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笑う邪神官  作者: marvin
16/24

第16話:潜入!お色気大作戦(Bパート)

 通路の先で聖務職員が呼んでいる。

 ロゼールは咄嗟に頭巾を引き下ろした。

 職員の顔には苛立ちが混じっていた。

「早く来い、余計な所に行くんじゃないぞ」

 逃げる隙を窺うロゼールに向かって、職員は手招きをする。

 誰と間違えているのだろう。

 逡巡したものの、誤解に乗じることにした。

 この先は大神官室だ。

 ハルタも近くにいるはずだ。

 きっとついて来てくれる。

 職員は通路を奥へと進む。

 大神官室も、そろそろだ。

 不意に職員が階下におりた。

 ――どこだ。

 ロゼールはその扉が開いているのをみた記憶がない。

 妙に厳重で胡散臭い。

 大神殿に似つかわしくない、甘い残り香が漂っている。

 商談中と思しき小部屋を通り過ぎた。

 なるほど、とロゼールは納得した。

 神殿の全てが規則正しく禁欲的なわけではない。

 そこには、生臭い商談もある。

 流転神閥(エヴォルリーグ)は本分だが、二大神閥には体面も気になるところだ。

 こうして秘されているのは頷ける。

 だが、いったい何の商談だろう。


 ロゼールが連れてこられたのは、人の気配の多い場所だった。

 入ると芳香が鼻を刺した。

 仕切り幕を潜ると、大布を被った女が列をなしている。

 車寄せで見かけた大布だ。

 女たちは、みな顔を隠している。

 ところが、その他が剥き出しだ。

 エルアリーナの傾国過激団もかくやの際どい衣装を身に着けている。

 顔を上げるな。

 相手を見るな。

 職員が繰り返し注意した。

 女たちも心得ているのか、笑いながら従っている。

「見たら帰れなくなるぞ」

 茫然としていたロゼールが小突かれた。

 自分はこんなのと間違えられたのか。

 確かに奇抜な恰好だけれども。

 右から何人目がどうの、左から何人目がどうの――

 そう職員が奥で会話をしている。

 ここに至って、ロゼールにも察しがついた。

 女の取引だ。

 ――いや、大神殿の中で? 

