第22話:激突!魔神大決戦 ~敵は偽物、神は本物~
刹那、獅子が神官兵の隊列に踊り込んだ。
間近の者は凍りつき、次の瞬間には我先に逃げ出した。
「すぐに消えるわよ」
ロゼールを抱いたハルタが二人に囁いた。
リリアーテが先導して駆け出した。
クロエが床の黄金の翼を抜いて追う。
背後で咆哮と銃声が交差した。
大神官が悲鳴ともつかない声を上げている。
獅子はまるで戯れる猫のようだった。
肢を薙ぐたび、玩具の兵隊が宙を飛ぶ。
リリアーテは柱を縫い、先ほど蹴破った翼廊から外へ抜けようと走る。
だが、倒れた扉の向こうには、駆け付けた神官兵が犇いていた。
辺りを見渡し、リリアーテは唸った。
どよめきに目をやると黒塵が爆ぜ、獅子が消えた。
甲高い大神官の叱咤の声。
一拍の後に破裂音が響く。
掠めた弾が柱を削った。
実弾だ。
神罰器の詔弾に制約があるとはいえ、神官兵には血なまぐさい兵装だ。
逡巡を断ち切り、リリアーテは踵を返した。
外への逃げ場がなく、祭壇に走り込む。
クロエが気づいてハルタを誘導した。
ロゼールを抱えたハルタを庇い、クロエがその背後を走る。
クロエは手招くリリアーテに、ロゼールごとハルタを投げ渡した。
石碑の裏に二人を押し込む。
「重いわよ、アナタ」
ハルタがロゼールを床の上に放り出した。
言いつつ、息を切らせてもいない。
「重くなんかない」
ロゼールが起き上がってハルタを睨んだ。
「気がついてるぞ、そいつ」
「ふてえ野郎だ」
クロエとリリアーテがロゼールを責めた。
頭の上で石碑が散った。
ぱらぱらと破片が降ってくる。
「祭壇を撃つか、不敬者」
リリアーテが唸った。
実弾の銃声が断続的に続く。
神罰器は盾をも貫くが、神の護りでその威力は軽減する。
祭壇はその最たるものだ。
だが、大神官が発砲を命じた方が驚きだ。
弁明の隙を与えないつもりにしても、石碑ごと砕けと捨て鉢になっている。
当然だ。
こちらに本物のリリアーテがいる。
表舞台に出た時点で、大神官は破滅だ。
「ヤバイなこれ」
リリアーテが石碑の陰に蹲って呟いた。
降り散る破砕片で真っ白になっている。
いっそ真っ向勝負を挑もうにも、ロゼールはまだ足腰が立たない。
「ハルタ、何とかしろ」
ロゼールが袖を引いた。
クロエとリリアーテが顔を見合わせた。
ハルタの聖杖は折れている。
それよりも、こんなロゼールの甘えた声を聞くのが初めてだった。
吹き出すか赤面するかで表情に迷った。
「あら、何とかしてもいいの?」
ハルタが飄々と訊ねる。
「――まて、皆殺しは駄目だ」
逆にロゼールが慌てた。
「それとこっちを巻き込むのも」
「面倒なことばっかり。まあいいわ、死ななければいいのよね」
そんな簡単に。
自分で言っておきながらロゼールは困惑する。
「でも、杖が」
「そんなの、おまけよ」
ハルタは無造作に指を弾いた。
音が止んだ。
突然の静寂が耳を打つ。
混乱して銃を覗き込んだ神官兵が、自分の頭を撃ってひっくり返った。
大神殿の灯が落ちた。
いや、抜けた天蓋の向こうは暗闇だ。
陽が陰るよりも黒々としている。
唐突に、光芒が石碑を射た。
誰もいるはずのない聖歌隊席から、大神殿一杯に旋律が響く。
――ハルタの幻術だ。
ハルタが光芒に立ち上がり、両手を掲げる。
ぽかんと見つめる大神官と神官兵たちに、謡うように声を放った。
はぁい、どう? 元気かしら?
しっかり目と目を合わせてちょうだい
喉を擽るよく通る声だ。
ロゼールがハルタの服を引いて、石碑の影に引っ張り込んだ。
「長いのはいいから、さっさとやって」
ハルタが口を尖らせる。
聖歌隊席に指先を向けてくるくると回し、吐息のように鼻を鳴らした。
そう、困ったわね
死んだら困るなんて、じゃあ
あっちをしばらく使えないほど
――そうね、ぺしゃんこ
神官兵が手にした銃器を取り落とした。
男女の別なく目を見開き、股間を押さえてのたうち回る。
精気が転じて物質化し、皆の服の裾から紅白の玉が転がり出た。
留めようと悶えるも、尽きることなく溢れ出る。
ハルタの声が大神殿を打った。
馬鹿は目の前が見えないの
いつだって先が見えないの
そう、アソコがちょっと憤る?
