本紀39回
冬になると、紫州、沙州のあたりは雪に覆われる。豪雪というほどの量ではないが、軍を動かすには適さない程度の積雪である。その状況の中、紫州を根拠地として白涼は周辺の州を取り込むために何度も使者を派遣し、説得に当たらせていた。その使者に立ったのは主に慕容循であり、郭操であり、また沙州知事の元で別駕という職につき知事の副官を勤めていた荀達という四十がらみの男であった。
この荀達、沙州の有力な豪族の出身であった。沙州知事崔宗の元にいたときはそれほど目立った功績はなく、無難な仕事振りであまり自己主張をしない官僚であった。そのため、それなりに仕事ができる従順な部下を求めていた崔宗のめがねに適い別駕の地位まで登用されていた。しかし、白涼が沙州を陥落させ、沙州の人材を求めて面談をしたとき、荀達が実はたいへんに弁が立つこと、またその見識が優れていることが分かった。ただ、本人に出世の欲がなかったため、手の届く範囲の仕事しかしてこなかったのだ。だが荀達も、直に白涼と会話をするに思うところがあったらしく、自ら役に立つのであれば使って欲しい、と頼み込んだのであった。
冬の間を通じた交渉の結果として、紫州の北にある薊州、沙州の西にある涼寧州が、戦をすることなく白涼の勢力下に入った。もちろん、断れば春を待って白涼の軍が攻め入るとの圧力を掛けたことは言うまでもないが、そもそも薊州は紫州によって、涼寧州は沙州によってそれぞれ都へと通じる街道を塞がれており、そのままでは通商を封じられることになりかねないという事情もあった。これで、紫州の背後を脅かす可能性があるのは紫州西部の辿州だけとなっていた。
この辿州、十年前の赤倫教徒の乱が発生しなかった州であるが、それは平和だったということを意味しない。なぜなら、それ以前から頻繁に反乱が発生する州だったのだ。十年前も言わずもがなである。さすがの赤倫教もこの土地でわざわざ反乱を起こす意義を見出せず、いわば放置された州であった。州の軍も州都を守るので精一杯。州知事はどちらの皇帝につくのか、などと政局を論じている場合ではなかったのである。
紫州、政庁にある白涼の部屋に、桃花と慕容循が集っていた。
「これは、春を待って軍を動かさなければいけないようだね」
反乱を鎮めてくれるのであれば味方してもよいと辿州知事からの書簡を読んで白涼がため息をつく。何故こうなるまで中央は助けに向かわなかったのだ、という意味を持ったため息だった。
「おじ……将軍ならそう言うと思ったよ。まったく、反乱を放っては置かないんだから」
別の意味で桃花がため息をつく。無理に助ける必要はなく、放置しておけばよいのにという意味であった。慕容循が二人の様子を見て口を開く。
「いえ、救援に向かわざるを得ないでしょう。もし反乱軍が辿州を落とせば、次は紫州を狙って動く可能性が十分にあります。逆に辿州軍が反乱を鎮めれば、救援を出さなかった我々に対して恨みを持ち、敵対する可能性が高いです。どちらに転んでも、我々の背後に脅威を抱えることになってしまいます」
それを聞いて、そっかあ、と腕を組んでうなる桃花。
「問題は、春までに決着がついてしまうことかな」
白涼が苦笑する。特に辿州側が勝利し、反白涼派となってしまう場合が危惧された。
「あー。それは面倒だねえ……」
「では、春を待たずに出兵しますか? あまりお勧めはできませんが」
ぽりぽりと頬をかく慕容循。雪の中の行軍は速度が出ず、体調管理が難しい、総じて兵の士気が上がらない。辿州の雪は紫州ほど深くはないが、標高の高い山地から吹き降ろす風が強く、寒さは紫州より上。この中を行軍するのは、なかなかに難しい行為である。
「寒いのはやだね、うん。きっと反乱軍も冬の間は大人しいんじゃないかな!」
うんうん、と頷く桃花を見て白涼と慕容循はやれやれ、というように顔を見合わせた。
それから一月。寒さが徐々に和らぎ始めたが、まだ進軍はできないな……と長孫覇を前に白涼が話していたところに、兵士が駆け込んできた。
「将軍! 江北州の皇帝陛下らからの使者を名乗る男性が面会を求めておりますが、いかがいたしましょうか!」
「皇帝陛下からのご使者だと!」
白涼は、がたっ、と椅子を蹴立てて立ち上がる。
「はい、しかし共の者も少なく、身なりもあまりきれいとは言えず……」
「名は聞いたか?」