 憤怒の相の誓約が胸から飛び出そうとするのを必死で抑えた。

 ロゼールの前に職員が立った。

「来なさい。服はそのままで」

 誰が脱ぐか、天に還すぞ。

 外套の下の黄金の翼(エルドール)を握り締める。

「その靴が気に入ったとのことだ」

 職員に導かれるまま、ロゼールは歩いた。

 背中から女たちの不平が伝わってくる。

「決して見るなよ」

 職員が繰り返した。

「目が潰れるぞ」

 阿呆な脅しをかけてくる。

 ハルタはどこだ。

 乙女的に危ない状況だ。

 全員斬り殺して今すぐ逃げよう。

 靴の先を見るうち、奥の扉を抜けた。


 扉の閉まる背後の音に、ロゼールの身体がびくんと跳ねた。

 思いも寄らぬ豪奢な部屋だ。

 小柄ででっぷりとした半裸の男が、ロゼールに背を向けて立っている。

 見慣れたくはないが、魔神で見慣れた。

「顔を上げるな、顔を上げるな。見てはならんぞ。その目が潰れるゆえな」

 職員と同じことを言う。

 声に渋々俯けば、靴が敷物に埋まっている。

 荒い呼吸が近づいて来た。

「良いな。良き良き、実に良き」

 高く歌うような声だ。

 癖のあるそれには、聞き覚えがあった。

 暑苦しい気配がロゼールの周りをぐるくると這い回った。

 おもむろに、白くふっくらとした指先がロゼールの脚に伸びた。

 靴の硬さを確かめるように摩ろうとする。

 這い上る怖気にロゼールは声にならない悲鳴を上げた。

 裾の間に露出した肌が、羽根を毟った鳥のように粟立っている。

 純潔の誓約が胸から飛び出した。

 指で喉元をひと振りし――

「殺れ」

 そう言った。

 黄金の翼(エルドール)を握る手を、太い指が掴んだ。

 じっとりとして柔らかく、巨大な幼虫のような感触がした。

 ロゼールの気が遠くなる。

「ささ、これを。これを」

 その手が押しつけてきたのは乗馬鞭だ。

 こいつ、老アルフレッドの趣味友達か。

 中年男がロゼールの足元に身を投げ出した。

「打て、打つがよい。早よう、早よう」

 尻を高く突き上げ、左右に振る。

 やめて吐きそう勘弁して。

 ――何で私がこんな目に。

 嫌悪に震えて呟くうちに、ふつふつと怒りが込み上げてくる。

 踊る尻に血が昇った。

「黙れ豚」

 思わず叫んで尻を蹴った。

 踵が尻肉に突き刺さり、男は化鳥のような叫び声を上げた。

 豚のくせに何だその鳴き声は。

 ロゼールが思い切り鞭を振り下ろす。

「豚、豚、豚、豚」

 派手な鞭声と悲鳴のたびに、尻がびくんと跳ね上がる。

 肩で息をしながら鞭を放り出し、ロゼールは黄金の翼(エルドール)に手をかけた。

「さすがにそれは死んじゃうわね」

 ロゼールの耳元でハルタが囁く。

「ハルタ」

 振り返ってハルタに縋りついた。

 堰を切ったように泣き出した。

「もうヤだ」

 神官衣に顔を埋め泣きじゃくり、鞭の感触を思い出してえずいた。

「ちょっと、ここで吐かないでね」

「だんでぼっどばやぐででぎでぐでだがっだど」

 ロゼールがハルタを睨んで責める。

「さすがに何を言ってるのかわかんないわ」

 そういってハルタはロゼールの洟を拭いた。


 男は敷物に突っ伏し、白目を剥いて気を失っている。

 ロゼールは嫌々男を見た。

 ――大神官だ。

 やはり、紛うことなき秩序神閥(コスモスリーグ)六代神官、サロモン・ジスカールだ。

 気が遠退きそうになる。

 確かに、見たら目も潰されるだろう。

 五度の転生で徳を積み、辿り着いた六代神官が、これなのか。

「自分を鞭打つ人は、人に鞭打たれたくなるのかしらね」

 ハルタがまともに見える。

 しかも見た目は比べようもない。

 慌ててロゼールは首を振り、爪先で大神官の身体を引っ繰り返した。

 案の定、宝物庫の鍵が首に掛かっている。

 気を取り直したロゼールは、鍵を毟り取って部屋を出た。

 奥の扉が大神官室に繋がっていた。

 いかがわしいことに活用しているだけあって、誰もいない。

 長い通路は大神殿に続いているはずだ。

 ここかと思って扉を開くと、うっかり聖職者席に出た。

 慌てて首を引っ込める。

 幸い席には誰もいないが、主祭壇の向こうに礼拝者が犇めいていた。

 手前に聖堂詩篇を刻んだ古い石碑。

 やはり、あの日見た碑に酷似している。

 もしや、あれが原型なのかもしれない。

 祭壇を覗き込もうとするハルタの裾を引き、ロゼールは通路に押し込んだ。


 宝物庫に続く扉は近い。

 ロゼールがここを訪れたのは、純潔騎士団の総長に就任した際だ。

 女王、大神官らと共に、神器の前で国家の守護職を全うすることを誓った。

 まさか、こんな形で再訪することになるとは。

 在りし日の大神官が、記憶の中で尻を振る。

 会談だ、拝礼だと称して、大神官は何をやっているのか。

 再び憤りと嫌悪が沸き立った。

 宝物庫へと続く長い階段を下る。

 幾つかの扉を開け放ち、最後の大扉を開く。

 人を感知して灯が点った。

 地あかりだけだ。

 広い部屋の隅にはまだ暗がりが蟠っている。

 天高はあるが、空気が重い。

 中央の台座に据えられた神器の威圧感だ。

 そこには三本の杖が並んでいる。

 神誓の王笏(オースセプター)神罰原器(プロトバニッシャー)破門砲(エクスコミュニケータ)

