本紀37回
明けて翌日。白涼軍三万は前日の沙州軍先鋒を撃破した勢いのまま、怒涛の如く襲い掛かった。しかもこの日は決戦部隊ともいえる長孫覇麾下の胡騎部隊は温存したまま、である。
沙州軍が中央付近から崩れ始めると、先鋒の指揮官周温は戦力を中央に集中し、沙州軍を二つに割っていく。そして割られた左右の沙州軍は、続いて白涼自身が率いる中軍に押しつぶされていった。
数の上で有利に立っていたはずの沙州軍は、しかしこの流れを変えることが出来ない。司令官である趙丘の周囲こそ踏みとどまって陣形を保っていたが、徐々に端から崩れていく軍の建て直しを図るまでには至らない。
趙丘は自ら大斧を振るって戦いつつ、各所に指示を飛ばすが。
「申し上げます! 左軍の王校尉、討ち死に!」
「右軍、楊校尉より伝令! 敵軍の勢い押しとどめることできず! 撤退の許可を求む!」
次々と味方の敗報が届く。とうとう限界だと悟ったようだ。
「……しかたあるまい。全軍退却!」
無念そうに退却の号令をかける趙丘。追撃を防ぐために後方に配置していた無傷の部隊を前進させると、陣地まで引き上げていくのであった。
戦場から離脱して陣地に帰還した沙州軍はようやく一息つけると軍の空気が弛緩する。水を飲む者、大の字になって休むもの、怪我の治療をするもの……。
「すぐに被害状況の確認を。各校尉は私のところへ集合するように伝えろ」
趙丘は休むことなく指示を飛ばしていく。と、そこへわっと大きな声が響いてきた。
「何事だ!」
趙丘直属の兵長が怒鳴り声を上げる。そこへあわてた様子の兵が飛び込んできた。
「報告します! 敵軍、この陣に攻撃を開始!」
「なん、だと」
これには普段冷静な趙丘も驚き、手に持っていた水の入った杯を取り落としてしまう。
「押さえの軍がこんなに簡単に抜かれたというのか!」
兵長が飛び込んできた兵に問うが、「詳しいことは分かりませんが、敵兵は柵にとりつきはじめております!」と、状況が悪いことしか分からない。
「いかがいたしますか、趙軍馬!」
「とにかく武装を急がせろ。私も前線に出る」
「はっ!」
「王澄命殿、順調でありますね」
後方に詰めていた部隊を、今は最前線で指揮する王澄命。そこに副官として配置されている校尉の楽単が明るく話しかける。その視線の先には、いままさに引き倒されようとする敵陣の柵があった。
「そうですね、完全に柵が取り除かれたら騎兵を突入させましょう」
そのための騎兵部隊を背後にそろえ、王澄命も先頭に立って飛び込むつもりである。
「歩兵の指揮は頼みます、楽単殿」
「了解であります」
「我々はあまり出番がありませんでしたからね、ここでひとつ手柄を立てていきたいところです」
長刀を手に突入機会を窺う王澄命の顔には、待ちきれないというように獰猛な笑みが浮かんでいる。
「無理はしないで欲しいでありますが」
「賈燐を捕らえたという指揮官ですね。ええ、十分に気をつけます」
そこへ伝令がやってきた。
「報告します! 周温様の隊が追いついてこられました! すぐ後方に待機しておられます」
「おお、これで敵中孤立の心配もほとんどなくなった!」
存分に暴れることが出来る、と王澄命。これは、沙州軍の殿軍と周温の隊がぶつかり合っているところ、横から一撃を加えて突破した王澄命の部隊が一足早く沙州軍の陣を襲撃していたのだ。そして周温の部隊が殿軍を打ち破って、陣を攻撃する王澄命の部隊に追いついたという状況であった。
わっ、と歓声が上がる。見ると柵が完全に引き倒され、騎兵を突入させられる状況となっていた。
「では、参ります」
「ご武運を、であります」
こくりと頷いた王澄命は「突撃!」と号令をかけ騎馬隊の先頭を走る。楽単も歩兵をまとめて、沙州軍の陣に突入するのであった。
沙州軍の兵は完全に浮き足だっており、組織的な反撃が出来ないでいた。さらに突入してきたのはほぼ無傷で戦意も高い部隊だということもあり、戦いは一方的な蹂躙の様相を呈していた。
そして陣深く入ったところで、王澄命はとうとう敵将趙丘と遭遇した。趙丘は大斧で歩兵をなぎ倒し、その場から引かぬという闘気を漲らせていた。
「趙軍馬とお見受けする」
長刀を構えた王澄命が慎重に近づきながら問いかける。
「そうだ。おぬしは?」
「王澄命と申す。先日は同僚の賈燐が世話になった」
「あの女の意趣返しというわけか?」
ふん、と鼻を鳴らす趙丘。
「それもいいかと思ったのだが……撤退を勧告しに参った。撤退されるのであれば、追撃はせぬとお約束しよう」
「私に怖気づいたか」
「無駄な損害を出したくないだけだ」
一触即発の間合いまで近づいたところで馬を止める王澄命。ここから先の判断は、そちら次第だというように。趙丘は逡巡していたが。
「いいだろう。全軍退却だ。ただし、私はここで退却を見守らせてもらう。追撃をするようであれば、その首、我が斧で跳ね飛ばしてくれる」
「ふっ、いいだろう。追撃中止!」
王澄命は大きく叫ぶと、各所に伝令を飛ばして追撃中止を伝えていく。その間も王澄命と趙丘は互いに殺気を放って牽制しあっていた。
白涼が沙州軍の陣に入ったころには、沙州軍の撤退も終わっていた。兵をやって調べさせたところ、これから城攻めを行うことができるだけの十分な物資と兵糧が残されていることが判明した。まずは予定通り、といったところである。
「みんな、よくやってくれた」
幕僚を前にして白涼がみなをねぎらった。
「だが、これはあくまで始まりだということを忘れないで欲しい。我々の目的は沙州城の奪取。紫州に残していた2万を呼び寄せるために伝令を向かわせているところだ」
白涼の後を継いで郭操が口を開く。
「ですが、合流を待つことはしません。沙州軍の最大戦力を破った今の勢いと、相手方の士気の低下が効いているうちに沙州城を攻略したいと思います」
「沙州城攻略中に、他の城からの援軍が背後を衝く心配は?」
桃花がもっともな疑問を口にする。
「沙州の各城にそれだけの判断が出来る戦力と武官がいる可能性は低いです。紫州、沙州ほかこのあたりの州は伝統的に戦力を州都に集め、軍馬ないし司馬が率いていく体制をとっていますので」
郭操がそれに答え、白涼が補足する。
「それに、もしそのような動きがあれば後から来る2万に対応させる。慕容循がついている、心配は無いだろう」
「慕容循殿がついてるならきっと大丈夫だね」
うんうんと頷いて納得する桃花。郭操はそれを見て
「私も慕容循殿ほどの信頼を得るために、精進しなくては」
とつぶやいていた。




