第18話:秘密の牢獄 ~放蕩の赤い騎士~
地下洞に、酷く場違いな建物が建っている。
舞台装置のように組まれた、仕切り壁だけの簡易な家屋だ。
ただし、全てが宮廷仕様だ。
居間、寝室、調理場、浴室、手洗いまで完備された豪奢な平屋だ。
陽光が届かないことを除けば、生活に不自由はない。
「秘密基地」
呆れ返ってロゼールは呻いた。
「家出の装備だ」
クロエが指摘した。
「その通り」
リリアーテは筋金入りの家出常習犯だ。
すぐ宮廷に連れ戻されるが、繰り返すうち装備が進化した。
これ一式が馬車一台に収まる。
宮廷工学室の粋を極めた家出装備だった。
使用人がいないことだけが残念だ。
王女手ずからのもてなしで、湯気の立つ碗を眺めて長椅子に沈んだ。
「それより」
リリアーテは不意に爪先立って、ロゼールとクロエを両手で抱え込んだ。
「早くあのキラキラの方を紹介しろ」
声を殺して二人を責める。
「お勧めはしないぞ」
「殿下にはまだ早い」
早いって何だ。
ロゼールがクロエに怪訝な目を向ける。
「あら、アタシのことかしら」
ハルタがリリアーテに微笑みかける。
「初めまして。アタシ、フロルケイン・ハルタ。ロゼールとクロエの――お友達」
ロゼールは顔を顰め、クロエは頬を赤らめた。
それ以上はやめてと、二人はハルタを制した。
二人を見てリリアーテは混乱した。
「何、どういう関係?」
「邪教の代理神官だ」
「そう、ロゼールはアタシの愛し子なわけ」
理解するまで、しばし間が空いた。
「正気か、ロゼール」
思わず声を張り上げる。
背信者の首など大根より軽く落としてきたロゼールが、邪教に堕ちるなど。
信じ難いにも程がある。
「心配するな、じきに手を切る」
純潔の誓約がロゼールの肩に飛び乗った。
「うお」
「――入団の折りに結んだ誓約だ」
説明するのが面倒になってきた。
「純潔の誓約ちゃんである」
手に載るほどのロゼールが、腰に手を当て、胸を逸らした。
「誓約って、行き遅れのあれか。うそ、こんなになんの?」
「行き遅れって何だ」
「こいつのせいだぞ」
純潔の誓約がハルタの肩に飛び移り、小さな指で頬を突いた。
「ボクのも出るかな」
「私のも」
「入信するなら、他にも素敵な特典がいっぱいあるわよ」
ハルタが何気に勧誘する。
「やめておけ、後悔するぞ」
ロゼールがむっつりと釘を刺した。
◇
「――でさ。ロゼール、ボクの部屋で穴に落ちたじゃない?」
リリアーテは上目遣いにロゼールを窺った。
「ああ」
「落としたの、ボク」
殴りかかろうとするロゼールを、慌ててクロエが押さえ込む。
「床にさ、ボクの――」
ハルタを気にして顔を寄せる。
「胸の詰め物が落ちてたじゃない」
「あー」
赤い敷物の記憶だ。
落ちていた。
言われてみれば、確かに胸の詰め物だ。
「びっくりして、隠そうとしてさ――」
こう、ぐいっとね。
リリアーテは仕掛けの紐を引く動作を見せる。
「そしたらロゼールごと落ちるじゃない」
まいったね。
そう無邪気に笑った。
クロエがロゼールを羽交締めにした。
「だーかーらー。ボクも慌てたんだって。悪いと思って、ずっと探してんじゃん」
「ずっと?」
「そう、半年くらい?」
ロゼールもクロエもぽかんと口を開ける。
確かに、ロゼールが石留村で目覚めてから、もうそれくらいになる。
「臥せっていると――」
「大神殿で見たぞ――」
「え、何それ怖い」
リリアーテはきょとんとしている。
「殿下、いまスカーロフどうなっているか知らないのか?」
「何かあったの?」
今度はクロエが殴りかかった。
「マジかー」
それがリリアーテの感想だった。
「何も知らんわ、それ」
気の抜けた反応とは裏腹に、宮廷そのものが一気に不穏な気配を帯びる。
「ロゼールが落ちたとき、誰にも助けを求めなかったのか」
クロエが責める。
「いや、さすがに拙いと思うじゃん?」
「あたりまえだ」
「でもって、ここ大神殿の管轄じゃん?」
