本紀30回
郭操に連れられて、桃花は赤倫教の教主趙麗姫が滞在する屋敷へとやってきた。
この屋敷は前紫州知事が肥やした私腹で建てたもので、周囲の屋敷と比べても一等広く、また随所に意匠を凝らしたものとなっていた。この屋敷が赤倫教団に与えられたのは、ひとつは白涼が自らの居所を政庁に定めたことにある。慕容循が、白涼の近くに教団中枢が居てくれると目を光らせやすいだろうと進言したのだ。また、政庁の裏手にある大きな屋敷は、赤倫教の教主以下、幹部たちを住まわせるのに十分な広さがあったこともあって、この屋敷が教団に与えられることになったのだった。
「教主様、姫校尉をお連れしました」
屋敷の一室。日当たりの良い南側に面した部屋に教主趙麗姫は床机に腰掛けていた。肌も髪も透き通るように白い少女だ。
郭操に連れられて、桃花はその部屋へ足を踏み入れた。かすかに、しかし確かに分かる程度の柔らかな香気。どうやら香を焚いていたらしい。
「あ・・・・・・いい匂い」
ぽつりと桃花がつぶやいた。
「仁黄木という香木です。気分が落ち着きますよ」
ふわり、と笑みを浮かべる麗姫。儚げな美しさ。思わず桃花は見入ってしまった。
麗姫は立ち上がると、桃花の手を取って言った。
「一度陣中でお会いしましたね。趙麗姫です」
「あ、はい、えーと、校尉の姫桃花です」
元来は人見知りをしない桃花だが、この趙麗姫という少女の前では不思議とどぎまぎしてしまう。
「ではそちらにお座りください、姫校尉」
椅子を勧める麗姫。桃花は頷くと素直に椅子へと腰を降ろす。
「改めて思ったけど、教主さん若いよね」
陣中で見たときはもうすこし大人びて見えたのだが、明るい部屋の中で見ると思っていた以上に若いようだ。
「はい、十五になります」
「十五!? わたしも若いってよく言われるけど、そうなんだ、十五・・・・・・それで教主だなんて、すごい」
心底驚いたという様子の桃花。麗姫は自らの胸に手を当てて目を閉じる。
「それが、私の星の導きですので」
「星か・・・・・・。わたしは、家族が皆殺しにされるような星のもとに生まれたってことなのかな」
怒りと悲しみがない交ぜとなった表情になる桃花。きつく下唇を噛む。
「姫桃花様の星は、宿星。救世の英雄の傍にあって共に輝く星。確かに星の宿命というものはございます。ですが、ご家族の不幸が決められていた運命であると考えてはいけません」
「だったら! どうして、父上は、お祖父さまは、殺されなきゃだめだったの・・・・・・」
声を震わせて泣き出してしまう桃花。
「決められた運命ではなくとも、歪められた運命ではあったのかもしれません」
「歪められた・・・・・・?」
「人の世の運命を歪め。世の理を踏みにじる。それが黒冥の徒」
「黒冥の、徒・・・・・・そういえば教主さん陣中でも言ってた・・・・・・」
涙に濡れた目で麗姫の赤い瞳を見つめる桃花。
「そうです。人の世の終末を、混沌を望む者。その中から自分たちだけが救われるように、他者の運命を歪ませているのです。十年前の乱もその一端でした」
「つまり、そいつらが本当の仇。わたしの、叔父上の、教主さんの、敵・・・・・・」
桃花の瞳に炎が宿る。それは昏い復讐の炎であったかもしれない。それでも、抜け殻になりつつあった桃花に、活力を与える炎であることは間違いなかった。麗姫は少し心配そうに、しかし優しさを込めた視線で桃花を見守る。
「あの」
ややあって。意識を麗姫に向けた桃花が、少し恥ずかしげに声をかけた。
「はい」
柔らかな表情で応える麗姫。
「また、来ていい?」
何か感じるものがあったのだろう。また、年の近い同性がほとんどいない環境であったことも確かだろう。桃花はこの白い少女と交流を持ちたいと思ったのだ。
「はい。いつでも、どうぞ」
その言葉にはにかんだ笑顔を見せる桃花。
「ありがとう、教主さん」
「ふふ。麗姫でいいですよ」
「うん、麗姫、ちゃん」
「はい、こちらも桃花さんとお呼びしてよろしいでしょうか」
「そうだね、うん。これからよろしくね」
桃花が屋敷を去って。麗姫の部屋には郭操と女指揮官の賈燐がいた。
「悲しいお方ですわね」
賈燐が言う。それは、桃花のことを指しての言葉だった。賈燐も、麗姫ほどではないが星を読める赤倫教の巫女でもあった。
「ええ、そうですね。ですが、強い方でもあります」
英雄の傍にあって、英雄と共に輝く星。しかし、英雄と共にあるか否かの選択を何度も突き付けられることになる宿星。それは、英雄以外を切り捨てる星でもあった。家族を失ったことは運命ではなかったかもしれない。しかし、家族より英雄を選択したことが、悲しい別れを経験することになった。もちろん、都で姫一族と共にいれば桃花も処刑されていただろう。桃花の選択で一族が助かる道があったわけではない。だが、結果として白涼と共にあるか、家族と共に散るか、二つの道から知らず選択していたのだ。
「白涼軍幕僚としての意見ですが」
郭操が切り出す。
「姫校尉には空元気だとしても立ち直っていただかなくてはいけませんねえ。彼女の軍才は際立っています。まさに将の器といって過言ではないでしょう」
「郭操様、あなたと言う人は・・・・・・」
賈燐があきれた声を出す。そういうことは思っていても言わないのが華だろうと賈燐の視線が物語っている。そして、立ち直らせろと麗姫に言外に要求していることであることも、麗姫と賈燐二人には伝わったのだった。




