第16話:潜入!お色気大作戦(Bパート)
通路の先で聖務職員が呼んでいる。
ロゼールは咄嗟に頭巾を引き下ろした。
職員の顔には苛立ちが混じっていた。
「早く来い、余計な所に行くんじゃないぞ」
逃げる隙を窺うロゼールに向かって、職員は手招きをする。
誰と間違えているのだろう。
逡巡したものの、誤解に乗じることにした。
この先は大神官室だ。
ハルタも近くにいるはずだ。
きっとついて来てくれる。
職員は通路を奥へと進む。
大神官室も、そろそろだ。
不意に職員が階下におりた。
――どこだ。
ロゼールはその扉が開いているのをみた記憶がない。
妙に厳重で胡散臭い。
大神殿に似つかわしくない、甘い残り香が漂っている。
商談中と思しき小部屋を通り過ぎた。
なるほど、とロゼールは納得した。
神殿の全てが規則正しく禁欲的なわけではない。
そこには、生臭い商談もある。
流転神閥は本分だが、二大神閥には体面も気になるところだ。
こうして秘されているのは頷ける。
だが、いったい何の商談だろう。
ロゼールが連れてこられたのは、人の気配の多い場所だった。
入ると芳香が鼻を刺した。
仕切り幕を潜ると、大布を被った女が列をなしている。
車寄せで見かけた大布だ。
女たちは、みな顔を隠している。
ところが、その他が剥き出しだ。
エルアリーナの傾国過激団もかくやの際どい衣装を身に着けている。
顔を上げるな。
相手を見るな。
職員が繰り返し注意した。
女たちも心得ているのか、笑いながら従っている。
「見たら帰れなくなるぞ」
茫然としていたロゼールが小突かれた。
自分はこんなのと間違えられたのか。
確かに奇抜な恰好だけれども。
右から何人目がどうの、左から何人目がどうの――
そう職員が奥で会話をしている。
ここに至って、ロゼールにも察しがついた。
女の取引だ。
――いや、大神殿の中で?
憤怒の相の誓約が胸から飛び出そうとするのを必死で抑えた。
ロゼールの前に職員が立った。
「来なさい。服はそのままで」
誰が脱ぐか、天に還すぞ。
外套の下の黄金の翼を握り締める。
「その靴が気に入ったとのことだ」
職員に導かれるまま、ロゼールは歩いた。
背中から女たちの不平が伝わってくる。
「決して見るなよ」
職員が繰り返した。
「目が潰れるぞ」
阿呆な脅しをかけてくる。
ハルタはどこだ。
乙女的に危ない状況だ。
全員斬り殺して今すぐ逃げよう。
靴の先を見るうち、奥の扉を抜けた。
扉の閉まる背後の音に、ロゼールの身体がびくんと跳ねた。
思いも寄らぬ豪奢な部屋だ。
小柄ででっぷりとした半裸の男が、ロゼールに背を向けて立っている。
見慣れたくはないが、魔神で見慣れた。
「顔を上げるな、顔を上げるな。見てはならんぞ。その目が潰れるゆえな」
職員と同じことを言う。
声に渋々俯けば、靴が敷物に埋まっている。
荒い呼吸が近づいて来た。
「良いな。良き良き、実に良き」
高く歌うような声だ。
癖のあるそれには、聞き覚えがあった。
暑苦しい気配がロゼールの周りをぐるくると這い回った。
おもむろに、白くふっくらとした指先がロゼールの脚に伸びた。
靴の硬さを確かめるように摩ろうとする。
這い上る怖気にロゼールは声にならない悲鳴を上げた。
裾の間に露出した肌が、羽根を毟った鳥のように粟立っている。
純潔の誓約が胸から飛び出した。
指で喉元をひと振りし――
「殺れ」
そう言った。
黄金の翼を握る手を、太い指が掴んだ。
じっとりとして柔らかく、巨大な幼虫のような感触がした。
