十二、ライアン①
グランデレの王国が政治的に安定していたのに対して、ライアンの治める西の国は政治的に常に不安定であった…。
私が王になったのは今から30年ほど前、父王の病死に伴って長兄であるライアンが王座に就いたのだが、私は王としては不適格であったように思う。
人間としては温和で親しみの持てる人間だと自分では思っているが、こと政治になると今迄の決まりきった事をやり、改革を断行する勇気がなく、少しでも反対意見が出ればしっぽを巻いて逃げ出し、あとは周囲の言いなりであった。
そうなると官僚が幅を利かせる政治となり、貴族の不正が横行し、経済はゆっくりと衰退していった。
政治腐敗と市民の不満はどの時代でも共に歩いてくる。我が西の国は常に国民の不満を押さえつけることに苦慮し、押さえつけられた国民はその怒りをさらに燃え上がらせた。
そんな中、事件は起こった。
西の国は農業や漁業が国の主要な産業で、特に米や小麦などの穀物栽培が中心の国家であった。国内の農家は貴族が管理する農村単位に区分けされており、農家は農村の長に税を納め、農村の長は貴族に税を納める。最後に貴族が国に税を納めることで国庫にまとまる仕組みであった。税金の割合は農民が納めるものが農地面積から想定される収穫の2.5割、貴族はそのうちの半分の1.25割を国に納めていた。この2.5という数字は農家にとってはギリギリの数字で、食えなくはないが豊かではない、というものであった。また、悪天候で不作の年であっても税の回収は容赦なかったため、蓄えなど望むべくもなかった。ただ、農民というのは貧しいものという感覚が農民自体に深く根付いており、不満というよりは諦めに近い気持ちでこの現実を受け止めていた。
ところが、2年前に貴族同盟が農家が納める税を一気に4割に上げてきた。しかも、国にはこれまで通り4割のうちの1.25割しか納めないという。貴族同盟の言い分は、地元の治水事業や道路の整備、貧困家庭への福祉に莫大な金が必要だといったものだった。しかし、実際にはそのようなことは一切なされておらず、貴族による増税は農民を苦しめ、貴族を肥やすものでしかなかった。この国における貴族はもとは王族であったが、その傍系が幅を利かせるようになり、遠縁の王の親戚ではあってもその中身は商人と地元の役人を混ぜたような位置づけであった。
貴族の増税決定に何ら異議を唱えられなかった私のせいで、農民はまさしく食べるものもない最悪の状態に陥ったが、私はそれを覆す強さも知恵も持ち合わせていなかった。この時この増税に対して、最後までライアン王に抵抗を見せたのが弟のロバート公であった。
私よりも3歳年下のロバートは聡明で、自らの立場もよくわきまえていた。周囲からは国政にかかわるよう熱望する声がある一方で、愚王の下で私腹を肥やしたい貴族たちからは警戒されていた。そのような諍いに巻き込まれることを嫌って、ロバートは政治から遠い場所で子供たちの福祉事業や病院の運営などに生き甲斐を見出していた。山あいに中規模の集落を作り、そこに病院や貧しい家庭の子供を引き取って育てる保護施設、学校などを作って暮らしていた。この施設には毎年のように子供たちが運び込まれていたが、この一年の人数はこれまでよりも遥かに多かった。こんな辺境にいても、国が傾いていることはよくわかるほどの有様だった。
これまでこの施設は国の予算で賄ってきたが、ある時貴族院からその予算を減らすという一歩的な通知がきた。そもそもここでの予算は国費であって貴族たちは関係ない。越権も甚だしい上、病人や子供の数が増えているのに予算を減らすとは何事かと憤り、さっそくライアンに手紙を書いたが全く返信が来ない。そこで、ロバートは久しぶりに兄のいる王城へと自ら出向いたのだった。
城につくと久しぶりに見る顔も多く懐かしさがこみ上げたが、城内にいる者の表情は皆暗く、今の王城の国内における立場を如実に物語っていた。出迎えた大臣が、王のいる広間へと向かう廊下で小声で話しかけてくる。