ふふふ
馬鹿ね、もう手遅れ
大神官が甲高い嬌声を上げて跪いた。
辺り一面の誰彼が、大神殿を取り囲む神官兵さえもが、止めどなく転がり出す紅白の玉の上に突っ伏して悶絶した。
ハルタを照らす一筋が拡がる。
陽が射した。
大神殿に音が戻った。
後に残ったのは、呻きと死屍累々。
みな虚ろに目を見開き、体中から汁という汁を垂れ流して転がっている。
そこに人の尊厳はなかった。
「――はい、何とか」
ハルタが笑って振り返った。
ロゼールもクロエもリリアーテも、顔を真っ赤にして蹲り、ハルタを睨んだ。
影響なしとはいかなかったようだ。
無言で石碑を追い出され、もう、とハルタは口を尖らせた。
「手伝ってあげましょうか?」
石碑を振り返ると、黄金の翼ががつんと石碑を叩き割って応えた。
ハルタは所在なくぶらぶらと歩き出した。
散々に撃たれ石碑は、第三詩篇の痕どころか、全てが削れて真っ白だった。
ハルタが目を細くする。
アナタたちの信徒は容赦ないのねと、呆れたように微笑んだ。
白目を剥いて転がる神官兵の間を、ハルタはふわふわと歩いて回る。
豪奢な丸い祭服を見つけて歩み寄った。
大神官が泡を吹いている。
ハルタは傍にしゃがみ込み、冠を拾って頭に被せた。
「――あら?」
三人がハルタのところに駆けて来る。
見目は変わらないが、下は替えている。
ハルタは大神官に目をやると、皆に向かって小首を傾げた。
「この人、破門されてるわよ?」
三人は呆然と大神官を見おろした。
「よく見たら神さまがいないんだもの。たぶんロゼールと一緒ね。神器のせいよ」
ハルタが告げる。
破門砲だ。
「でも――」
ロゼールが言葉に詰まる。
それを使ってロゼールの信仰を奪ったのは、その大神官ではなかったのか。
「でも、この子を誘うのは気が引けるわね」
ハルタが大神官を覗き込む。
身を屈めた向こうにロゼールが目をやる。
柱の影に誰かいる。
殺意の焦点がハルタを向いている。
「ハルタ」
思わず叫んでロゼールはハルタを庇った。
雷の如き衝撃があった。
――これは前にあの暗闇で。
頽れたロゼールをハルタが抱き留める。
ロゼールの手にした黄金の翼から、黒色が抜け落ちていく。
ロゼールの全身に激痛が走った。
悲鳴を上げてハルタに縋る。
酷使した身体の反動だ。
邪神の加護が消えていく。
ロゼールの声と同時にクロエは走っていた。
柱の陰に突き出したそれを毟り取る。
奥にいる男の襟首を掴んで、床に叩きつける。
その二つを見て目を剥いた。
片方の手にあるのは箒だ。
クロエが掴んでいるのは膨らんだ穂先だった。
もう片方を見おろすと、痩せた老人が床に潰れていた。
身形からして、大神殿の小間使いだろうか。
なぜか足元に鵞鳥がいた。
クロエを見上げ、ぐわーと濁った声で鳴いた。
クロエは慌てた。
ハルタを狙った相手を押さえたつもりが、まるで予想外だ。
「放すな、クロエ」
だが、リリアーテが叫んだ。
クロエから箒を取り、膨らむ穂先を毟り取る。
真鍮色の杖頭が現れた。
破門砲だ。
「おまえ何者だ」
這いつくばる小間使いにリリアーテが問う。
老人は鼻を鳴らした。
「見ての通り、神殿の下働きだわ」
鵞鳥が間の抜けた合の手を入れる。
「だがの、これでも六代転生よ。ずっと、ずーっと、大神殿に勤めておる」
威厳を出そうと押し潰した声でそう言うも、不意に甲高い声で早口に続けた。
「そこの大神官さまと違って、一度も出世できなかったがのー」
その目は誰も向いていない。
人の目を見ない。
まるで独り言のようだった。
「おまえが大神官を破門したのか」
リリアーテが呆れて詰った。
「あやつだけではない。国王からも奪った。御歴々も根刮ぎ、神器で破門したわ」
「こいつ――」
実験室の魔神に大神殿の主と名乗ったのは、大神官ではなかった。
この小間使いだ。
「再洗礼をすれば済む話だ」
ハルタに縋りながらロゼールが歩み寄る。
「するものか。今さら洗礼などしたら、地位を追われてしまうじゃろが」
小間使いの老人は、小馬鹿にしたように吐き捨てた。
そうするつもりでいたロゼールが口籠る。
「そう脅したら、みな儂に従いおった」
老人が笑う。
「だから、大神殿の主と――」
「主だとも。伊達に五回も生まれ変わって下働きをしていたわけではない」
大声を上げる。
「おかげで世界の悪事も知った。地下に飼われた魔神もじゃ。儂だけがその真実を知っておる」
見ればその手に指輪がある。
ハルタの聖杖の柄頭に似ている。
「しまった。そいつ、魔神を――」
「さあさ、家鴨ちゃーん」
