第21話:激突!魔神大決戦 ~姫は偽物、胸は本物~
ルクスアンデルの王城は、国がその名に定まる以前から拡張されてきた。
当初は敷地に大神殿を擁していたが、今ではほとんどが中庭になっている。
一部残された礼拝堂も、閉鎖され久しい。
今では中庭の装飾のひとつだ。
――昼下がり。
中庭に集う鳥が、不意に飛び立った。
一拍を置いて岩を打つ音。
礼拝堂の建屋が跳ねて、土埃を噴いた。
壁が割れ飛び、押し倒れる。
煙る塵埃の向こうに巨人がいた。
ひと声吠えるや、ハルタの呼び出したそれは、役目を終えて唐突に消え失せた。
「ここはどこだ」
土埃に咽つつ、ロゼールが瓦礫を跨いだ。
「うおー、久しぶりの太陽」
リリアーテが調子に乗って声を上げ、吸い込んだ埃に咳き込んだ。
壁と柱をふわりと越えて、ハルタが中庭を見渡している。
クロエは忠犬の如く後ろに寄り添っていた。
「中庭だ。こんな奥に繋がってるなんてな。ほら、ボクの部屋があっちにある」
リリアーテが中庭の先を指差した。
壮麗な三階建ての建物だ。
気づけば、庭の端々に悲鳴が響いていた。
衛兵を呼ぶ声もする。
最後の錠を壊すためとはいえ、少々派手にやり過ぎたようだ。
三人は辺りを見渡した。
「王女の帰還に不遜じゃね?」
リリアーテが口を尖らせた。
「あら残念、宮殿で優雅にお茶ってわけにはいかないのね」
ハルタが小首を傾げる。
リリアーテは振り返って頬を膨らませた。
「待ってて、ハルくん。茶室を建てさせるから」
人が周囲に集まってきた。
衛兵を前に立て、遠巻きに覗き込んでいる。
「白薔薇の君だ」
「黒睡蓮の君もいるぞ」
「だれだ、あの小さいの」
囁きが聞こえた。
「殿中法度だ。皆殺してやる」
リリアーテが吠えた。
「ハルタ、獅子を出せ」
ロゼールが声をかける。
強行突破だ。
「人使いが荒いわねえ」
ハルタが聖杖を振った瞬間、近付く衛兵が土塊のように跳ねた。
肢が人ほどもある巨大な獅子が現れた。
間近の順に悲鳴が流れる。
「おおう、スゲエ」
言うなりリリアーテが獅子によじ登った。
「よし行け、獅子丸。あっちだ」
獅子丸って何だ。
ロゼールが顔を顰める。
腰の下で獅子の筋肉がうねった。
突き飛ばすような風に逆らい、身を屈める。
「おうおう、我の偽物は何処にあるか。王女リリアーテの名において、与したものは容赦せん」
リリアーテが声を張り上げた。
人を撥ね散らかし、獅子は中庭を疾駆する。
逃げ出す者、覗き見ようとする者が折り重なって、諸共獅子に撥ねられた。
「あそこだ」
ロゼールが建屋を指差した。
突端の三階、何ごとかと中庭を見下ろす偽王女がいる。
リリアーテの私室だ。
ロゼールの悲運の発端でもあった。
衛兵が建物から飛び出して来るも、迫る獅子を見て悲鳴を上げた。
閉じようとした扉ごと廊下に踊り込む。
獅子はそのまま廊下を疾駆した。
逃げ損ねた衛兵を次々と撥ね飛ばし、階段を駆け上がる。
部屋に続く廊下は衛兵で埋まっていた。
獅子を見上げて殿下、殿下と囁きが走るも、みな混乱して顔を見合わせる。
リリアーテが痺れを切らして宣言した。
「ボクに手向かうやつは全員地方勤務だ。ブルクセンで温泉を掘れ」
衛兵が壁に張りついた。
部屋まで道が真っ二つに割れる。
獅子が廊下を走り抜け、扉を踏み倒した。
煽られた風が室内に吹き荒れ、装飾品を巻き上げる。
はい到着と、ハルタが杖を振った。
獅子が消え失せ、皆が戸口に飛び降りる。
クロエはハルタを横抱きに抱えている。
半眼のロゼールに気づくと、そそくさと床に降ろした。
部屋の中ほどに人がいる。
二人の近衛兵を従えた王女が佇んでいた。
黒い薄布で顔の中ほどを覆うが、その胸は確かに大神殿の馬車で見た形だ。
「リリアーテ、あれだ」
ロゼールが囁く。
リリアーテが頷き、仕掛けの紐を引いた。
「地獄に堕ちな、偽物王女」
床に奈落の口が開いた。
あ――と、偽王女と近衛が縺れて落ちた。
悲鳴の尾が引き遠ざかる。
――思いきや、ぷつりと声が途絶えた。
ロゼールが縁から覗き込む。
不意に突き出した蹄に飛び退いた。