「本日はロバート公の病院の予算についてのお話と伺っております。私共で何とかしたかったのですが、とうとう公をお呼び立てする事態になってしまい、申し訳ございません。もしかすると王妃様から無理なお願いがなされるかもしれませんが、何卒王妃様のお気持ちをお汲み取り下さい」
そもそもがライアン王とは兄弟である。兄と腹を割って話す事で今回の予算の件も問題点が浮き彫りになるだろうと考えたロバートは、なぜそこに王妃の話が出るのかと怪訝に思いながら王の待つ部屋に入っていった。
王の横にはてっきり予算を司る大臣と侍従がいるものと思っていたが、そこには王妃のマルガリータが座っていた。
ロバートが入室するとライアン王は破顔してこれを出迎え、よく来てくれたと立ち上がって出迎えた。これに対してマルガリータの表情は取ってつけたような笑顔の下に落ち着きのない不安な表情が浮かんでいた。
ロバートが私に対する礼を取り促されて着席すると、私はとりとめもない世間話を始めた。先週出かけた猟の事、今年のブドウの出来、近隣の王室のうわさ話など…。
それは本題に正面から臨むことが出来ない、いつもの私であった。
(だからあなたは駄目なのです…)
そういう顔で弟は私の事を見ていた。
ひとしきり話してティーカップに手を添えた私の横で、マルガリータが人払いをする。三人だけになったところでいよいよ本題かとロバートが身構える。口を開いたのは私ではなく王妃のマルガリータだ。
「ロバート、今日はあなたの病院や学校の事で来てくれたのですよね」
「はい、そうです」
「あなたは他ならぬライアンの弟君です。国としても出来るだけの事はして差し上げたいと思っています。しかし、今やこの国は貴族の支配する国になってしまい、私達が思うような国ではなくなってしまいました。貴族に対しても王がもう少し強く言って頂けるといいのですが…」
そう言って横にいる私をちらりと見る。
不甲斐ないと言われた私は苦い笑顔を浮かべて俯いている。
マルガリータが話を続ける。
「先日貴族院議長のネメックが城にやってきたのですが、その際に予算について提案があったのです。今まで病院や学校はロバートが管理運営をしてくれていたのですが、これからはその業務を貴族院がやるというのです」
ロバートが驚きの表情をマルガリータに向ける。
「国内の貴族たちがそれぞれの領地で教育施設や福祉施設を運営するという事にしたと。ついてはそれについての予算が各領地で必要になるので、今まで貴族たちが国に納めていた税金を引き下げたいと言ってきました」
「それは…あまりに一方的ではありませんか?」
「そうです。ですが…」
マルガリータは私を一瞥すると、視線だけロバートに向ける。
「王はその申し出を、のんだのです」
「は?こんな無茶な話をその場で了解したのですか?私に何の相談もなくですか?」
「そうです」
ロバートは失望と同時に呆れてしまい、私の顔をじっと見つめた。もはや、声も出ないといった表情だ。
「ネメックたちは別に福祉や教育に専門的な知識はありませんし、それに対する興味もないでしょう」
「そうでしょうね」
「目的は、国家への納税額を減らして国を弱らせ、自分たちの経済的地位を上げていくことにあると考えています。だとすれば、貴族の行う福祉事業は口ばかりで、実際には何もしないんでしょうね。国内には親のいない子、貧しくて病院にも行けないような家庭の子、そういった子供を救う機関が必要です。また、子供たちに平等に教育を施すことは将来的にこの国の経済を支える人材を育てることに繋がります。病院は人々の悩みや苦しみを軽減し、幸せを感じる気持ちを与えます」
「そうですね」
「それらが全て、無くなろうとしています」
マルガリータが、真っすぐにロバートを見る。
「こんなことをあなたにお願いするのは間違っているのは十分わかっていますが、もうほかに道がないのでお願いします。王の代わりに、貴族院のネメックと会って、この取り決めを解消するよう説得して欲しいのです」
