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叡帝興国紀  作者: badman
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本紀40回

「そうか、厳狄(げんてき)様の容態は落ち着いたか」

 白涼の執務室で医者から様子を聞き、白涼は安堵の息を吐いた。医者はしかしながら閣下、と続ける。

「おそらく光禄勲(こうろくくん)は、心の臓を患っておられます。お年、心労、疲労。さまざまな要因がございますが、それらが心の臓への大きな負担となっておられた模様」

 頭を下げたまま報告する医者に返事をして、下がらせる。

「養生してもらうしかあるまい」

「さようですな」

 傍らに控えていた慕容循(ぼようじゅん)が答える。

「しかし、重いな」

「確かに」

 ひとつ、息を吐く白涼。頷く慕容循。

 先ほど与えられた平北将軍の地位。軍権の証である節。臨時とはいえ、任官の権利。どれも重大な事柄だった。元々拝命していた前将軍ですら過分だと感じていたのに。

「だが、やるしかない。陛下のために、国のために」

「そして民のために、だねおじ……将軍」

 部屋の壁にもたれかかっていた桃花が続ける。最近、桃花は民のためという言葉をよく口にするようになっていた。それは、赤倫教教主の趙麗姫(ちょうれいき)と親しくするようになってからの変化であった。

 それまでの桃花は、良くも悪くも大貴族の娘であり、見えているのは皇帝を中心とした世界だった。しかし、兵士と触れ合うことで民の存在に意識を向けるようになった。さらに麗姫との語らいの中で、国家の土台は民であるとの認識を強く持つようになっていた。そんな桃花の変化を白涼は好ましく思うのであった。姫家の召使いの家系として、農民や商人達よりは豊かな暮らしをしていたとはいえ、庶民の出である白涼としては皇帝はもちろん民のためにもという気持ちは強いのだ。

「それで、軍備の話だったな将軍」

 顎髭(あごひげ)をしごきながら長孫覇(ちょうそんは)が声を発した。元々そのために呼んでいたのだ。厳狄の来訪によって話が中断されていた。

「ああ。長孫覇の部隊を増員したいと思っているんだ」

「増員? 確かに、都と違って胡騎を補充できない現状だから、部隊員は減ることはあっても増えることはないのが現状だが」

 眉をしかめる長孫覇。

「だが、質は落としたくないねぇ」

 白涼は頷いた。

「だから、各部隊から精兵を選抜し、さらに一定以上のものだけを配属することを考えている。目標とするのは三千」

「ふん、手間がかかりそうだな」

 これに慕容循が補足する。

「ですが急がず、兵を育てながら選抜していきたいです。まずは五百ほど増やすところから、ですかね」

「そうなるとうちの部隊は胡騎だけの集まりじゃなくなるわけだ。俺の胡騎校尉って肩書きは実情と合わなくなるな」

 そう言うと長孫覇は肩をすくめた。

「それなんだが、陛下から任命権を授かったことであるし、それこそ実情を考えて校尉から中郎将に格上げしようと思い至ってね」

「ほう?」

「長孫校尉の実績と、今後率いていただく部隊の規模を考えれば妥当かと」

「あたしもそう思う」

 慕容循、桃花、ともに賛成の意を示した。

「決まりだな。すぐに任命書を書く。それから慕容循、全軍に本日の件通達しておいてくれ」

「はっ。では早速」

 一礼して足早に退出していく慕容循を見送り、今度は桃花に話しかける白涼。

「桃花、中郎将を集めてきてくれ。精兵の選び出しの件は、直接伝えたい」

「了解です、将軍」

 桃花はびしっと礼をしてみせると疾風のごとく駆け出していった。




 寒さの和らいできたある日。白涼の姿は練兵場にあった。選び抜かれた精鋭の様子を見るためが第一であったが、目的はもうひとつあった。自らの鍛錬である。

 練兵責任者であるところの口髭を生やした校尉の韓維(かんい)は、元皇軍の武術師範の一人であり、戟を思わせるような鉤(かぎ)付きの槍を得意とする将校だ。その腕は白涼の配下の中でも随一で、特に一対一での模擬戦では腕自慢のものでも一本取るのですら苦労するほどであった。その横に、その韓維をして天才剣士と呼ばれる赤倫教の若き幹部、周温の姿も見えた。

「おお閣下、ここにおいでとは珍しい。確かにここは日当たりが良い、この陽気を浴びるのには適しておりましょう」

 やや大仰に手を広げて白涼を迎え入れる韓維。もちろん白涼は日に当たりにきたわけではないが、韓維のこのような物言いは特に悪意があるわけではないと知っている。ただ韓維は少し人をからかうのが癖になっているのであった。