「それは鵞鳥だ」
クロエが冷静に突っ込むも、鵞鳥は唐突に小屋ほどの大きさに膨れ上がった。
羽毛に潰される寸前、クロエとリリアーテが飛び退る。
「駱駝の次は家鴨か」
「鵞鳥だ」
ロゼールとハルタは鵞鳥の向こうにいる。
「――あ」
リリアーテの手から破門砲が消えていた。
クロエに引かれ、危うく嘴を躱した。
家鴨と異なり、鵞鳥の首は蛇のように長い。
丸く膨れた羽毛の向こうに、破門砲を抱えて二人に迫る老人の姿が見えた。
「おまえが私から律令神を奪ったのか」
ロゼールが叫ぶ。
全身が激痛に蝕まれ、黄金の翼を握るのがやっとだ。
威勢はいいが、ハルタに縋っていなければ立つこともできない。
「純潔の聖騎士が落ちたと聞いてな、贄になると思うたのよ」
「贄だと」
「そうよ、無銘の神を降ろす贄よ」
「あー」
ハルタが呑気に手を打った。
「そういうこと」
射殺すほどの憎悪を込めて、老人はハルタを睨みつけた。
「儂が神官になるはずだったのに」
朧気ながらロゼールにも理解が及んだ。
――ような気がする。
「まさか、すでに神官がいようとは」
「アタシ、代理神官なのよ?」
ハルタは困ったように老人に返した。
「単にアナタに資格がなかっただけね」
激高した老人がハルタの頬に破門砲突きつける。
我を忘れて間合いに入った老人に、ロゼールは黄金の翼を撥ね上げた。
今のロゼールには重い鋼の塊だ。
力を振り絞るも手から抜け落ち、剣は宙を舞った。
黄金の翼と――老人の指が。
老人が破門砲を取り落とし、悲鳴を上げて蹲った。
ハルタはロゼールを抱いたまま一歩踏み出し、指ごと指輪を踏み潰した。
クロエとリリアーテは苦戦していた。
剣が羽毛の奥に届かない。
翼と嘴に翻弄され、躱すのがやっとだ。
このままではロゼールとハルタに近づけない。
――だが、鵞鳥がきょとんと立ち止まった。
蹲る老人を振り返る。
不意に二人を無視して、鵞鳥はよたよたと蹲る老人に歩み寄った。
躊躇なく齧りついた。
老人は何が起きたかもわからず絶叫した。
鵞鳥はそのまま空に放り上げるように天を向き、老人を嚥下した。
くぐもった悲鳴が頸を滑り、途絶えた。
鵞鳥はぐわーとひと鳴きするや、黒塵になって霧散した。
「――やれやれね」
漂う黒塵を払いながらハルタが呟いた。
「それだけ転生させられたのなら、アナタの御役目は腐敗の粛清でしょうに」
クロエとリリアーテが二人に駆け寄る。
「誰も教えてあげないから、拗らせちゃったのね」
「教えるって、誰が?」
ロゼールが訊ねる。
「もちろん、神さまよ。だって、それが信仰ってものでしょ?」
ハルタは微笑むと、抱き留めたロゼールの頬に顔を寄せた。
「でも、この子をくれたのは感謝してる。最高の愛し子よ、お礼を言うわね」
惚けて竦んだロゼールに、クロエとリリアーテは呆れて笑った。
もう敵はいないかと、辺りを見渡す。
静まり返った大神殿にあるのは、穴だらけの祭壇と白く削れた原初の石碑だ。
上は空まで抜けた枠だけの大円蓋。
床には無数に散らばる硝子片と、無数に散らばる神官兵。
そして、白目を剥いたサロモン・ジスカール大神官だけだった。
「とりあえず、これで――」
ハルタに抱かれたロゼールに二人が手を差し出した刹那、大神殿が震えた。
四方の扉に突入の号令が轟く。
身廊、翼廊に兵士が雪崩れ込んだ。
国軍の騎士団だ。
一面の死屍累々に躊躇したものの、遠巻きに四人を取り囲む。
さすがに皆も知った顔だった。
「皆一歩たりとも、その場を動くな」
声がした。
凛と響くそれに三人が竦み上がる。
――まだ温泉で湯治の最中では。
顔を見合わせ蒼くなる。
隊列が割れ、掲げた剣の間から女神官が進み出た。
三十路を目の前にして肌は艶やかだ。
湯治の効果だろうか。
舞闘神官衣の女神官は、三人とハルタを睥睨した。
ゼナイド・ブランシェール純潔騎士団前総長。
――ロゼールたちの師匠だ。
ゼナイドは転がる大神官を平然と踏みつけ、四人に歩み寄った。
無言でハルタを睨みつける。
「ええと、これは――」
ロゼールが庇うように上擦った声を上げた。
ゼナイドは無造作にロゼールを引き剥がし、床の上に放り出した。
しばしハルタを見つめてから、背後に控えた騎士に命じる。
「断罪の間に連れて行け」
「師匠、ハルタは――」
振り返ったゼナイドの目に、ロゼールのみならず皆が凍りついた。
「おまえ達に訊くことがある」
ゼナイドが告げる。
「訊き尽くすまで、死ねると思うな」
声にならない悲鳴が大神殿にこだました。