ロゼールの気が遠くなる。
「ささ、これを。これを」
その手が押しつけてきたのは乗馬鞭だ。
こいつ、老アルフレッドの趣味友達か。
中年男がロゼールの足元に身を投げ出した。
「打て、打つがよい。早よう、早よう」
尻を高く突き上げ、左右に振る。
やめて吐きそう勘弁して。
――何で私がこんな目に。
嫌悪に震えて呟くうちに、ふつふつと怒りが込み上げてくる。
踊る尻に血が昇った。
「黙れ豚」
思わず叫んで尻を蹴った。
踵が尻肉に突き刺さり、男は化鳥のような叫び声を上げた。
豚のくせに何だその鳴き声は。
ロゼールが思い切り鞭を振り下ろす。
「豚、豚、豚、豚」
派手な鞭声と悲鳴のたびに、尻がびくんと跳ね上がる。
肩で息をしながら鞭を放り出し、ロゼールは黄金の翼に手をかけた。
「さすがにそれは死んじゃうわね」
ロゼールの耳元でハルタが囁く。
「ハルタ」
振り返ってハルタに縋りついた。
堰を切ったように泣き出した。
「もうヤだ」
神官衣に顔を埋め泣きじゃくり、鞭の感触を思い出してえずいた。
「ちょっと、ここで吐かないでね」
「だんでぼっどばやぐででぎでぐでだがっだど」
ロゼールがハルタを睨んで責める。
「さすがに何を言ってるのかわかんないわ」
そういってハルタはロゼールの洟を拭いた。
男は敷物に突っ伏し、白目を剥いて気を失っている。
ロゼールは嫌々男を見た。
――大神官だ。
やはり、紛うことなき秩序神閥六代神官、サロモン・ジスカールだ。
気が遠退きそうになる。
確かに、見たら目も潰されるだろう。
五度の転生で徳を積み、辿り着いた六代神官が、これなのか。
「自分を鞭打つ人は、人に鞭打たれたくなるのかしらね」
ハルタがまともに見える。
しかも見た目は比べようもない。
慌ててロゼールは首を振り、爪先で大神官の身体を引っ繰り返した。
案の定、宝物庫の鍵が首に掛かっている。
気を取り直したロゼールは、鍵を毟り取って部屋を出た。
奥の扉が大神官室に繋がっていた。
いかがわしいことに活用しているだけあって、誰もいない。
長い通路は大神殿に続いているはずだ。
ここかと思って扉を開くと、うっかり聖職者席に出た。
慌てて首を引っ込める。
幸い席には誰もいないが、主祭壇の向こうに礼拝者が犇めいていた。
手前に聖堂詩篇を刻んだ古い石碑。
やはり、あの日見た碑に酷似している。
もしや、あれが原型なのかもしれない。
祭壇を覗き込もうとするハルタの裾を引き、ロゼールは通路に押し込んだ。
宝物庫に続く扉は近い。
ロゼールがここを訪れたのは、純潔騎士団の総長に就任した際だ。
女王、大神官らと共に、神器の前で国家の守護職を全うすることを誓った。
まさか、こんな形で再訪することになるとは。
在りし日の大神官が、記憶の中で尻を振る。
会談だ、拝礼だと称して、大神官は何をやっているのか。
再び憤りと嫌悪が沸き立った。
宝物庫へと続く長い階段を下る。
幾つかの扉を開け放ち、最後の大扉を開く。
人を感知して灯が点った。
地あかりだけだ。
広い部屋の隅にはまだ暗がりが蟠っている。
天高はあるが、空気が重い。
中央の台座に据えられた神器の威圧感だ。
そこには三本の杖が並んでいる。
神誓の王笏、神罰原器、破門砲。
式典で人の目に触れるのは全て模造品だ。
神代に造られたこの重厚感は、偽物には決して真似できない。
「これがそうなの?」
ハルタが訊ねる。
その声は遠い天井に吸い込まれた。
王笏の名がつくのはひとつだが、神器はすべて杖の形をしている。