「私がですか?」
ロバートは驚いてぽかんとしてしまった。
「私に王の代理として、貴族院の議長と会談をしろというのですか?それはつまり、私に国政に復帰しろとおっしゃるのですか?」
「お願いです。王は…この有様です」
横で私はただ下を向いて黙っている。
ロバートは兄である私に向き直る。
「兄さん、いや、ライアン王。あなたはこの国の王です。その威厳であのネメックを押さえることは出来ないのですか?」
暫く何も話さなかった私はようやく口を開く。
「私も、話してはみたのだが…」
ぐっと握りこぶしを作り、その手を震わせる。
「…無理だった」
ライアンは頬を紅潮させて悔しさを滲ませる。
横でマルガリータが細くため息をつく。
「ロバート、これが今のこの国なのです。あなたはライアンが王になった時に、この国の政治から一切手を引いてしまいました。あなたの気持ちはよく分かっています。あの時、国民の多くが、あなたが新しい王になることを望んでいましたからね。しかしあなたは長男ではなかった。あのままロバートが国政に関与し続けていたら、遠からず王室内で問題が起こっていたでしょう。ロバートのおかげでこれまでこの王室内においては何も問題は起こりませんでした。しかし、王室の外で火の粉が舞い上がり…、結局はあなたを頼ることになってしまいました…」
マルガリータがじっと王の握りこぶしを見つめる。
「…あなたは国の為を思って城を去りました。しかし、あなたがいないのをいいことに、好き勝手に振舞う輩がいるのです」
ロバートは話を聞きながらここ数年の事を思い返していた。自分は兄の無能は分かっていた。だが、自分が城を去っても国民が皆で兄を支えてくれると思っていた。しかし、あの時すでに小さな火種はあったのだ。よく考えれば思い当たる節がいくつもある。自分は、自分の都合のいいように解釈して、現実から目をそらしていたのだ。だが、こうなってしまった以上私には関係ありませんで済む話ではない。自分は国内の子供や病人の運命を背負っている。あの人たちを貴族たちに任せるわけにはいかない。
ライアンを見つめる。
昔からそうだった。おとなしく、優しく、争いを嫌う人だった。子供の頃はそれでいい。従順で育てやすい子供だったことだろう。しかし、王はそれでは困るのだ。嫌われたり恐れられることを気にしない人間でなくては、この役目は務まらない。だが、兄はそこに踏み込んでいく勇気がない。
優しい事と愛される事はイコールではない。そして、厳しい事と嫌われる事も、イコールではないのだ。
王は愛されるに越したことはないが、別に愛される必要はない。信頼されることが必要なのだ。
ライアンが言い訳めいた口調で話す。
「私も、懸命に説得を試みたのだ…」
ロバートが悲しそうな目で、優しく無能な兄を見つめる。
私が、この国を守るしかないのか…。
「私が行きます。王の全権代理人として」
マルガリータがほっとして脱力した顔をロバートに向ける。
「引き受けてもらえますか?」
「はい」
俯いていたライアンがようやく顔を上げる。
「行ってくれるか…。本当に、すまない…」
「大丈夫ですよ、兄さん。あとは私に任せてください」
そう言うとロバートは席を立った。ここにいても長々と彼らに頭を下げさせるだけだ。そのまま一礼すると部屋を出ていく。ドアを開けると大勢の侍従たちが心配そうにドアの前で待っていた。ロバートの国政参加の最初の命令が下される。
「ライアン王から全権を任された。至急下のフロアーの会議室に大臣たちを集めてくれ。貴族たちを締め上げる会議だ」
侍従たちの視線がロバートに集中する。みるみる頬が紅潮し、表情に力がこもる。
「承知しました!」
それぞれが新しい命を吹き込まれたように走り出す。
ロバートも階段を下りて会議室に向かう。その顔には今まで彼が人に見せたことがない怒りが満ちていた。




