本紀35回
翌日の午前中。
白涼軍と沙州軍は再び対峙していた。物見の報告によれば、沙州軍の指揮官、趙丘の姿は先鋒の中にはない様子とのことで、直接趙丘を打ち倒したかった長孫覇としてはひとつ残念な報告となっていた。また、先鋒の指揮官である周温にとっても、相手が腰をすえて掛かってくる構えに感じられ、自身の指揮経験の乏しさゆえの緊張感に体をやや硬くしていた。剣を取っては無双の剣士たる周温としては、自らの居場所は指揮官ではなく小隊長級だと思っている。だが、赤倫教団の若き幹部でもある周温の指揮を執れる格を持つ司令官は、現在は後詰を担当している王澄命か、現在沙州軍に囚われている賈燐くらいである。この一戦を通して周温が指揮官として有能か否かを、白涼は見極めるつもりであった。
その、先鋒にて。周温は戦端が開かれた前線を馬上から見つめながら、右翼に配置された精鋭部隊、長孫覇率いる異民族部隊の胡騎を突入させる機を窺っていた。自らが剣を振るうとき、必殺となる右の斬撃を叩き込む隙を見出すのと同じように、先鋒部隊の動きを一体のものとして感じ、また敵の動きを感じとろうと鋭い視線を周囲に配っている。剣を振るっているとき以上に感じる重圧。各所から送られてくる伝令を受け、各所への指示も行いながら、突入指示の機を見出そうと全体の動きに注意を払う。そして。
「長孫隊に突入の合図を!」
敵の前列が崩れたそのときを狙い、周温が声を張り上げる。
じゃーん、じゃーん、じゃーんと打ち鳴らされる銅鑼。
そしてその銅鑼を合図に、引き絞られた矢のごとく長孫覇率いる胡騎部隊が敵陣めがけて襲い掛かった。
「焦らしやがってあの小僧!」
悪態をつきつつも楽しそうな表情で先頭に立って切り込む長孫覇。すぐ後ろで副官の許司も長刀を振るいつつ同意する。
「まったくでさぁ! ですが、機としては悪くないですな!」
「一丁前に指揮官の仕事しやがるぜ! 俺たちも負けてられねえなあ!」
「はい!」
胡騎の突破力は恐るべきものであった。わずか三千の部隊が、万を数える敵先鋒を右から左へと切り裂いてゆく。その勢いは、沙州先鋒の指揮を執っていた中年の校尉の目前まで迫る。
「ば、ばかな、陣中を突破してきているだと!?」
校尉は狼狽し、とにかく防げ、と周囲の兵を長孫覇隊にぶつけていく。しかし。
「なにをしておる、止めるのだ!」
送り出した部隊がことごとく撃破され、土煙と血しぶきが近づくにつれて顔面が蒼白となる。そして。
「てめぇが大将か! 殺されるか捕まるかてめぇで選びな!」
長孫覇の大音声に、完全にすくみあがった校尉は。
「わ、分かった、降伏する、降伏するから命だけは!」
命乞いをして、地面に這いつくばった。
「よし、聞き分けのいい奴は嫌いじゃない。撤退の合図を出させろ」
「てっ、撤退だ、撤退の銅鑼を鳴らせ! はやく!」
早くしなければ殺される、と恐怖にかられた校尉は急ぎ先鋒を撤退させるよう指示を出した。撤退中の部隊の中には、校尉を救い出そうとして長孫覇隊に襲い掛かるものもあったが、軽く蹴散らされていく。その様子を見て他の隊はますます逃げ足を早くするのだった。
長孫覇は配下に命じてこの校尉を縛り上げ捕らえると、軽い駆け足程度の速度で引き上げていく。
「隊長、ずいぶん簡単にいきましたね」
「おう、許司か。ちょうど予定進路に指揮官がいてくれたからな。いや、そうなるように戦場を動かしたか?」
「周温殿がですか? まさか、そこまでやれますか、そんな芸当」
「考えすぎか。だが、突入の合図はこれ以上ない機を突いてたのは間違いねえ」
「確かに」
「ただまあ、偶然指揮官が臆病だったからいいが、頑強に抵抗されていたらこんなにな展開にはなってないしな。ま、結果よしってところか」
「そうですな」
「さて、とりあえず一仕事はしたが、まだ戦いは始まったばかりだ。先鋒と合流して相手の中軍を相手にしないとな」
「はい」
「あなたが先鋒の指揮官ですか」
「は、はい」
白涼の前まで引き出された沙州軍先鋒を指揮していた校尉、李緒という、は、恐怖に震えながらも頷き自らの名を名乗った。
「そんなにおびえる事はありませんよ、李校尉。ただ、少し利用させていただくことにはなりますが」
「利用? い、いったい何をするつもりですか……?」
「あなたにも悪い話ではないと思います」
そういうと白涼は、一隊を割いて李緒を本陣まで護送するよう指示を下した。
「将軍、あれは人質交換に使うの?」
副将の姪、桃花が問う。
「ああ、そうだよ。あちらの大将が応じてくれればいいんだけどね」
「軍属としての重要度は同じくらいだよね。相手が先鋒の大将とで、こちらが先鋒の一将ってところだけみれば向こうにむしろ利があるし、きっと飲んでくれるよ」
「うん、そうだね」
と、そこへ、先鋒の周温から伝令がやってきた。
「敵中軍も先鋒の撤退により浮き足立っており、有利に展開しております。しかし兵に疲れが見え、このままでは押し切れぬ見込み。中軍の援護を求むとのことです!」
「そうか、伝令ご苦労。中軍前進、先鋒と交代して敵将を狙う!」
おお、と周囲の兵が応じる。それに頷き、白涼は前進の合図を出すのだった。
この日の会戦は、先鋒を破った勢いのまま白涼軍が優位に進めていく。しかし沙州軍も粘りを見せ、決定的な決着はつかず両軍ともに引き上げたのだった。