継ぎのあるハルタの聖杖は別だが、柄頭以外は箒とそう変わらない。
もちろん、それぞれの権能は異なっている。
神誓の王笏は無条件で神々の赦しを得る。
破門砲は無条件で神々の庇護を剥奪する。
神罰原器は神々の怒りを顕現し、信徒に能わざる者を物理的に消去する。
まさに神罰器の原器だ。
「気安く触るな」
手を伸ばすハルタをロゼールが制した。
神殿を束ねる神皇領が、小国に過ぎないルクスアンデルを庇護するのも、この神器があればこそだ。
使い方を誤れば、神の秩序は一変する。
神器を目の前にそう思うと、ロゼールの勢いも僅かに萎えた。
不安に隣に目をやると、ハルタは無邪気に見返した。
「でもこれ、偽物よ?」
ハルタは神器を指差して言った。
そんなわけあるか。
思わず手近の破門砲を手に取った。
――軽い。
重厚感は真似できないとか思っていたくせに、間近に見れば安っぽい。
まるで展示用の模造品だ。
「そこまでだ」
声と同時に人影が飛び出した。
クロエ・プルダリオ――黒睡蓮の君。
あのあられもない嬌声を思い出し、ロゼールが赤くなった。
クロエも気づいて耳の先をかっと赤く染める。
「あれは忘れて」
「うん、ごめん」
そんなことを気にしている場合ではない。
クロエの出で立ちはあのときと同じだが、身形は整えられている。
まるで物陰で髪を梳き直したかのようだ。
頚にはハルタの首環がある。
外れないわけがないのに。
「クロエ――」
「殿下を狙うのかと張っていたが、まさか神器の簒奪が目的とは」
クロエが声を上げる。
ロゼールの手にした破門砲を掴んで引いた。
ロゼールがあっさり手放した。
勢いあまって神器が宙を飛び、台座に当たって二つに割れた。
「あ」
声を揃え二人の間を、外れた柄頭がころころと転がっていく。
「あああ」
クロエが真っ蒼になって悲鳴を上げた。
偽物だとは気づいていない。
ロゼールが意地の悪い笑みを浮かべた刹那、宝物庫に煌々と灯が点った。
「ロゼール、ロゼール。よもやおまえが生き延びていたとは」
高く歌うような声がロゼールを呼んだ。
「今度は誰だ」
誰何して振り返るも、間違えるはずがない。
豪奢な祭服に身を包んだ男が姿を見せた。
聖杖に寄り掛かって歩く。
どこか、足取りがぎこちない。
「あらあら、お尻は大丈夫かしらね」
ハルタが無邪気に笑って呟いた。
あの場で目こそ合わせなかったが、衣装は誤魔化しようがない。
そっと外套で靴を隠した。
だらだらと変な汗が出る。
「大神官猊下」
クロエが呆然と呟いた。
転がる破門砲の柄頭を台座の下に蹴り込み、ロゼールに並んで直立する。
「これは、その」
「偽物。あれ偽物だから」
ロゼールが耳打ちする。
「え?」
下卑た舌打ちが大神官から聞こえた。
よもやとクロエが目を見開く。
「今度こそ、今度こそ」
大神官が声を上げ、杖で近くの柱を打った。
――何も起きない。
癇癪を起こしたように何度も叩く。
どうしたものかと、ロゼールとクロエが顔を見合わせた。
大神官が柱の裏を覗き込み、ああここだったと一部を押した。
仕掛けを察したときには遅かった。
ロゼールの足元がぱっくりと消え失せた。
不意に暗闇に包まれる。
服が引かれる。
風が鳴る。
頭上に四角く切り取られた光が、見る間に小さくなっていく。
誰かの、もしかしたら自分の悲鳴が長く暗闇に尾を引いた。
凍てつく風に身を切られながら、ロゼールは思い出した。
確か、前にも同じ目に合った。




