本紀42回
遼寧州知事、王烈玄は宴席にて白涼らの襲撃を計画していた。しかしそれを看破した白涼は王烈玄以下その勢力を制圧。臨時に州の実権を握ると、長年反乱を指揮する賀弼の討伐を開始した。遼寧州の司馬である尉遅伶を案内として登用し、進撃。不案内な土地ではあったが、この地の天候、地勢を隅々まで把握していた尉遅伶の献策によって霧の中を突き進む急襲作戦によって賀弼の本陣を一気に攻略。白涼は予想を超える短期決着を大いに喜び、尉遅伶並びにその直属の配下である校尉、太史倫を配下に組み込み、遼寧州を平定したのであった。
その年の秋。麦の収穫を待って、ついに白涼は『皇帝陛下の勅命により逆賊陸項巴を討つ』として十万を号する大軍で帝都威略へ進軍を開始した。勢力下に置いた紫州、沙州、薊州、遼寧州には最低限の兵だけを残し、ほぼ白涼の手勢全軍である。その陣中には赤倫教の教主、趙麗姫の姿もあった。これは本人の、赤倫教の強い要望によるものである。白涼は危険であるとして同道を断ったのであるが、趙麗姫を翻意させることは出来なかった。護衛は赤倫教の手勢のみで行うから、と頑として付いていくことを主張する趙麗姫や、教団の若き幹部である王澄命らの熱意に白涼が折れた形となった。
そして。威略への道の戦端は、文字通り最大の関門である氷麓関によって開かれるのであった。白涼は関門前で皇帝、陸寵の詔書を読み上げ、その正当性を主張。しかし関の守将である魏望は、聞く耳持たぬと配下に矢を射かけるよう指示。厳しい表情で白涼は、こちらも氷麓関攻略のため、攻撃の合図を出した。
一月経っても落ちる気配すらない氷麓関。だが魏望は油断することなく守りを固める。白涼はこの頃前線には姿を見せず、もっぱら前線での指揮は姫桃花を中心としたものになっていた。苛烈に攻め立てる日があるかと思えば、兵たちに口汚く罵らさせて打って出るように挑発を仕掛けていく桃花以下だが、魏望は付き合うことなく矢を射かけ、梯子を登ってくる兵には投石や煮えた油を浴びせていく。戦線は膠着したかに見えた。しかし、さらに十日が過ぎようとした頃。
白涼軍と戦っている反対側、つまり都側の門では、魏望が放っていた援軍を乞う使者に呼応した周囲の都市から、まさにその援軍が到着していた。門を開き、これで圧倒的に有利となったことを確信した魏望は喜色を浮かべて援軍を出迎える。ところが、そこで魏望が見たのは、その軍の先頭に立つ白涼の姿。白涼はさっと剣を一振りすると、その軍が一斉に氷麓関へと雪崩込んだ。
白涼は、遼寧州を攻略した直後から数ヶ月かけて、赤倫教兵の中でも精鋭を旅人として、また商人として氷麓関を通過させ、その背後へと侵入させていた。そして白涼自身は氷麓関で姿を見せた直後から長孫覇が率いる部隊と共に山間部の険しい間道を駆け、氷麓関の背後に回る。そして少数ながら忍ばせておいた赤倫教兵との内外の呼応によって複数の県城を陥落させ、兵を統合。武具を偽装させて援軍と偽り、氷麓関に姿を表した、ということなのであった。慕容循が、力攻めでは大きな被害が予想される氷麓関を突破するために練った策であった。
また、これには事前にその県城のうちいくつかの県令が白涼に、というより一族を誅滅された姫桃花に同情的であり、積極的に陸項巴側に付こうとしていないことを郭操の諜報によって把握しており、攻略に手間取らなかったことが大きい。
こうして氷麓関を攻略していた白涼は、あらかじめ攻略しておいた複数の城から最低限の物資を供出させ、また中には積極的に物資、兵を支援してくれた県もあり、白涼軍は帝都威略への攻勢を掛ける前に若干の補給を行うことが出来た。この勢いを駆って一路進軍を再開する白涼軍。この先は天険もなく、大道が続く進軍に易い行程。だが、それだけに大軍を動かすことが出来る。氷麓関から援軍を求める急使が威略へ向かったことも把握している白涼は、どこかで必ず陸項巴の命を受けた都の正規軍と激突せざるを得ないことを確信していた。
