本紀44回
都の城門を突破した白涼の軍は、城内へ雪崩込んだ。その勢いの前に、防衛の部隊はもはや立ち向かうこと出来ない。こうして都の攻防戦には決着が付いた。そして白涼とその幕僚たちは、宮殿にいるであろう皇太子、いや、逆賊陸項巴の元へ向かう。最後の抵抗とばかりに、魯洋展率いる虎賁(近衛兵)が立ちふさがるが、これも韓維の部隊に一蹴される。剣を佩いたまま宮廷へ歩を進める白涼たちを避難する宮仕えの者も居たが、その歩みを止めることは出来ない。そして、玉座の間に足を踏み入れた。玉座には陸項巴が座っていた。その顔には怒り、諦念、無情さ等、様々な感情が混ざった表情が浮かんでいた。白涼は「勅命により、逆賊陸項巴殿下を捕らえにまいりました」と、低い声で告げる。陸項巴は「皇帝たる朕を捕らえると申すか」と応えるが、重ねて白涼は「江北州におわす皇帝陛下の勅命です」と返した。「全て、全て姫一族のせいだ!朕は、奴らの手から国を取り返しただけなのだ! ……ふん、白涼よ、お前は気持ちよかろう、姫一族の仇である朕を討つことが出来て。だが、そのためにこの国は益々乱れる。朕がその楔を打ってしまったのは確かであろう。だが、その楔に最後の一撃を放ったのは白涼よ、貴様だ」
この言葉に激昂したのは、一族誅殺の憂き目に遭った姫桃花である。「お前が!お前がそれを言うのか!父を返せ!祖父を返せ!お前は、お前だけは絶対に許さない!」そう叫び、剣の柄に手をかける。白涼は視線を陸項巴からそらさぬまま桃花の震える腕を掴み、握りしめる。「私は、粛々と勅命を遂行するのみです」と、繰り返した。問答に付き合ってしまうと、感情が爆発しそうであったから。そして、左右の兵に「捕らえよ」と指示を下した。陸項巴は迫る兵に目をやりながら、「朕も国を憂う気持ちはある。だから、最後に忠告をしておいてやろう。朕が尚書令に任命した張徹、やつが居ればこそ朕は父を追い出すことに成功した。奴に気をつけるが良い」縛についた陸項巴が連れて行かれる様を見やりつつ、慕容循が急ぎ尚書令張徹を探し出すよう指示を出す。
陸項巴以下、陸寵への反逆に加担した同母弟である陸尹、三公として権勢を振るっていた周歴、楊布等が捕らえられ、獄に繋がれた。しかしその中に、陸項巴が気をつけろと告げた張徹の姿はなかった。近しい者の言によれば、都が白涼の軍に囲まれた頃から姿が見えなくなっていた、とのことであった。白涼は郭操に命じて捜索させたのだが、その行方は杳として知れなかった。
ひとまず政治体制を整えるため、蟄居の状態にあった前太尉で慕容循の父である慕容玄を仮の宰相として、陸項巴の変以降、姫一族と近かったために公職を追放されていた官僚らを再登用した体制が始まった。正式な人事は陸寵が都へ戻ってからである、という白涼及び慕容玄の意見が一致したのだった。一方で白涼は李無忌に対し、急ぎ部隊を率いて江北州に居る皇帝、陸寵を都へ迎えるために派遣した。そして陸寵の到着を待っていたのだが、李無忌からの急使による報告が朝廷に昏い影を落とした。その内容とは。李無忌が江北州に到着するその数日前に、陸寵が崩御していた、というのだ。今はその遺骸を都へ運んでいる途上である、同時に江北州で皇帝側近であった丞相の宇文経、近衛隊長の夏候鳳、宦官の賀己らも同道しているようであった。
この報を受けた白涼は、目の前が暗黒に閉ざされたかのような喪失感を味わった。妻を始めとした姫一族の仇を討ち、やっとこれから立ち直るための行動に移れると気持ちを整理したところであったのに。さらに追い打ちをかけるように、病のため紫州に残してきていた光禄勲の厳狄もまた、看病の甲斐なく白涼が都を奪還したのと同じ頃病没していたと知らせがあった。自らの道を見失った白涼は病と称して家に籠もり、それほど強くない酒に溺れる日が続いていた。
李無忌が帰還し、さすがにこの日は白涼も朝廷に顔を出したが、その顔は憔悴しきっていた。よく眠れていないのであろう、やつれた様子である。陸寵の棺を前にして悲しみに暮れる文武百官。その中で丞相の宇文経が陸寵最後の勅令を読み上げた。最も重要であったことは、その後継者を決めること。しかし江北州にいた陸寵以下は都の皇族男子で誰が生きているのかすらわからない状況であったため、宇文経、慕容玄、そして白涼の協議によって決めるようにと。その候補からは陸項巴およびその同母弟達の血筋からは選ばぬように、とあった。白涼は、自分にはそのような大任を受ける資格はないと辞退したが、宇文経はじめ多くの陸寵側近や慕容玄が、皇帝最後の勅令に逆らうのか等と説得し、また弱音を赤倫教教主の趙麗姫にこぼした会話の中で、せめて一族や陸寵への手向けとして自らの力を尽くそうと決意したのだった。
そして数日の協議の後、生き残っていた陸寵の孫の中から、祖母の劉氏は陸寵の側室としてはそれほど高い位ではなかったが、実家が文官として官僚を多く排出してきた名家であるために後ろ盾を期待できる十二歳の陸昭に決まった。陸寵の子から選ばれなかったのは、陸項巴が同母弟以外の陸寵の男子を全て処刑してしまっていたためである。陸昭の父は陸昭が生まれてすぐ病没しており、母も高い身分の出身ではなかったために、陸項巴に警戒されることなく生き残っていたという事情もあった。新体制として、宇文経は江北州臨時政府で丞相であったけれどもそれに見合った力はないとして丞相を辞退。丞相についたのは慕容玄、軍事最高位の太尉には国境地帯の地方長官を歴任して評価の高かった徐慧資が登用され、百官の人事を統率する御史太夫には新皇帝陸昭の外戚として劉氏一門から特に顔が広く官僚の情報をよく知る劉麦が任命された。一方の白涼は功績が大いに評価され、都に残る将軍の中では最高位、驃騎将軍に任命され、その幕僚たちも階級が上げられることになった。また、捕らえられていた呉才も許され、将軍位を剥奪されることはなかった。
こうして中央の体制はひとまず整い、ようやくの落ち着きを見せるかと思われた。しかし、その頃南方では大きな戦乱の芽が育っていた。




