本紀33回
白涼が陣を張ったのは州境より半日ほど紫州内にある、街道が左右の山によって狭まった一帯であった。谷というほど深くないが、左右の岩山のせいで迂回は難しい。また、陣に攻め込もうとすれば道が狭いため細い縦列陣形となり、敵軍は数の有利を使えないという好立地であった。
強固な陣を背景に白涼は三万のほぼ全軍を引き連れて陣を出た。先鋒に周温と賈燐、長孫覇。中軍に白涼、桃花、曹弁。そして後詰が王澄命と楽単という布陣になっている。数刻もすれば沙州軍と先鋒同士がぶつかるだろう。白涼は中軍を小高い丘に陣取れるよう周囲の地形を斥候に調べさせていた。先陣と中軍があまり離れない陣形を取っている白涼の意図は、この率いてきた兵の実力を見極めることにあった。紫州の州都で訓練の様子を見た限りでは、帝都の官軍と同等、いやそれ以上の練度があるように思えた。しかし実戦となるとどうだろうか。
「おじ……将軍、不安?」
白涼の顔を覗き込むようにして桃花が問う。
「うん、いや、どうだろうな。不安ではないが、戦場ではなにがあるかわからないからな。少し緊張しているのかもしれない。不安そうな顔に見えたか?」
「不安そうっていうか、難しい顔してた感じ」
「そうか。とりあえず兵の強弱という点では心配してないが、率いる将がな」
「小部隊しか指揮したことない周温を起用したのは叔父上でしょ、なにをいまさらいうの」
「桃花、戦場では叔父上ではなく将軍と呼びなさいと。まあ、賈燐と長孫覇をつけてあるから、悪いようにはならないと思ってはいるよ」
白涼は肩をすくめる。そこへ、先鋒から伝令がやってきた。
「将軍! 先鋒が敵軍と接触、交戦に入りました!」
「そうか。地形は?」
「はっ、街道が長い下り坂になっておりまして、我が軍が下りになる形です」
「ほう、上から掛かれたか。初手は悪くないな。中軍、先鋒との間合いを詰めるぞ! 現在の交戦地を見下ろせる場所に移動する!」
では、と伝令は先鋒へ戻っていく。その先鋒だが。周温が先頭になり沙州軍の中に切り込んでいた。瞬間的に兵を切り伏せるその剣さばきは、しかし周温としてはこれでも配下の兵に気を配りながらの戦闘のため、実力未満の動きだった。それでも驚異的な剣の業で敵兵を切り伏せる。時折動きを止めて孤立した兵がいないか確かめる周温。今の周温には戦場の流れを動かすような指示はできない。だからこそ自分のできること、つまりその剣で道を切り開くことに集中していた。
「周温! 右翼が崩れかけてますわ。私が救援に行ってよろしいかしら?」
先鋒軍の副将として配置されていた白い鎧の女指揮官、賈燐が周温に追いすがる。周温は敵兵を一人切り捨てると、「分かった、頼む」と短く返答した。
賈燐が兵を率いて右翼に到着したときは、危うく総崩れになろうかというところであった。そしてその原因は、敵軍の先頭で大斧を振るう大男にあった。長柄の斧を一振りすると、兵が小枝のように数人まとめて弾き飛ばされる。倒れたところを後続の沙州兵がとどめをさしていく。
「好き勝手されては困りますわ!」
馬の腹を蹴って賈燐が突撃する。得物の方天戟を鋭く大男に向かって突き出す。大男もこれに反応し、斧を器用に操って方天戟をはじいた。あまりの衝撃に方天戟を握っていた右手が痺れ、握力が一気になくなるのを感じた賈燐は、冷や汗が噴出した。ほう、と大男の顔に驚きの色。
「得物を飛ばすつもりだったが、耐えたか。やるではないか」
「鍛えていますから」
賈燐は軽口を叩きながら間合いを取る。少しでも手の痺れを回復させたい。
「私は先鋒軍の副将、賈燐と申します。あなたのお名前は?」
「儂か。儂は沙州軍馬の趙丘だ」
「軍馬……! まさか……!」
沙州軍の最高司令官の軍馬が、まさか先陣を切って突入してきているとは思いもしなかった。ここで倒せばきっと沙州軍は総崩れだ。倒すことができるなら、だが。
「隊列を整えなさい! あの男を囲め! 伝令! 周温をここに!」
矢継ぎ早に指示を出していく賈燐。生半な相手ならば自分で対処できるだろう。しかし直感で、この男には勝てないと悟った。そして兵が大斧で薙ぎ倒されるのを見ながらも、自らは指揮に集中する。敵は趙丘の作った空間を押し広げるように攻め寄せてくる。賈燐はその圧力に屈せぬよう戦線を支えるのに必死であった。
そしてとうとう。戦線は賈燐が直接趙丘の相手をしなければならないほど崩れてしまっていた。趙丘の一撃は、速くはないのだがとにかく重い。受け流そうとするだけで腕が千切れそうな衝撃が走った。はじめは攻撃の手も出していた賈燐だが、徐々に防戦一方になってしまう。そのとき。
「賈燐!」
見れば、周温が近くまでやってきていた。敵に足止めされているようだが、周温の剣であればなんなく突破してくるだろう。そのことが、賈燐に隙を作ってしまった。
「がふっ!」
大斧の一撃を受けそこね、馬上から叩き落される賈燐。
「捕らえろ」
趙丘の命で沙州兵が気絶した賈燐を捕らえ、馬に乗せた。
「戦況は悪いようだ、引け」
趙丘は撤退の命令を出す。実際、趙丘のいない中央、そして左翼(趙丘から見れば右翼)は白涼軍が押していた。
「軍馬、しんがりは私が」
沙州の校尉、劉程が進言すると趙丘は頷き、あとを任せて退却してゆく。
「どけ」
周温が殺気のこもった低い声を出す。劉程はあざけるような笑いを見せると、「もう手遅れだよ、あの女はいただくぜ」と挑発する。周温は馬を駆けさせ、劉程に肉薄する。
「小僧が! 俺は」
だが、劉程の口はそれ以上の言葉をつむぐことができぬまま、宙を舞った。切断面から激しく血が噴出す。さらに馬を進めようとする周温だが、しんがりの兵によってその道をふさがれてしまう。徐々に遠ざかる趙丘と捕らえられた賈燐の姿。大半のしんがりの兵を切り伏せたとき、もはや趙丘達の姿を見ることはできなかった。




