第15話:潜入!お色気大作戦(Aパート)
硝子を覆う窓掛けに指を差し入れ、ロゼールは外を覗いた。
大神殿の通りは、人で埋め尽くされている。
衛兵が列を成し、その向こうで民衆がひしめき合っていた。
全ては、王女の到着を待つための喧噪だ。
澄んだ高級硝子に、薄い日除けの一枚を残し、ロゼールは窓辺を離れた。
ここは要人向けの高級宿屋――しかも大神殿を正面に望む、最上階の客室だ。
かりかり――菓子を削る音がする。
なぜか、ここぞという場面でハルタの周囲には金が湧く。
今回の費用は、どうやら先日の老アルフレッドが資金源のようだ。
これも邪神の手管とすれば、相乗りするロゼールも同罪だろうか。
かりかりかり――まだ菓子を削っている。
純潔の誓約だ。
ロゼールの不安もお構いなしに、もうひとりの自分が夢中で菓子を食んでいた。
クロエと再会して以来、すっかり顕現が定着してしまった。
窓際の卓を陣取り、抱えた焼き菓子を無心に削り取っている。
頬が小動物みたいに膨らんでいた。
「私はそんなに食い意地は張っていない」
呆れてロゼールが呟くと、部屋着のハルタが隣室から顔を出した。
「あら可愛いじゃない、誓約ちゃん」
手にした盆には性懲りもなく茶器と菓子盛りが載っている。
邪教の代理神官は、可愛いからと際限なく純潔の誓約に菓子を与える。
餌付けで篭絡するつもりだ。
「安心しろ、これくらいのことで、私は揺らがない」
「菓子を吹くな」
ロゼールは頑なに焼き菓子を離さない純潔の誓約から粉を払った。
手に乗るほどの身体のどこに、これほどの菓子が消えるのだろう。
「私はおまえだ、ここに入る」
純潔の誓約はロゼールの腹を指差した。
「――え?」
最近のよくわからない胸焼けは、それか。
慌てて純潔の誓約から菓子を取り上げた。
「あっ、何をする」
「私を肥え殺す気か」
純潔の誓約はむうと膨れて、すぽんとロゼールの胸に飛び込んだ。
持ち運びに便利だが、よもや腹まで繋がっているとは思わなかった。
ハルタが外の喧騒に耳を欹てる。
窓に歩み寄ると、沿道に人が満ちていた。
綱を渡して押し留める衛兵の向こうを、警護を従えた馬車が通る。
「あれが王女さまかしら?」
遠い馬車の窓越しに、俯いた少女が見えた。
とはいえ、窓枠に顔が半ば隠れているうえ、黒い薄布でよく見えない。
ロゼールは窓越しの姿を目で追い――その胸元に視線を落とした。
「リリアーテだ」
ロゼールよりも小柄だが、そこだけはつんと張っている。
それほど、王女の胸の印象は強い。
あれで見間違えることはない。
皆と同じハルタの視線を辿って、ロゼールは意地の悪い笑みを浮かべた。
ロゼールは王女の秘密を知っている。
湯浴みを共にした僚友に、隠し通せるなどと思ったら大間違いだ。
――あれ?
赤い敷物と、王女の記憶が脳裏をよぎる。
どこで見た光景だったか。
「いっちゃったわね、王女さま」
だが民衆は引かず、大聖堂を囲んでいる。
老アルフレッドに聞いた一件以来、王女は長く臥せっていた。
大神殿に通い始めたのは最近だ。
エミリアンが政務に追われる中、大神官と会談を重ねている――らしい。
あくまで噂だ。
だが、噂を信じるには十分な人出だった。
ルクスアンデルは女王の血統だ。
王女の人気も高い。
国王の神閥偏重に対し、民衆は王女に多くの期待をかけている。
人が集まるのも無理からぬことだ。
宮廷と大神殿には専用の車路もあるのだが、あえて沿道を通るのは、そうした姿勢を見せる演出でもあるのだろう。
そのぶん、王女の往来は大ごとだ。
警備も衆目も大神殿の正面に集まる。
だが、それを調べて見極めることが、ロゼールの狙いだった。
けして上宿に興奮して宿泊を延長していただけではない。
――決してない。
ロゼールの目的は、王女リリアーテとの面会ではなかった。
より強硬な手段を目論んでいる。
クロエと邂逅して以来、ロゼールは考えを改めた。
ロゼールが元凶と噂されるこの状況で、皆を説得して回るのは悪手だ。
正攻法は諦めた。
直接の破門の解除と、律令神への再帰神を目指す。
そもそも棄教が噂の元なら、魂の潔白をもって覆すのが正道だ。
それを叶える最短距離は大神官。
もしくは秘された神器。
それらは共に、大神殿にある。
度重なる不幸に、ロゼールの思考は短絡していた。
だが、他に方法を思いつかない。
ハルタも呆れてはいるが、何だか冒険っぽいわねと、楽しそうだった。
とはいえ、ロゼールには秘めたもうひとつの目的――むしろ本命がある。
神器によるハルタの転宗だ。
邪神の縁を根本から絶つ。
それこそが聖騎士の使命に他ならなかった。
ルクスアンデルには、神皇領も一目置く神器が三つある。
神誓の王笏
破門砲
神罰原器
これらは、大神殿に秘された宝物庫に保管されている。
この際、神罰原器は必要ない。
破門を解き再帰神を望むなら神誓の王笏。