「はっ。光禄勲の厳狄、と名乗っております」
光禄勲とは、皇帝の近くにあって様々な議論を行ったり、宿衛や侍従を管理する役所の長官である。
「厳狄様と言えばかつての光禄勲だな、八年ほど前にお会いしたことがある。しかしあの時で既に引退しておられたはずだが……。とにかく広間に通してくれ、できれば皆も呼んでお会いしよう」
「はっ!」
一礼して兵士が退去する。長孫覇は髭をしごきながら白涼に問う。
「しかしいったい何事かねえ?」
「私も皆目見当がつかない。とにかくお会いしてからだ」
「おう、俺も行けばいいんだな?」
「ああ、頼む。皇帝陛下に大事があったのでなければいいが」
足早に広間に向かう白涼と長孫覇。
「ま、考えても仕方ねえか」
「そうだな」
長孫覇の言葉に頷きながら、白涼は表情を引き締めるのだった。
そして広間で面会することとなった白涼と使者。その脇を幕僚達が固めている。
「皇帝陛下よりの使いで参りました、光禄勲の厳狄にございます」
眉まで白くなった老人、厳狄が深々と頭を垂れる。
「おお、まさしく厳狄様! お元気でいらっしゃいましたか!」
八年前より老けてはいたが、その姿は見覚えがあった。
「お久しぶりでございます、白将軍。ご立派になられましたな」
目に涙をにじませて頭を下げる厳狄。光禄勲と前将軍では光禄勲が格上だが、厳狄はもともと腰の低い人物であり、また一度引退をしていたとあってか白涼を立てる物言いをしていた。
「いえ、私などまだまだです。皆に支えられて何とかやってこれているところです」
そう言って白涼は左右の幕僚をちらと見る。厳狄は頼もしそうに頷き、そして姿勢を正すと所持していた巻物を解く。
「では、光禄勲として、皇帝陛下のお言葉を伝えます、前将軍」
「はい」
「前将軍白涼、その位を平北将軍に進め、また軍権の証である節を授ける。また、地方官の任命においては上表なくとも臨時の官位を授ける任命権を仮に与えることとする。これは勅命である」
この内容に、広間はざわついていた。これは白涼の年齢や実績ではとても考えられないような大権であった。特に、任命権、特に地方官の長官の任命権は本来皇帝しか持たないものである。つまり一部皇帝と同等の権利を与えられたということで、さすがの白涼もこの勅命にしばし言葉が出なかった。
ここで発言したのは慕容循である。
「光禄勲、発言をお許しください。まさかとは思いますが、皇帝陛下になにかあられたというようなことはございませんか?」
その言葉に、厳狄は表情を曇らせる。
「うむ、今すぐどうということは無いのだが、陛下は病を得てしまい、気力を失ってきてしまっておられる。また、軍事的にも陛下に従わぬ地方官が増えてきており、苦しい戦況が続いている。この情況の中、唯一といってよい希望が白将軍なのだ。白将軍には力をつけてもらい、帝都を取り返して欲しいというのが陛下の、そして我々重臣の意思である。ところでそなたは?」
「はっ、太尉の慕容玄が一子、慕容循と申します。白将軍の下で参謀として働かせていただいております」
「おお、そういえば慕容玄殿に聞いたことがある、武の道に進もうとせず書物ばかり読んでいる子がいると。それがお主かな」
「おそらく、私のことを言っているかと」
「なるほど、武だけが国に使える道ではないことは慕容玄殿もよく知っておられる。力を存分に振るわれよ」
「身に余るお言葉にございます」
一礼して一歩下がる慕容循。そして白涼に視線を送ると、白涼も今のやり取りの間に平静を取り戻した様子だった。
「厳狄様、勅命とあれば嫌は在りませぬ。その大任謹んでお受けいたします。そして、一刻も早く皇帝陛下をお迎えできるよう、尽力いたします」
「そう言ってくれると思っておりました。これでわしの肩の荷も下りたというもの。この老骨でも、名だけはあり申す。勅使として箔をつけるために光禄勲を再び拝命しましたが、実際はただの老いぼれ……。これからは、白将軍のような若い力が、国を、輔け……」
そこまで言ったところで、厳狄は胸を押さえて蹲ってしまう。あわてて白涼が駆け寄るが、厳狄の表情は青白く、苦しそうに胸を押さえて呼吸も荒くなっていた。
「誰か、医者を! それから厳狄様を寝台に運ぶのだ! 急げ!」
政庁の広間に白涼の怒声が響く。にわかに慌しくなる紫州城。その外は、吹雪が吹き荒れていた。