 式典で人の目に触れるのは全て模造品だ。

 神代に造られたこの重厚感は、偽物には決して真似できない。

「これがそうなの?」

 ハルタが訊ねる。

 その声は遠い天井に吸い込まれた。


 王笏の名がつくのはひとつだが、神器はすべて杖の形をしている。

 継ぎのあるハルタの聖杖は別だが、柄頭以外は箒とそう変わらない。

 もちろん、それぞれの権能は異なっている。

 神誓の王笏(オースセプター)は無条件で神々の赦しを得る。

 破門砲(エクスコミュニケータ)は無条件で神々の庇護を剥奪する。

 神罰原器(プロトバニッシャー)は神々の怒りを顕現し、信徒に能わざる者を物理的に消去する。

 まさに神罰器(バニッシャー)の原器だ。


「気安く触るな」

 手を伸ばすハルタをロゼールが制した。

 神殿を束ねる神皇領が、小国に過ぎないルクスアンデルを庇護するのも、この神器があればこそだ。

 使い方を誤れば、神の秩序は一変する。

 神器を目の前にそう思うと、ロゼールの勢いも僅かに萎えた。

 不安に隣に目をやると、ハルタは無邪気に見返した。

「でもこれ、偽物よ?」

 ハルタは神器を指差して言った。

 そんなわけあるか。

 思わず手近の破門砲(エクスコミュニケータ)を手に取った。

 ――軽い。

 重厚感は真似できないとか思っていたくせに、間近に見れば安っぽい。

 まるで展示用の模造品だ。

「そこまでだ」

 声と同時に人影が飛び出した。

 クロエ・プルダリオ――黒睡蓮の君(ブラックロータス)

 あのあられもない嬌声を思い出し、ロゼールが赤くなった。

 クロエも気づいて耳の先をかっと赤く染める。

「あれは忘れて」

「うん、ごめん」

 そんなことを気にしている場合ではない。

 クロエの出で立ちはあのときと同じだが、身形は整えられている。

 まるで物陰で髪を梳き直したかのようだ。

 頚にはハルタの首環がある。

 外れないわけがないのに。

「クロエ――」

「殿下を狙うのかと張っていたが、まさか神器の簒奪が目的とは」

 クロエが声を上げる。

 ロゼールの手にした破門砲(エクスコミュニケータ)を掴んで引いた。

 ロゼールがあっさり手放した。

 勢いあまって神器が宙を飛び、台座に当たって二つに割れた。

「あ」

 声を揃え二人の間を、外れた柄頭がころころと転がっていく。

「あああ」

 クロエが真っ蒼になって悲鳴を上げた。

 偽物だとは気づいていない。

 ロゼールが意地の悪い笑みを浮かべた刹那、宝物庫に煌々と灯が点った。


「ロゼール、ロゼール。よもやおまえが生き延びていたとは」

 高く歌うような声がロゼールを呼んだ。

「今度は誰だ」

 誰何して振り返るも、間違えるはずがない。

 豪奢な祭服に身を包んだ男が姿を見せた。

 聖杖に寄り掛かって歩く。

 どこか、足取りがぎこちない。

「あらあら、お尻は大丈夫かしらね」

 ハルタが無邪気に笑って呟いた。

 あの場で目こそ合わせなかったが、衣装は誤魔化しようがない。

 そっと外套で靴を隠した。

 だらだらと変な汗が出る。

「大神官猊下」

 クロエが呆然と呟いた。

 転がる破門砲(エクスコミュニケータ)の柄頭を台座の下に蹴り込み、ロゼールに並んで直立する。

「これは、その」

「偽物。あれ偽物だから」

 ロゼールが耳打ちする。

「え?」

 下卑た舌打ちが大神官から聞こえた。

 よもやとクロエが目を見開く。

「今度こそ、今度こそ」

 大神官が声を上げ、杖で近くの柱を打った。

 ――何も起きない。

 癇癪を起こしたように何度も叩く。

 どうしたものかと、ロゼールとクロエが顔を見合わせた。

 大神官が柱の裏を覗き込み、ああここだったと一部を押した。

 仕掛けを察したときには遅かった。

 ロゼールの足元がぱっくりと消え失せた。

 不意に暗闇に包まれる。

 服が引かれる。

 風が鳴る。

 頭上に四角く切り取られた光が、見る間に小さくなっていく。

 誰かの、もしかしたら自分の悲鳴が長く暗闇に尾を引いた。

 凍てつく風に身を切られながら、ロゼールは思い出した。

 確か、前にも同じ目に合った。

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