領土獲得戦ではないため、城を落としながら進む必要はない。それよりも速度が重要である。陸項巴に与している県令、軍太守、州知事はもちろん少なくはないのだが、白涼が十万と号した軍に単独で挑もうとする軍はなかった。そのため、ほぼ邪魔をするものもない行軍。しかし、先行偵察部隊からの一報が入る。威略から、こちらへ対抗するために主力軍が派遣されたと。その編成は、総司令官に車騎将軍の金明、副将に鎮北将軍の紀昂、そして、白涼の親友であり、将軍へ抜擢された呉才、その人であった。白涼に動揺が走る。だが、私情を優先することは出来ぬと、敢然として撃破を誓う白涼は、勝負の地の予測を立て、幕僚と対応策を練る。自分は一点突破と得意とするが、呉才は徐々に戦況を有利に変えていき、最終的に被害少なく相手を撃破できる指揮能力を持つと分析する白涼。これに対し、元は呉才と同じく中郎将の位であった孫灸が、呉才の部隊と激突するのは自分がと手を挙げる。白涼は、自分自身が呉才を抑えたいと思っていたが、今回は大軍同士の戦であり中央で戦局を見なければならないこと、私情が入ってしまい大局を見誤るようなことがあってはならないことなどを考えて、孫灸の意見を容れた。
一方の呉才は、威略に残っていた将軍が少なく有能な軍人の多くが階級を上げられたことによって将軍位を得ていた。家族が人質に取られているようなものである呉才は、白涼との友誼を取るわけにも行かず、白涼追討軍に組み込まれてしまったのである。憤り、悔しさを感じながらも、軍人として白涼と正面切って戦うことが出来ることに対して微かな楽しさを感じてしまう自分に気づき、戸惑う呉才。葛藤しつつも、妻と子の顔を見て、とにかく自分は軍人として全力を尽くすだけであると心に決め、出陣するのであった。
奉癸という地で睨み合う両軍。呉才は都軍の右翼に配置していた。白涼軍は中央に白涼、姫桃花、長孫覇ら。右翼に大斧の使い手でもある趙丘を主将として王澄命、賈燐ら赤倫教幹部などを主力に。左翼、つまり呉才とぶつかる位置には白涼軍副将格でもある孫灸を主将として韓維、樊日、尉遅伶らを配し、交戦が始まった。
白涼は早期決着を望むが、さすがにこの数同士のぶつかり合いでは、いくら長孫覇の部隊が一騎当千とはいえ中央突破で金明の陣を打ち破ることは出来ないであろう。もし失敗すれば包囲殲滅を受ける。金明は決して臨機応変の名将ではないが、負けぬ戦の出来る老練の将ではある。そして見たところ、金明の中央軍は防御を重視した陣を敷いている。これは恐らく、白涼の突破力をよく理解する呉才が、金明に対して防御を優先するように献策したに違いない。であれば、それを崩すためには左右どちらかが相手を押し返し、中央軍への横撃を行える態勢になることが肝要であった。
戦端が開かれて数日。思惑通り、白涼軍右翼が徐々に紀昂の都軍左翼を崩し始める。中央軍同士の押し合いは、白涼側が漸進戦法により戦力差をつけていく。徐々に戦況は白涼軍優位かと思われた。だが、左翼。つまり呉才の陣とぶつかっていた孫灸の陣は攻めあぐね、いやむしろ押されている形となっていた。特に広範囲に渡る戦場に点在する丘のほとんどを呉才が確保し、射撃戦によって不利を強いられているのだ。対陣二十日過ぎ。白涼軍右翼が相手左翼を食い破ろうかという戦況の中。先に、左翼が呉才の隊によって大きく陣形を乱され、左翼主力が呉才の軍に飲み込まれた。槍の達人でもある韓維が獅子奮迅の働きで突破口を開き、尉遅伶が散り散りになりそうな兵をまとめることで完全に崩壊することはなかったが、主将であった孫灸が戦死。その補佐に当たっていた経験豊富な樊日も重傷と、大きな被害を出してしまったのだった。
暗く沈む白涼の本陣。だが、時間は止まってはくれない。この戦に勝つために、誰を次の左翼主将にするのか。その判断が、求められていた。




