第17話:秘密の牢獄 ~放浪の赤い騎士~
ロゼールの身体が延々と落ちる。
一瞬が引き延ばされる感覚だ。
大聖堂の宝物庫は、遥か頭上に閉ざされた。
速度と不安だけが増している。
不意に間近に聖霊術の火が飛んだ。
辺りを照らし出すそれに、ロゼールは岩壁を見て切っ先突き立てた。
骨に響く破砕音。
石片と苔と水が弾け飛ぶ。
聖霊術こそ使えないが、邪神の加護はそれを補って余りある。
剣を使って速度を殺し、浅い泥底に水飛沫を上げた。
身体で衝撃を逃がし切り、立ち上がって辺りを見回す。
一緒に落ちたハルタはどこだ。
不意に頭上に気配を感じた。
聖霊術の気砲が間近に爆ぜる。
真正面から泥水を被った。
クロエが落下の勢いを殺して降りたのだろう。
ロゼールが口の中のざりざりを吐き出していると、頭上に灯が浮いた。
暗がりからクロエが歩いて来る。
両手でハルタを横抱きにしていた。
首に腕を回してしがみつくハルタは可憐なお姫さまだ。
「どういうことだ」
クロエがロゼールに問う。
それはこっちの台詞だ。
どうしてお姫さま抱きなのだ。
「大神官猊下がなぜ」
眉間に寄せた縦皺は、表情に乏しいクロエなりの目一杯の驚きだ。
「ようやく私の話を聴く気になったか?」
ロゼールは口を尖らせた。
辺りは以前の地下洞に似ている。
あのときは王城の地下、王女リリアーテの私室の直下だった。
宮殿と大神殿は大昔、同じ敷地の中にあったらしい。
地下深くで繋がっていても、不思議はない。
遥か頭上に大聖堂の基礎が覗いている。
地下洞の上に築かれたというより、掘り当てたと言った方が正解だろうか。
どうせならと、生きて帰れぬ罠に活用しているのかもしれない。
とはいえ、その広さは異様だ。
端々は明らかに人の手によるものだが、四方は天然の岩壁に溶け込んでいる。
まるで岩の波が街を呑み込んだような形だ。
いずれにせよ、常人では無事でいられない。
だが、聖騎士を落とすことまでは、想定していなかったに違いない。
神の使徒はしぶとく頑健だ。
それが邪神なら、なおさらだ。
ロゼールはクロエと一次休戦を結んだ。
まずはここを出るのが先だ。
ことのあらましを掻い摘んで話す。
まだ、納得には程遠いかもしれないが。
それでもクロエは、聖騎士の立場を置いて、ロゼールの処遇を保留した。
辺りに注意を払いながら、ロゼールとクロエは出口を探して歩いた。
地面はおよそ平坦だが、滲み出た地下水が所々に溜まっている。
下水ならロゼールも落ち込んだだろうが、水は底まで澄んでいた。
おかげで綺麗に白く剥けた人骨が見える。
「というか、いい加減にハルタをおろせ」
クロエはずっとハルタを抱えたままだ。
「アタシはこのままでもいいわよ」
クロエが頷く。
「そう言ってる」
「そう言ってる、じゃない」
騙されるなクロエ。
そいつは邪教の代理神官だ。
「だいたい、いつまでそれを着けている」
クロエの喉には緋色の首環がある。
黒衣の男装に緋色のそれが、ちょっと格好よくて悔しかった。
「外すなって」
困ったようにクロエが言う。
「取ってあげましょうか?」
クロエは首を振った。
「このままでいい」
しかも気に入っている。
味方になればクロエほど心強い者もいない――はずが、今は不安しかない。
「とにかく出口を探そう」
前のことを思えば、追手にも警戒が必要だ。
ロゼールを追い詰めたのは神罰器だ。
その一撃は律令神から破門されるほどに強力な――破門?
「うわああ」
ロゼールが声を上げた。
破門砲だ。
宝物庫にあったのは展示品の偽物だった。
ならば、敵は――。
今度こそはと、大神官は言った。
だが、なぜだ。
なぜロゼールなのだ。
クロエに焦って打ち明けるも、俄かには信じ難い様子だ。
当然だ。
ロゼールにも、わけがわからない。
周囲に注意を払いつつ地下洞を進む。
路も方向も勘頼りだ。
地図を埋めるつもりで進むしかない。
とりあえず、本道らしい広い路を選ぶ。
幾つもの支道が四方に伸びていた。
足元に不都合はないが、明暗の差が却って行く先を闇に閉ざしている。
持続の長いクロエの聖霊術を見上げ、ロゼールはハルタに耳打ちした。
「邪神の術に、あんなのはないのか」
ロゼールの加護は身体強化ばかりだ。
「あら、誓約ちゃんがいるじゃないの」
「とうっ」
胸から純潔の誓約が飛び出した。
それはロゼールの頭の上に飛び乗るや全身から光を放った。
「それは何だ」
クロエが驚いて目を細める。
どうやらクロエにも純潔の誓約が見えている。
「純潔の誓約ちゃんである」
ロゼールの頭の上でつんと胸を逸らした。
自分でちゃんとか言っている。
「いいなあ、いいなあ」
クロエがうろうろとロゼールの周りを回る。
鬱陶しい、とロゼールが追い払った。
誓約が顕現するほどの苦難があったのだ。
生半可な覚悟では耐えられない。
そう言うとクロエはハルタを見た。
「邪教に入れば、私にもこれが?」
聞けよ、話を。
「今ならお得なサービス付きよ?」
「やめろ、簡単に人生を捨てるな」
クロエを押し退け、ロゼールが叱る。
探索がてらに経緯を聞かせた。
思い出すにつけ苦労と不名誉ばかりだ。