二つに割れたそれは、人ほどもあった。
半眼の目が突き上げる。
長い頚を振り、四つ脚が穴を這い上がった。
見上げるほどに巨大な――駱駝だった。
眠そうな目の頭が天井に閊えている。
その背の瘤は、偽王女の半身だ。
偽物の王女は、駱駝の魔神だった。
「あれとボクを見間違えるかー」
真上に首を傾けてリリアーテが呟いた。
駱駝はげっぷのような鳴き声を上げ、長い頚を振った。
部屋中に構わず涎が飛び散る。
ぎゃあと叫んで三人が跳んだ。
クロエはハルタを抱えて逃げる。
駱駝は三人を跨ぎ越し、廊下に逃げた。
異様に膨れた複数の乳が頭上を通り過ぎた。
廊下に並んだ衛兵の悲鳴が順に流れる。
ロゼールたちが追って駆け出した。
「全軍通達、あれを逃がすな」
リリアーテが走りながら声を上げた。
質問を号令で押し潰す。
「城から出すな。聖伐隊を前面に出せ。通常攻撃は効かぬと心得よ」
皆で悲鳴と破壊の音を追いかける。
相手もこちらも形振り構わない。
硝子の砕ける音がした。
突き当りの露台だ。
見おろせば駱駝は地上を蹂躙している。
遠くに悲鳴が飛び交っていた。
「絶対に街に出すな」
ロゼールが叫んだ。
衛兵の一群が件の聖騎士であることも忘れて敬礼し、階下に駆けおりる。
クロエが皆の目を促した。
駱駝の向かう先は、どうやら大神殿だ。
「大神官と合流する気か」
「てか、あの魔神をどうにかされたら、ボクの誤解も解けなくね?」
駱駝の瘤は偽王女だ。
人形のように振りながら、衛兵を嬲って走る。
げっぷのように鳴き、涎を飛ばし、人を食い散らかしていく。
「だが、あんなのをどうする」
駱駝は竜もかくやの大きさだ。
先の獅子でもどうにかなるか――。
「あれなら楽勝なんだけどな」
ハルタがロゼールに囁いた。
「絶対に嫌だ」
「許さんぞ」
ロゼールと飛び出した純潔の誓約が、二人してハルタに噛み付いた。
「どうして駄目なのさ」
リリアーテが口を尖らせる。
ごねていられる状況ではない。
ロゼールは唸ってハルタを押しやり、リリアーテとクロエの頭を抱え込んだ。
「――え、うそ」
「そんなに――」
三人揃って耳まで赤くなる。
「確かに、人前でそれはとんでもねえな」
「だが、ここは耐えるしかないのでは」
「無責任なことを言うな、今度こそ嫁に行けなくなるだろうが」
真顔のロゼールに二人が顔を見合わせる。
「心配するな。最悪、兄上がいる」
リリアーテが言った。
最悪なのか。
「お勧めはしないが大丈夫だ。あいつ、白薔薇の君の信者だから」
「え、そうなの?」
それも嫌だな。
「殿下は婚約を破棄していないし」
クロエが頷く。
「このまま手を拱いていては乙女が廃るぜ」
リリアーテはロゼールに決断を迫った。
人ごとだと思ってと、ロゼールが睨む。
地上の悲鳴は途切れず続く。
嘲るように鳴きながら、駱駝は大神殿に被害を拡げていく。
「心配すんな、あとは任せろ」
「替えも持っていく」
髪を掻き毟って声を上げ、ロゼールは純潔の誓約を掴まえた。
「もしもの時は止めてくれ」
「最初からもしもだ。やめろ、馬鹿者」
純潔の誓約はぐぬぬと唸り、振り返ってハルタを睨んだ。
「おまえ、責任取れ」
言い捨て、ロゼールの胸に飛び込む。
「契約の御名にて我に力を――」
ロゼールがクロエとリリアーテを睨む。
二人はわざとらしく耳を塞いだ。
馬鹿々々しければ馬鹿々々しいほど、力を与える。
――それがハルタのくれた洗礼名だ。
捨て鉢になったロゼールが叫ぶ。
「ち――」
笑いをこらえたハルタから目を反らした。
「ちんちんたちのすけ?」
「――ち?」
クロエとリリアーテが顔を見合わせる。
何だそれはとロゼールを振り返るも、横殴りの突風に突き倒された。
顔を上げると、ロゼールの姿はなかった。
二人が慌てて露台を覗き込む。
下にもいない。
宙にいた。
ロゼールが跳んでいた。
屋根を踏み越え、駱駝を追っている。
着地のたびに建屋が瓦解した。
点々と破壊の跡を残しながら、追い縋る。
漆黒に染まった黄金の翼の刀身が、偽王女の頭を刈り飛ばした。
駱駝が喉を震わせ絶叫する。
