本紀32回
薄曇の空の下、晩秋の涼やかな空気に馬の嘶きが響く。白涼以下三万の軍が、沙州より白涼らを討伐の目的で進軍してくる軍の迎撃のため出陣したのだ。
沙州は沙水という大きく長い川が岩山の間を曲がりくねって通っていることからその名がついた。地勢としては山がちだが盆地や中州が点在しており、そこに人が集まっている。紫州に近づくにつれて山の数は減り、その高さも徐々に低くなっていく。山の間を縫うように街道が通っており、もちろん軍隊もこの街道を通ることになる。
「もう少し速度を上げるよう全軍に通達を」
軍列のちょうど中央付近にいる白涼は、伝令に向かってそう言った。
「遅いですか、将軍」
王澄命が馬を近づけてくる。今回率いている兵の大半は、王澄命が指揮を取っていた赤倫教の兵であった。その兵の進軍速度が遅い、つまり鍛え方が足りないと言われたように思えたのだ。
「通常の進軍であれば問題はない。が、今回は特に有利な地を先に抑えて陣を張りたい。沙州軍の進軍速度を一般的な軍の速度として考えると、少し急いだ方がよいだろうな」
白涼の言葉を、白涼の傍に居た郭操が補足する。
「もし沙州軍が速度を限界まで速めて有利な地を取ったとしても、こちらも最低限陣を構えるに足りる地は確保しておきたいですからねえ。それがこの速度ということですよ。それに、この程度の速度でへばるような生半可な鍛え方はしていないでしょう?」
「当然だ」
王澄命が自信たっぷりに頷く。白涼はその様子を見て軽く微笑み、「期待しているぞ、王澄命」と言葉をかけた。
和やかな雰囲気の中軍。一方、前衛部隊の指揮を執る周温、そして偵察部隊を率いる曹弁の表情には緊張の色がある。王澄命が自信を持って精兵と言い切る赤倫教徒の兵だが、こちらは三万に対して沙州の軍は五万。数の不利は大きい。周温の緊張は、数の不利に加えて今まで指揮したことがない規模の部隊、五千を与えられているからでもある。今までは少数精鋭の部隊で動いてきた周温にとって、未知の領域であった。そして曹弁は、数の不利を情報で以って少しでも埋めようと、頻繁に配下の偵察兵に指示を出し、戻ってきた者からの報告に耳を傾ける。まだ沙州軍の姿は見えないが、報告を元に地図へ情報を書き込んでいく。この地図は前紫州知事の張謙から入手したもので、主に街道沿いの地形が記されている。そこに配下の偵察兵からの報告、たとえば兵を伏せることの出来る森や林があるか、飲み水を確保できる水場があるか、などを書き加えているのだった。
「そんなに頻繁に偵察を出すのだな」
周温が、物珍しそうに曹弁の地図を覗き込みながら話しかけた。
「はい。白涼将軍には無理を言って偵察兵を増やしていただきました。敵が見えないことほど恐ろしいことはないと、私は考えてしまうので」
偵察兵の充実は、参謀の慕容循も認めて後押しをしてくれていた。
「詳しいことは分からないが、我らが動くときはそこまで多くを偵察に割いてなかったはずだ」
我ら、というのは赤倫教の兵のことだ。赤倫教が城を落とすために進撃したときは、数名の斥候を放った程度であった。
「それは、そちらの指揮を執っている人たちがその数で足りると判断したからでしょう。実際にそれで城を落としていたわけですし、判断は間違っていなかったのではないでしょうか」
「そんなものか」
教主のため一途に剣を振るい、数多の敵を切ってきた周温。それは盲目的ともいえる純粋さであった。しかしあまり考えることは得意ではない、と本人は思っている、ために少人数の部隊を率いるにとどまっていた。それでも大きな部隊を率いることになり、多少は周囲への興味を持つことにつながったようであった。
白涼は周温をただの剣士として遇することをよしとしなかった。周温の人となりをよく知る王澄命は軍を率いることには向かないと反対したが、郭操がそれもありだと賛成したため現在に至る。それまで周温が率いていた精鋭部隊ももちろんその指揮系統に入っているため、いざとなればその部隊だけを率い、残りを年配の校尉である樊日が率いる手はずとなっていた。慕容循は、周温を指揮官として育成できる参謀をつけてやりたいと考えていたが、前線で戦いつつその任をこなせる人材が現在の白涼陣営には該当者がいなかった。慕容循は武芸の心得がなく、なにより従軍するときは白涼の傍に控えて進言することが仕事であるし、慕容循が従軍していない今回は郭操が白涼の傍にいる必要があった。また、慕容循と郭操が二人とも従軍してしまうと今度は防衛部隊に参謀を置いておくことが出来なくなる。参謀の任に耐え得る人材の確保、これが今もっとも慕容循の頭を悩ませていることであった。
ところ変わって後軍では、白い鎧に身を包んだ女指揮官、賈燐が輜重隊を鼓舞していた。兵糧や木材、武器の予備、工作道具など戦に必須の資材を運ぶ輜重隊は、軍隊の中では足が遅い部隊だ。白涼が進軍速度を上げたため、少し遅れるものが出始めていた。
「この先陣地設営地に着くまでこの行軍速度になりますわ。みなさん、ここで遅れてしまってはこの先辛くなりますわよ。さあ、頑張って」
賈燐の激励におうと応える輜重隊。この輜重隊は白涼が都から連れて来ていた正規兵である。
「姫校尉は元気さで引っ張ってくれる人だったが、賈燐さんは魅入っちまう感じだよな」
「そうだな、あの長い髪と白い鎧がまた映えるし、眼福だぜ」
「姫校尉にはない色気があるよな!」
「眺めていたけりゃ頑張って追いつかないとな!」
「よっしゃ踏ん張るぜ」
多分に下心を含んだ輜重兵達の視線を浴びながら、しかし平然と、そして毅然とした表情を崩さない賈燐。その姿で兵を鼓舞し、進軍するのであった。