「まだ日光浴には寒さが残るな。選抜された精兵の様子を見に来たのと、少し体を動かしたいと思ってのことさ」

「なるほど承知いたしました」

「それで、様子はどんな感じかな?」

「はい、ある程度既に腕を見て選抜はさせていただきました。ここにいる面々は戦闘面なら十分に長孫中郎将の麾下(きか)として働けるでしょうな。ただ……」

「ただ?」

「馬に乗らせてみると幾分違ってきますなあ。地に足が着いていない状態でないと真価を発揮できぬというものが意外と多くおりまして」

「そうか、長孫覇隊は騎兵部隊だからな。馬の訓練をしてものにならなそうな者は、予定通り歩兵として私の麾下に組み込もう」

「やれやれ、その兵を率いて自ら突進するおつもりですな?」

「後方で指揮を執(と)るのは私の流儀ではないからな。そのためにも、体は動けるようにしておかないと」

「そういうことでしたか。でしたら周温にお相手させましょうか」

 韓維がちらり、と横目で周温を見る。周温はぺこりと頭を下げ、了承の意を伝える。

「おお、周温が相手してくれるか。これは手ごわいな」

「それですが将軍、周温には槍も使えるようになってもらいたいので、槍のご指南を頼めますかな」

 見ると周温のそばには訓練用の木剣だけでなく、木槍も用意してあった。

「間合いの広い槍も使えるようになっておくと、何かと役に立ちますからなあ。剣だけでなんとかなるのは、山賊相手程度です」

「分かった、その代わり周温、私には剣を教えてくれ」

「はっ」

 言葉少なに礼をする周温。どちらを先にやりますか、と問いかける。

「そうだな、では先に槍を」

「はっ」

 そうして槍、剣と訓練を行った後、お互い得意武器でやりあう事になった。実戦形式ということで、お互い鎧を装着する。

「手加減するんだぞ、周温」

 そう韓維が言うが、周温は木剣なら死にはしません、と答えるのみ。怖いな、と白涼が笑う。笑った後、真剣な目つきに変わった。

「本気でいく」

 ざ、と踏み込んだ白涼の槍が、高速で周温の胸に迫る。周温はこれを剣でいなし、素早い踏み込みで間合いを詰めていく。白涼、これを穂先ではなく石突の方で下から振り上げるようにしてその進路をふさぐと、さらに石突で突きを放つ。周温の剣に止められるが、直後白涼の槍が上から振り下ろされた。勢いの乗った攻撃に、周温は防ぐのではなく飛び退(すさ)ってこれを回避。両者の位置はほぼ開始時点に戻っていた。

「ふ、流石」

 白涼が楽しそうに口の端を上げる。周温は黙したまま、深呼吸をした。

「……いざとなったら割り込むか」

 ぼそり、と韓維がつぶやく。兵士たちもこの模擬戦に目を奪われ、訓練を忘れて注視していた。

「いくぞ」

 白涼が突き、払い、叩く。これを周温は剣一本で防ぎきると、隙を見ては間合いを詰めて一撃を放つ。防ぐ白涼。一進一退であった。しかし最後は白涼の突きを最低限の動きでかわした周温が、神速の踏み込みで間合いを詰めてその剣を白涼の肩口に振り下ろした。寸止め。

「勝負有り、勝者周温。閣下、振りが徐々に大きくなるのが欠点ですなあ。長引くほどに不利になっておられました」

 ふう、と大きく深呼吸をする白涼は、その指摘に頷く。

「そうか、熱くなるとまだその癖が出てくるか。なかなか癖というのは矯正できんものだな」

 一方の周温も、前かがみになった状態で膝に手をついて肩で息をしていた。見たところ疲労は周温の方が大きいようだった。

「周温は前後の移動が多かったからなあ、それが勝因でもあるが。だが、これが馬上だとその足運びは活かせんだろう。私が槍を使うことを勧めている理由のひとつが、それだ」

 こくり、と周温は頷いた。何度も言われていることなのだが、周温は真剣にその言葉に耳を傾ける。

「いい運動になった。礼を言う、周温。韓維、兵の訓練、よろしくな。仕上がりを期待している」

「はっ」

 韓維、周温とも礼をする。それを満足そうに見つめた白涼は、汗に濡れた服を着替えるため、部屋へと向かうのであった。

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