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笑う邪神官  作者: marvin
18/24

第18話:秘密の牢獄 ~放蕩の赤い騎士~

 地下洞に、酷く場違いな建物が建っている。

 舞台装置のように組まれた、仕切り壁だけの簡易な家屋だ。

 ただし、全てが宮廷仕様だ。

 居間、寝室、調理場、浴室、手洗いまで完備された豪奢な平屋だ。

 陽光が届かないことを除けば、生活に不自由はない。

「秘密基地」

 呆れ返ってロゼールは呻いた。

「家出の装備だ」

 クロエが指摘した。

「その通り」

 リリアーテは筋金入りの家出常習犯だ。

 すぐ宮廷に連れ戻されるが、繰り返すうち装備が進化した。

 これ一式が馬車一台に収まる。

 宮廷工学室の粋を極めた家出装備だった。

 使用人がいないことだけが残念だ。

 王女手ずからのもてなしで、湯気の立つ碗を眺めて長椅子に沈んだ。

「それより」

 リリアーテは不意に爪先立って、ロゼールとクロエを両手で抱え込んだ。

「早くあのキラキラの方を紹介しろ」

 声を殺して二人を責める。

「お勧めはしないぞ」

「殿下にはまだ早い」

 早いって何だ。

 ロゼールがクロエに怪訝な目を向ける。

「あら、アタシのことかしら」

 ハルタがリリアーテに微笑みかける。

「初めまして。アタシ、フロルケイン・ハルタ。ロゼールとクロエの――お友達」

 ロゼールは顔を顰め、クロエは頬を赤らめた。

 それ以上はやめてと、二人はハルタを制した。

 二人を見てリリアーテは混乱した。

「何、どういう関係?」

「邪教の代理神官だ」

「そう、ロゼールはアタシの愛し子なわけ」

 理解するまで、しばし間が空いた。

「正気か、ロゼール」

 思わず声を張り上げる。

 背信者の首など大根より軽く落としてきたロゼールが、邪教に堕ちるなど。

 信じ難いにも程がある。

「心配するな、じきに手を切る」

 純潔の誓約がロゼールの肩に飛び乗った。

「うお」

「――入団の折りに結んだ誓約だ」

 説明するのが面倒になってきた。

「純潔の誓約ちゃんである」

 手に載るほどのロゼールが、腰に手を当て、胸を逸らした。

「誓約って、行き遅れのあれか。うそ、こんなになんの?」

「行き遅れって何だ」

「こいつのせいだぞ」

 純潔の誓約がハルタの肩に飛び移り、小さな指で頬を突いた。

「ボクのも出るかな」

「私のも」

「入信するなら、他にも素敵な特典がいっぱいあるわよ」

 ハルタが何気に勧誘する。

「やめておけ、後悔するぞ」

 ロゼールがむっつりと釘を刺した。


 ◇


「――でさ。ロゼール、ボクの部屋で穴に落ちたじゃない?」

 リリアーテは上目遣いにロゼールを窺った。

「ああ」

「落としたの、ボク」

 殴りかかろうとするロゼールを、慌ててクロエが押さえ込む。

「床にさ、ボクの――」

 ハルタを気にして顔を寄せる。

「胸の詰め物が落ちてたじゃない」

「あー」

 赤い敷物の記憶だ。

 落ちていた。

 言われてみれば、確かに胸の詰め物だ。

「びっくりして、隠そうとしてさ――」

 こう、ぐいっとね。

 リリアーテは仕掛けの紐を引く動作を見せる。

「そしたらロゼールごと落ちるじゃない」

 まいったね。

 そう無邪気に笑った。

 クロエがロゼールを羽交締めにした。

「だーかーらー。ボクも慌てたんだって。悪いと思って、ずっと探してんじゃん」

「ずっと?」

「そう、半年くらい?」

 ロゼールもクロエもぽかんと口を開ける。

 確かに、ロゼールが石留村で目覚めてから、もうそれくらいになる。

「臥せっていると――」

「大神殿で見たぞ――」

「え、何それ怖い」

 リリアーテはきょとんとしている。

「殿下、いまスカーロフどうなっているか知らないのか?」

「何かあったの?」

 今度はクロエが殴りかかった。


「マジかー」

 それがリリアーテの感想だった。

「何も知らんわ、それ」

 気の抜けた反応とは裏腹に、宮廷そのものが一気に不穏な気配を帯びる。

「ロゼールが落ちたとき、誰にも助けを求めなかったのか」

 クロエが責める。

「いや、さすがに拙いと思うじゃん?」

「あたりまえだ」

「でもって、ここ大神殿の管轄じゃん?」