ハルタの邪神を祓うには破門砲が必要だ。
それを使いさえすれば、純真無垢な美少年が誕生する――はずだ。
恥ずかし気に頬を染めるハルタを想像するだけで心が震えた。
半眼で睨む純潔の誓約を無視して、ロゼールは大神殿潜入を算段した。
ロゼールには、優位な点が二つある。
あえてハルタを入れれば三つだ。
ひとつは、王女の拝殿に偏る警備。
もうひとつは、ロゼールが大神殿の勝手を知っていること。
さんざん警護や式典に訪れた大神殿だ。
一般には秘された通路も、解呪の文言も覚えている。
加えてハルタの幻術があった。
宝物庫の神器はその場で使うだけだ。
決して盗むわけではない。
ロゼールの罪悪感も許容範囲だった。
もちろん、それだけで万事解決というわけにはいかない。
むしろ、そこからが始まりだ。
ロゼールを陥れた敵がいる。
あの日、王女の私室で何が起きたのか。
その解明こそが、名誉回復の次の段階だ。
ロゼールの鼻息は荒い。
国賊的な行為だが、自身の正義の名の下に迷うことはない。
確信犯だ。
だから、よけいにたちが悪い。
そんなロゼールをハルタは咎めなかった。
むしろ彼女に協力的だ。
たとえハルタに不都合であっても、足掻くロゼールは愛らしい。
邪教の代理神官とは、そういうものだ。
◇
神殿の警備は人手が足りない。
リリアーテは夕の祈りで帰城の予定だ。
本殿が閉まるまでこの状態は続く。
遥か宮殿まで続く裏手は手薄だ。
聖務堂を始め、神殿関係者の施設が小さな街のように併設されている。
白昼、ロゼールは潜入を試みた。
一定区画以外は案内人もつける決まりだが、ロゼールとハルタは二人きりだ。
小走りに、だが身を寄せて歩く。
ハルタが人を惑わせている。
妖しいその目は、人を惹くだけでなく、弾くこともできる。
幾つも街を渡って、ロゼールはそれを知った。
派手な緋色の二人の衣装も、鬱陶しい魔神馬さえも無視させられる。
視界から弾かれ、記憶にも残らない。
ハルタと一緒にいる限り、ロゼールは実質的に不可視だ。
人にぶつかりでもしない限り、気づかれることはない。
「こっちだ」
ハルタの袖を引いてロゼールが囁く。
裏手の車寄せを抜ける。
大型の馬車から、大布で身を隠した者がぞろぞろと聖務堂に入っていく。
――何だあれは。
振り返るも、間近のハルタに目を逸らした。
息がかるほどの距離がくすぐったい。
通廊を走り抜けた。
大神官の執務室はまだまだ奥、神器はさらにその奥にある。
翼廊の先の飾り格子にも宝物殿はあるが、それは客寄せの作り物だ。
本物は大神殿の地下深くにある。
入り口は奥端にある聖職者席の裏手だ。
本来は、大神殿から向かうのが早い。
だが、鍵は大神官が持っている。
それに、この時間の大神殿は人で一杯だ。
ロゼールの手順はこうだ――
大神殿の裏手から聖務堂に侵入。
大神官から宝物庫の鍵を奪う。
秘密の通路を通って大神殿へ。
地下の宝物庫で神器を見つけ、ことを為す。
――穴はない。
ロゼールはふんすと鼻息を吹いた。
後は田舎の神殿で再洗礼を受ける。
留石村でも構わない。
ハルタとじっくり潜伏して、名誉回復の機会を伺うのもいいだろう。
難関は、大神官室で鍵を奪うことだ。
そこはまあ、多少の暴力も仕方がない。
ルクスアンデル大神官、六代サロモン・ジスカールは、口調こそ変だが小柄で気のよいおじさんだった。
不意を突けば意識を奪うのは容易い。
この際、大神官であろうと関係ない。
五度も転生して徳を積んだ聖人であろうと、構ってはいられなかった。
通路に人の声がした。
思わず壁に身を伏せる。
数人が集まるも、通路の端は空いている。
大丈夫。見えてはいないはず。
ロゼールは自分にそう言い聞かせて通り過ぎようとした。
若い神官司見習いたちだ。
年老いた小間使いを囲み、叱咤している。
老人は箒を抱えて小さく身を竦めていた。
その足元には、鵞鳥が一羽。
自分以外はみな置物だとばかりに、勝手に歩き回っている。
廊下の掃除が行き届かなかったか、世話する鵞鳥が邪魔なのか。
神官見習いたちは、祖父ほどの小間使いをねちねちと詰っていた。
若いとはいえみなロゼールより歳上だ。
――この愚か者。
思わず、手近な神官見習いを蹴り倒した。
それが神官のすることか。
通路を端まで転がっていくのを眺め、ロゼールは我に返った。
走って逃げる。
大神殿勤めは良家の神職だ。
生まれを地位だ誤解する者も多い。
聖職の本分を学ばない輩だ。
後悔しているとすれば、止めを刺さなかったことくらいだった。
角を曲がって壁に身を寄せる。
通路はちょっとした騒ぎになっていた。
鼻を鳴らして隣のハルタに目をやる。
いなかった。
ハルタが見えない。
走ってハルタの幻惑の範囲を越えてしまったのだ。
「そこのお前」
声をかけられ、ロゼールは飛び上がった。