リリアーテが両手を拡げて地下洞を指す。
「そうなの?」
「そうなの」
リリアーテが頷く。
「だから、すぐ大神官のところに行ったのさ」
「どうなった」
「何とかするとは言われた」
リリアーテは口を尖らせた。
「でも、聖騎士を忌地に落すのはヤバいから、絶対に人には言うなって、ね」
「大神官が?」
「大神官が」
ロゼールとクロエが顔を見合わせる。
「でもさ、何日経っても帰って来ないし。そりゃあ心配になるじゃない?」
「殿下のせいだしな」
クロエが呟く。
「だーかーらー。ここに降りて来たわけ」
「では、ここから出る方法も?」
ロゼールが訊ねる。
「簡単にいったら、苦労しないって」
リリアーテは、いーっと歯を剥いた。
「知らない間に穴は閉じちゃうし、何だか大勢で襲って来るし、おまけに出口はさっきの変な奴ら」
「魔神か」
ロゼールが唸る。
「何さ、魔神て」
ロゼールがハルタに目をやる。
ハルタは無心に菓子を齧る純潔の誓約の頬を突いて遊んでいる。
碗を投げようとしたロゼールを察して、ハルタは振り返った。
「ロゼールのお尻が解放した魔物よ」
「さっきみたいな変態だ」
結局、ロゼールが言い直した。
「おおう」
「そうなると、宮廷も大神官も魔神に与している可能性が高いな」
エルアリーナを支配していた魔神のように――いや、それよりも狡猾に。
「宮廷の誰も阻止できなかったのか」
クロエの呟きはもっともだ。
「兄上は役に立たないし。お母さまと師匠がいたら、普通はこうはならんもの」
「地方順拝だったな」
「湯治。世界湯巡りの旅。順拝はそのついで。当分は帰って来ないなー」
何だそれは。
とはいえ、師匠は温泉好きだ。
師匠がロゼール討伐に動いたという噂は、あてにならない。
首を取りに来るのは、まだ先だ。
「しかしリリアーテ、ずっとこんな所にいてよく無事だったな」
「無事なわけないじゃん」
リリアーテが口を尖らせる。
「あの魔神とやらは、近づかない限り追って来ないけどさ」
リリアーテの言葉にクロエが目を細めた。
「襲われたといったな」
「神罰器を持った奴らだろう」
ロゼールが身を乗り出すと、リリアーテはふふんと不敵に笑った。
「そうそれ。やっつけたけどな」
「大神殿の神官兵か?」
「わかんない。でも、王女に手を上げちゃ駄目でしょ。四、五人ほど天に還して、追い返してやったわ」
平然と嘯いた。
普通の状況なら宮廷と神殿の火種だが、この際は仕方がない。
「さすがに神罰器は持って帰られたけどな」
それはおそらく破門砲だ。
大神官は神器を私物化しているに違いない。
一歩間違えば、リリアーテも破門されていたところだ。
「他の出口に心当たりは?」
「ない。魔神とやらを何とかせにゃならん」
むう、とリリアーテが口を曲げる。
「でも、あの変な屍鬼、斬っても減らんし、詔弾だって幾つもないしさ」
「それな」
「何、ロゼールはあの手のに詳しい人?」
「まあなんとなく」
黒刃と化したロゼールの黄金の翼なら魔神を斃すことができる。
ハルタがいる限り詔弾も尽きない。
「そういうことなら」
リリアーテがにっと笑って身を乗り出した。
「この三人が揃ったんだから、何とかなるっしょ。あいつら、やっちゃおうぜ」
◇
真っ直ぐ伸びた暗闇に、微かに衣擦れの音がした。
深く皺の刻まれた顎をゆっくりと上げ、巨人は細く目を眇める。
洞穴の風音か、再び件の者か。
だが何も捉えられない。
そこにはただ、古い大柱の列が岩に呑まれて朽ちているだけだ。
大きく抜けた身廊は、忘却の神殿の成れの果て。
両側に垂れた石柱は、側廊の仕切りを這って生え伸びている。
巨人は左右に突き出た翼廊の奥、砕けた神像の足元にいる。
祭壇の名残りに腰掛けていた。
その目はまだ、探るように朽ちた身廊を睨んでいる。
不意に間近に灯が打ち上がった。
リリアーテの姿が闇に浮かぶ。
「そこのでかいの、道空けな」
言い放ち、双剣を抜き放つ。
