陸剛伝 1回
昌帝国南部に広がる風綾平原。この平原には大半を遊牧民によって構成される渡瑠地と称する国がある。巧みな馬術を操るこの遊牧民は、時には少数で、時には大部隊で昌の城郭を襲い、略奪を繰り返してきた。そのため昌との関係は極めて悪い。だが、過去の襲撃は、略奪が目的であり、領土拡大のためのものではなかった。しかし。この度10万を号する大軍を動員した渡瑠地国は、その王の名による宣戦布告を昌帝国に叩きつけたのだった。
これに対して帝国の対応はそれに倍する20万の兵を投入。しかもその司令官には、皇帝の異母弟であり、帝国最高位の将軍である衛将軍の位を持つ陸剛を起用した。これには誰もが帝国防御に万全の体制を敷いたと見て安堵した。そう、確かに外敵への対応としては、正しかったのだ。
20万もの兵を動員したため都が手薄になり、それを突いた軍事政変が起こるなど、誰も予想だにしていなかったのだから。
先帝・陸寵を追放して新たなる帝位に就いた陸項巴は、皇帝命令として衛将軍・陸剛に自らの帝位を認め、忠誠を誓うよう要求してきた。
「ふざけおって、あの小僧が!」
陣中に陸項巴からの書簡を届けた使者を前にして、怒りの声を上げる陸剛。陸剛は齢六十を前にした老将であるとはいえ、その迫力はいささかも衰えを見せていない。使者はただ縮こまるだけだった。
「何があったのか存じませんが、使者に当たったところで仕方ありますまい」
軍師祭酒(筆頭軍師)の陳徳がよく通る声で陸剛を諌める。
「ふん。それもそうだ。使者はひとまず休まれい。陳徳、主だったものを集めろ。重大事だ」
「はっ」
主だった将軍、軍師が集められると、陸剛の口から事の次第が語られる。しかし、それはあくまで陸項巴よりの書簡に書いてあったことであったため、事実とは少し異なっていた。それは。
「姫一族の専横から帝国を守るため傀儡となっていた皇帝陛下を追放し、自らがその後を継いだというのだ」
苦々しく吐き捨てる陸剛。
「帝弟殿下が帝都を留守にしている間に政変を起こすとは、まるで火事場泥棒ですな!」
平南将軍の朱密が顔を紅潮させて勢い込む。五十歳になる朱密は長年陸剛と共に戦場を共にしており、陸剛の腹心ともいえる将軍である。
「皇帝陛下を追放したとのことですが、陛下はご無事なのでしょうか?」
質問をしたのは軍師将軍の張録。とにきは前線で指揮を執り、時には帷幄にあって策をめぐらすことの出来る有能な人物であった。
「それがな、追放したとだけ書いてあって陛下がご無事かどうか分からん。項巴め、こちらの選択肢を減らしてきおった。小癪な」
「殿下。此方には二十万の兵がおります。この際全軍を持って引き返し、皇帝陛下をお救いするというのは如何ですか」
右将軍の慕容桔が提案する。慕容桔は軍事最高責任者である太尉、慕容玄の長子である。弟の奮威将軍慕容敬と共に参陣していた。
「無理を言われるな右将軍。それでは我らは背後から十万の渡瑠地兵に襲われます。我々がなさねばならんのは、政争ではなく、国土の防衛なのですぞ」
陳徳にそう諭されてしまっては慕容桔も言葉が出ない。張録も陳徳に追随する。
「そうですね、何をするにせよ渡瑠地の兵を撃退しなくては話になりません」
「それではあの皇太子を帝と認めてしまうのですか!?」
大きな声を出したのは末席の将軍、司馬修であった。
「こうなればいっそ、弟帝殿下が皇帝を名乗られればよい! 我ら殿下のために死力を尽くしましょうぞ!」
これには朱密が「黙れ小童!」と怒鳴りつけるも、司馬修の言葉は止まらない。
「黙りませぬ! この国を実質的に守ってきたのは弟帝殿下ではないですか! 豪奢な暮らしに耽溺する皇帝陛下も! それをただ羨み、こともあろうに反乱を起こした皇太子殿下も! 国のために何もしておりません! 真に皇帝にふさわしいのは、殿下にございます!」
沈黙。そして、張録が拍手をしはじめた。驚いた慕容敬が張録を見ると、その口元には微笑が浮かんでいる。
「渡瑠地軍を破らねばならない。皇太子の皇帝就任を認めない。これは同時に行うことが出来ます。まさか皇太子殿下も二十万からなる我等を即座に反乱軍として処すことはできますまい」
「いえ、やはり問題があります。兵站です。皇太子殿下の即位を認めないのであれば、軍の物資、兵糧の補給が止められてしまうでしょう。そうなれば逆に二十万という数が足かせになります。とにかく渡瑠地国との戦いを終わらせなければ、なにも始められません」
「そうは言うが陳徳殿。どうするにせよ、今のうちに方針は固めておいたほうがいいのでは?」
慕容桔が言い、慕容敬が頷いている。
肘掛に肘をついて成り行きを見ていた陸剛は、「司馬修」と話しかける。
「はい、殿下!」
「よく言ってくれた。父皇帝すら追放した男が、叔父であり兵権を持つ儂を捨て置くとは思えぬ。だが、少なくとも渡瑠地軍を撃退するまでは、奴を認めよう。そしてその間情報収集と、独自に兵站を確保するための手配をすすめよ」
はっ、と一同が応える。それを頼もしそうに見つめながら、陸剛はふっと笑みを漏らす。
「野心など錆付いたと思っていたのだがな。分からぬものよ」