友のためだと、ロゼールは恥を忍んだ。
「大神官猊下を鞭で?」
「他にも色々あっただろう」
クロエにロゼールが突っ込む。
「あら、自分に正直なのは悪くないわ」
ハルタが笑う。
「秩序神閥は自分を律するのが根幹だ」
ロゼールは口を尖らせた。
「気持ちいいなら、何よりじゃない」
「修行で気持ちよくなってどうする」
ハルタがロゼールを覗き込む。
「ロゼールは気持ちよくなかった?」
頬に血が上る。
怒った純潔の誓約が頭を蹴った。
「邪神の使徒め」
もじもじと内股になり、ロゼールは焦った。
「仲良しだな」
クロエが羨ましそうにいった。
「どこを見てそれを言う」
ロゼールはクロエに噛みついた。
「クロエ」
ロゼールの声にクロエが頷いた。
気配を感じた。
足下の水音を殺すようにして、遠くで風が動いている。
クロエに目をやると同意を返した。
仕掛けてくるなら、手前の支路だ。
あえて頭上の灯はそのままに、待ち伏せる敵を先制する。
――来た。
「見つけたぞ」
叫んだのは飛び出した人影の方だった。
「残念だったな追手ども、追い詰められたのはそっちの方だ」
高らかに笑う。
必要以上にそっくり返る。
ロゼールとクロエは茫然と眺めた。
燃えるような紅い髪。
身体に貼り付く紅い鎖帷子。
斜め掛けの二本の腰帯。
両手に翳した双剣は、知る人ぞ知る星と陽。
王家に伝わる神罰器だ。
「ボクぅ――」
頭上で交差し、腰を捻る。
「参上ッ」
切っ先を向けて見得を切った。
「どうだ驚いて声も出まい」
いや、呆れて声が出ない。
「こんなところで何をしている、リリアーテ」
名を呼ばれ、リリアーテ・ベラ=サレイユは飛び上がった。
「ロゼール――ロゼール?」
隣を見る。
「それにクロエも」
ハルタが横から顔を出し、リリアーテの胸を指差した。
「ねえ、随分と違わない?」
誤魔化しようがないほど平板だ――大神殿の馬車で見たのとまるで違う。
「リリアーテは昔から見栄っ張りだ。何もないのが本物なんだ」
「うわああああ」
リリアーテが大声を上げた。
「ごめんなさい」
大声で叫んで逃げていく。
ごめんなさいがこだました。
三人は、呆然と後ろ姿を見送った。
「リリアーテだったよな?」
ロゼールがクロエに確認する。
こくりとクロエは頷いた。
「あれ、ちょっと盛り過ぎなんじゃないかしら」
こくりとクロエはまた頷いた。
なぜこんな場所に王女がいるのか。
大神殿の馬車で見た王女と同一人物か。
胸は確かに、二人の知るリリアーテだ。
あのはっちゃけた性格も、普段はぶ厚い外面の下にある本物だった。
「とりあえず、追って事情を――」
ロゼールが言いかけると、クロエが通路の先を指した。
リリアーテが走ってくる。
「にぃー」
水を撥ね上げて駆ける王女の後ろに、黒々とした影がついて来る。
ロゼールにはお馴染みの黒い屍鬼だ。
「げぇー」
さらに、奥には巨人がいる。
分厚い岩の塊に、大木を縒り合せたような太い四肢。
申し訳程度に載った小さな頭は、猿のように皺くちゃだ。
両手の厳つい籠手を振りながら、リリアーテを追ってくる。
「てぇー」
巨人の影を見た瞬間、ロゼールは無言で踵を返した。
クロエも迷わず一緒に逃げる。
すでにハルタの姿はなかった。
リリアーテがぽかんと口を開けた。
「本当に逃げるな」
真っ赤になって加速した。
角でロゼールは支道に引き込まれた。
「皆を掴まえて来なさい、ほら」
耳許の声に首を竦めながら、転び出る。
ハルタの意図を察してクロエを呼び、リリアーテを掴まえて支道に放り込んだ。
覆い被さるように支道に突っ込み、慌てるリリアーテを黙らせる。
折り重なった四人の顔を純潔の誓約が仄かに照らした。
無数の屍鬼が目の前を走り過ぎて行く。
巨人が大股にそれを追う。
支道に隠れた四人には見向きもしなかった。
ハルタの幻術だ。
ロゼールも息を詰め、皆と同じように身を固くした。
「とりあえず助かった?」
リリアーテが呟く。
「助かった、じゃない」
間近に顔を寄せ、ロゼールが睨んだ。
「げ、ロゼール」
「いつ私が棄教を迫った、説明しろ」
「何それ」
リリアーテがきょとんとロゼールを見上げる。
「ロゼールが棄教して失踪した」
クロエが言葉を添えた。
「律令神さまを見限って?」
話がまるで通じていない。
「しかも可愛い神官に堕とされた」
「ハアイ、あたしハルタ」
クロエとハルタがさらにややこしくする。
「うっわ、なにこのキラキラ」
「ええい、みんな黙れ」
ロゼールがハルタを奥に押しやった。
「そうだ後にしろ」
「その小さいロゼールは何」
「おまえも後だ」
純潔の誓約を掴まえてハルタに押しつける。
「何でボクの知らないうちに、みんなそんな楽しそうなの」
「楽しくない」
「少し楽しい」
ロゼールとクロエが声を揃えた。
「何なのキミたち」
リリアーテが鼻根に小皺を寄せる。
ハルタがはいはいと手を叩いた。
「そうね、とりあえずどこか落ち着けるところを探しましょうか」
「なら、ボクの秘密基地に案内しよう」
リリアーテが手を上げる。
「秘密?」
「基地?」
「行くぜ、ついてこい」
言うなり、リリアーテは駆け出した。




