本紀34回
緒戦の趨勢は白涼軍にあった。しかし貴重な指揮官である賈燐が敵方の指揮官である軍馬の趙丘に捕らわれたのは大きな痛手となった。双方の軍が引き上げたが、白涼軍はすぐさま軍議を開いた。
「まさか、趙軍馬が先陣を切ってくるとは思いませんでした。しかも賈燐をたやすく打ち倒すほどの手練れだったとは……」
読み違いを悔しそうに口にする郭操。
「戦況自体はこちらが予想以上に押していた。それは事前に郭操が予測していた将兵の配置のおかげだ」
白涼は郭操にそう告げる。慰められているのは分かったが、それで気持ちが上向くほど郭操の性格は楽観的ではなかった。両こぶしを握る手が震える。
「次も前に出てくるようなら、俺がそいつをとっ捕まえてやるよ、それで相手は終わり。ってんじゃだめか?」
顎髭をしごきながら進言したのは長孫覇。賈燐と同じ先鋒部隊にいながらみすみす同僚を捕縛されるという屈辱を味合わされた長孫覇の内心は、あまり面には出さなかったがはらわたが煮えくり返る思いでいっぱいであった。
「どう思う、郭操」
白涼の問いかけに、表面上は冷静を装って郭操が答える。
「はい、長孫覇殿と周温、両名とも趙軍馬に後れを取ることはないでしょう。特に明日は長孫覇殿の隊に働いてもらいたいと思います」
「おうよ、この俺の戦ってるすぐ近くで同僚をとっ捕まえるなんてなめた真似をしてくれた礼はさせてもらおうじゃないか。で、なにをすればいい?」
「敵右翼に切り込み、そのまま相手の陣形を切り裂くように左翼へ抜けてもらいます。後続と切り離された中央に、周温の隊が切り込みます」
「途中で。趙丘が出てきたら?」
それまで沈黙を保っていた周温が口を開いた。
「その時は遠慮はいりません。倒して、捕縛してください」
「ふん、捕縛と参謀殿は気楽にいうがよ。加減出来ずに腕の一本や二本はもらってもいいだろうな?」
「殺さないでもらえるなら、構いませんが」
殺気をみなぎらせる長孫覇の様子に思わず郭操は苦笑する。
「しかし敵中突破とは、なかなか危険度の高い戦術を採るんだな、郭操」
王澄命が郭操に話しかけた。郭操は頷く。
「長孫覇殿の隊は白涼将軍麾下の中でも最も突破力のある部隊と聞いています。それに、本日の敵兵の動きを見る限り練度はこちらよりも明確に劣っておりました。長孫覇殿の隊を止めるには、どこからか練度の高い部隊を持ってくるか、それとも」
「趙軍馬が出てくるか、か。なるほどね」
納得したと王澄命は首を縦に振る。それをみて白涼が口を開く。
「趙軍馬を釣り出せればよし、そうでなければ前衛は壊走することになる。どちらにせよ、長孫覇の隊の働きぶりにかかっている。頼んだぞ」
「ああ、任せてくれ将軍。道をふさぐやつは俺の斬馬刀の錆びにしてやるよ」
一方。沙州軍の陣地内、そのある天幕の中には、捕らわれ両手両足を縛られた賈燐と、それを見下ろすように沙州軍馬の趙丘、その配下で校尉の秦会が立っていた。
「拷問して、情報を得てもいいですが」
ぼそぼそと秦会が聞き取りづらい声で話しかける。
「自主的に話してくれるなら、その方がいいです、どうします」
「拷問でも何でも、ご自由に。ですが話すことは何もありませんわ」
「そうですか。軍馬、いかがしますか」
「……特に考えてなかったからな。どうしようかな」
やや間延びした口調の趙丘。思わず賈燐は、はあ?と間抜けな声を上げてしまう。
しばし考えるそぶりを見せた趙丘、ややあって口を開く。
「痛くは、なかったか?」
「……痛かったに決まっているでしょう」
「そうか。すまなかったな。だが戦だからな……」
「……はあ」
「軍馬」
しまりのない会話に呆れた秦会の声に、趙丘はひとつ咳払い。
「んんっ。まずは、普通に尋問程度にしておくように。交渉材料になったとき、拷問していると知れたら問題になるかもしれないからな」
「はい。おい女、良かったですね、軍馬がおやさしくて」
「ええ、そのようですわね。感謝しますわ」
皮肉げに放たれた秦会の言葉に、賈燐も皮肉たっぷりに返すのだった。