 リリアーテが両手を拡げて地下洞を指す。

「そうなの?」

「そうなの」

 リリアーテが頷く。

「だから、すぐ大神官のところに行ったのさ」

「どうなった」

「何とかするとは言われた」

 リリアーテは口を尖らせた。

「でも、聖騎士を忌地に落すのはヤバいから、絶対に人には言うなって、ね」

「大神官が?」

「大神官が」

 ロゼールとクロエが顔を見合わせる。

「でもさ、何日経っても帰って来ないし。そりゃあ心配になるじゃない?」

「殿下のせいだしな」

 クロエが呟く。

「だーかーらー。ここに降りて来たわけ」

「では、ここから出る方法も?」

 ロゼールが訊ねる。

「簡単にいったら、苦労しないって」

 リリアーテは、いーっと歯を剥いた。

「知らない間に穴は閉じちゃうし、何だか大勢で襲って来るし、おまけに出口はさっきの変な奴ら」

「魔神か」

 ロゼールが唸る。

「何さ、魔神て」

 ロゼールがハルタに目をやる。

 ハルタは無心に菓子を齧る純潔の誓約の頬を突いて遊んでいる。

 碗を投げようとしたロゼールを察して、ハルタは振り返った。

「ロゼールのお尻が解放した魔物よ」

「さっきみたいな変態だ」

 結局、ロゼールが言い直した。

「おおう」

「そうなると、宮廷も大神官も魔神に与している可能性が高いな」

 エルアリーナを支配していた魔神のように――いや、それよりも狡猾に。


「宮廷の誰も阻止できなかったのか」

 クロエの呟きはもっともだ。

「兄上は役に立たないし。お母さまと師匠がいたら、普通はこうはならんもの」

「地方順拝だったな」

「湯治。世界湯巡りの旅。順拝はそのついで。当分は帰って来ないなー」

 何だそれは。

 とはいえ、師匠は温泉好きだ。

 師匠がロゼール討伐に動いたという噂は、あてにならない。

 首を取りに来るのは、まだ先だ。

 「しかしリリアーテ、ずっとこんな所にいてよく無事だったな」

「無事なわけないじゃん」

 リリアーテが口を尖らせる。

「あの魔神とやらは、近づかない限り追って来ないけどさ」

 リリアーテの言葉にクロエが目を細めた。

「襲われたといったな」

神罰器(バニッシャー)を持った奴らだろう」

 ロゼールが身を乗り出すと、リリアーテはふふんと不敵に笑った。

「そうそれ。やっつけたけどな」

「大神殿の神官兵か?」

「わかんない。でも、王女に手を上げちゃ駄目でしょ。四、五人ほど天に還して、追い返してやったわ」

 平然と嘯いた。

 普通の状況なら宮廷と神殿の火種だが、この際は仕方がない。

「さすがに神罰器(バニッシャー)は持って帰られたけどな」

 それはおそらく破門砲(エクスコミュニケータ)だ。

 大神官は神器を私物化しているに違いない。

 一歩間違えば、リリアーテも破門されていたところだ。

「他の出口に心当たりは?」

「ない。魔神とやらを何とかせにゃならん」

 むう、とリリアーテが口を曲げる。

「でも、あの変な屍鬼(グール)、斬っても減らんし、詔弾だって幾つもないしさ」

「それな」

「何、ロゼールはあの手のに詳しい人?」

「まあなんとなく」

 黒刃と化したロゼールの黄金の翼(エルドール)なら魔神を斃すことができる。

 ハルタがいる限り詔弾も尽きない。

「そういうことなら」

 リリアーテがにっと笑って身を乗り出した。

「この三人が揃ったんだから、何とかなるっしょ。あいつら、やっちゃおうぜ」


 ◇


 真っ直ぐ伸びた暗闇に、微かに衣擦れの音がした。

 深く皺の刻まれた顎をゆっくりと上げ、巨人は細く目を眇める。

 洞穴の風音か、再び件の者か。

 だが何も捉えられない。

 そこにはただ、古い大柱の列が岩に呑まれて朽ちているだけだ。

 大きく抜けた身廊は、忘却の神殿の成れの果て。

 両側に垂れた石柱は、側廊の仕切りを這って生え伸びている。

 巨人は左右に突き出た翼廊の奥、砕けた神像の足元にいる。

 祭壇の名残りに腰掛けていた。

 その目はまだ、探るように朽ちた身廊を睨んでいる。


 不意に間近に灯が打ち上がった。

 リリアーテの姿が闇に浮かぶ。

「そこのでかいの、道空けな」

 言い放ち、双剣を抜き放つ。

 ルクスアンデル王家由来の神罰器(バニッシャー)(エトワール)(ソレイユ)だ。