ルクスアンデル王家由来の神罰器、星と陽だ。
翼廊の奥に蟠る暗がりに、無数の屍鬼が湧き出した。
身体に張り付いた黒の被膜、頭部には複雑な紋様が描かれている。
きー。
ひゅるる。
耳障りな声を上げながら、屍鬼はリリアーテに向かって一斉に走った。
真っ向を避け、リリアーテが片翼に飛び込む。
闇に紛れて身廊を駆け抜ける。
群れの端に刃を付き込んだ。
剣の間合いは短いが、四肢が自在に伸びて打つ。
動作が優雅で小気味よい。
くるくると舞い、翻弄する。
柔軟さを速度と力に変えるクスアンデル舞闘術の体捌きだ。
だが、屍鬼は数に任せてリリアーテの周囲を固めようとする。
黒い波に呑まれるかと思いきや、屍鬼の首が刎ね上がった。
身体が割れて石畳に跳ねる。
群れの背後にクロエがいた。
長く反った片刃刀、無慈悲が一閃する。
そのたび、両断された屍鬼の身体がごろごろと転がった。
辺りに黒塵が舞い荒れる。
二人が屍鬼を巻き取って行く。
巨人が腰を上げた。
数歩踏み出し、辺りを探った。
孤立を狙う意図に気づいて頭を巡らせる。
背後にロゼールが立っていた。
黒刃を下げて佇んでいる。
先ほどまでいた祭壇の上に、緋色の影が揺らいでいた。
ハルタは聖杖を担いで剣戟を眺めている。
巨人が踏み出すその前に、ロゼールが打って出た。
籠手が弾いて火花が散る。
太い拳の一振りの内に、ロゼールは身体を回して剣を打った。
独楽を相手にするように、籠手と剣が火花を散らして打ち合う。
体格差にも、ロゼールは引かない。
振り下ろされる拳を撥ね上げた。
圧された巨人がたたらを踏む。
踏み込むロゼールに横殴りの一撃。
身を地に伏せてロゼールが躱す。
その一動作で巨人の軸足を刈り取った。
巨体が捩じれるように倒れ込む。
身を捻ったロゼールが、天を仰いだ巨人の喉を真上から断ち落とした。
「神罰、覿面」
驚愕の顔が黒塵と化して弾け飛んだ。
クロエとリリアーテを囲む屍鬼が塵に還る。
大きく息を吐いてロゼールはハルタを振り返った。
その下にあるのは、あの日見た黒い石碑だ。
「やはり、ここは」
ロゼールは改めて辺りを見渡した。
留石村の森でハルタに出会う、その直前までいた場所だ。
地下洞の記憶はそこで途切れている。
この石碑こそがロゼールの逃亡の終わり。
迷走の始まりだった。
「なにこれ、祭壇の石碑?」
「大神殿のと同じだ」
リリアーテとクロエがハルタの腰掛ける石碑を覗き込む。
「でもこれ」
ハルタの脚――の傍に二人が目を剥く。
詩篇が三つある。
削り落とされた痕ではなく、詩篇そのものが掘り込まれている。
「これは?」
「何このふにゃふにゃしたの」
クロエとリリアーテにはそう見えるらしい。
「詩なんてそういうものだろう」
「――いや、そうじゃなくて」
ハルタが笑って肩を竦めた。
「神さまがいると、見えないわよね」
「もちろん、アナタは別よロゼール」
言ってハルタはロゼールの肩を抱き寄せた。
「え、なに、ずるくない?」
リリアーテの言葉にクロエがこくこくと頷く。
あの日、信仰を失ったロゼールがこの詩篇を見たことが堕ちた原因だ。
ハルタの腕を無意識に受け入れてしまい、ロゼールは茫然とした。
邪神に魅入られ、遠い石留村のハルタに結びつけられた。
気がつくと、リリアーテが指をくわえてロゼールを眺めている。
クロエがそわそわと落ち着きなく、純潔の誓約が思い切り耳を引っ張っている。
「慎みを知れ、うつけ者」
純潔の誓約が、ハルタになすがままのロゼールを蹴飛ばした。
「よーし、気を取り直して城に凱旋するぜ」
リリアーテが勝ち鬨を上げた。
石碑の向こう側を覗き込み、壁を蹴る。
「え?」
「扉、ここだから」
ロゼールが呆然と目を向けた。
あの日力尽きた場所の、ほんの鼻の先だ。
『上がり』直前で『振り出しに戻る』を引いた気分だった。
ロゼールは石碑に突っ伏した。
どうやらあの日ロゼールは、とことん賽の目が悪かったに違いない。