ロゼールは身を捻って地上に降り立ち、剣を構える。
空から降ったその首を、駱駝に向かって打ち返した。
哄笑する。
背筋を鑢で擦り上げるような声だった。
駱駝が悲鳴を上げて逃げ出した。
駱駝が大神殿に向かって走る。
瘤の位置には首のない偽女王の身体が、ばたんばたんと揺れている。
黒刃を担いだロゼールが笑いながら追う。
駱駝の速度に悠々とついていく。
駱駝が跳んだ。
大神殿の屋根に飛び登る。
ロゼールも追って空を駆け、嬲るような斬撃で駱駝の身体を削り取る。
恐怖に駆られた駱駝の太い鳴き声が延々と尾を引いた。
それに混じってロゼールの華やいだ笑い声が聞こえてくる。
「どっちが魔神だ、アレ」
露台から目で追うリリアーテが笑った。
「丸見えだ」
クロエが呟く。
「いかん。ハルくん、獅子丸を出して」
露台から身を躍らせようとする獅子を押し留める。
リリアーテは私室に取って返した。
ぐるりと回って衣装棚を蹴破り、そのまま部屋の窓を割る。
クロエがハルタとリリアーテを獅子の背に押さえ、しがみつく。
硝子片と色取り取りの布切れが空に散った。
獅子が大神殿に向かって駆ける。
中庭は死屍累々だ。
「あそこだ」
リリアーテが思い切り身を乗り出した。
大神殿の屋根の上に、駱駝とロゼールが対峙している。
クロエはハルタの襟巻に視界を遮られ、前が見えない。
息苦しさと心地よさで飛びそうだ。
必死で身体と意識を獅子に固定する。
大神殿の屋根が爆ぜ、尖塔が折れる。
長い頚と太い四肢を振るう駱駝を、ロゼールは真正面から打ち払う。
塔に見え隠れするその位置は、身廊と翼廊の交差部。
装飾窓の嵌った円天蓋だ。
「玄関廊へ」
リリアーテが叫んだ。
大神殿の守護兵が押し寄せている。
リリアーテは構わず獅子を蹴り、翼廊の扉に突撃を命じた。
王女の無頼と調子が合うのか、獅子は調子に乗って勢い兵士を蹴散らす。
大扉を踏み破った。
磨かれた床の上を滑る。
見上げた中央の大円蓋に大きな四つ肢の影が跳ねた。
床に落ちた小さな影が、それを翻弄する。
「こっちだ」
クロエが階段を見つけて指差した。
飛び出す刹那、頭上の影が交差した。
ロゼールが駱駝の後肢を刈り飛ばしたのだ。
影が膨れて、天窓を覆う。
弾ぜるように色付硝子が砕け散った。
色取り取りの硝子片が陽光に煌めいた。
絡みつく黒塵が散っていく。
クロエが止める間もなく、ハルタが獅子の背をするりと滑った。
降り注ぐ硝子片の中を歩いて行く。
両手を天に翳し、ロゼールを抱き止めた。
漆黒の黄金の翼が硝子を撥ねて、ハルタの間近に突き立った。
獅子を飛び下り、クロエとリリアーテが走る。
砕けた硝子が床一面を叩いて夕立のような音を立てた。
駆け寄ろうとするも、近づけない。
二人は呆然とその情景に見入った。
ロゼールは無意識にハルタに縋り、身体を何度も引き攣らせた。
焼き付いた身体が心地よく温んでいく。
顔を出した純潔の誓約がハルタを睨んだ。
「見るな馬鹿者」
「アナタもよく頑張ったわね」
純潔の誓約が真っ赤になって口籠った。
破片に頭を庇いながらクロエとリリアーテが駆けてくる。
踵の下が、霜のようにざくざくと音を立てた。
ロゼールを抱いたハルタが二人を振り返る。
不意にハルタの背が弾けた。
掛けた聖杖が二つに折れた。
継ぎ手に巻いた黒革が、辛うじて柄頭を繋いで揺れている。
クロエとリリアーテが剣を抜いて滑り込んだ。
ハルタとロゼールを背に庇い、振り返る。
先は玄関の大扉だ。
人の波が押し寄せてくる。
一列に並んだ神官銃士だ。
身廊を端まで埋め、塵ひとつ漏らさぬ勢いで祭壇に迫って来る。
手にしているのは神罰器だ。
「おまえらか」
リリアーテが唸った。
地下洞でしつこく襲ってきた輩だ。
その隊列の中ほどから、ぷっくりとした生白い指が突き出した。
隊列をこじ開け、丸い祭服が転び出る。
ずれた冠を整えた。
六代神官サロモン・ジスカール大神官だ。
聖杖を高く掲げ、四人を睨め付ける。
大神殿を埋めた神官兵に命じた。
「神の御名、神の御名にて。神敵を殲滅せよ」