 翼廊の奥に蟠る暗がりに、無数の屍鬼(グール)が湧き出した。

 身体に張り付いた黒の被膜、頭部には複雑な紋様が描かれている。

 きー。

 ひゅるる。

 耳障りな声を上げながら、屍鬼(グール)はリリアーテに向かって一斉に走った。

 真っ向を避け、リリアーテが片翼に飛び込む。

 闇に紛れて身廊を駆け抜ける。

 群れの端に刃を付き込んだ。

 剣の間合いは短いが、四肢が自在に伸びて打つ。

 動作が優雅で小気味よい。

 くるくると舞い、翻弄する。

 柔軟さを速度と力に変えるクスアンデル舞闘術の体捌きだ。

 だが、屍鬼(グール)は数に任せてリリアーテの周囲を固めようとする。

 黒い波に呑まれるかと思いきや、屍鬼(グール)の首が刎ね上がった。

 身体が割れて石畳に跳ねる。

 群れの背後にクロエがいた。

 長く反った片刃刀、無慈悲(アンピトヤブル)が一閃する。

 そのたび、両断された屍鬼(グール)の身体がごろごろと転がった。

 辺りに黒塵が舞い荒れる。

 二人が屍鬼(グール)を巻き取って行く。

 巨人が腰を上げた。

 数歩踏み出し、辺りを探った。

 孤立を狙う意図に気づいて頭を巡らせる。

 背後にロゼールが立っていた。

 黒刃を下げて佇んでいる。

 先ほどまでいた祭壇の上に、緋色の影が揺らいでいた。

 ハルタは聖杖を担いで剣戟を眺めている。

 巨人が踏み出すその前に、ロゼールが打って出た。

 籠手が弾いて火花が散る。

 太い拳の一振りの内に、ロゼールは身体を回して剣を打った。

 独楽を相手にするように、籠手と剣が火花を散らして打ち合う。

 体格差にも、ロゼールは引かない。

 振り下ろされる拳を撥ね上げた。

 圧された巨人がたたらを踏む。

 踏み込むロゼールに横殴りの一撃。

 身を地に伏せてロゼールが躱す。

 その一動作で巨人の軸足を刈り取った。

 巨体が捩じれるように倒れ込む。

 身を捻ったロゼールが、天を仰いだ巨人の喉を真上から断ち落とした。

「神罰、覿面」

 驚愕の顔が黒塵と化して弾け飛んだ。


 クロエとリリアーテを囲む屍鬼(グール)が塵に還る。

 大きく息を吐いてロゼールはハルタを振り返った。

 その下にあるのは、あの日見た黒い石碑だ。

「やはり、ここは」

 ロゼールは改めて辺りを見渡した。

 留石村の森でハルタに出会う、その直前までいた場所だ。

 地下洞の記憶はそこで途切れている。

 この石碑こそがロゼールの逃亡の終わり。

 迷走の始まりだった。

「なにこれ、祭壇の石碑?」

「大神殿のと同じだ」

 リリアーテとクロエがハルタの腰掛ける石碑を覗き込む。

「でもこれ」

 ハルタの脚――の傍に二人が目を剥く。

 詩篇が三つある。

 削り落とされた痕ではなく、詩篇そのものが掘り込まれている。

「これは?」

「何このふにゃふにゃしたの」

 クロエとリリアーテにはそう見えるらしい。

「詩なんてそういうものだろう」

「――いや、そうじゃなくて」

 ハルタが笑って肩を竦めた。

「神さまがいると、見えないわよね」

「もちろん、アナタは別よロゼール」

 言ってハルタはロゼールの肩を抱き寄せた。

「え、なに、ずるくない?」

 リリアーテの言葉にクロエがこくこくと頷く。

 あの日、信仰を失ったロゼールがこの詩篇を見たことが堕ちた原因だ。

 ハルタの腕を無意識に受け入れてしまい、ロゼールは茫然とした。

 邪神に魅入られ、遠い石留村のハルタに結びつけられた。

 気がつくと、リリアーテが指をくわえてロゼールを眺めている。

 クロエがそわそわと落ち着きなく、純潔の誓約が思い切り耳を引っ張っている。

「慎みを知れ、うつけ者」

 純潔の誓約が、ハルタになすがままのロゼールを蹴飛ばした。

「よーし、気を取り直して城に凱旋するぜ」

 リリアーテが勝ち鬨を上げた。

 石碑の向こう側を覗き込み、壁を蹴る。

「え?」

「扉、ここだから」

 ロゼールが呆然と目を向けた。

 あの日力尽きた場所の、ほんの鼻の先だ。

 『上がり』直前で『振り出しに戻る』を引いた気分だった。

 ロゼールは石碑に突っ伏した。

 どうやらあの日ロゼールは、とことん賽の目が悪かったに違いない。

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