバート公、本当にありがとうございます」
そう言って手を握ってくる。
「まだうまくいくとは限らん。その為の話し合いだ」
貴族院議長のネメックは出自としては決して裕福な貴族ではなかった。一応貴族ではあったが、貴族界の中心から程遠い所にいた没落貴族だ。しかし、若い頃の彼は理想に燃え、世の中を良くしていくには貴族はどのように考え働けばいいのかを常に追い求めるまっすぐな心の持ち主であった。そんな彼が最も憂慮していたのは、自らの境遇ではなく、西の国が農業中心の国家で先進国からは随分と遅れている事であった。
国家が後進国であることは国民の貧困と繋がりやすく、早急な対応が必要であるとネメックは考えていた。彼は志を同じくする貴族出身の若者はもちろん、一般の国民らと熱心に勉強会を開き、時には外国を訪問して政治家や実業家に会い、西の国が外国に負けない先進国になるためのヒントを捜し歩いていた。
また、そんな彼の熱意は外国では概ね好意的に受け止められ、熱心に相談に乗ってくれる王族もおり、彼の活動は近隣の国々の間で徐々に評判になっていった。下級貴族の若者としては破格の人脈を築いたネメックはこれらの人脈をもとに財界人、学者、政治家の知人をさらに増やし、いつか西の国を大国にするという夢を育てていった。
しかし、自分の国を豊かにするといういわば若者としてはごくまっとうな夢を、肝心の国家はなかなか受け入れてはくれなかった。彼は貴族達に会い、大臣に手紙を書き、何とか自分の話を聞いて欲しいと熱心に訴えた。簡単には押し開ける事の出来ない国家という重い扉に、彼はひどく悩まされることになっていったのである。
大人というのは急速に力をつけていく若者には恐れを抱くものである。例えネメックが邪な野心を持っていなかったとしても、ネメックに現在の地位を脅かされるのではないかという不安が、国内の上流貴族達を卑屈にさせたのだった。親子ほど年の離れたいい年をした貴族から多くの心ない中傷を浴び、それでもネメックは希望を捨てなかった。
そんな彼を支えたのが、当時恋人であったマルガリータだった。
マルガリータはネメックと違い、トップクラスの貴族の子女で、その美貌も相まって婚姻の声掛けが途絶えることがなかった。しかし、中身のない男達には全く興味を示さず、真に国民を思うネメックはマルガリータの理想の男性像であり貴族であった。また、聡明なマルガリータは自らもよく勉強をし、ネメックの良き相談相手であった。二人で国の未来を話し合う中で、いつかは結婚するであろうという思いがお互いの心の中に芽吹いていた。
しかし、そんな娘をマルガリータの父は快く思っていなかった。国内外で美しいと評判の娘を、よりによって国家を混乱させるような下層貴族の息子に嫁がせるなどあり得なかった。
ある時、マルガリータの父が娘に結婚についての考えを聞くと予想通りの答えが娘から返ってきた。
「私はこの国を思っています。私の気持ちに寄り添って歩んで下さる男性は、ネメック様を置いて他にいらっしゃいません」
マルガリータの父は野心家であった。娘の気持など、どうでもよい男であった。彼は王に会いに行くと、王にこう囁いた。
「国内で評判のネメックという下層貴族の若者は、国家を転覆しようとする危険人物です。このまま彼を自由にさせておくといずれ国内に大混乱を引き起こすでしょう。彼を逮捕して身柄を拘束する必要があります」
それを聞くと当時の王は何の疑いもなくネメックを拘束した。
ネメック逮捕は上級貴族たちを安堵させ、マルガリータの父の貴族としての評価はさらに高まった。
ネメック逮捕の翌日には裁判もなく処分が言い渡されたが、その内容はネメックの一族の貴族としての地位のはく奪というものだった。
貴族に対する処分としては極めて重い処罰に、ネメック自身大きな衝撃を受けたが、マルガリータはそれが父親の陰謀であるとすぐに気が付いた。
マルガリータは父に激高した。
「なぜあんな事をなさったのですか!」
その時、マルガリータの父は娘の怒りなど気にせずこのような提案をした。
「もしもネメックの処分を取り消して欲しいなら、王家のライアン王子と今すぐ婚約をしなさい。もしもこれを断れば、ネメックとその家族は貴族ではなくなり、彼は死ぬまで牢の中だろう」
「お父様はネメックを人質にして私の嫁ぎ先を決めるおつもりですか」
「そうだ」
「そうだ?私の気持ちについてはお考えくださらないのですか?」
「お前の気持ちを考えた上で、お前の未来についても考えた。あの若者は駄目だ。いずれこの国を良からぬ方向へと変えていく男だ」
「彼はそのような人ではありません。彼はいつも国民を思っています。自分の事ばかり考えている並の貴族達とは違います」
「お前の意見は聞いていない。この婚約の話を受けなさい。ライアン王子のお人柄はお前も知っているだろう。善いお人だ」
「ライアンは単なる善人です。国を動かせる行動力はありません」
「口を慎みなさい。善人の何がいけない?お前は悪人が嫌いではないのか?」
「あの王子に政治は無理です」
「政治は周りがするものだ。彼が全部をするわけでは無い。善人なら悪どい事はしないのではないのか?何が不満だ?」
「ネメックに会わせてください」
「出来ない」
「私一人で決めろと仰るのですか?」
「ネメックとはすでに話したよ」
「彼は何と言ったのですか?」
「『それでいい』と」
「…そんなはずはありません。お父様が彼を脅して無理矢理言わせたのです」
「彼は脅しに屈するような男なのか?脅しに屈するような男にこの国は変えられないよ。違うかい?」
返事をせず、マルガリータは父親を睨みつける。睨みつけて大きく見開いた瞳から、大粒の涙がこぼれる。
「卑怯な…」
それから三日間、マルガリータは水も飲まずに部屋に閉じこもっていたという。
四日目に部屋から出ると彼女は父親に告げた。
「この婚約をお受けします。その代わり、二度と彼には手出ししないと約束してください」
あれから長い年月が過ぎた。
今マルガリータは部屋を出ていくロバート公の後ろ姿を見送っていた。
開かれたドアの向こうで多くの侍従たちに囲まれるロバートの姿が見える。清々しい風のような空気の向こうから夫であるライアン王を見る者は一人もいなかった。この国の未来はロバートにに託されたのだ。頼もしい弟だと思う。
そして夫であるライアン王の横顔を見る。自分の背負っていた重荷を他の誰かが負ってくれて、ほっとしている夫の顔を。
情けない夫だと思う。しかし、元を正せばこの一連の出来事はネメックが引き起こしたことだ。現貴族院議長、そして、かつての私の恋人。何がネメックをここまで変えてしまったのだろうか。何かが彼を変えたというのなら、私がそれに無関係であると言い切れるだろうか。あの時、別の道を選んでいれば、ネメックにはもっと別の人生が待っていたのではないのだろうか。
(わたしも夫と同じではないか。本当は、私が行くべきだったのだ…)
ネメックに会いに行かずに済んだことに、内心ほっとしている自分がいる。
(私も…卑怯者ではないか…)




