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六十二告目 天人講 16
その一方で日之原金剛は多賀野ゆづのカリスマ性にはやはり霊的な能力が裏にあったのではないかという考えに囚われ出す。そのせいで後を継いで教祖となる子供にもそうした修行が必要なのではないかと思うようになった。そして日之原金剛は子供たちに勉強や農作業ばかりでなく水垢離や読経などを日課に加えていく。
だが遅々として成果の上がらない修行に日之原金剛は次第に苛立ちを見せるようになる。子供らにとって修行は全てが未体験のことで宗教もそれほど身近なものではなかったからだ。しかし寺生まれの日之原金剛は自分の経験を当たり前と思っていたため、そのことを理解できなかった。そして彼の独善的な考えに意見できる人間はこの組織にいなかった。




